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深更。雨が小止みになるのを待って、千切れになった水玉が砂壁のように散らされた路面に、弟のママチャリを内緒で借り(サドルの高さが一杯に降りて、平行だったハンドルバーはM字に曲げられていた)タイヤ痕を稲妻に引きながらコンビニへと出掛けて、春雨スープとセブンスターを買い、親の気分的な還暦が来るまで間借りした京間の和室に直帰すると、座面がコットンテープで編まれたロッキングチェアーに腰掛けた。
ーーー棋譜並べのしばらく指していないままあった。そよとの風がこっそり三五歩を成り歩に変えてしかも妙手である。そういう家具調度の動かし方を日中の母親達にも出来るらしいーーー
隈曲のある床の間には、玩具のクリスマスツリーが置かれていて、プリクラを銀紙に凝った風に連ねて貼付け、それが何本も襷掛けにされている他に、七夕を凝らした短冊が飾られていて、初めて招いた知人達の、丸字なエキストラマークの多い意外に謙虚な等身大の願掛けがされていた。脇の違い棚には、当たり前に写真立てと糊の弱くなったクラフトテープで封じられた十萬円貯金箱と小物入れと一二センチの帯なしCDジャケットとその中身などが台風一過のように散らかっており、地袋の上には小型の冷蔵庫が置いてあった。そこに容れておいた750MLのコンビニ白ワインを聞こし召めそうと膝を送って行く途中、貼られたシールの虹色に反射する裸のディスクが目を射ると、モノクロ映画の旧作DVDを七泊八日で借りていたのに三、四日塩漬けされていたままの事を思い出した。なんでもヌーヴェルヴァーグ右岸派の小津をリスペクトしている巨匠の誰それが若い頃に撮った作品で、長身の全裸の女がくわえタバコをして、便器に座り大喝するのが記念碑とか金字塔とか……ともかくグレイテストヒッツ的な呼び込みがされたのを、月一で発刊されている老舗ファッション紙で組まれた『彼女たちの時代』という実業家でもファッションデザイナーでもない、一般の社会人や家事手伝いに取材した特集の最後のトピックスがフローチャート式になっていて、自分の特性の「日比谷線タイプ」に「……一見屋の他所目には見えない品格がポイント」と分からないような囲み記事がされていたのを忘れずにいたので、さも正解のあるマークシートを塗り潰すみたいにやっつけ借りしたのだった。DVDメニューから『雨の日、路地裏、通りに面して』というS&Gの未発表音源にありそうなキャプチャーに飛んで鑑賞を始めてから、心中ずっと飽き飽きしている自分を騙し騙しロッキングチェアーに揺れながら字幕を追いかけている内に、時機良く画中の女が空のバスタブで浴びていたシャワーの蛇口を締める音がした後、半開きのシャワーカーテンから肌に密着したカットソーに毛玉のたわわなショーツだけで出て来たので、着ていた服の上下のコントラストの濃淡から「ああ。女が着てすぐ脱ぐ時の“粗相”ね。シュールレアリスム。分かるわ」と勝手に見込んで、耳朶にイヤホンを嵌め字幕を消し、そのフランス女優とやや出目金で唇の分厚な三枚目のフランス俳優の不明なフランス語会話に出鱈目な吹き替えを聴いて、清美はマスターベーションを始めた。が、指を蠕動させたそばから薬指に少し時間が置かれた天然モイスチャーケアーの名残の湿り気を感じると慌てて音声をミュートに切り替えて、画中の女優もよく知るところの女に変わった。舞台は日本のお城で二の丸とか三の丸と呼ばれているような場所から火の手が上がり、四囲を煙幕が覆った。と其処に、自分の近習〔きんじゅ)を一掃して曲者が現れた。およよという間に担がれ、運ばれ、渡ってすぐ跳ね橋は上がり、栗毛で鬣が白黒だんだらの馬の背に、何故か白無垢の打掛を一枚羽織っただけのうっ伏せた姿格好で抛られて、姫攫いの方でもまた裃の半身は開けながら大弓をケンタウルスに構えた珍奇な姿をして、鳴り鏑の一矢で二人も三人も射落とした。追っ手は櫓からまた犬走りからお堀に落ちて男前にKISS THE SKYした。いつか遠くの方で瀑布と思わしき水の飛沫いた(しぶいた)音のはらはらと聞こえる、森とした春の日の木立の中に拉っ去られていた。顔に傷が付かない程度の速度に“して”清美は繋縛されたまま落馬した。“薮の中”を一散に走った。森全体が無声で自分の息する音すらそうだった。ただ木漏れ日の太陽モンタージュみたいに忙しく、森が林になったり林が森になったり、まるで木立がまばたきをして清美を視ているみたいだ。目眩を覚えて避難した木下闇は外の世界とは打って変わり、鳥や昆虫が起てる色々な音で溢れていて、見つけたのか見つけられたいのか分からない世界だった。と其処に、煤けた肌に抜き身のような歯列が白く映えた男が現れた。およよという間に跨がれ、脱がされ、てもう続かない。清美の実際的で且つ実用新案に遠い世界の人間はその先へ逝くのを許さないのだ。と、自分では思っている。ジッパーに毛を巻き込みそうな窮屈な姿勢を整し、厳ついガラスケースに収まっていたセブンスターを喫みながら、もっと充実した没交渉的アフターケアの為に解明が急がれるような気持ちで思案を廻らしていたが、頭の“実際”の足りない場所では、サントラに問題がありそうだと見当を付けている。