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1から2プラス閑話旧題

申し訳ございません。

1から2までは4/23にupしていたのですが、一話完結という手違いをしてしまい、閑話旧題を付けて新規にup仕直しました。

今日風日好  今日 風日 好ろし

明日恐不如  明日は恐らく如かざらん

      擬古 ー古のうたに擬えてー 李白


                1 

「まるで僕はキャリーの車輪ですよ」と彼は思っている。

 なるほど車輪だ。

 成田空港第一ターミナル南ウィングでのジョージはまるで、傴僂せむしのように丸まり女の荷物を飼い且つ支配されていた。

 彼が前の尻の上に釣られたiPodからは何も聞こえない。ただ彼女の耳朶じだに音無しく収まっていた。事実マーサーにしたらイヤリングの代用でしかなく、その限りサングラスと大差ない扱いである。

「そもそも僕が荷物を引き受けなきゃ、彼女だってあんなにcoolでいられるわけがないんだ」彼はダイアログとか問答なんかとは縁の無い国の人らしく考えた。「それからなんだって、あんなに“アメリカ”するんだろうか?」

 夏の日が長いのに空調の冷気が女につらい。それでもマーサーはほとんど日本ご用達セレブの“成コレ”よろしく、氷結した破顔のままだった。

 しかし彼女はそれでも現実の人である。

「ねえジョージ。“手打ちうどん”って知ってる?」彼女は言った「“実演”=Demonstrationって書いてあるわ」

…………。

 兎も角、彼らは日本にいる。アメリカは西海岸。お品書きにありそうな、“燻しオレンジ”色の太陽の沈む街から、はろばろやって来たわけだ。

                

                2

蝉時雨せみしぐれ

破れて招く(やぶれてまねく)

木下闇こしたやみ

……と今朝ジョージは二人が起居するウィークリーのアパートで、“金鳥”の蚊取り線香を焚きながら、端近で風鈴と虫のすだく和音に気もそぞろでいるうち、目近に迫る暑中の脈の白く高い青葉が、さやかな風と微温的な郷愁を彼に送ったが、それでも混淆こんこうして紛うことないランスタンの蠱惑こわくな香りが彼の気に障った。

「風流とは“何か”に気遣いするということじゃないかと思うんだ。例えば“森”という字と“林”という字があって、ちょうど雨の切れ目に立ち会えた時のように、一株落ちたその瞬間をたまさか見れたとしようよ。そうだとすれば、僕らは“何か”を感じるに違いないよ。寒いとか、さみしいとか」

 マーサーは四つ足の短い方形のテーブルに残る、背の高く括れ(くびれ)のある温気うんきで汗がびっしょりなグラスを最前まで載せていて、今はお役御免のコースターの輪の曲線を、ラメで目も綾な指先で痙攣的に出鱈目に切っていた。

「Umm.あるいは“林”から“竹”を連想したとしようよ。それは文字面もじづらからだろうとなんであろうと、そういった動機は抜きにしてともかく“竹”を想像してごらん。そこから“何か”が生まれるに違いないよ。例えば虎とか殺人現場とかね。だけどそれは自然な……天然の果実を見つけたようなもので美味しくいただくか唾棄するかは価値決め云々の問題さ。ねえマーサー。ところが君ときたら、この夏の盛りに、それも日本の夏の盛りに秋冬用の紛々たるものを匂い立たせるわけだ。風流が兎角というよりも趣味の甲乙なのかも知れないね。いやまったくーー」

「ところがあんたときたら」彼女はコースターの曲線を拭うと、次いでイヤホンを耳朶に嵌めて、チューナーを合わせるようにジョージの危篤患者の心電図の抑揚を持った音域と、耳元にいるパンクロッカーの切れない癲癇の脳波に似た“こぶし”との調和にてんてこ舞いだったが、いよいよ堪えきれなくなった。

「わたしがひさし髪にしたのにも気付かなかったでしょ?それとも人を選ぶのかしらん……お点前とでも或いは神父の肥えた桃色の肉叢ししむらとでも例えてみようかしら。あんたのこと」

「ところがだ」彼はほとんどジェリーのトムに対峙する際の膂力りょりょくの余らせ方で言った。「僕はとっくに気付いていましたよ。君がひさし髪にする前からと言ってもいいくらいにね」なるほど彼は事前に承知していて、それは予測以上の確実さではあったのだけれど、かといって予知とかイタコしたとかではなくて、世界中の国政選挙で人民某党が勝つのが開票前に“当確”という意味で、である。しかし彼のつぶらな瞳(彼が他者に与える印象の凡そ半分はこの瞳が領しているのだ)の下にうっすらとしかし確実に隈が露出し始めていて、それをマーサーは女のメイク落としののっぴきならぬ事情や手管で発見し原因も素早く見抜いた。

「可愛そうなジョージ。ひねもす心理カウンセリングに勤しむジョージ。無報酬、無効果、無資格のジョージ。でも本当は」彼女は言った「あなたにこそ必要なのよ、カウンセリングが。それも週に八日のコースね。でもその意味は、あんたが“八日目”にずっと生きているというのと、もちろん関係ないわ」それからちょいとしなを作り、勝ちさびに言った。「目ハ口“ヨリ”モノヲ言ウ」ってこの土地の言葉よ」

 ジョージは「心の貧しき者はーー」という警句に魅力を感じたが言わなかった。それはマーサーに信仰を期待できないのと、そもそも自分が無神論の信仰者ということを思い出したからである。

閑話休題:その昔に私が生まれた土地にあって一時浮かれたように通ったことのある、鄙びた天主教の長老派教会を思い出した。(そこは三階建てで一階が待機室、二階が礼拝所、三階が牧師一家の自宅といった造りだった。)そのエントランスには、十一献金用の簡単な造りの函と献金者の記帳ノートの混み合った場所に、今月の行事と題字された「福音通信」があって、その裏表紙に決まって「使徒信条」が箇条書きされていたのだが、肝心の内容は全く思い出せない。

 ただ水曜礼拝の夜の部が終わり、牧師一家の夕餐のお招きも恭しく(いかにも!)断わった後、見舞客のもういない、まだプライムタイムというのが嘘のような総合病院の静けさに似たエントランスまで、牧師が見送りに一緒に降りてきた日のこと。大袈裟なつくりの(それは閂を抜くように出来た自家発注の木戸で)出入り口を蝶番ちょうつがいの凄い音に改めて驚きながら出ると、足下から夜気の煙嵐えんらんが上がってきて、それでかえって私の注意が夜空に向いたのだった。

 金平糖の白いのばかりが、冬の澄んだ空にクルクル回ってるように明らかな晩だった。

 私が「先生。映画でよく出てくる“告白”する……そう狭くて出窓がバカに高い所にある部屋の、それから中仕切りがあって、そこの小窓が開くと格子の向こうに先生がいる、それで『汝の心を平安にして』云々とこう信者に話し掛ける部屋がありますよね。あれって此処にはないんでしょうか?」

「それはきっと“告悔室”のことでしょう。カトリックでやるんです。うちはプロテスタントですから……でも悩みがあるんでしたらお伺いしましょうか?」そう言うと牧師は眉間に小皺が川の字になって、スガ目で言った。「でもMさん。私はあなたを信じません。それでも本当の事を教えて下さいと言わなくてはいけませんが」

 日曜日の主日礼拝は午前の部と午後の部の二本立てのプログラムで、私は午後のそれも遅い時間になってから参会するというのが常であったが、はじめて現在のさいを連れ立って教会へ訪れた日のこと。

 その日見習い牧師の歓送迎会を兼ねた青年部による催し物があって、讃歌集を小脇に手を叩いたり床を蹴ったり口から種なしパンの残滓ざんしを飛ばしたりといよいよ宴もたけなわといった時に私たちは合流した。

 すると一同水を打ったように静まり、それも「どうぞお気遣いなさらないで。わたしたちは赤心せきしんよりあなたがたを歓迎し主の導きを感謝し、交わり、愛します」といった風に、私たちのうちで彼女の方を顧視しつつ微笑むのだった。

 過日彼女は私に言った。「寒イボが立ったわね。本当に。男のあなたには分からないでしょうけど、私にははっきりと聞こえたわ。『Dカップのくせに』とか『スッピンなんていい度胸ね』なんてね。アイス,アイズとウォーミング,ハーツの片手落ち」

 身廊しんろうを挟んで緋のマットが敷かれた長椅子が二十足らずあり、一同其処にぱい一索いーそうのように腰掛けると膝の上で旧約聖書詩編を開いた。

 その日限りで牧師見習いが説教の弁を執った。

 問わず語りそのままで、抑揚が跳ね声も高く五月蝿く感じるだけだった。

“主の祈り”も延びていた。

 説教が終わると青年部の選りすぐりの男女が、エクボとニキビ面にとびきりの笑顔で花束を贈呈した。百合の香りが胃にむかついた。

 と、舞台正面奥の壁に花綵はなづなで飾られた十字架が、黒の法衣を纏った牧師の身体で隠れた。

「改めまして。皆さんこんにちは」こんな時の牧師は気分が上々な井上陽水を思い出して下さい。「本日は研修で一年間おいでになって、私も大変頼りにしていたP君とお別れということと、また新しく研修でおいでになったKさんの歓送迎会ということで、少し時間が押してしまいましたがーー」

 こういった懇ろ(ねんごろ)な挨拶の後には定まって、話者は急に真剣になるものです。残暑の体育館に逼塞ひっそくした学生諸子を望見して、学期初めの垂訓をする校長先生を思い出して下さい。

「ーーロマ書第二章です。『サレバ凡テ人ヲ裁ク者ヨ、ナンヂ言ヒ遁ルヽ術ナシ、他ノ人ヲ裁クハ、正シク己ヲ罪スルナリ。人ヲサバク汝モミヅカラ同ジ事ヲ行ヘバナリ。カヽル事ヲーー』」

 イスカリオテのユダ。

 牧師がこのロマ書のくだんを話題にした時、私はイエスを磔刑たっけいにしたユダを意地悪く思い出さずにはいられなかった。しかし私をこんな気持ちにさせたのはイスカリオテのユダではなく、いま捷前しょうぜんで口角泡を飛ばす下町の牧師、その人だった。

…………。

 自前の指頭の渦輪に目眩を起こしてしまったように、東京郊外を一寸奥に入ったところの、車窓に流れる鄙びた風光に連れられて、すっ頓狂な鼻唄を諳んじては愉快になりつつ、土曜学校の出張だというので牧師夫婦とその連れと一緒に老人ホームを訪問した日のことだった。

 敷地全体が名無しの森に抱かれ、馬車廻しの中島で飛沫を挙げては色の少ない虹を手が届きそうに架ける噴水が暇なくて、かたや遠くで櫛比しっぴする春の日の木立は空と同じ高さでしんとしていた。

 総二階で白亜の建物に入った。

 屋内はフラットフロアーに何処までも手すりが廻らされていて、ドアはすべて引き戸だった。

 ゲストルームに通された。

 短髪に色黒で当院の銘と紋がプリントされたシャツを糊の効いたズボンにすっかり入れた還暦前の男が、五分きっかりで早歩きに手を揉みしだきながら入って来た。

 院長だった。

 際会した面々と通り一遍の挨拶を交わすと我々を残してすぐに部屋から出て行った。

 「あの方は非常に熱心なクリスチャンなんです」牧師は言った「それで時折お声を掛けて下さるんです」それから続けた「まず、言うまでもなく」

 それは恰も内から硝子が割れたので、外で石を探す人のようだった。 

 小会堂は一階南表の角にあり、吹き抜けで、スケルトン階段を二階部分のルーフバルコニーに接続し、その向かいにステンドガラスを縦に細く平行に採って、天井は勾配だった。

 その下で縦横に列を組んだ長テーブルの上に間隔を空けて名札を配り、椅子には名前と照会しながら名々のクッションや円く切った花ござをホームの職員が敷いたところに、牧師夫人とその連れと私とが案内した入所者を迎え終わると、其処に五分きっかりで牧師は詰襟に筒袖のユニフォーム姿で入って来た。

「皆さんこんにちはーー」

 眼が不自由な女性と耳の遠い女性の間で付き添って、牧師が「マタイ伝二十一章十四節です」と断わりを入れると、私は当該のページを開き牧師の後に復唱しつつ指でなぞる、といった仕事だった。

 ややあって、目交まなかいを紙飛行機がよぎった。

 和紙で編まれた入れ子に新聞のチラシがたくさんで、退屈した時の間に合わせに入所者から少し離して置かれていた。紙飛行機はそのチラシの工作物だった。また飛んで来た。出処は斜め後ろで、ずっと離れていた。其処には体格の良い、健啖そうな団塊よりも年が上であろう男性がいて、担当の職員が“声掛け”をすると「はい!はい!」と言うと、すぐ手遊び(てすさび)を始めるのだった。また来た。彼は莞爾にっこりしていた。私は誰にというのでもなく秘密に開いてみた。折り目が強くしっかりした作りで、チラシは「得の市 毎月一日の 得の一 安いよ安いよ 得の……」と五色で刷られていた。と、彼は目を挙げた。天に投げた。が、ステンドガラスの聖母子に当たると燕返しに揺れながら、また私の元に落ちて来た。   

 開いた。

 「SECOND LIFE 新しい人生 新しい住い 新しい二世帯住宅 週末は緑道に面したウッドデッキでご家族揃ってのバーベキューもーー」

 いつか散会になっていた。

 私は車をまわすのに一足先にホームを出た。

 屋外は中天の日を享けて駐車場の礫土に点綴てんてつして生えた雑草は歓を尽くしていた。

 車を入り口に付けたのを報らせに戻ると、風除室につながる出口で牧師は足止めされていた。

 肉付きの良くしかし思い詰めたような初老の女性が、ほとんど我が事のように密やかに聞いた。

「ユダは赦されたのでしょうか?」

 牧師は直截ちょくさいに言った「いいえ、赦されて“いません”」

「それは“まだ”ということでしょうか?」

「“これからも”でしょうね」

 この哀れな初老の女性は二の句がもう出なかった。

“これからも”という頑迷さと“でしょうね”という距離の置き方を綯い交ぜにしてしまう鮮やかな遣り口が、彼女を尻込みさせたのに違いなかった。 牧師はかたばかりに使徒行伝からそれらしいものを引用して付言したが、彼女は不安を隠せず空で聴いていた。

 しかし、それでも傾聴するべきだった。

 結局牧師は直截的な言葉の端々に、またなぐさみという“行為そのもの”にも、「そんな不安なんて自分で拵えたもので、なにもあなただけが特別というわけでは無いのですよ」というあやの濃い(こまい)了解を織り込んでいたのだから……。

 牧師夫人と連れとはその間ずっと蝶々しかった。

 院の門扉の前の緑道に面して品を展げていた地元農家の直販所で、昭和の映画ニュースに撮られていた女学生よろしく、季節の野菜をいちいち手に持っては愛で匂っても賞でといった風に。

 私がそんな光景をふたつながらに観ている内に、花壇で一本の支柱に忍冬の金色こんじきなのと白いのと一緒にいるのが目を射ると、こんな考えに捕われた。

「開かれた皇室、余暇的自由、こんなものは契約の定款に拘泥する中東以西の神話だ」 

…………。

 午後の海があった。

 入り日が遊弋ゆうよくしてズボン皺の縞を辷っている。

 その腿の上で彼女は手遊びを始めた。

 私が黒目を流して見た彼女はちゃんと顔が牧師に向いている。

 でも彼女は知っている。目尻が莞爾かんじしている。

 手を払う。また来る。また払う。その手を攫まれて彼女の腿に運ばれる。

 誰も払わない。私も払わない。どちらの手もそのままになった。

 百合の香りも醒めてきた。

 手は“秘密”に辷っていった。

 主の祈りが彼岸に聴こえる。

「天ニイマス我ラノ父ヨ、願ワクハ御名ノ崇メラレン事ヲ。御国ノ来ランコトヲ。御心ノ天ノゴトク地ニモ行ワレン事ヲ。我ラノ日用ノ糧ヲ今日モアタエ給ヘ。我ラニ負目アル者ヲ我ラノ赦シタル如ク、我ラノ負目ヲモ赦シ給ヘ。我ラヲ試ミニ遇ワセズ、悪ヨリ救イ出シタマヘ」

 牧師は掌を仰向けにして両手を差し出した。

「主ト子ト御霊ノ親シキ交ワリ」《教会の教の字は“協”のほうがしっくりきますね。十字に主と子と御霊の三位一体。どう思いますかMさん?》 

「アーメン」

 会衆の調和と歎声の坩堝の中、私の恍惚こうこつとはどこまでも落ちることだった。

…………。

「Mさん」牧師は言った「否定なさらないのですね」

 こういった“慇懃無礼”さにはまったく閉口してしまう。

“否定しない”とは……私ははっきりと肯定したのだから。

「きっとあなたはこの先で“落ちる”でしょう。それは勿論キリスト者の王国というわけではなくて、ちょうど日輪の落ちるように」牧師はほとんど囀る(さえずる)ように言った「罪というのはいつでも涜神とくしんがはじまりですから」 

「それでも罰が先に来ることはしばしばでしたよ」私は空目で牧師を見て言った「それはなにも私に限らずです」 

 菓子に甘露が欲しいと思えば冬の夜空なのに遠雷がとよもした。

閑話旧題が長過ぎた(笑)

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