第二章 忘れ物はないか(3)
「こんな荷物ぐらい、一人で持てたんだ」
「ありがとう。悪いね」の代わりにアンディの口から出せたのはそんな言葉でしかなかった。
宿からのびる長い坂を夕日が紅く染めていく。そこにのびる二つの影が並んでいることがなぜか気恥かしくて、アンディはわざとぶっきら棒にそう言った。
「身の回りのものだけ持って出てきたんだし、土産とか買いこむ旅でもなかったしさ。それに……僕、女の子に荷物持たせるほど非力じゃないんだしさ」
「なに? 持ちたかったの? はい」
アンディの気持ちをまるでわかっていないのかエクレナはそう言うと、持っていたアンディの荷物をポンと放り投げてきた。
「わっ! 何するんだよ! 痛いだろっ! 」
「ごめんよっ。でも、固いもんは入ってないんだし、そんなに痛いはずないじゃん」
「荷物持ちのクセに、人の荷物を大事にしないな」
「あたし、荷物持ちじゃないもん」
「……はぁ? 」
アンディが宿に一度帰る時には「行ーくいくいくいくいくいく! 」と騒ぎ、まとめた荷物を持とうとする時には「持ーつもつもつもつもつもつ! 」と騒いだクセに、平然とそういうエクレナにアンディはあっけにとられた。
「……じゃ、何しに来たっていうのさ」
「あ~、そぉれはだねぃ、アンディくぅん。3つの理由があぁるのだよぉ」
やたらめったら癖のある物言いをするエクレナにちょっと驚いたがかけてもいない鼻メガネを直すしぐさで、アンディにもそれがマイクロフトのマネであることがわかった。
「3つ? 」
「そそ。一個目はね、用心棒」
「用心棒ぉ? 」
アンディは改めてまじまじとエクレナを見た。長袖とはいえ体のラインがはっきり出る服のおかげで、彼女の体がアンディよりも華奢で細身なのが見てとれた。おそらく腕力に限って言えばアンディの方が上だろう。
「こう見えてもね、場末の歓楽街育ちなの、あたし」
相手と比較されているのがわかったのか、少々気分を害したかのようにエクレナはそう言った。
「修羅場の場数だったらけっこう踏んでんだよ? ま、教会育ちの王子様よりはか・く・じ・つにっ」
耳の痛い意見に顔をしかめながらも、アンディもそこの部分は認めざるを得なかった。
「それにしたって用心棒なんて……」
「いらないと思う? 」
エクレナの大きな瞳に覗きこまれてアンディはなぜかどぎまぎしている自分を感じていた。それを隠すためにも口の中でうにゃうにゃ言っているアンディをどう判断したのか、エクレナは赤く染まった足元を見つめながら続けた。
「……ま、あたしじゃ適任じゃないってのは認めるよ。でもね、他に人、いなかったんだもん」
「そうだったっけ? 」
「そぉだよぉ」
アンディに訊ねられるとエクレナは一つ一つ指を立てて数え始めた。
「ディアは船ほっぽっといてどっか行っちゃうし、マイクは船の世話やお仕事で忙しいしぃ。ほら、あたししかいないじゃん」
「……で、二番目の理由は? 」
少しうんざりしだした自分を自覚しながらアンディはそう聞いてみた。
「縄持ち」
「……はぁ? 」
今度は本当に彼女が何を言っているのかわからなくてアンディはもう一度聞き返した。
「荷物持ちじゃなくって、縄持ち。……だってアンディ、一人で縄梯子、登り降りできないじゃーん」
耳の痛いところをするどく突かれて、荷物を持ちかえるふりをしてアンディはそっぽをむいた。それを追いかけるかのようにエクレナは立ち位置を変えてさらに言った。
「さっき船から降りる時だってわたしが下で補助やってたんだよ、覚えてるぅ? あん時びっくりしちゃった。小舟の錨、降ろしてないんだもん。そりゃ流されもするし、縄梯子だって斜めになるって。だぁいたい一人でどうやって船に乗る気だったの? 」
「……悪かったよ……」
もう半ばうんざりした気持ちでアンディは坂の下まで降りてきた。だが、湖畔の繁華街に入るとエクレナは少し真面目な声音で話し出した。
「……で、三つめはね……アンディ。アイクのこと、怒ってない? 」
「え? 」
アンディは思わずエクレナを見た。もう薄暗くなってきた街中、歩いて行くたびにエクレナの横顔を店の灯りが通り過ぎてゆく。
「うちの男どもはさ、どいつもこいつも誤解されやすいのばっかりなもんだからさ。……まぁ、ディアはいーのよ、半分自業自得だもんね。でもマイクはね……」
少し言い淀んだ後、エクレナは意を決したかのように言葉を続けた。
「うちの船ね、けっこう経営、苦しいの」
「……はぁ……」
「ま、ほとんどの理由はディアにあるけどさっ。情に流されたり思いつきで仕事選んだりするからさぁ……」
「……はぁ……」
「そのしわ寄せがみんなマイクんとこ行ってるわけ」
その「情に流されて引き受けた仕事」に自分も入ってるのを自覚しているだけにアンディの口調も自然とはっきりしないものとなっていた。それも気にせず大きなため息を一つつくと、あとは流れるようにエクレナの言葉が続いた。
「例えばさ、今回のアンディのパターンなんて、もろディアの好みなんだよね。でも最近うちの経営苦しいから受け入れるよゆーなんてマジなかったの。だから、ディアの耳に入る前になんとかあきらめてもらおーとしたんだと思う。
ま、それだけじゃなくって、ああもいろいろやろうってしたのは理由を作ろうとした、ってのもあると思うんだよね」
「理由? 」
「受け入れる理由」
店の灯りに照らされたエクレナの横顔はそれまでアンディが見たものとはうってかわって生真面目なものに見えた。
「マイクもね、本当は乗せたかったんだって思う。でも、それをやっちゃったら船を守るためにマイクが今まで作ってきた自分のルールを破ることになっちゃう。だから、なんとか乗せられる理由を見つけようと思っていろいろと行ってんだと思う。
……だから怒んないでね」
エクレナが最後に付け加えた言葉があまりにも弱弱しかったので、アンディは思わず”いいよ”と言いかけた。だがそのとたん帆げたから落ちかけたあの恐怖心がよみがえってきて、口からは別の言葉が出てしまった。
「……命を落としそうな目にあわされて、”怒るな”って方が無理ってもんだろ? 」
「でもマイク、助けたじゃん」
「そりゃ助かったけど! あれは偶然! 突風が吹いてきたから甲板に落ちずに済んだってだけで……! 」
「その風、誰が吹かせたと思ってんのさっ! 」
「誰がって……! 」
アンデイは言い合いの最中、ふと我に返った。彼女はマイクロフトがあの突風を吹かせたと言いたいのか? そんなことは一般人にはできない。それをやるのは……魔法使い。あの、額に輝石を張り付けた者たち。
そういえばマイクロフトの額は鉢がねで覆われていた。もしかしてあの下には……。
「もしかして……マイクロフトって……まほう……」
「魔法使いじゃないってば」
恐る恐る訊ねたアンディに愛想を尽かしたかのような表情でエクレナは切り返した。
「そもそもヘルメス号には魔法使いなんて一人も乗ってないんです! ……そう考える人、多いけど」
「……じゃ、風なんて吹かせられないじゃないか」
「吹かせられなきゃ、空なんか飛べるわけないじゃない」
「どーやって? 」
「……しっ! 」
突然足を止めたエクレナに制止させられたアンディは、一瞬状況がわからずたたらをふんだ。真剣な顔であたりをうかがっているエクレナは、それ自体どこか緊迫感を感じさせるものだった。
「いったい何が……」
「だまってっ! 」
再び制止したかと思うとエクレナはアンディの手をひっつかみ、全速力で元来た道を戻り始めた。アンディは転びそうになりながらもなんとかついていく。理由を聞きたいのだがさっきの「だまってっ! 」で封じられている。
早足は駆け足となり全速力となり、人の多い街並みの路地を右へ左へと駆け抜けていく。これでは他に同行者がいてもおそらくはたどり着けまい。
たどり着けない? アンディは動揺した。
さっきエクレナはアンディには用心棒が必要であるということを言っていた。それはアンディ自身は気がついていたいものの、何らかの脅威が間近に迫ってきていることを意味しているのではないだろうか。そしてこのエクレナの行動……アンディたちは何者かに追われているのか!?
道という道を走りまわった後エクレナは一つの店の一階の馬置き場に飛び込んだ。馬の体の間をすり抜けて一番奥の階段を認めるとエクレナはアンディに先に上がるように指示してきた。
「ここはいったい……? 」
「しっ。早く入って。ここなら確実だよ」
心を決めて階段を上がり、扉を開ける。同時に襲ってくる酒の臭いと男達の歓声。
入口の方に背を向ける男たちは賭け事にでも熱中しているのだろうか。このあたりの漁師とおぼしき者たちが声を限りに何かに声援を送っている。確かにこの中に紛れ込めば追っ手もそうおす気がつかないだろう。
エクレナは恐れもせず人ごみの中に割って入り、あわててアンディも後を追った。苦労しながら肉の壁を進んでいくアンディの耳にエクレナの悲鳴が聞こえたのはその時だった。悲鳴?……歓声?
「きゃああああああ! やっぱりディアだぁ!」
「……んん? エクレナぁ? せ、せんちょうとよばんかぁ! 」
エクレナに応えたちょっと低めのかすれ声はアンディにも聞き覚えのあるもので。やっと最前列まで出てきたアンディの目に映ったのはとんでもない光景だった。
人垣の中心にあったのは一つのテーブルで、その上に杯が何個も積み重ねられている。それを挟んで座っているのは二人の男で、もう何杯も飲んだのか酔いでヘロヘロになりながらもまだお互いににらみ合っている。その片方は言わずと知れた、先ほど知り合ったばかりのヘルメス号船長マーキュリー・ディアス氏で、もう片方といえば……。
「せ、せんせえ!? こんなとこで何してるんですか!?」
今にも酔い潰れて崩れ落ちそうな体勢のまま椅子の上になんとかがんばっているのは、僧服に刈り上げた頭、そして小太りで丸顔の恩師、クレリック・フォートンだった。
「や、やぁ、アンディ。ま、待っててくれたまえ。いま、今、この男との戦いに勝って、君を、必ず、連れ帰るから……」
「言いやがったなぁ、こぉのクソ坊主! だぁれがてめぇなんぞに負けてなんか……! 」
酔いにまみれた苦しい息の下でなんとかかんとか言いきったフォートンの声は、泥酔直前の船長と周りの歓声にかき消されそうだった。
「さぁ、はったはった! ただ今双方15杯目。次の16杯で一回りだ! まだまだ受け付けるぞ! はったはった! 」
「おい! 早く次の杯を持ってこい! 」
「がんばれ! クソ坊主なんかやっつけちまえ! 」
「やるなぁ、坊さん! がんばれよ! 」
状況はよくわからないが、どうやら今アンディは二人にとって賞品状態であるらしい。どう手を出していいものやらオロオロしている目の前に、酒で満たした新しい杯がテーブルの上に置かれた。
「よぉっし! せんちょお、がんばれ~~~!! 」
ひときわ高い声での声援はきっとエクレナだろう。
テーブルを挟んでにらみ合った二人は、大声援の中、片手で杯をつかんで、一気に飲み干した。双方うめき声をあげながらもディアスはなんとか気力を振り絞ったらしく、音を立てて机に空の杯を置いた。どっと周りから歓声が沸く。
フォートンの方はといえばまだ背を折り曲げてぜいぜい言っている。それでも杯を持った片手をあげて、机の上に力一杯おろそうとして……そのまま体ごと崩れ落ちた。
「せんせいっ! 」
思わず駆け寄ったアンディの反対側で、ディアスは両手を上げるとひときわ大きな声で叫んだ。
「ようっし、ぼうず! 故郷へ連れてってやる……ぞ……! 」
そしてそのままの体勢で後ろへひっくり返って大音響とともに倒れこんだ。
歓声と怒号と賭けの終了時のどさくさを乗り越えて、どうやってディアスとフォートンの二人を船まで運んだのか、アンディにはちょっと思い出したくないほど大変な体験となった……。