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第二章 忘れ物はないか(2)



「何を考えているんですか!彼はまだ少年なんですよ! 」


 思わず大声をあげてフォートンは我に返った。

 彼が今まで暮らしてきた石造りの教会の中ではちょっとした声ですらよく響く。今のような大声を出していてはたちまちまわりの者の注目と非難の視線を集めてしまうことだろう。

 だが、一仕事を終えた漁師が集まる港町のにぎやかな酒場ではそんなものに気をひかれる者などいるはずもなく、なんとか気を落ち着けて座る姿をニヤニヤ笑いのひげ面の船長にさらすだけのこととなった。


「ガキはガキだがもう自分で考えられる”男”だ。……信じてやれや」

「まだ子供です」


 この押し問答をいったいいつから続けているだろう。

 昼過ぎに宿まで押し掛けてきたこの、ヘルメス号船長マーキュリー・ディアスという男は、「ちょっと話がある」と言うだけでフォートンを酒場まで連れ出すと、「ちょっとウォルホールまでアンドリューを連れていくからその間の安全は自分に一任してくれ」などどいう世迷いごとを延々と納得させようとしているのだ。

 ……正直、もう勘弁してほしい。


「あなたは部外者ですし、現在の状況も御存じないでしょう。……彼は今、大変危険な立場にあるのです」

「ほお、そうかい」


 軽くあしらうこのディアスという男に内心怒りを感じながらも、フォートンはそれに耐えて話を続けた。


「彼が出奔した後で、現地の情報が詳しく入りました。カトランズ軍は行方不明の王族を必死で捜索しているようです。それは教会に預けられている末の息子も同様で……彼の素性についてはもうご存知ですね? 」

「……ああ」

「教会内部であれば恐れることはありません。しかし、外にいれば彼らに捕まる可能性があります。最悪、命を奪われることも……。それは避けなくてはなりません」

「それについては俺たちが全力で守るってんだろうが……聞こえてなかったか? 」

「で・す・か・ら! 」

「……塀の中で無力感とともに己の魂が腐り落ちるのを感じるってのがどういうことか、知っているか? 」


 いつの間にかディアスの頬からは笑みが消え、らんらんと光る瞳が真正面からフォートンを見据えていた。フォートンはその迫力に気押されて物が言えなくなっていた。


「まだ出来ることがありゃあ、まだいい。それすらも出来ずに淀みきった空気ん中でただ一人、まんじりともせずに時が流れるのを数えるだけ……そんな思いをあいつにさせるのかよ」

「……一時的なことです」


 フォートンは自分の気力を奮い立たせてなんとかそう言い返した。


「すべては後々、世に活躍するための雌伏の時です。ここで災いをやり過ごし、力を貯めて、彼が一人前となるその日まで命を永らえさせなくてはなりません。……教会の中で学び、育つことが、外で生き抜くだけの力も知恵も持たない彼にとっては、最良の選択です」

「俺はガキのころから一人でやってきた。それでわかったことはいくらでもあるがな」


 ディアスは机の上の杯を持ち上げると、手の中であちらこちらに傾けながら中の酒をもてあそんだ。


「そん中の一つに”いくら人から教えられても己で納得しないことには血肉にならねぇ”ってのがある。……いくらお前さんたちが最良と思っていても、あいつが納得しない限りそんなもんは屁みてぇなもんなんだ。……行かせてやれや」

「あなたに何の権限がある!? 行かせるかどうかはあなたが決めることじゃないっ! 」

「じゃあ、手前ぇが決めることなのかっ!! 」

「彼が決めることじゃない限り、身を預かる教会が決めるべきでしょうっ! 」


 今日何度目かの怒りを爆発させて爆発させてフォートンが上げた声に、ディアスは初めて軽い失望の表情を浮かべた。


「なぁ……坊さんになると女抱かねぇからタマが腐って落ちるって聞いたことがあるが、ありゃあ、ほんとなのか?」


 フォートンの顎がガクンと落ちた。バカなことを言いだした本人は至極大真面目な表情でフォートンを見ている。


「そ……んなわけないでしょうっ! 」

「にしちゃあよぉ、あんまりしょーもねーことばっかりグダグダ言うからよぉ……。実際もう半分ぐらい女になってんじゃねぇか? 」

「なってません! 」

「だいたいさっきから見てりゃあ、注文した酒にも手をつけてねぇじゃねぇか。こんな水みてぇなもんですら飲むのを躊躇してるんじゃあ、まぁ、あとは大概わかりそうなもんではあるわなぁ! 」

「なんですか、こんなもん! 教会の儀式じゃあね、マラノ酒だって使ってるんですよ。ええ、こんなもんぐらい……」


 売り言葉に買い言葉。話が話であっただけに手をつけていなかった器の中の酒を、フォートンは一気に流し込んだ。

 しまった、と思った。この酒は教会のマラノ酒などよりよっぽど強い。頭の奥でちかちかする火花をおさめようと息を止め、目を何度か瞬いて耐える。


「へぇ、飲んだか。でも、ま、そんなもんだろな。一杯飲むのにそんな四苦八苦じゃあなぁ」


 目の前のディアスの顔は事態を面白がっているかのようなニヤニヤ笑いになっていた。アルコールのせいかこれまでの推移でいいかげん腹が立っていたせいか、むかっぱらがたったのを隠しもせずにフォートンは相手にかみついた。


「あなたに言われたくないですよ、ええ、あなたには。なんです、さっきから見ていればちびちびと舐めるようにしか飲んでないじゃないですか。どっちが女々しいんだかわかったもんじゃないですね」

「言いやがったな? よぉし、そこまで言うなら飲んでやらぁ」


 言われたディアスが一気に杯をあおる。目を瞬いているディアスを見てフォートンは少し溜飲を下げた。なんとか飲みきったのか、ディアスは空の杯をドンと机の上に置いてフォートンを睨みつけた。


「えぇ、飲んだぞ。ああ、飲んだ。……でもお前まだ一杯目だよな? 俺ぁ、ちびちびとはいえ、先にもう一杯飲んでんだよ。へへ、これで二杯目だ……。ふん、同等だぁ言えねぇなぁ、おいよぉ……」

「飲めばいいんでしょうっ! 飲めばっ! 」


 注文した二杯目がフォートンの手元に来るころには、まわりの客もこの事態に気がついたらしい。いつの間にか店で飲んでいた漁師たちが二人のまわりに詰めかけてこの事態を見守っている。

 えぇい、もう、ヤケクソだ。

 クラクラする頭で二杯目を飲み下すと、どっとまわりの見物人たちから歓声が沸いた。


「やるなぁ、お坊さん」

「いい飲みっぷりだねぇ」

「ほい、次はそっちのお人だ」

「がんばれよ」

「坊主になんか負けるな」


 ……微妙に、話がずれてきているような気がする……。

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