第二章 忘れ物はないか(1)
今回投稿文のみ、故国ウォルホールの一司祭目線です。
ウォルホールの町にカトランズの軍が入り込んでからもはや何日となるだろう。
人々は慣れるものだ、侵略という日常にも。
クルカンは心の中で苦々しく呟いた。
数日の攻城戦で城の塀は破壊され、威勢を誇っていた館は攻撃の無残な爪痕を残したまま横たわっている。それでも門前の商店は活気を取り戻し、昨日の侵略者、今日の主人に品物を高く売りつけている。
「高いことなんざありゃしませんよ、兵隊さん。前の国王様の御家来衆だったら、こんなものぐらいさっさと買っていかれましたよ? 」
山と積まれた野菜類の脇で兵士に商人が話しているのを目深なフードの下からうかがいながら、クルカンは歩みを止めずに通り過ぎた。
……俗物めが。
クルカンは一人、通りを歩きながら、心中でそう吐き捨てた。
神の名を抱いた国の民でありながら真摯に神を称えなかったこのようなめにあうのだ。
バカめらが。
かつての城から延びた大通りは片方を水路に沿わせながら立ち並ぶ店の前を横切り、そのまま街を囲ませていた巨大な塀の下に潜り込んでいた……かつては。今は破壊された城に入れなくなったカトランズの軍が跡かたもなくなった塀の代わりに巨大なテントを立ち並ばせて居座っている。
臨時に作られた検問所で小突かれて、しぶしぶながらクルカンはフードをとった。教会の僧独特のそり上げた頭が現れると、兵士は忌々しげに舌打ちをした。
「坊主か……面倒だな。おい、クソ坊主! どこからどこへ行くところだ! 」
「郊外の教会からまいりまして、こちらの信者の世話をして、これから帰るところでございます」
浮かべたくもない卑屈な笑みを浮かべてクルカンは警備の兵士たちを見まわした。下手に出ればつけ上がるのはわかりきっていたが、今の時点で疑いを持たせることだけは絶対に避けなければならなかった。
「教会ぃ? いったいどこに教会があるというのだ、え? 我らがここに来たというのに誰も挨拶によこさなかっただろうが」
思った通り図に乗ってきた兵士にクルカンは恐縮したかのように頭を下げた。
「も、申し訳ございません。何せ吹けば飛ぶような小さな教会でございますので、このような大軍勢に使者を送りましても鼻であしらわれるだけかと存じまして……」
「ふん。身の程は知っているようだな」
鼻でせせら笑うと兵士は剣の柄を振ってクルカンに指図した。
「どこへとでも消え失せろ」
兵士たちは用が済んだとばかりに背を向け、クルカンはそれに向かって口の中でごもごもと祝福の言葉らしきものを呟いた。
皆様に神の御加護がありますように。……死して地獄に落ちる貴様らには必ず必要となるだろうからな。
フードをかぶり直し街の外へ一歩を踏み出したクルカンとすれ違うように、一人の男が検問所に入っていった。
クルカンよりは頭一つは大きい偉丈夫で、旅人がよく使うフードつきのマントに身を包んでいるものの、この者もまた戦いの中に身を置く者であるらしいことが見てとれた。
「こ、これはダルバザード様。お一人でどちらへ行っておられたのですか? 」
クルカンの後ろであの横柄であった兵士たちが一様に姿勢を正すのを感じて、クルカンはそっと振り向いた。兵士たちの視線を受けて降ろしたフードの下からは、肩まで伸びた黒い巻き毛と一体化した黒いヒゲ、その中からやぶにらみで見つめる黒い瞳と、そして何よりもくすんだ灰色に輝く貴石がはめ込まれた額が出てきた。
「……言う必要があるか? 」
半ば呻くような呟きが周りの兵士の体に緊張を走らせた。
「も、申し訳ございませんっ! 出すぎたことを申しましたっ!」
恐怖にも似た表情で必死にわびる兵士に一瞥を投げかけただけで、フードの男、ダルバザードは奥のテントへと歩み去って行った。
そうか、あれがカトランズ軍と手を組んだという魔法使いか。
ダルバザードが奥のテントに姿を消すまで、クルカンは複雑な心境でその姿を追っていた。
あの極悪人がカトランズ軍に加わりさえしなければ、今頃は我が計画も成就していたものを!
忌々しい思いを無理やり押し隠して、クルカンは帰り道を急いだ。
今のクルカンの宿は城からも遺跡からもほど遠い農家の納屋だ。ここの主は信仰深い愚か者だが、その方が今のクルカンには非常に都合がよかった。
あたりを2,3度見回した後静かにドアをノックすると、クルカンは中に声をかけた。
「……クルカンでございます。ただ今、戻りました」
数瞬の後、音を立ててゆっくりと納屋の戸が開いた。中からのぞく顔はまだ年若いながら憔悴しきった感のある若い男のものだった。ここにヘルメス号クルーがいれば、その顔にアンディの面影を重なるものを見てとれたかもしれない。
隙間に滑り込むようにクルカンが納屋に入ると、再び戸は固く閉められ薄暗い灯火のみが内部を照らし出した。
「……様子はいかがでしたか」
肺の中に貯めこんでいた疲れを吐き出すかのような男の言葉に、クルカンは眉をひそめて首を横に振った。
「……残念なお知らせをせねばなりません、ライオネル殿下……」
クルカンの言葉に何事かを感じ取ったのか、ライオネル王子は口元を固く結んだ。
「行方知れずでありました父王ダルガ陛下、カトランズ軍の手に落ちた由にございます」
「……やはり……」
唇を噛んでうつむいた王子に、クルカンはさらに容赦なく言葉を続けた。
「噂によれば陛下はもはや”ズァ・ガンの針”へと移送されたとのこと。……ご短慮はなさいますな」
念を押したクルカンの言葉にライオネルの体が動揺した。心中を見透かされたことの動揺を押し隠すかのように王子がうつむくのを見て、クルカンは言葉を継いだ。
「先ほど城内の手の者の力を借りて、教会が保持する最強の僧兵部隊の派遣を要請いたしました。先月北の谷の魔女どもを殲滅したという精鋭ぞろいなれば、必ずや殿下のご期待に沿えるものと存じます」
ライオネルは肺の中の空気を全部吐き出そうとするかのように深いため息をつくと、自分自身に言い聞かせるかのように呟いた。
「……もはや、それを待つしか手はないのか……」取り返す
「いや……私めが愚考したしますに、殿下にはまだ一つ、お出来になることがあるのではないかと」
「なに? 」
ちらちら揺れる灯火の下、クルカンはライオネルに詰め寄ると、神の啓示を伝えるかのようにそっと囁いた。
「殿下……いまこそ、神の助力を、お仰ぎになるべきではございませんか? 」
クルカンの言葉も終わらぬうちに、ライオネルは背を向けた。無理もない。この災厄以前からクルカンが言ってきたことだ。だがそれこそがクルカンの本望でもある。譲れることではなかった。
「司教閣下。……お言葉ですが……」
ようやくクルカンの方に向いた時、ライオネルの表情には苦しさを乗り越えた者だけが持つある種の覚悟が見てとれた。
「人々の争いに神は介入なさるべきではない。我らだけで、やり遂げるべきでありましょう」
「そのようなことを申されましても、これで長き伝統を誇るこの王国が崩壊でもすれば、それこそ神に対して申し訳ない事態となるではありませんか。まさに今がその時でありますぞ! 」
「司教閣下」
ぴしゃりとクルカンの言を撥ね退けたものの、日ごろのクルカンからの恩義を思い出したのかライオネルも最後にはなだめるような口調に変わった。
「人が人としてやれることをやりつくさぬうちに神に頼ったとあっては”怠惰”のそしりを受けましょう。僧兵部隊を待ち、父王と城を取り返す算段を練ること。今、我らがすべきはそれなのではないでしょうか」
だが、それではクルカンにとっては遅すぎた。他の者たちが来てからでは、そう、遅すぎるのだった。
……考えねばならん。考えねばならん、善後策を。
クルカンの頭の中で策謀が音を立てて動き出していた。
いざとなれば、教会で確保しておいた末の王子……あれを使うことも考えねばなるまい。
……すべては神の名において。