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エピローグ そして船は舞い上がった (1)



 この遺跡にくるのもいったい何年ぶりだろう。

 アンディは少しだけ逞しくなった手で、その遺跡の表面を触ってみた。


 あいもかわらず、石か金属かわからない固くすべすべした表面……。


 最後にここに来た時は、自分に課せられた運命がいやでここに逃げ隠れ、夕日の中やってきた母にさとされたものだった。

 ……そして今、中天の高く昇った昼間の陽光の下、自分を手伝ってくれている有志たちとアンディはここに来ていた。


「ガザル翁! これで掘り返したら遺跡に傷がつきませんかね!? 」

「なにぃ? いったい何をやらかすつもりだ、あの愚か者ども……」


 遠くから有志の民とガザル翁の声が風にのって聞こえてくる。

 何日も続いたカトランズ駐留軍との交渉の激務の合間、やっと趣味として遺跡調査に来られるようになったのもここ数日のことだ。


「アンディ~っ! 」


 遺跡の端、手を高くぶんぶん振り回している赤毛の少女はエクレナだ。ヘルメス号が帰ってきていたらしい。


「気安くお呼びにならないで。王子殿下とお呼びなさい」

「あ、めずらしい。今日は体、大丈夫なの? あとでいい薬とか持ってきたから、屋敷まで送っとくね。……でさ~、アンディー! 」


 自信に満ちた足取りで小さな石を飛び越えアンディが近くまで来てみると、押しとどめようというシャイラもなんのその、いつも通りのエクレナがそこにいた。


「お帰り。ディアスやマイクたちも帰ってきた? 」

「うん! ……ちょっとずるい……」


 元気よく言った後、エクレナは不機嫌そうな声を出した。それがいつものエクレナらしくなくてアンディには気になった。


「? どうした? 」

「いつのまにそんなに背が伸びたっ! ずるいっ! 」


 そういえばこのごろどんどん成長している気はしていた。あの一件から20日あまり。心だけでなく体も大きくなっていたんだろうか。


「あたしより小さくてペーペーのぼっちゃんだったのが、いっつのまにそんな上から目線で言うようになったの! ひどいっ! ずるいっ! 」

「だから、アンドリューはもう王子殿下として忙しい身の上なのっ! 少しはわきまえなさいっ! 」


 病弱なシャイラがかなりがんばってたしなめているのにアンディは少し苦笑させられてしまった。


             *


 20日ほど前、あの悪夢の日の後。


 ガザル翁の邸宅でアンディ、カトランズ軍、教会軍の三者による協議が行われた。


「今回の事態を引き起こしたのは僧正クルカン! そして壊滅的な惨事となるところを収めたのはアンドリュー王子配下のヘルメス号であることを認識していただきたい」


 後から伝え聞いた船内での変化も感じさせぬままアンディの介添えとして参加したマイクの主張が教会軍、カトランズ兵双方の顔色をなからしめた。


「……あのままではあの場にいた全兵士が全滅していたという事態にまでなっていたことは理解している」


 しぶしぶながらにカトランズ軍の探索部隊の隊長が認めた。


「……クルカンが”神”としてこの世の外から”化け物”を召喚しようとしたことは理解した」


 黒一色を身にまとった僧兵団の軍団長カドルクは数々の魔法使いをほふったその腕を組んでそう認めざるを得なかった。


「この不埒者の始末は当方でつける。……まずは法皇様に一報を入れねばならん……」


 クルカンはあの一件以来腑抜けのように呆けた姿を見せていた。それはこの国を離れるその日まで変わることはなかった。


「……が、教会総てがこのような不埒者のみと考えていただいては困る! ……現に今回王子の命をお救いしたのは当方の僧侶、フォートンであると認識しているのだが」


 軍団長の主張に皆の目線がフォートンに集まった。ガザル翁の手当てを終えたフォートンは血に汚れた僧衣を気にすることなく手を振ってみせた。


「……たいしたことはしていません。神の僕として当然のことをしたまでです」

「フォートンの行いは僧兵団としても許容できうるものだ。……指名手配犯的扱いは即刻取り消さねばならん……。ゆえにその志を引き継ぎ、この一件が片付くまで、僧兵団はアンドリュー王子の配下として活動することを宣言する! 」


僧兵軍団長の宣言はカトランズ兵の顔色を一変させた。それは一逃亡者であった王子に巨大な兵力がついたことを意味したからである。

 だが。


「僕は戦いを望みません」


 アンディの一言にヘルメス号クルーを除いた全員が目をむいた。


「僕が望むのは、ウォルホールの人々の幸せな暮らしです。そのために尽力してくださるというのならば、僧兵団のお力をぜひお借りしたい」


 その言葉はまさに王族の血を感じさせる一言としてその場にいた人々の心にしみわたっていった。


「……王城へ行き、ドーナム新王と話し合います」


 この一言がこれまでの戦いに終止符を打つこととなった。


            *


 それから16日間の一回りを費やして、新王との交渉が続けられた。虜囚ではなく、王族としての力までも身につけて現れた王子にドーナムは密かに舌を巻いていたことだろう。

 力をともなって現れたかつての主に、城内都市に住まう人々の様子は一変した。


「王子だ! 王子が救い出しに来て下さった! 」

「助かった! これで自由にものが言える! 」

「カトランズの連中に紛れて王子を救い出しに行った者がいたらしいぞ」

「これでカトランズの連中にでかい顔させずにすむな! 」


 今までの従順な様子は一体なんだったのか、その日以来ウォルホールの人々の中に公然とカトランズの兵たちに楯突く者たちが現れ出した。


「新王」ドーナムは教会軍の力を背景にしたアンディとの交渉を有利に運ぼうと何度もカトランズに追加の兵の要請を出したが……その知らせがカトランズに着くことはなかった。ただそのころから国境沿いに、ふいに落雷が起こることが多くなったという。


               *


 カトランズ軍に雇われた二人の魔法使いは姿を消した。ドーナムは「あの遺跡での事件でやられたのだろう」と思っていることだろう。

 アンディは今でもあの時の二人を思い出す。

 二人の、特に「嵐雲石の魔法使い」の前で王家の家宝の宝剣を真っ二つに折った時には、カザル、シャイラを始め、多くの者が息をのんだ。


「……あのような神の力をあてにする気はありません。これは僕のところまで続いてきた王家の伝統を表すものであって、それ以外の価値はないんです」


 ダルバザードは沈黙と黙とうをもってそれに応え、「もはやこの地に用はない」とだけ言い残して去って行った。オウリアの姿がその後消えたのに気がついたのはディアスだった。


「まぁ、気にすんな」


 鷹揚なニヤニヤ笑いをしながら、自信たっぷりにディアスはアンディに言った。


「あの女はいつものように、気が向いたから楽しいお遊びでもしにいったんだろうよ」


 ……その後、カトランズ方面の国境沿いのあちこちで、落雷に先立ち空を飛ぶ小舟の姿が目撃されたことは不問にすべきなのだろうか。


              *


 日に日にカトランズ軍の総帥の敗色は濃くなっていった。次々ともたらされるカトランズ以外の、その他の隣国の動向が総てアンディに有利な状況を伝えていた。王宮に次々と来る隣国王家の意向が総て、元々のウォルホール王家の存続を希求していた。

 ……もはや用がなくなったはずのヘルメス号は、「ま、ここに来たついでにこのへんで少し稼いでいくさ」というディアスの言に従い、この周辺のあちこちを飛んでいた。その度にそちら方面からの隣国からの応援メッセージがもたらされたのにアンディは笑みをこらえきれなかった。


 そんなある日、ヘルメス号が「面白い客人を見つけたぞ」とまるで旅先の土産でも持ってきたかのように連れてきたのが……。


「国王陛下! ライオネル殿下! 」


 重傷を押して王城までアンディの補佐として来ていたガザルとその世話役としてついてきていたシャイラが号泣したのも無理はない。


「ガザル、お前の助けであの邪悪な魔法使いから逃れ、今まで逃亡の日々を過ごしてきた。今の今まで戻れず申し訳なかった……」

「国王陛下! お戻りになられたのです! もう何もお言いなさるな! 」


 自らを罪人というガザルが足元にひざまづくのをあまりにも年月を重ねたかのような姿へと変わった国王は目を閉じて慈悲深くその手を握った。


「アンドリュー、世話をかけた。……やはりクルカンは曲者だったな。私も甘言に乗せられず”儀式”をやらなくてよかった……。さぁ! 今までの交渉は骨の折れる仕事だっただろうが、もう大丈夫だ。父上と私に任せておくがいい」


 逃亡中に大けがでも負ったのだろうか。痛々しく足を引きずりながらも、アンディに頼もしくそうライオネルが言った時。


「おそれながら! 」


 まさか彼女が直接口をきくとは思っていなかったのだろう。シャイラがそうライオネルに言葉を投げかけた時、国王父子の身体に動揺が走った。


「今までのアンドリューの苦労を無になさるのですか? 今まで、お帰りにもならず! 父が我が別荘へと導いた苦労を顧みず! この国を他国に蹂躙させたまま! あなた方は……いったい……今まで……! 」


 シャイラの涙に国王父子が絶句している中、重重しくガザルがあの時宣言したのを、アンディ一生忘れないだろう。


「もはや時は過ぎました。今や我が国を背負う王族はアンドリュー王子只一人と、我が国民の隅から隅までが存じております。……このまま、アンドリュー王子を、王と認めては下さりますまいか」


 父王は重臣の裏切りとも思えるこの発言に目をむいた。そしてそのままアンドリューの方を見据えた。


「……これはお前の意思か? お前自身が父を退けて王でありたいと思ったのか? 」


 この目から視線を外してはダメだとアンドリューは思った。


「……僕が王としてあの場にいるのは僕の意思じゃない。民の、仲間たちの、敵の、要請によるものだ。僕はそれに応えたいと思っている。皆が望んでいるのは、あなたじゃ、ないっ」

「ライオネル、お前はこれを許せるのか? 」


 父王が視線を外さぬまま兄王子に尋ねた。


「……アンドリューが間違いを犯さなかったとは言えますまい。が、それは我らとて同じことです、父上。あのクルカンに力を与えていたのは我々だったのですから……」


 体は壊したものの知能に変わりのない兄王子の言葉を受けて父王の目が、鋭さはそのままにすっと細くなった。


「……交渉の間だけだ」


 国王陛下の言にアンドリューは腹の底から熱くなるのを感じた。


「この交渉はお前が始めたものだ。終わるまでは後ろに控えていてやろう」

「ありがとうございます! アンドリュー殿下は必ずや我が国を元の姿へと戻して下さることでしょう! 」


 ガザル翁の言葉に国王父子の出現から遠巻きに見ていた民たちも我先にとアンディの下へ群れ集った。


「よろしゅうございましたなぁ、王子」

「街の復興は我らにお任せあれ」

「カトランズの奴らをとっとと追い出しましょう」

「この交渉の間は私を部下と思って使い倒してくれてかまわない。……帝王教育がどれほど力となるものかわかることだろう」


 ライオネルの力強い言葉にアンドリューは感謝の笑みを浮かべると相手の拳を力強く握りしめた。


 この時からアンドリューは「唯一の王家の生き残り」ではなく、「今回の交渉における王家の代表」となった。


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