第一章 切符はあるか?(1)
13番目の隊商だった。
いくらここツェルマードが西方へ行く隊商の中継地とはいえ、ウォルホールまで行くものは実はそう多くない。おそらくこれが今探せる内では最後の隊であるだろう。
「……ウォルホールに行きたい、と言いなさるのだね……? 」
己の太った体を運ばせるためだけに隊商の主となったのではないかと思えるようなその男は、アンディの体を上から下までじろじろと見まわした。
13も隊商を訪ねていればこのような扱いにも慣れてくる。短く刈り込まれた髪型に教会お仕着せのローブ、砂にまみれたサンダルで擦り切れそうなずた袋をしょいこんだ13,4の少年を、さて、この男はどうみるか。
「教会の使いか何かですかね」
この質問を受けたのは6回目だ。
最初は「はい」と答えていたが、「証明する書きつけなどは? 」と尋ねられてだめになった。3,4回目ぐらいからは証明書を偽造していったのだが、すぐに見破られた。だから五回目からは正直に言うようにしている。
「いえ、私用でおもむきます」
隊商の主はうさんくさそうにアンディをながめてきた。これも毎度のことだ。
「知っているだろうと思うがウォルホールまでは砂丘の大きなものだけでも3つは越えていかなきゃならん」
「金はあります」
「一人連れていくのにゃあ余分の馬車と引く用換え用で2頭のラウダ、そして道中の水と食料の用意も必要だ」
「金は……あります……」
「予算は? 」
アンディは持ち出した全金額を商人に告げたが、それは商人の額にしわをよせさせただけだった。
「ギリギリ足りんな。それでは最後の10日は飲まず食わず、しかも着いたとたんに無一文で放りだされることになる」
この理由で断られた隊も5つはあった。だからアンディはもう一言言ってみた。
「働きます! 働かせて下さい! それでなんとか……! 」
「……ラウダは扱えるかね? 」
「いえ……馬ならなんとか……」
「馬ぁ? 」
心底バカにしているような声で商人は言った。
「お大尽が水路をめぐらしてるかのような街中ならいざしらず、荒野を何日も旅しようと思ったらラウダでなけりゃおっつかん。お前さん、いったいどこを旅するつもりでいたんだ」
……実はその理由で断られたのも2,3はあった。アンディは途方にくれてうつむいた。
「だいたいそこまでしてウォルホールくんだりまで何の用だね」
背をかがめて顔を覗き込むように睨みつけてきた商人を前に、アンディはかねてから用意していた口実を語りだした。
「ふ……む。つまり、実家から親父さんが危篤との知らせがきて、教会の寄宿舎に預けられていたお前さんば、とにもかくにも一目親父さんに会いたいと足を探している、というわけなんだな」
アンディは頷いた。これもまったくうそであるというわけでもないから、それほどやましい気持にはならなかった。
「だがなぁ、坊主。こんなことは考えたくもないだろうがよく考えてごらん」
アンディに同情したのか、微妙に口調をやさしいものにしながら商人が言った。
「ウォルホールから飼いならした隼で知らせに来たとしても5日はかかる。だがな、人は隼じゃあない。地面をのったらくったら歩いていきゃあ、一か月はかかる。ラウダを金にあかせて何頭も途中の町々に用意させれば10日少々で着くかもしれんが、そんな無茶をしては途中で道に迷うなり盗賊に会うなり何かトラブル起こってたどり着けなくなるのがせいぜいだ。
……これから教会にもどって、親父さんの回復なり冥福なりを祈るのが一番いいのじゃないかね? 」
それは今までにアンディがあたった隊商のうち、残りのもの言った断りの文句と同じだった。
”もうこれまでか……”
心中に苦いものを感じながら黙りこくっているアンディの耳に、それが聞こえたちょうどその時だった。
「隼と同じぐらい早く行こうと思ったら”空飛ぶ船”ぐらいなものでしょうな、ご主人様」
主人に生気でも吸い取られたかと痩せぎすなその使用人は、主人に帳面を渡しながらそうボソボソと呟いた。
「何? ……ああ、”空飛ぶ船”な。あれは乗るのはおろか、今いる場所を捕まえるのですら骨が折れるからなぁ……」
「あの……”空飛ぶ船”って、何ですか?」
荷物の積み下ろしのざわめきやラウダの鳴き声に紛れたアンディの声が商人に届いたのはしばらくたってのことだった。
「ふむ。見たことがないのかね、”空飛ぶ船”を。……まぁ教会の奥深くで暮らしていりゃあそれもあるだろうがな」
帳面を使用人に渡すと、やっとアンディの方に向きなおって商人は言った。
「”空飛ぶ船”というのは文字通り空を飛ぶ船のことだ。川を行くような小舟じゃあない。小さな家一軒ぐらいの船が空を飛んでいるんだ」
「……まさか」
「まぁ、そう言うだろうな。かく言うわしも一度しか見たことがない。……この世に一隻しかないという話だからそれでも運がいい方だと言えるだろうがな。あれならウォルホールまで10日とかからん。……まぁ、乗れれば、の話だ」
空飛ぶ船。
アンディは心の中に、空を自在に越えてゆくその船を想い浮かべた。その白い帆は風をはらみ、風にあおられ天空高くで揺れ動き、その回りを共にいくのは鳥のみ。それらとともに砂混じりの風の中、砂丘を越えてゆくその姿を……。
商人がアンディに背を向けて仕事に戻ろうとしたのは、もうこの話は終わったものだと思ったからなのだろう。だからアンディがそれを尋ねた時、商人は丸い顔の中の丸い目をさらに丸くして言った。
「”空飛ぶ船”に乗ろうってのかね。……まぁ、この近くに時々連中が立ち寄るらしい湖があるらしいが……。だが本当に、いつくるかわからんぞ? それでもいいのかね? 」
*
あの選択が正しいものだったのか、アンディは時々考えてみる。
シェッヘンド湖畔で一番大きい町シェヘンドまであの隊商とともにやってきてはや7日。彼らはとうにこの町を出て行った。
「五日待って来ないようなら……悪くはいわん。教会に帰るこったな」
実はけっこう親切だったあの商人は、この町を出ていく時にそう何度も何度もアンディに言い残していった。……その五日もとうに過ぎた。アンディは……迷っていた。
教会に、帰る。帰ってどうなるというのだろう。きっと誰も待ってやしない。
いや、一人だけいる。きっとフォートン先生は待ってるだろう。あの夜、アンディに知らせを持ってきたのがクレリック・フォートンだった。
「……僧になるんだ。アンディ」
夜中の知らせに叩き起こされたアンディは、フォートンの私室でそうかき口説かれた。
「この先どう状況が変わるかわからない。それでも正式に僧となっておけば、教会の力で守ってあげることもできる。……今宵一晩、よく考えてみなさい」
その夜アンディは考えに考えて……出奔した。
決められなかった。どうしても決められなかった。父の息子として国を支えるのか、母の息子として住民と生きるのか、それとも子供として教会に残るのか。だからせめて故郷に帰ってからにしよう、とそう考えた。その故郷に今、帰れずにいる。
……苦しくなって宿を出た。この2,3日、考えが煮詰まると外を歩くようにしている。
別にあてがあるわけじゃない。港の船だまりをざっと覗いた後、港事務所に出向いて”空飛ぶ船”についてたずねるのがせいぜいだ。
その返事も日がたつにつれて「もう来る時期だね」「そろそろ来るころなんだが」ときて「まだ来ないな」「遅いようだ」と移り、最近では言葉もなく音を横にふるばかり。その間にも宿代などの日銭で持ち金は減ってゆく。もう2,3日も過ぎれば教会に帰る路銀すらなくなる……。
まだだ! まだ倒れられない! どうしても、ぼくは……。
ふと、闇が訪れた。
アンディのまわり一帯、何か大きなものの影がおおっていた。雲? この乾季の雲ひとつない時期に? アンディは空を見上げた。
風が、アンディの体をなで上げた。
風になぶられはためく髪の間から見えたのは、白い腹。そして白い翼。
”鳥? ”
だがそれには木目が浮かび、風にはためく広げた翼も布であることが見て取れ、どんどん降りて行くたびにだんだんとアンディの口を開かせて。
ドクン。
鼓動がひとつ脈を打った。限度を下げてくるうちにその上のマストや風をはらむ白い帆が見えるのが、もつれるアンディの足を動かしてあとを追わせ。
ドクン、ドクン。
その上でたち働く人の姿が捉えられるようになると、眼下の湖へとゆっくりと降りていって……その姿、まさに”空飛ぶ船”!
思わず後を追っていたアンディの後ろから、歓声をあげて子供たちが追いぬいてゆく。
「”空飛ぶ船”だ! ”空飛ぶ船”が来た! 」
ゆっくりと追っていたアンディの足取りは子供たちにあおられるようにだんだんと速くなり、ついには駈け出した。
ドクン、ドクン、ドクン。
こめかみあたりで血の脈動が速くなるのがわかる。まだ小さな子どもたちと一緒に坂を駆け下りる。船が、子供たちが降りてゆき、だんだんアンディの足が動かなくなる。切れた息の中、なんとか声を絞り出した。
「……おーい!あの、船は、どこに行くんだい? 」
「港だよぉ! 」
子供たちの中でもビリを走っていた子が、振り返って答えた。
「お兄ちゃん、急がないと先、行っちゃうよぉ? 」
ガクガク言いだしてついに止まった足をかばいながら、アンディは船と子供たちの行方を目で追っていった……。