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第6章 寄り道は必要か? (3)



「よぉっし、快晴っ! 」

「……ちょっとっ! カトランズ軍は空からこないよっ! 」


 昨日一日は徒歩で別荘へと向かう三人の姿が「まだ見える」と大笑いするのに終始していたが、二日目ともなるとアンディを追ってくるであろうカトランズの兵のことが気になってくる。「なに、明日中までもたせりゃいいのさ」なんてうそぶくアレックスなどなんの役にもたちゃしない。


「見張りも代わったことだし、何か作るよ。軽いもんでいいよね? 」

「うん……まぁ……たいしたものも入りそうにないんで……」


 相変わらず力づけてくれるエクレナの励ましにも似た問いにアンディは素直に返すことができなかった。


”ズァ・ガンの針”から逃げ出して二日目。あこそで父兄と再会し、晴れるはずだった迷いはいまだ晴れず、胃のあたりに重くのしかかっているかのように感じられた。


「とにかくこの場を乗り切ろう。寄宿学校に帰れば安心して腹にものも入るようになる。大丈夫だ」

「でも先生! 本当にそれでいいんでしょうか!? 」


 フォートンに言ったとたん目から涙があふれた。岩牢内で父兄が死んだと聞かされた時にも出なかった涙だ。なぜ今、この場になってあふれてくるのか。こういう自分が情けない。


「外に出てからイヤというほど自分の小ささが身にしみました。僕はこの船の一員としてすら働くことも出来ない。そんな自分が国を背負って立つことなって出来ません。母の墓前でわかったんです。国の民からも背を向けられたものが王族なんて片腹痛い。でも、もう父も兄もいないんです! 僕を自由にしてくれる者はもう誰もいない! 僕がこの国に残ったただ一人の王族なんですよ! 」

「偉い! よく理解した! 」


 アンディは思いもかけず称賛の声を上げたフォートンをまじまじと見なおした。てっきり叱り飛ばされると思っていた。ディアスだったらそうしたろう。


「そうなんだ。人は一人一人みな小さい。偉大な神の前では本当にちっぽけな存在だ。だがそれでも一つ一つ完成に向かって歩いていくことはできる。……君の行く道は君しかいけない。それでもその道において手助けをすることは出来る。教会はその手助けとなれる……はず……だ……」


 とうとうと語りだしたフォートンがふいに口ごもった。ありがたい忠告もあまり受け入れられるものではなかったにせよ、常に教会についてあれほどの信頼をよせていたフォートンであるだけにアンディには気になった。


「あの……先生? 」

「あぁ……すまん。ガザル翁が言っていたことを思い出したんだ。うん……私もああいう事例を聞いていないわけじゃあない……」


 寄宿学校の中でも人間性に富み、信頼に値すると思っていた師の意外な言葉に、アンディは遠い彼方を見るフォートンを見つめていた。


「あのオアシスの街で君も見ただろう。神の教えはそれ自体で偉大であるものを、水と引き換えでなければ広められないと思う者が多すぎる。どこかの村では貴重な井戸を教会が精魂こめて作ったことをカサに着て、一種の恐怖政治にまでなっているところまであるという。一度問題となったが”お構いなし”となった時に私もかなりショックを受けたことを思い出したよ。

 魔法使い狩りにかなり力を入れていることは間違いではない。が……やはり人は人以上の力を手に入れてはいけないのだ、ということだと思っているよ。人以上の力を手に入れるということは、人外となる、ということなんだ。人の間で暮らしていくことが正しいことである以上、そういった連中は駆逐されなくてはならない。それはわかるんだが……」


 口ごもったフォートンにアンディは何か言葉をかけるべきがとも思った。だが思いにふけるフォートンにけける言葉は見つからず、逡巡しているところへ近くにいたエクレナが首を振った。


「……お腹すいてるとまともな考えってでないよねっ。さっさと昼メシ作っちゃうから、ちょっと待ってなっ」


 エクレナのきっぱりした物言いに師弟二人が何か救われたような気持ちを感じあってした時のことだった。突然頭上から喜色に満ちた声が降ってきた。


「……おいでなすったぜぇ! 敵さん! とーとーこんなとこまで来やがったか! 」


 ヘルメス号が不時着したのは人から見つかりにくい小ぶりな岩山と岩山のその間だった。ディアスの超絶テクニックでここまで船を持ってこれたのは奇跡としかいいようがない。

 ……それでも兵がここまでたどり着けばもはや逃げ道はない。今のヘルメス号は飛べないのだ。


「遠い!? 近い!? 」

「まだ豆粒げれぇかな。だが着実にこっちに向かって来てやがる」

「……じゃ、何か片手でつまめるもん作っとくよ。腹が減ってちゃ神経戦にだって負けちまうよっ」


 フォートンとアンディはお互いに顔を見合わせた。様々な修羅場をくぐってきているらしいヘルメス号クルーならばいざしらず、平穏な寄宿学校から出てきた二人には想像を超える事態となりつつなっていた。

 するするとロープを操って降りてきたアレックスが二人を無視して鼻歌を歌いながら船倉の方へ行くのにフォートンは驚いた様子で呼びとめた。


「あのっ!! 兵は!? 軍はどうなったんですかっ!? 」

「んなもん着実に近づいてんに決まってんだろーが。こっちが大騒ぎしてたって来るもんは来るんだ。ちと下に行って何か武器になるもんでもねーか探してくらぁ」


 クルーが二人とも甲板から降りると、アンディは師ともども取り残されたような気になった。そうだ。自分には出来るんだった。

 いきなりマストにかけられた梯子に飛びつき、一つ一つ上がっていく。二度目の見張り台は思ったよりも怖くなかった。遠くへ視線を走らせてみると、陰になっている岩山の向こうにラウダに乗った兵の一団がいるのに気がついた。今は岩山が陰になって見えないが、もしもこちらへ回り込みでもすれば……。

 不安な方向へと視線を転じたアンディは息をのんだ。


 黒雲が地上に湧いたかと思った。


 地の片隅に湧いた漆黒の一団は光沢のある黒一色の旗を掲げてまっすぐに、ただまっすぐにこちらへと向かって来ていた。


「アレックスさん! エクレナ! 先生! 何か……何か黒い一団がやってきます! 」

「黒い一団ん? 」


 エクレナが持ってきた軽食をパクついていたアレックスは懐に一つ押し込むとひょいひょいと梯子を上ってきた。そしてアンディに一つ放り投げると指し示された方を足元にあった遠眼鏡でのぞいた。


「兵団……だな……。あんな奴らをカトランズの奴ら、抱えてたのか……。黒い兵団の一群接近! もろこっちに向かってくるぞ! 」


 一声怒鳴ると片手にロープを持ってまたスルスルと降りて行くアレックスにアンディは目を見張った。


「黒い兵団……それはもしかすると教会の僧兵部隊なのでは!? 助かった! 」


 フォートンが喜色満面で心の底からそう思っているかもように叫んだ。


「教会が擁する戦力のうちでも最強の一つです! 神の御名の下に救いを求める者たちをいかなる困難の中であろうと救う者たちです! おそらく我等の窮地を知って……いや知らずとも状況を聞けば助けてくれることでしょう! 」

「ほんとにそぉかぁ? 」


 力の入ったフォートンの言葉にアレックスは心底疑わしそうに言った。


「俺が聞いた中でも一番始末に負えない連中で、奴らが通った後には岩石ですら砂になるって噂だぜ? つい最近なんざ、北の方で孤児を集めて学校のまねごとをしていた魔女の連中を叩きに行って、主な婆さんたちを一掃したってな。一緒にいたガキどもはどうなったか知らねぇが」

「……知りません、そこまでは。寄宿学校には誰も送り届けられませんでした」

「それにさ、それにさ、アンディたち確か、お尋ね者扱いじゃなかったの? 」


 暗く沈みこんだフォートンにエクレナが追い打ちをかけた。


「だからシェッヘンドんとこで僧兵の連中に追いかけられていたんだよね? ……それに魔法使いの作った船に乗ってるのって、僧兵的に大丈夫なの? 」


 押し黙ったままフォートンの顔色は見る間に悪くなっていった。それを見たアレックスとエクレナはお互いの顔を見合わせて頷いた。


「とにかく準備だけでも……」

「おう。マイクの奴、ケチって補助輪の保全、忘れてねぇだろうな」

「補助輪!? なんですか、補助輪ってっ! 」


 思わずアンディは身を乗り出して聞き返したが、動き出した二人には聞こえていなかったようだ。それぞれが頷きをかわすとお互いに必要な行動へと取りかかった。

 乗り出して落ちそうになった身を引き上げざまに遠くを見たアンディは、自身の身から血の気が引くのがわかった。とうとう岩山のこちら側に気がついたらしいカトランズ兵団が西に回り込もうとしているのだ……ちょうど僧兵軍団のまん前に!

 土埃が舞う。

 接触した両者間にどのような問答があったかはわからない。だが僧兵団は一方的に攻撃を加え、カトランズ兵は否応もなく逃げ出そうとしていた……こちら側へ。


「見つかった! 」

「そうなると思ったぜ! 」


 逃げ出すカトランズ兵と負う僧兵団。もはや殺気だった両者の違いと言えば黒いか黒くないか、それだけでしかない。


「アンディ! ロープを見張り台にくっつけて! 」


見る間に登ってきたエクレナは、見張り台の中に風呼びの香と鉤つきのロープをごろんと投げ捨てた。


「ここは下に水もなにもないから落ちたら死んじゃう。手分けして、アンディは向こうの帆げたに。あたしはこっちのに香を置いてくる。火縄はこれ。ケガしちゃだめだよ? 」

「風呼びの香って……飛べないだろ!? 水上じゃないんだし! 帆だって焼けてる! 」

「秘策があんのっ。そっち頼んだよっ」


 そう言い残すとエクレナは投げ捨てた風呼びの香を一つ二つ拾い上げ、命綱もなしに向こうの帆げたの上へひょいひょいと進んで行った。

 ……ここまで言われて何もやらなければ男じゃない。

 帯に鉤つきフックをつけるともう片方は見張り台に。そして火縄で火傷しないように気をつけながら風呼びの香も一緒に抱えると、意を決して帆げたの上に出た。……ここに来るのは二度目だ。

 よく見ると帆げたの2、3か所に香を置くための台があり、前の飛行時に使われたであろう香はすっかり片づけられていた。

 ……細いけど地上にあると思えばそう歩きづらいわけじゃ、ない。

 岩山の間に船が置かれていることが幸いした。水上で揺れている状態とは違い、動かない柱の上ならば下さえ見なければアンディにも行けた。台に握りこぶし大の香を置き、火縄で次々と火をつけて行く。煙は一瞬まっすぐに立ち上ったかと思うと、たちまち微風に捕らえられかき消された。そしてそれにつれて響く異音……風鳴り糸の低い音が見張り台に戻るアンディを追いかけてくる。

 甲板上では大の大人二人が帆を張ろうと汗水をたらしている。……あれをあの緊急出発の時には若年組二人でやっていたかと思うと冷や汗が出る。


「本当にここで出発準備をして大丈夫なんですか!? 土の上ですよ!? 船底をこすって大破でもしたらどうするんですか!? 」

「バーロー! 水場がそうめったにあるわけじゃねーのに、いつもこいつかそこに降りれるとはかぎんねーだろ!? 」


 全身を使っての重労働が二人の身体を弾けさせているのが上から見てよくわかる。最後にロープを止め金のところにとことん縛り付けると、アレックスは上を見上げてニッと笑った。


「……奥の手があるんだよっ! 」


 一体なんなんだ、それは! そのヒントだけでもないかとヘルメス号の回りをぐるりと見回したアンディは、ついに来る時が来たことを知った。

 船の風鳴り糸を鳴らしている微風が砂埃をまとい始めた。こちらへと向かってくる兵団によって巻きあげられた砂がここまで届くようになったのだ。


「あれだ! 」

「捕まえろ! 」


 カトランズ軍の兵士の声だけではない。かすかに黒旗を掲げた僧兵団の指示すらも届いてくる。


「我々の目的はアンドリュー王子の確保のみ! その他、目の前の有象無象はすりつぶせ! 」

「王子の身柄の五体満足は必須事項ですか!? 」

「……必須とせん! 」


 どよめきたつ僧兵団にアンディは見張り台の中でへたり込んだ。


 その時、銀の砂が流れ落ちる音がした。と、同時に、大量の砂粒を含んだ風が船を襲った。


 あの竪琴だ、とアンディが思う間もなく砂風は帆をいっぱいに膨らませ、それと同時に船を思い切り揺さぶった。


「来ったぜぇ~! うう、口元や目を布で抑えとけ! でなけりゃ、絶対後ろを振りむくんじゃねぇぞ! 」


 風上から迫っていた軍勢は時ならぬ砂嵐に立ち止まり、お互いの姿さえ見えていないようだった。

 そしてアンディが唖然としたことに、その体にかかる負荷が船の状態を物語っていることに気がついた。

 船が! 地上を! 走ってる!


「よっし! マイクの奴、車輪の保全に手ぇ抜いてなかったようだな! 」

「車輪!? そんなものが!? なぜ!? 」


 アンディだけでなくその恐慌はフォートンにもうつっていたらしい。聞かれたアレックスは自慢げにわめいた。


「バカヤロー! 地上に不時着した時の滑走用に決まってんだろーが! 今は空に飛べねーが、走ることは出来らぁ! 南西だ、南西! そっちにじーさんの別荘があるんだろ!? 」

「三人が行くとこ見といてよかった」


 舳先のあたりにしがみついたエクレナが呟くのがアンディの耳に入った。


「これで一気に追いつける。三日もたなかったけど……ま、いいや」


 後ろを見ている余裕はない。が、二つの軍団は時ならぬ砂嵐と暴走する船の姿に立ちつくしていることだろう。

 アンディは布で顔を覆う中、目だけを出して、船の行く末、己の未来を見据えていた……。


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