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第6章 寄り道は必要か? (2)



 目の前に並べられた品々を大の男がそろって二人、目を丸くして見ていた。


「つまりこれが……」

「わしの遺跡の発掘された品々、というわけじゃな」


 カザルの別荘にたどり着いた早々、ヘルメス号船長とその風見が見せられたものは、小部屋3つ分にもわたる神の遺跡より掘り出された発掘品の品々であった。


「布はこのあたりかの。どれがナイロンかわかるかね? 」

「ここまで数多くの種類があるとは思っていませんでしたが……」


 洗えば崩れてしまうとでも考えたのだろうか。土中深く埋められたままの姿で保管されているかのような布たちは土も落とされずあまり手にも取りたくない状態で、ディアスは思わず目をそむけた。

 そらした先にも数々の収集品が飾られており、それらの中には思わず目が引き付けられるほど美しいものも存在していた。

 片方が絞られて円錐形になった筒は、口のところが破れて色とりどりの紙ひもや小さな紙片が詰められている。まるで口でも開けているかのように入口が開けられた小さなからくりの中には、薄い円盤状のものが載せられている。水晶がはめ込まれた筒は、天空の一点を指して何かを放出しようとでもするかのようにちんまりと置かれている。

 その指している一点にディアスが目を向けた時、思わず息をのむこととなった。

 碧いタイルを中心に作られたそのモザイク画には、一人の女神が中心に描かれていた。片手に水壺、もう片手に果物を持った穏やかな表情の女神を、王やその臣下とおぼしき人々が取り囲んでひざまづき、礼拝している図だった。


「じーさん、このアマはこいつらに何をしでかしたんだ? 」

「このアマとは何じゃ、このアマとは。これこそ我が国をお治めになられた女神ソウラ様である」


 ディアスの無遠慮な問いかけにガザルは茂みのような眉をさらにひそめて相手を睨みつけた。


「他国の神がどうかは知らんがな、女神の治世中、一度たりとも民を戦に向かわせようなどということはなかった。

そもそも各地に残る神の遺跡とは、神がお使いになる奇跡の力を用いる殺戮用の平気であったのだ。だが、我が国のものはそれらとは異なる。あれらは総て、他の国の者や他の神々が戦いを仕掛けてきた時、我らが民を守るためにのみ用いられるものばかりなのじゃ。

他国が戦に明け暮れておった中、我が女神はその御力を民を楽しませ、憩わせ、富ませることにのみ従事なされた。今でも残る、城塞都市のみならずまわりにまで引かれた水路はそのためのものなのじゃ。……今ではめっきり水量も減ったがな」

「それは……ずいぶんと……」


 布を選ぶ手を止めて、マイクが幾分皮肉めいた口調で言った。


「教会の言う”神”とは大違いなような」

「さよう。奴らは詐欺師じゃ! 」


 ヘルメス号でフォートン相手に弁論をふるった時のように、ガザルの舌鋒が火を噴いた。


「少しでもかつての伝説を調べればかつての神々が人々を兵に変えて他国との戦に精を出していたことぐらいわかろうというもの。その証拠にその意をくむという教会は常に敵を作りだし、そやつらを殲滅することのみに従事しておるわ! 

だからこそわしは、わしの目が見開いておる間は絶対に我が城塞内に教会は置かんと決め、徹底的に排除してきたのじゃ。

……それをダルガ王がカトランズを牽制するためとしてあの司教と懇意になったのが総ての始まり。あれを阻止できなんだはわしの一生の不覚じゃった……」

「……だからカトランズの兵を引き入れたのかぁ? 」


 バカくさそうにたずねるディアスをキッと睨みつけるとガザル翁はきっぱりと言い放った。


「兵など引き入れておらぬわ! ……少々助力を仰いだだけじゃ。国を落とせとまでは言うてはおらん」

「……ご老体。おそらくこれで修繕が可能かと思われます」


 マイクが何気なく二人の言い争い遮るかのように口をはさんだ。マイクの言葉にその手にした布を見たガザルはいやに重々しくうなづいた。


「なるほど。確かにこれが”ナイロン”と呼ばれる代物であると言うのならば、他のものでは代用がきかぬというのもうなづける。もってゆくがいい」

「ありがとうございます。ラウダを拝借でき次第船へ戻ろうと思います」


 堅真面目に返答するマイクに、いたずらっぽくディアスは耳打ちした。


「さすが元女。繊細な品選びで」


 返ってきたのは極寒期のような冷たいマイクの視線だけだった。



「今日はもう泊まってゆくがよかろう。夜の荒野越えは命にかかわる」

「俺たち二人ならなんとか……」


 ガザル翁の勧めを蹴って船へ戻ろうとしたディアスは、トイレの個室から出てきたマイクの様子に絶句した。

 常にはなく眉間に刻まれた皺は、口には出さないものの相当の物苦しさを物語っていた。


「……おい、大丈夫か? 」

「大丈夫だ。ラウダで出よう。今から行けばカトランズの軍に見つからないうちに船を飛ばせるだろう」

「いや、休め。……すまんじーさん、一晩貸してもらう。そのかわり明日の早朝には出させてもらう」

「そんなわけに……! 」

「いいから休め! 船長命令だ! 」


 ……船が気にならないと言ったらウソになる。カトランズの軍が迫っているのは目に見えている。だが、自分のクルーに無理押ししてまで出ることは自分が許せなかった。

 船とマイクのことで気もそぞろな中での夕食は、国の重臣の邸宅で出されるものというにはあまりにも質素で、目の保養というにはほど遠いものだった。


「我が娘のシャイラじゃ」


 ……と引きあわされた娘ですら、このじーさんの薫陶にあって若い女らしさを絞り取られたかと思えるような体たらくで、「元々病弱で、長年城から離れこの地で静養しておって……」と言われるだけあってその青白い肌と細い体はとても食事の場に花を添えるというものとは思えなかった。

 時々乳母となにやらこちらを横目で見ながらの内緒話をするにいたっては、気位の高い御令嬢が荒くれ者を見て何を言いだしているか想像がつくだけに、ちょっと後で嫌がらせでもやってやろうかとすらつい思わせられるほどだった。


「たしか去年の薫酒が地下倉にあったはずだ。持ってきなさい。……こうも話がはずむ晩さんは久しぶりだ」


 体調が悪い中マイクが如才なくガザルを持ち上げる対応をし続けたせいで、当のじーさんは何やら上機嫌らしい。召使いのかしららしい者にそう告げると、当の相手は少し怯えたように打ち明け話をしはじめた。


「御命令とあれば否やはございませんが……実は最近地下倉より奇妙な物音がしておるのでございます。ネズミ……にしては大きすぎ、何やら不審な者でもおるのでは、と……。通常は鍵をかけておりますので勝手に上がってくることはございませんでしょうが、カトランズの軍の間者ではないかと戦々恐々しておる次第……」

「いや、わかった! うむ、そのままにせよ! 」


 物騒な話をまるで僥倖とでも感じたかのようにガザルは喜色満面でそう答えた。


「確か地下倉には食料も置いてあったはず。少し狭いがたいしたことはなかろう。うむ、よしよし。わしも時間が出来次第行ってみねばならん。……ところで船の修理が出来ましたらな、王子をそのまま寄宿舎へお帰しにならず、是非、この別荘へお連れ下されよ? シャイラにも会わせたいことですしな。うむ。よし、運が向いてきたわい」


 主一人だけが大喜びな晩さんがやっと終わり解放されたディアスに、マイクは体調不良の中での精神的な重労働の後というのに気丈にも一人で部屋まで行くと言いだした。飢餓向いたのでディアスが肩を差し出すと、ぴしゃりとマイクに叩かれた。


「……歩くぐらいは出来る。甘やかさなくていい」

「明日酷使するつもりだからな、今日ぐらいはサービスしなくもないぞ? 」

「いらん」

「……もし、お客様」


 二人がしょうもない会話を続けているところへ、この家の御姫様がもったいなくも声をおかけになった。


「みればたいそうお体の具合がよろしくない御様子。わたくしの部屋においで下されば必ずやお力となれると思います。のちほどおいで下さいませ」

「いえ、女性の方の部屋にお伺いするなど……」


 マイクがあたふたとしだす前に、当の本人は言うだけ言って私室へと戻っていった。困惑したかのように頭をかくマイクにディアスはニヤニヤ笑いを隠せなかった。


「よっ、色男。……まぁ、行ってこい。体が弱いらしいからいろいろ薬にくわしいのかもしれん」

「そこまでするほどでもないと思うんだが……」

「女性の招待を断るなんざ、男がやっちゃあいかんことだろうが。恥かかせるな」


 マイクは先ほどの晩さんでの如才のなさはどこへやら、萎れ切った草木のような風情で部屋に戻っていった。


           *


「……このような姫君の寝所へ恥ずかしげもなく参りまして……。あの、こちらに離れておりますのでお気づかいなく」


 別荘の名は持つものの質素な邸宅の中にあるせいか、シャイラ姫の寝所もまた贅沢とは程遠いものとなっていた。それでも父君が各地から取り寄せたらしい色とりどりの布や土産物が無造作にそこいらに置かれているのが、マイクには父の娘への憐憫に満ちた愛情とシャイラの父への屈折した思いを見てとったような気がした。


「そのように御遠慮なさらないでくださいまし。どうぞお近くへ」


 ベッドに腰かけた女性にそう呼ばれてどぎまぎしつつも一歩近づくと、シャイラは色気のある風など少しも見えぬ生真面目な顔でマイクを見上げていた。


「お身体がお苦しいのでしょう? 父がまるっきりわからずにいろいろ話につきあわせたようで申し訳ございません。……お座りになられますか? 」

「いえ! あの、こちらでひざまずきますのでお気づかいなく」


 体が辛くないと言えばウソになる。だが病弱な姫君の寝所の寝台に男女が並んで腰かけるわけにもいくまい。姫君の目の前に騎士よろしくひざまずくとシャイラは何事かうなづいて、枕元の手文庫の引き出しを開けた。


「……わたくしも体が弱うございますので、体の辛さは心得ております。お力になるものと思っておりますので、どうぞお試しくださいまし」


 さぞかし高価な薬剤が出ると思っていたマイクは、シャイラの華奢な手に一冊の小さな本がのっているのに気がついた。


「神の御言葉が載っております。おすがりすれば必ずやお助けあるものと……」

「……シャイラ様は教会の信者なのですか? 」


 驚きの声とともにマイクがそうたずねると同時に背後の扉が音をたてて開け放たれた。燃えるがごとき怒りの形相のガザル翁に、一瞬マイクは己に女性を襲わんとする暴漢疑惑がかけられているのではないかと驚愕した。


「いや……あの……これは……」


 しどろもどろになる客人になど眼もくれず娘のところにまで近づいた老父は、娘の手に乗せられた小冊子を目にとめるとその腕ごとつかみ上げた。


「なぜこれを持っている! 」

「わたくしの導き手です! 放っておいてください! 」

「あやつを引き入れたのもお前だろう! なぜ! 」

「あの方は尊い方です! 」


 そっと部屋の隅にどいたマイクは扉の陰からディアスが覗いているのに気がついた。マイクは船長にそっと目で中の様子を指し示した。


「わしが計画した通りにあの方々がおいでになっていると思ったものを……なぜあんな奴がわしの別荘になど来ておるのだ! 」

「保護を求めてこられたのですわ! わたくしに出来ることをしてさしあげて何か悪いことがありまして!? 」

「お前はあやつが何をしでかしたかわかっておらんのだ……。あやつを野放しにしていたとあっては、わしは亡き王妃に申し訳がたたん……」

「王妃、王妃って! お父様はいつも王妃様のことばかり! いつまでも自分が正しいなどとはお思いにならないで! わたくしは何が正しいことなのかよくわかりました。わたくしはわたくしが正しいと思ったことをするまでです! 」

「勝手にしろ! ……あやつは明日にでも追い出してカトランズの軍にでも捕らえさせてやらねばならん」

「お止め下さい! あの方はお優しい方です! 」

「聞かぬ! 教会の犬などわしの知ったことではないっ! 」


 入ってきた時と同じく猛烈な勢いで出て行こうとしたガザルは扉のところにいたディアスとぶつかりそうになり、謝るどころか睨みつけた上で何も言わずに去って行った。


「……お見苦しいところをお見せいたしました……」


 先ほどまでの激高した姿は幻かとも言えるような儚げな姿に、マイクとディアスは目をむいた。ディアスなどは遠慮も忘れてずかずかと寝所へと無断で入りこんできた。


「……誰をかくまっていた? 」

「……司教様ですわ」


 いきなり入り込んできた無法者にひるむ様子も見せず、シャイラは父に落とされた小冊子を両手で大切そうに拾い上げた。


「この狭い別荘に押し込められ、広い世界から隔絶され、このまま死ぬより他なかったわたくしを、巨大な神のもとへと結びつけて下さった恩人なのです」

「……お体が弱く人づきあいに苦しめられていたので、父君が御心配になり特別に療養所としてこちらを使っておられたと聞きましたが」

「それは父の見方ですわね」


 冬の冷気に満ちた風のように冷然と、愛娘と呼ばれた女は言ってのけた。


「療養でしたらならば王城の近くでも出来なくはなかったのですわ。このような籠の鳥のような状態で軟禁し続けることが父としての情などとはわたくしは絶対に認めない。……王城を離れる時にはまだ幼かったアンドリュー王子も目に涙をいっぱいためて見送ってくださったものでした。まったく孤立していた、という訳でもなかったのです、わたくしは」

「……アンディは俺たちが連れてきている」


 ディアスが相手の出方をうかがうように上目づかいで寝台の女性をねめつけた。


「ここに連れて来るかはまだ決めちゃあいない」

「あの子が帰ってくるのですか? 」


 不思議なことにその知らせはシャイラを線の細い神経質な女性でも、信念のもとに父にたてつこうとする者でもなく、ただ一人の優しげな妙齢の女性へと変えた。


「このように荒れ果てた国ではあの子のがっかりしてしまうことでしょうね。わたくしに力になれるようなことがあればいいのだけれど……」


 思わずとでもいうように聖なる教えが記された書を固く握りしめたシャイラを、マイクとディアスは複雑な心境で見守るしかなかった。


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