第4章 出迎えは来たか (5)
「知らん。何者だ」
やはりな、と苦笑する間もなく兵士の持つヤリの穂先がつきつけられた。
半ば崩れ去った城内にはあちこちにテントが張られ、唯一残った王宮の間ではカトランズより来た新王が新政をおこなっていた。
「嵐雲石の魔法使い」の眷属として連れてこられたオウリアが、まったくの異邦人であると見破られるのにさほど時間はかからなかった
”さて、これからどうするか”
オウリアは口元に弧を描かせた。
「お手伝いしようかと思いましたの」
「いらん」
「お主が言うことではないっ! 」
いけしゃあしゃあと言い放ったオウリアに憮然とする「嵐雲石の魔法使い」ことダルバザードの行動は予期できたものの、目を輝かせて身を乗り出そうととする新王ド-ナム・ゲトラルクの姿は皆に驚愕を与えたようだった。
「あ~~~……手伝いとはどのようなことを? 」
「いかようなことでも」
ニンマリと笑みを浮かべたオウリアはちらりと対抗馬とされている方を盗み見た。己の主と思われている者を侮蔑とでも言った方がいいような表情で忌々しげに見ている様子から、オウリアには二人の関係が手に取るように見て取れた。
「お力の一端なりとお聞かせ願いたいものですな」
「熱がわたくしの力」
ドーナムの誘いにオウリアはのることにした。これは嵐雲石の魔法使いへの牽制であるらしい。ここで力を誇示することは、この肝っ玉の小さそうな新王にとって喜ばしいことであるようだ。ならば。
「地中深くに潜む大地の熱、身に降り注ぐ天空よりの熱、身の内より沸き出でる感情の熱、すべてがわたくしの支配下にあるもの。ゆえにわたくしの二つ名は”黒曜石の魔女”、お心のままにお使いくださいませ」
自分でも艶然と思えるような蕩ける笑みを顔面にあらわし、王座の新王に眼差しを投げかけた。ついでに体温をほんのすこぉし上げておこう。
「ぜひお力をお借りしたいものだ。必要なものがあれば、国の再建中ゆえ難しいものもあるだろうが、なんなりと申し出るがいい。全面的に支援させていただこう」
「……待て」
口早にそう言い募るドーナムに少しは危機感でも持ったのか、ダルバザードはオウリアをちらりと横目でにらんでから相手に向き直った。
「その女はお前に取り入ろうとしているだけだ。ここまであからさまでは、これがわからぬ奴に説明するのさえバカバカしい。我等の間には契約がある。それゆえ一言だけ言わせて言わせてもらった」
「そうそう、その“契約”だ」
それまでのドーナムとはまるで違った余裕がその体に満ちてきたのをオウリアは面白く見守った。それまでの新王と言えば悪く言えば玉座に押し込められてあたりをせせこましげにキョロキョロしているとでもいう風情であったものが、今では頭上の冠の重さをものともせずに相手と渡り合っている。
「確かお主は”神の遺跡”なるものの破壊を願っておったな。聞けばお主の力をもってしてもかの遺跡はびくともしなかったそうな。確か岩牢へと行ったガザル翁の自宅にはそれに関連した資料が山と積まれているらしい。しばらくはそこに籠って、自らの目的の追求にいそしまれてはいかがかな? 」
ダルバザードはもじゃもじゃに生い茂った眉毛をひそめ、その下の両眼をすがめて玉座の主を見、そしてオウリアの方を一瞥した。
「……確かに。行こう」
吐き捨てるかのような侮蔑に満ちた言を残して、足早に出ていくダルバザードにオウリアは役者の退場の様を見て心中大喝采を送った。
「さて黒曜石の魔女殿……オウリア、とか言われたかな? 」
鼻の下をながぁ~く伸ばしているのがはたから見てもわからうような具合のドーナムに、オウリアは内心大笑いしながらも、つと玉座へと近寄っていった。
「名前を覚えていただいて光栄ですわ、陛下」
「今ご覧になられた”嵐雲石の魔法使い”殿は……あ~……かなりいこじでしてな。我が軍門下にありながら、その力の破壊力をカサに来てまるで我等の言うことを聞こうとせん男だった。こたびそなたがここにいてもらえるというのならば、それほど心強いものはない。ぜひぜひお力になっていただきたいものだ」
「お力になりたいものですわ……あなたさまの」
玉座の足元から上へねめあげるような調子で見上げると、ドーナムの目線が胸元を中心に固定されているのがわかる。……なるほど、この程度の人物。
回りの衛兵の思惑などオウリアには知ったことではないが、新王となるこの御仁はそれを感じ取るどころか気にしようともせぬらしい。さてはて、これで国民の意思などわかるものなのか。
「ここでとれる特別な酒を手に入れましてな。……あ~……後で別室ででも味わう気はないですかな? 」
「喜んで。このような場所で王族と呼ばれるお方とお知り合いになれますなんて、光栄ですわ」
自分でもやりすぎとは思うが、口元胸元をドーナムの元へと迫らせていく。ここで手を出すような奴だったら面白かろうにと思うところへ、案の定家来の咳払いがやってきた。
「国王陛下、ただ今、前王子を捕らえて参ったというものが訪ねてきたのですが、いかがなさいますか? 」
それまでの雰囲気を振り払うかのようにドーナムは立ち上がり、その顔に喜色を浮かべてその場の家来一同に叫んだ。
「通せ! すぐ通せ! うむ、運が向いてきた。これでしっかりと正式文書を作らせておけば誰にもわしの正統性に口を差し挟めまい。教会の奴らに取られていたと思っていたが、幸先がいい。我が力となってくれそうな者もあらわれたことだし、よし、これでよし」
オウリアは目の前で行われている事態にすぅっと心が冷えてきた。
王子というのはディアスが連れてくると言っていたあの少年だろう。おそらくヘマをやったのにちがいない。
オウリアはこの場面で自分に何が出来るか、冷静に計算し始めた。
*
「へっへっへっ……。いやいやこんな御立派なところへ通されるとは思ってもいやしませんでしたぜ。コイツを手放すのは頂くもんをいただいてからですぜ。王さんに手柄を認めてもらって、もらうもんもらわなけりゃあ、みすみすこんな金蔓手放すわきゃあねぇ……」
遠くから聞こえてくる下卑た声にオウリアは露骨に眉をひそめた。心の底がどんよりと曇って腹の奥に疲労感と徒労感がたまり始めた。
「どいつが新王さんなんで? このガキを引き取ってくれるそうで。褒美をたんまり貰わんことには……ああああああっ!! 」
やった……。やるんじゃないかと思っていたらやっぱりやった……。
王座の間に姿を現したのは、見忘れたかったマーキュリー・ディアス。小汚い扮装に身を包んでいるのは、薄汚い奴隷商人にでも身をやつしているのだろう。そのごつい手からのびている縄の先には一人の少年が身を戒められており、おそらくこれが件の王子というわけなのだろう。
それにしても。なぜ! 今! ここで!?
オウリアの頭の中で策がぐるぐると音を立てて回り始める。向こうの思惑、今の状態、自分の立ち位置、出来うること。すべて見通しが立った時、オウリアの口元に余裕の笑みが浮かんでいた。
「あら、お久しぶりですこと! ……こんなところで会うなんて」
つとオウリアは新王とディアスの間に立ち、周りから浴びせられる視線に身を浸した。その姿を認めたディアスの目に驚がくの色が現れたが、すぐに左右の人々に視線が飛び、口元に同様の笑みが現れた。そして次の瞬間それを押し殺すと忌々しげに舌打ちしてみせた。
「まさかてめぇに会うとは思わなかったぜ。思わぬところで正体がばれちまいそうだぜ」
「何だ!? どういうことだ!? 」
いきなりの展開に慌てふためくさまを隠せぬ新王に、オウリアはそこはかとない悪意をにおわせつつ語り始めた。
「お恥ずかしいことながら私、この者を見知っておりますの。かつてどれほどこの者に煮え湯を飲まされたことやら。この者の名はマーキュリー・ディアス。いやらしい小悪党ですわ」
あまりにもあまりにもな内容にディアスは苦虫を潰したかのような顔になった。”あら、いい演技じゃないの”と腹の底でオウリアは笑った。
「小金のためなら何でもする奴ですけど……お気をつけあそばせ? 何をしでかすかわからぬ者でもありますの」
「いやいや今回は、新王さんにいい話を持ってきただけだぜ? どんな言いがかりをつけるるもりだ!? どうせこっちのことを悪く言うつもりなんだろう」
「悪く言われるようなことをしでかしてきたからでしょう」
悪く言うこと、悪く言うこと。オウリアは素早くディアスを「悪者」として売り込むことを理解した。
「清き君主が統制しようとしたものに蹴りを入れ、その横っ面を張るかのように人民が欲しかるものをその面前で放り投げる。心正しい教会の教えにツバを吐き、神の教えなど何の価値もないと水を売る。わずかな金のために世界中を飛びまわり、各地に騒動の種をまく。それがこの男、マーキュリー・ディアスですわ」
「よくもまぁ、そこまで言いやがった」
呆れたような怒ったような笑みを片頬に見せると、マーキュリー・ディアスは地面に這いつくばった王子をしり目に啖呵を切り始めた。
「騒動の種だと!? ふざけるんじゃあねぇ! お綺麗ごとの得意な奴らにわかってたまるか! 今までやりあってきたお前ならわかるんだろうが、俺に一片の忠誠心もねぇっ! ここまで来たのはこの地にお前らの見方で言うところの”災いの種”をまきに来たからだ。新王様への手土産? とんでもねぇ。こいつは大嵐の中心だ。こいつがポンとど真ん中に飛び込むことで回りに嵐を巻き起こす。俺はそれを売り込みに来たんだ。さぁ、いくら金を出す! 」
「お前! 口を慎め! 」
たまりかねた兵士がディアスの前に立ちふさがる。オウリアはあまりの役者不足さにかの兵士には気の毒さしか感じなかった。
「うるせぇっ! がたがた言うな、引っ込んでろ! さぁ、ゲトラルクのじーさん、心を決めてもらおうか。この地にやっかいごとを巻き起こすこいつを引き受ける気があるのかないのか。ここで斬るってんならそれでもよし。この国中の奴らに新王の新政とやらをふれまわってやらぁ! 」
「国王陛下、やはりこの者は危険ですわ。ここで何をさせても外へ出たとたん何をやりだすかわかったものでは……」
オウリアはちらと相手を盗み見る。ディアスの不敵な笑みは変わらない。よし、続行。
「ございません。それどころか……自らが連れてきた王子とともに幽閉、というのも悪くないかもしれませんわね」
いたずらめいた心から付け加えた言葉に気を良くしながらディアスを見てみると、一瞬感心したかのような表情から少し安心感漂う笑みへと移行した。……いつのまに相手の手の内で踊らされていたのやら。
「なるほど、確かにこいつは危険な奴のようだ……」
「ま、待ってくれ、殺さないでくれ! 」
新王の表情が剣呑なものに変わっていくのを察知してか、いまさらながらにディアスの言上が哀愁を帯びたものへと変わった。
「調子に乗りすぎた! 悪かった! そうだ! 他国のあれやこれや、いろいろ知っていることを教えてやる! おそらくこの地で新政を行う際に役立つはずだ! どうか、命だけは! これ、この通りっ! 」
やたらぺこぺこしていたかと最後には這いつくばって地に伏せる始末。兵の中からも失笑が漏れだした。……あの見栄っ張りがよくここまでする気になったものだとオウリアは思った。
「ふむ、よかろう。それではゆっくり話を聞かせてもらおうか……王子ともども”ズァ・ガンの針”でな。連れてゆけ」
王者の風格を見せつけようとでもいうかのようにことさらゆっくりと告げるドーナムに、今まで黙っていたアンドリュー王子が叫んだ。
「母上の! 母上の墓を見せてくれ! このままここを出ていく前に、一目でいいからあの人の墓を! 信じられないんだ! あの人が死んだだなんて! 」
それは王宮の間に立ちこめていた一種のはかりごとめいた空気を吹き飛ばし、一瞬の静寂をその場に与えた。新王の目には涙すら浮かんでいた。
「……よかろう。戒めを解くわけにはゆかぬが、一目母君の墓前に参られるがよろしかろう。この国の行く末についてもよっくお考えになるとよかろう」
満足げなドーナムの表情に、ディアスはてっきり苦虫を潰したかのような顔をしているものだと思いきや、オウリアが認めたのは彼女がよく知っている、あの、してやったりと言わんばかりの悪ガキのそれでしかなかった。
”……まったく……よくやるわよ……”
兵士に連れ出される二人を見送りながらオウリアはそう心の中で呟いた。




