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第4章 出迎えは来たか (3)



「まったく冗談じゃねぇや……」


 今日の在庫に腰かけて、アレックスは呟いた。

 ここに店を構えて一年あまり。すっかりご近所のおばちゃんたちとも気易く話をできるようにはなってはいたが、それが店の売り上げに響いてこないのはいったいどういう量見だ。

 まぁ、自分が商売下手なのは認める。どうにもこのオアシスの街を通る品物を見ているうちに「欲しい! 」と思った代物を大量に仕入れてしまうので、その分大量に売れ残る。

 そのため在庫整理のために何度も繰り返される大盤振る舞い。おかげでそろそろ運営資金が底をつく。独立するとき、あんなに餞別をもらったというのに。


「ねぇ、ちょっと! この前頼んだの、まだ入荷しないの? 」


 ぼーっとしていると、いつのまにか常連の近所のおばちゃん連中に取り囲まれていた。


「ああ、すんません。え~と、なんでしたっけ? 」

「前にアンタが言ってたどっかの国の香辛料! アンタがあんなに勧めるもんだから注文したってのに、まぁだ来ないの? もう注文、取り消すよ!? 」

「すんませんすんません。いやぁ、最近砂嵐がひどくって。も~ちょっとしたら隊商が到着すると思うんすけどねぇ」

「いいわよ、もう。それよりもアンタのとこの最近の品ぞろえ、ひどくない? 」

「そろそろ、もうちょっとわたしらにも使いやすいものを置いといてもらえないもんかしらん」

「例えば、ほら、あちらのお店にあるようなものでいいからさぁ」

「いや。そ~ゆ~のはあちらの店で買えばいいんですって。ここのは特別品っ! こ~ゆ~掘り出しもんが買えるのはここだけなんすから! 」

「じゃあ、そういうのが欲しくなったら買いに来ようかしらんねぇ」

「そうそう、世の中の見聞を広めてこその一家団欒ですって」

「はいはい。今度、なんか食べられるものでも置いといてちょうだいね」


 ……まったく、いいもんがわからん奴らが多すぎる。

 やっと帰っていったおばちゃん連中の背中を見て、アレックスは心中でそう呟いた。

 ぼーっと空を見上げてみる。船の一つでも飛んでいないかと思う。……おい。こらまて。あんなもんが二つも三つもあったらほんとに困る。

 空飛ぶ船。

 そう呼ばれている船の名前をアレックスは知っている。

 ヘルメス号。

 降りてからもう何年になるだろう。

 いや、あの船はシャレにならない、とアレックスは考え直した。だいたい魔法使いが作った船を、普通の人間が乗りこなそうってのがどだい無理な話だ。船長は人使いあらいし、経理も見ている風見はドケチだし、酷使されて体はボッロボロ。も~ダメだと船を降りてまともな生活を始めたってのに……なんでうまくいかねぇんだろうなあ、この生活。

 頭を抱えたアレックスの体を温めていた日差しを、大きな影が遮った。


「……お前、これ、流行ってんのか? 」


 思わず弾かれたかのような思いで上を見上げると、陽光を遮って、見覚えのある巨体がそこにあるのに気がついた。


「船長! 船長じゃないっすか! いやぁ~~~~~~お久しぶりっす! いや、こんなとこまで来てくれるなんて! 船! 船どうしたんすか!? 沈没でもしたんすか!? 」

「するか! 落ちても沈まねぇだろうが、俺の船はっ! 」


 相手が大声を出していても機嫌が悪くないことは声音でわかる。船長とは何年来もの付き合いだ。

 暑い日差しを避けようと二人で狭い店内に入るとそこかしこに珍品揃いの品ぞろえが並び、一般生活品を売りさばく庶民的な店が立ち並ぶ中一種異彩を放っている店であることがあからさまにされていた。大安売りの籠の中にはどこかの地方で作られた木彫りの人形らしいものが山と積まれている。


「……悪かったな」


 振り返ったマーキュリー・ディアスに肩をたたかれ、謝られる理由などとんと身に覚えのない身としては返す言葉もなく。


「は? いや、別に船長に冗談のセンス期待してないんで、そんなことはどうでもいいんすけど」

「そうじゃなくて、どう見てもこの店、流行ってねぇだろうが! 」

「大丈夫っす。今にここの連中に目にもの見せて、一番大流行りの大規模店に……ってどうしたんすか? 」

「そうか……わかった……まぁがんばれ……。……ところで、お前にちょっと聞きたいんだが」

「へいっ! なんでも聞いてもらいましょうかっ! 」


 ディアスの顔の心配そうな呆れ顔が、満足げないつものニヤニヤ笑いへと変わっていった。アレックスは自分があの時の自分に戻っていくのを体中で感じていた。


「ここから少し離れたところにあるウォルホール、カトランズ軍侵攻後の様子が知りてぇ。中に入り込めるかどうか、王宮とやらに潜り込めそうかどうかも……」

「ちょっ、ちょっと待ったっ! 」


 立て続けに言うディアスを押しとどめると、口の中の唾を飲み込んでからアレックスは恐る恐る尋ねた。


「つまり……ウォルホールの王宮に忍び込むんすか? 」

「おう、よくわかったな」

「うわぁ、ちょっとかんべん」


 急に頭痛がしてきたアレックスに追い打ちをかけるかのようにディアスはたたみこんできた。


「近所のおばちゃん連中とかお嬢ちゃんでもいい。ウォルホールやカトランズから来た隊商、その他もろもろ、機嫌良くさせて聞きだすのはお前のおハコだったじゃねぇか。やれ」

「んなこと急に言われても、店の仕事やらなんやらが……」

「たまに来た恩人の頼みも聞けねぇような輩になり下がったか、なっさけねぇな。そんな奴とは思わなかったぜ、あばよ」

「うわっ! ちょっ、ちょっと! 」

「やるな? 」


 出て行こうとしたディアスが急に振り返ってその強烈なニヤニヤ笑いを押しつけてきた時、アレックスは自分の休暇がたった今終わりを告げたことを悟らされた。


「……いちんち。いちんち待ってください。満足いくものを必ず持っていきますんで! 」

「よし。夜にでも船に来い」


 一歩足を店の外に踏み出したディアスが振り返った。その目には独特すぎてあまり流行ってもいなさそうな店の外観が映っているのだろう。


「おい」

「なんすか」

「お前、本当にこの店、やりてぇのか? 」


 アレックスの顔が引きつった。言わなきゃならない言葉はわかってはいたが、どうにも口に出し辛かった。


「いや……方向性間違えたかな~っつ~のは……まぁ、少しあるんすけどね」

「まだやり直せるだろうがよ。考えてみろ」

「あっ、あのっ! クルーは順調に集まってんすか? 」


 あのころ、船長が心から納得できるクルーが集まっていなかった中、「体がついていかない」と泣きごとを言ってムリに船から降りてきた。「これで自由だぜ! 」とか息まいてみても現実は厳しかった……認めたくはないが。

 考えてみればあの後船は大変だったろう。今さら聞いてもどうにもならないことではあるが。

 アレックスの問いにディアスは、ニヤリと笑いかけてきた。


「当たり前だろうが! お前がいなくなったせいでいい奴らが来て、船の運航が回りまくってるぜ。夜に来たら会わせてやる。やると言った以上はやっとけ」


 人ごみの中消えていくディアスの後ろ姿を見て、アレックスは自分が得た物と失った物の大きさについて考えさせられていた。


               *


「……っつーわけで、カトランズ軍、噂よりゃあちっとは人員が少ないらしい。一番ヤバいのは魔法使い。これがいたもんだから城壁や城が壊滅したってぇ話だ。……って、ほんとに潜り込むんすか? 」


 夜になってヘルメス号にやってきたのはひょろ長い青年だった。収まりの悪そうな赤毛と顔中のそばかす。ニヤニヤ笑いはディアスゆずりだろうか。独特の色彩感覚で選んだ服に身を包み、応接室で皆に向かってとうとうとしゃべりかけていた。


「お前、俺がやると言ってやらなかったことがあったか? 」


 不敵に笑うディアスの言葉に天を仰ぎ見ると、アレックスはマイクに矛先を向けた。


「なんで船長、止めなかったんすか。調べれば調べるほどヤバいっぽいっすよ、あそこ」

「君も知ってるだろう。こいつがいったん言い出したら梃子でも動かんよ。もっと不利な状況、言ってみるかい? 」

「ここで言ってアンディ不安にさせてどーすんのさ」


 エクレナの言葉で皆の視線がアンディに集中した。一斉に注目されたアンディは、何か言おうと口元をもごもご動かしてみたが言葉にならずに消えていった。


「危険な状況なのはわかりました。ところで……今回の目的は彼の母君の墓参りのはずですが、その墓所はどこに? 」


 フォートンの問いにやっとアンディは口の中の渇きをコップの水で潤して、答えることができた。


「城に。城の裏庭に歴代の王族の墓所があって、たぶんそこです。母の墓を見たわけではないんですが……」

「んで、お袋さんの墓を見たら、何か変わんの? 」


 状況をまるきりわかっていないようなアレックスの発言に、ヘルメス号クルー全員が天を仰いだ。


「お前……ここでそれを言うな」

「アンディが見たいから行くんだよ。それだけじゃん」

「なんだよ、それだけかよ。……なんだ新入り、この船に乗ってて、そんなあったまわるそーなこと言っててやっていけんのかよ」


 エクレナのあっけらかんとした物言いに、元々ヘルメス号のクルーであったというアレックスが少し腹をたてたのかつっかかってきた。


「あったま悪いじゃないんだって。アンディのことをよく知ってるってだけじゃん。なんにもわかってないのによくまぁこの船でやっていけたもんだねっ」

「こうして並べてみると、二人ともそう変わらんな」

「「はぁあ!?」」


 ディアスが呆れたように言うのに教会師弟は少し吹き出した。


「……で、ここからが悪だくみなんだが」


 声をひそめて机の上に乗り出すディアスに一党が身を寄せた。


「どうやって、王宮に潜り込むか。潜り込んでからどうやってこいつに墓参りさせるのか。そして、そうやってそこから脱出して教会に送り届けてやるか」


 そこまで言うとディアスはアンディをちらりと見て口元をゆがませた。


「まぁ、コイツに戻る気があるなら、だが」

「戻らせます! 」


 フォートンが珍しく腕組みをした上で、アンディの顔をじっと見た。


「できれば私は君に、”行くな”と言いたい。だが君がそれを見なくては納得できないというところがあることはわかっている。この旅はとてつもなく危険なことはわかっていた。かつての王族があの地にいるとわかるだけでも人々にどのような動揺を招くがわからない。アンディ……このまま帰らないか」

「行くのっ! 」


 アンディとフォートンの間に割って入ってきたのはエクレナだった。収まりの悪い赤い巻き毛がフワフワと顔のまわりではね跳んで、アンディの鼻先をかすめた。


「アンディが決めたんだよっ! 自分でっ! だがらやるんだ! 他の連中が口出しすることじゃないんだ! うちのクルーで助けるよ! あたしだって助けるんだ! 例えそれが他の人に迷惑をかけることになったってっ! アンディにはいるのっ! だからっ! 行かせてっ! 行かせろっ! 」


 最後の方は涙声になってまで言い募るエクレナに、アレックスは驚いたように口笛を鳴らし、ディアスは腕組みをしたままニヤニヤ眺め、フォートンは困ったかのような視線を投げかけ、マイクはその後ろのアンディに視線を向けてきた。


 ここまで言ってくれている人がいる。

 城の中で、教会の中で、ここまで言ってくれた人がいただろうか。

 口うるさく言うだけでなく、心からの心情をこめて言ってくれた人が。


 ディアスが困ったかのように頭を掻いていると、アレックスがそれまでけたたましくまくりたてていたのとは別人のように、うってかわって真面目なそうな声音で言った。


「……あのなぁ、心意気だけで行けるとこじゃあねぇから。ずいぶん力入ってんのわかっけど、ヘルメス号が行くってことはそこでとんでもねーことやらかすハメになるってことなんだぜ? そんな修羅場かいくぐれる根性、あんのかよ」

「無かったらこの船乗ってない」

「おーおー、口だけ」

「あたしだっていろいろ修羅場かいくぐってんだよ!? 」

「あの……私の発言で何かまずいことになってしまったようで……」

「「いーからぼーさんは引っ込んでてっ!!」」


 心苦しくなったのか口を挟んできたフォートンが仲裁しようとした二人に逆襲されているのを見て、ディアスとマイクが大爆笑した。……そんな光景を、アンディは独りで見ていた。


 この人たちを。戦乱の地まで連れて行こうとしている。

 この人たちに。あの地まで行く義務はない。

 あの地へは。一人で行くべきだ。僕は、王族なのだから。


 心の中でアンディは、皆にそっと別れを告げた。

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