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第三章 風は吹いているか(6)



 それは深い渓谷の中、ただ一本立っていた。

”ズァ・ガンの針”と呼ばれたそれはそそり立つ岩肌に囲まれ、似たような質感で深い谷底まで突き刺さっていた。そのありさま、まさに針のよう。

 その針の頭から岸まで一本のつり橋がかかっているのだが、この窓からはその様子をうかがい知ることは出来ない……囚人の窓からは。

 その窓から外を見つめているのは老人だった。その深い茂みのような眉の下から疲れ果てた視線がはなたれ、遠くに見える岩肌をただ見つめていた。


”許されることではない……”


 カトランズ軍が侵攻してはや何カ月となろうか。国に残っていた王族二人は老臣とともどもこの岩牢へと入れられ、今やその二人の姿を見ることは出来なくなった。……今、ここにいるのは彼しかいない。

 この岩牢に幽閉されることとなろうとも、国を支えてきた名門の家柄の忠臣としての心に嘘偽りは一切ない。だが……この事態を引き起こした一因が己自身にないとはどうしても言うことが出来ない。

 彼をここに連れてきたカトランズの将兵が「緊急の処置として」カトランズに嫁いでいった先々王の妹君の孫君を王として即位させる旨を伝えてきた。そしてそのための知恵を貸してほしいとも。

 ……冗談ではない。そのつもりなど一切ない。第一、まだ教会に預けられている弟君が残っているではないか。それをどうするつもりだ。もうカトランズから来た者たちには今後こちらの力など借りるなと伝えた。もう協力する気もない。

 ……このような恐ろしすぎる事態になろうとは思いもしなかった。国を傾けるようなことになろうとは。

 まだ自分に出来ることはあるはずだ。カザルは心の中の、今やこの国では自分の他、祈られることもないかの女神に祈った。


”女神よ、その恩恵給われたこの地を、かつての王族に治めさせたまえ。そのためならば我が罪、いかように償おうと悔いはせぬ”……と。



”風の道”を抜けた後の飛行は、まるであの時が悪夢であったかのように順調そのものと言えた。


「いい風具合だ。このまま奴らの機嫌を損ねなけりゃ、明日の夕方には一休みできるだろ。楽しみにしていろ」


 機嫌良さそうに舵を握るディアスの声も、アンディの耳にはむなしく響いた。


”……まだ、フォートン先生とのやりとりが響いてたんだな……”


 フォートン先生は応接室で一方的にぶちまけた後、ろくに何も言わないまま食べ終えたアンディを支えて部屋まで戻ってきた。


”今のうちに言っておこう。今回の旅は君が思っているような気楽なものではない”


 おかゆが腹に入ったとはいうものの、まだまとまりのない思考の中、アンディは真面目に語るフォートン先生の言葉に耳を傾けていた。


”君が国に入ったということが知られれば、周りの者が黙ってはいないだろう。拉致、監禁、もしくは王族として旗印に祭り上げられないとは限らない。どちらにしても今までの教会での生活のような平穏な日々とは無縁となる。君は向こうに着いてからこの先のことを考えたいと言った。よく覚えておきなさい。一度君の領土に入ってからは、君の意志だけが通じる世界とはならないということを”


 耳元をくすぐる風も、雄大な景色も、今はアンディの慰めとはならなかった。その景色に自分の故郷のそれを重ね合わせ、その中に己の姿を入れようとして……やめた。何故だろう。恐ろしい。


「坊主、舵を握ってみる気はねぇか? 」


 ふとかけられた声にアンディが振り向くと、ディアスがいつもの調子で笑っていることに気がついた。


「国へ帰ったら国の舵取りをする身だろう。一度船の舵取りもやっておけ」


 アンディは少なからぬ衝撃を感じた。船長ですらそう思っていたというのに、自分はそのことをまるで考えようとはしなかった!


「……父と兄がいます。僕はそんなことはしません」


 そう答えるアンディをまるで見知らぬ者がそこに現れたかのような目でディアスは見つめてきた。


「しません……か……」


 外に視線を走らせているアンディには一瞬宙空を仰いだディアスの姿はわからなったろう。


「お前、本気でそう言ってるのか? そんなこと言っていられる状況じゃないかもしれんということはわかってるだろうが」

「だって僕は……! 」


 ディアスの言葉にふいをつかれて、アンディは遥か後ろで舵を握る船長に呼びかけた。


「僕は……そんなことをしに国に帰るんじゃ、ないっ! ただ本当に母さんが死んだのか確かめて……それで……」


 その後はどうするのか、アンディには考えられなかった。いや、考えるのが怖かった。

 父と兄の元に加わり、旗印となるのか、それとも……どちらにしても命の危険はあるに違いない。何故こんな無謀な旅に出たのだろう。ヘルメス号のみんなが頼りになる人たちであったとしても、ただの墓参りとはいかなくなるかもしれないということはアンディにもわかる。


「……じゃあ、お袋さんの墓んとこででもどうしたらいいか聞いてみろ」


 少々疲れたような物言いでディアスが言うのに、弾かれたような思いでアンディは顔を上げた。そこにはやっと反応を示したアンディに少し安心したかのようにニヤリと笑う船長が立っていた。


「だが死んだ奴らに生きてる奴らのことがわかるとは、思えんぜ? 自分が本当にどうするかは自分で決めろ。でなけりゃ、なんでここまで来たか、ということになる」


 アンディは船長の言葉の一つ一つを噛みしめ、心から頷いた。


「あの……舵を握らせてもらってもいいですか? 」


 アンディの言葉に、ディアスは満面の笑みを浮かべて言った。


「やってみろ。風の奴らに舵を取られないように気をつけろ」


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