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第三章 風は吹いているか(1)



 それは何処のことなのか。……そのようなものは彼女にはあまり意味がない。

 「己自身のいるところ」。……それ以外になんの意味があると?

 それでも彼女以外の者たちは、畏怖と感嘆をこめてその城をこう呼んだ。

 ……”黒硝子城”……と。


 内部を見通そうという視線は城を形作る黒硝子に遮られ、煮えたぎるかのような陽光も城内ではほの暗い明りへと形を変えた。

 今、彼女の前にあるのは一つの水晶球。

 その中に映っているのは、彼女の手の中にその運命すらも握られていると気がついてもいない、この世を己の体一つで渡っていけると考えている大馬鹿モノだ。


”……という訳で、ウォルホールに行くになった。連絡終わり!……で、いいよな?”


 ヘルメス号が彼女の持ち物であり、この者がその船長を名乗っている限り、この漢はこの水晶球の呪縛から逃げ出そうとはしないだろう。

 対の水晶球を結んで会話が出来るのだ、と蒼晶石の魔法使いが言っていた代物。この代価に相手に渡したのは黒曜石で出来た薄造りの花瓶。溶岩から選別して作り上げたものだ。いい取引をしたものだ、と黒い巻き毛を指でもてあそびながらオウリアはふと考えた。


”……おい、オウリア。お前、聞いてねぇな? ”


 すが目にしつつ睨んでくるディアスを可笑しく思いながら、オウリアは退屈そうなポーズを無くそうとも思わなかった。そしてすこぉし間をあけて大仰にため息をついてから、長いまつげの下からその視線をディアスの方へと投げかけた。……さて、どう弄んでやろうか。


「……わざわざご報告、お疲れ様。お忙しいのに、大、変、ねぇ……」


 嫌みたっぷりに拗ねた風情を醸し出す高等技。やはり身も心もガサツな大男にはまったく効かなかったらしい。


”そうだよ、忙しんだよ。わかったな? 切るぞ? ”

「そうやって逃げるのだもの……。男の人って逃げればいいのだから、楽よねぇ! 」


 今度は少しストレートに言ってみた。これぐらいはわかってくれなくてはと思ってはいたが……うまく気を引けたらしい。かなりムッとした表情で水晶球に向き直ると、ディアスは恐ろしげに腕を組んでみせた。


”逃げてなんかいねぇだろうが、逃げてなんか。忙しいからお前の相手なんかしていられんだけだ”

「それは、私に勝てないからよね? 」

”お前相手にするぐらいだったら、船の後を追っかけてきやがったあの坊主の集団相手にきりきり舞いさせてるほうがどれだけマシかしれやしねぇ”

「あら、たのしそ」

”楽しかねぇっ! お前、一度船、自分で動かしてみろ? お前のちんけな小舟じゃなく。気苦労ばっかり増えるだけだぞ? ”


 大真面目にそう言うディアスだが、本当はそんな気苦労など部下に押し付けているのはオウリアには先刻お見通しというものだ。


「外界からも遠のいて、そのような軋轢、すっかり忘れてしまったわ。孤独な日常って、心を蝕むってほんとよねぇ……」

”どぉこぉが、『そのような軋轢、すっかり忘れてしまった』だっ!”


 まるで”砂漠で魚が跳ねた”という話でも聞いたかのように、大仰な顔をしてディアスは驚いてきた。


”お前がそんな平和主義者たぁ、思いもしなかったぞ?あっちやこっちの町や村で『黒曜石の魔女』の新しい武勇伝を聞かねぇ日はないんだがなぁ?!”

「知らないの?噂ってのには尾ひれがつくのよ?」


 おや、こんな男の耳にまで入っていたなんて。少し可笑しく思いながら、弄んでいた黒髪から白い指を抜いた。サラン糸を束ねたかのような光沢のある黒髪が、一瞬宙を泳いで下にこぼれおちた。


「でも……そう……ウォルホールに行くのね……。どうせここにいても退屈なのだし、ウォルホールへでも……」

”来るなよ?”


 何気なくいったように聞こえるかのように言った言葉を、じと目で水晶球の中のディアスが遮った。


「あら、なんで? 」

”お前が来てまともな話がややこしくならなかったことがあるかぁ? そもそもお前が来なくたって今回の一件はややこしいんだ。面白半分に首突っ込むな”

「あら、お忘れ? ここにいるのはヘルメス号のオーナーなのよ? 」

”持ち船の行く先行く先現れるオーナーが何処にいるっ! ”

「あら。じゃあ、あなたが今話しているのってどなた? 輝く美貌の大魔法使い? 」


 のらりくらりとかわすオウリアに、ディアスはこれ以上はやってられないとばかりに早口で用件を切り上げ始めた。


”とにかく、今後の予定はそういうこった。いいか? ぜってぇに来んじゃねぇぞ? 以上終わ……”

「ねぇ……”セラ”は、うまくやってる? 」


 聞きたかったこと、知りたかったこと、聞きたくなかったこと、言いたくなかったこと。それでもここで話を終わらせたくなくって言った、それはオウリアの切り札。


””セラ”ぁ? そんな奴ぁ、知らんな”


 そう返してくる相手の反応も予想のうち。水晶球の中で訳知り顔で笑う男は、あのガキ大将のような笑みで言った。


”うちのクルーはエクレナとマイクロフトしかいねぇよ。どちらも自分のやることを身にしみて知ってる奴らばかりだ。……んじゃな”


 水晶球の中の映像とともに光が消える。あたりはまた、元の薄暗がりへとその色合いを変える。

 黒繻子のシーツを敷いた長椅子に体を投げ出して、オウリアは思う。

 またあの男は一人で世界へ探索にゆく。私が見たこともないようなものをその目に焼き付ける。己の認めた最上級のもので埋め尽くした黒硝子城。その中に今までなかったようなものを、その男は見に行くのだ。

 オウリアは長椅子から起き上がり、軽く頭を振った。軽く広がった巻き毛の黒髪がその心と同じようにあたりを睥睨した。


「……ごめんねぇ、ディア」


 心にみじんも謝罪の意思もないままに、オウリアは水晶球の彼方の男に呼びかけた。


「この世の中に私を縛り付けられる人間なんて、いないの」


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