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第二章 忘れ物はないか(5)



 朝食を終えたフォートンが与えられた船室で手紙を書きあげ、小舟を頼んで岸にたどり着いたのはもう日が真上に来ようとするころだった。

 小舟を操ったのは件の船長、マーキュリー・ディアスだった。


「よぉ。腹ん中のもんは全部ぶちまけてきたか?」


 人の悪そうな笑顔の向こうにある船長の気づかいをどことなく感じ取って、フォートンは苦笑とともに小舟に乗った。


「今朝とっくに。……おかげで朝食はスープしか入りませんでした」

「そりゃそうだろ。俺なんざ、薄い果実酒しか入らなかったぜ」


 昨日の今日でまだ酒が入るのかと目をむいたフォートンにディアスは照れ臭そうに笑うと、釣り綱を伸ばして小舟を水面に降ろした。


「御客人の今日のご予定は? 」


 ディアスの言う客人というのが自分のことだと気がついて吹き出しそうになりながらも、なんとか真面目な顔でフォートンは言った。


「今後の行動の承認を得るために学校へ手紙を出そうかと」

「承認? してもらえんのか? 」

「……難しいですね」


 ゆっくりと漕ぎだしたディアスの前に座って、フォートンはぼんやりと湖水をながめた。


「すべてを認めていただけるとは思っていません。なんらかの罰があってしかるべきでしょう。ですがそれを一身に受けてでも私は今回の旅をやり遂げさせたい。……あの子が自分で望んだ旅ですからね。それを少しでも理解してもらえればいいのですが……」

「そうか……。ま、がんばれや」

「ありがとうございます」


 岸に着くころにはディアスは事務所へ、フォートンは隊商の宿営地へと笑顔で別れることができた。

 この小さな湖畔の町には連絡用の隼を備えた教会はおろか、そもそも教会自体がない。おそらく近くの町から時々巡回して来るのだろう。したがってフォートンが手紙を出そうとすると、教会へ行く隊商に託すしか方法がなかった。

 大きな体をふうふう言わせながらフォートンは隊商の宿営地へ足を運んだ。

 シェッヘンドはこの周辺では大きな水源であるだけに常時一つや二つの隊商が留まっている町だ。その隊商に頼んで寄宿学校まで手紙を届けてもらうつもりだ。もしも肝心の隊商がいなかったり、いても寄宿学校までいかないものであったなら……宿営地の世話人にでもあづけるしかないだろう。その場合ではいつごろ届くか計算できなくなるので出来れば避けたいのだが。

 街角を一つ曲がって視界に宿営地が入るようになると、フォートンはその光景にふと足を止めた。


”……黒い”


 普通隊商が宿営地で寝泊まりする時は車から降りて宿に泊まるか、寝泊まり出来る馬車でそのまま過ごすかのどちらかだ。たとえ目の前の光景のようにテントを張るにしても洗いざらした白か砂埃で汚れた薄黄色というところ。このように視界いっぱいの黒いテントが立ち並ぶことはまず、ない。

 異様な風景に足がすくんにでいたォートンが、そのテントの近辺をうろつき回っている、鎧に身を固め大槌を構え頭を青々とそり上げた一団気がつくのにそれほど時間はかからなかった。


”ああ、僧兵部隊のテントなのか……”


 そこまでやっと認識して行動に移そうとする直前に、警備にあたっていたらしい僧兵から声が飛んだ。


「貴様! 何の用だ?! 」

「あの……いや……その……」

「僧正! この男は……! 」

「おっ。そういえば手配中の……」

「よし、本部へ連行しろ! 」

「え? あの……その……」


 逃げる余裕もあればこそ。両脇を岩のような僧兵に抱えられ、フォートンは本部のテントへと引きずり込まれていった……。



「アンドリュー王子は今どこにいる」


 ……僧兵というものはあまり顔面を間近で見るものじゃないな、とフォートンは思った。

 本部と称する黒テントの中、左右を大きな僧兵に固められ、真正面から師団長と呼ばれた僧兵に睨みつけられ、フォートンは個人的に危機感を感じていた。

 いくら教会と寄宿学校の往復しかしていないフォートンと言っても僧兵部隊について知らないわけではない。対魔法使い戦のエキスパート。正義を地上にもたらす神の尖兵。……しかしそれがなぜアンディのために動いているのかがわからない。


「……アンディなら、私が安全と認めた場所で預かってもらっています」

「と、いうことは魔法使いどもの船の中だな。貴様が昨夜、船の者どもに酔いつぶされ、王子ともども拉致されたことは調べがついている。こうも早く出てくるとはやはり魔法使いどもにたぶらかされているのか……」

「どもって……あそこに魔法使いは一人もいませんが」

「あんな物に乗っている時点ですでに奴らと同罪だっ! 」


 ぎょろりと目をむいた顔の師団長に音高く目の前の机を叩かれて、フォートンは一瞬体を震わせた。だがおとなしく言いなりになっているだけではヘルメス号の皆を守ることはできない。そう考えてフォートンは口を開いた。


「……わかりませんね。私たちの迎えのためになぜ僧兵部隊が派遣されたんですか? それではまるで、岩ネズミを捕まえるのに戦斧を振り回すようなものじゃありませんか」

「軍団長の命である」


 立ち上がって高みからフォートンを見下ろした師団長はそのまま言を継いだ。


「神の正義を地上に顕現させるためにアンソリュー王子のの身柄が必要なのだ。……”迎え”? 邪悪なる魔法使いの息のかかった者を排除して王子の身を確保しに来ただけにすぎん。ここに貴様が来て居場所を探る手間が省けた。……全軍に襲撃の準備を整えさせよ! 」


 部下たちに下知を下す師団長の言葉に、フォートンは弾かれたように立ち上がった。


「神の僕ともあろうものが、恩を仇で返す気か! 」

「やはり奴らの走狗となっていたか、裏切り者め!こ奴を監禁しておけ! 」


 再び僧兵たちに腕をつかまれるまで待っている気はフォートンにはなかった。片方の僧兵の腹に頭突きをくらわすと、テントの外へと駈け出した。


「逃げるぞ! 捕まえろ! 」


”……これだったらもう少し体の修業をしておくべきだったな”


 目の前の道をふさごうとする僧兵たちにたたらを踏みながらフォートンがそんな後悔をした時だった。


「クソ坊主ども、どきやがれ! 」


 囲う僧兵たちの頭上を高くとび越え踊りこんできたのは、ラウダに乗った先刻の船頭……。


「船長! 」

「坊さん、つかまれ! 」


 馬上からのばした手をかろうじてつかむと、フォートンの体はいったいどこから出たのかと思うほどの力でラウダ上に引き上げられ、船長の乗るラウダは再び僧兵たちの頭上を舞った。


「事務所で俺らを探っている野郎が来てると聞いてやな予感がしたんできてみたら……。しかしそっちから出てきてくれて助かったぜ」


 耳元をすぎる風の中で平然とそう話すディアスにしがみつきながらフォートンは叫んだ。


「大変です! 船が襲撃されます! 早く知らせないと! 」

「ほう、そうかい」


 ディアスの人を喰ったような返事にフォートンが後ろを見れば、さっそく数頭のラウダにまたがった僧兵が追いすがるのが見える。町中の道を土煙を上げて迫る騎影にフォートンはうすら寒いものを感じた。


「船長! 」

「悪い、坊さん。ちょっと手が離せないんでこれ、持ってくんねぇか」


 手綱を操りながら己の懐を探っていたディアスがフォートンに手渡したのは小さな筒だった。長さは指先から二の腕ぐらいまで、太さは握りこぶし大で、口がふさがっている方から少々ヒモが垂れている。


「ヒモがある方が下だ。筒の先を空に向けて思いっきり引っ張れ! 」


 景気よく言われたはいいものの、言われたことをやるには両手を使わなくてはならない。追われて走るラウダの上で慣れぬ芸当をやるというのはフォートンには難しすぎる。


「無理です! 落ちます! 」

「しょうがねぇ。筒貸せ! 」


 前を見てラウダを疾走させながら筒を片手で受け取り、上下を確認するかのようにちらと見ると、また前を見て言った。


「ヒモを引くだけなら片手だ。やれっ! 」


 フォートンは冷や汗が額を流れるのを感じながら、前でゆらゆら揺れるヒモをつかみ、引いた。


 小さな爆発音。そして煙。

 筒から空へ一直線に伸びた煙は二、三の乾いた破裂音を残して消えた。


「な、なんですか、これは?! 」


 狼狽を隠しきれず訊ねたフォートンに、含み笑いの顔で筒を投げ捨てたディアスは言った。


「……なに、おまじないさ」


 投げ捨てた筒は追いすがる騎乗の僧兵の一人の顔面を強打し、二、三の騎兵を巻き込んで盛大に落馬させた。その上を飛び越えて次の追手が二人に迫ってくる。

 昼間の湖畔の町は仕事や買い物に来ている人々の人出が少なからずあった。その真ん中を、突然騎馬の一団が突っ切ってゆくのだ。怪我人が出ても不思議ではないところを、ディアスの綱裁きで左右に避けつつ走ってゆく。大都市のようにレンガや石を敷き詰めた道ではない。土を固めて作っただけの道は大量のラウダの疾走に盛大な土埃を上げていた。

 坂道に沿った街並みを降りに降りまくった先に見えてきたのはシェヘンドの港。その船着き場で息づかいの荒くなったラウダを止めると、ディアスはヒラリととび下りてその首筋をポンポンとたたいた。


「……いいラウダだ。持ち主の手入れがいいな」

「あの船にはラウダも乗っていたんですね。驚きました」

「いや。これは俺んじゃねぇし」


 ディアスの返答に半ばずり落ちそうになりながら降りたフォートンは、相手の後を追いながら問いかけた。


「ど、泥棒したんじゃないですよね? 」

「おうとも。持ち主に断りはねぇが、ちゃんとこうして元んとこに返してる」

「それは泥棒とは言わないんですか?!」

「そんなこと言ってる場合か? ……おい、舟は扱えるか? 」


 つい先ほど乗っていた小舟に再び乗り込むディアスを追って、フォートンも舟に乗り込んだ。


「前任地が川そばの町でしたのでいくらかは」

「そりゃよかった。……死ぬ気で漕げ」


 ちょいと顎で指し示されて振り向くと、先ほどラウダを乗り捨てたあたりに次々と僧兵たちが折り重なるようにラウダと自身の体を置いていくのがフォートンの目にも映った。

 背筋がぞっとする中、手渡された手漕ぎの櫓を抱えているフォートンに左の席を譲ると、座ったディアスが掛け声をかけた。


「行くぜっ! 」


 先も見ずにしゃにむに漕いだ。漕いだ櫓から飛んだ滴が顔にかかる。左右の息が合っているのかどうかもわからない。すぐに息があがってきたフォートンの耳に、後ろから何十という水しぶきの音が迫ってきた。


「ひぃぃぃぃぃいいいいいいい~~……」

「よっし、マイクの奴、ちゃんとしてやがったらしいな」


 情けない悲鳴をあげたフォートンの横で、いとおしそうな目つきのディアスが前方を見据えた。

 その視線の先には今朝出てきたばかりのヘルメス号が浮かんでいた。いや、今やあの船は朝のような静かにたたずむ白鳥の風情を捨て、満々と風をはらむ帆を渾身の力で引き留めているさまはまさに引き絞った弓のよう。


「ディアっ! 」

「……先生っ! 」


 風に散らされながらもかろうじてこちらに届いた声はエクレナとアンディのものであったのか。今漕がなくては再び声どころか顔も見られぬことになりかねない。

 後ろから迫りつつある水音に追われながらも小舟を船に横付けした時には、フォートンの背は暑さよりも冷や汗でぐっしょりと濡れていた。


「ディアっ! ロープかけてっ! 」

「船長と呼ばんかっ! 」


 少女の声とともに降ってきたロープを舌うちと共に船長は受け取ると、この切迫した状況にも関わらず落ちついた手つきでそれを小舟の前後左右に取り付けた。

 疲れきったまま見るともなく船縁を見ていたフォートンは、もはや追手の漕ぎ手の一人一人の顔がわかるほど近づいてきていたのに気がついた。


「……船長」

「大丈夫だ」


 落ちつき払ったディアスの声にガラガラという音が重なった。舟が持ち上がったのを感じてすぐ、小舟が大きく揺れた。船は動いた、放たれた矢のように!

 座り込んでいたおかげでかろうじて小舟の外に転がり落ちずにすんだフォートンは、ものすごい勢いで追手が引き離される光景を呆然と見ていてた。


”……助かった……? ”


 まだ自分の状況に確信が持てないでいるフォートンをしり目に、ディアスは引き上げられていくロープの先を見上げている。そしてちょっと用足しでもしに行くかのようにフォートンに声をかけた。


「じゃ、先に行くぜ? 」


 耳元をつっきる風と釣られて揺れる小舟という足場をものともせず、ひょいっと飛び上がると両手をヘルメス号の船縁にかけ、そのまま巨大な体躯を力技で船内へとディアス自ら放り込んだ。

 荒い息のまま呆けた顔でその行方を見守っていたフォートンを乗せて、小舟はジリジリと上がっていった。そしてその原動力である、フォートン以上に疲れ切った少年少女の姿が見えたころには、やっと彼にも自分が助かったことを自覚できたのであった。


「……はぁ、命がいくつあっても足りないね」


              *


 おかしい。

 魔法使いの下僕どもを追って舟を駆りながら、分団長は首をひねった。

 目の前を彼奴等の船は帆をはち切れんばかりにして通り過ぎてゆく。それに引き換え我が方の帆船は風をとらえきれずにいた。それどころか強い向かい風に押し戻されるものまである。だがそのようなことはありえない! 風向きが敵と味方で真逆に吹くなど!


「……これが魔法使いの船ということか……」


 悔しさに身を震わせながら、手の合図で全員に帆を捨てる指示を出した。人数も一人一人の力もこちらの方が勝っている。しかも船の行く先は袋小路だ。全力で漕げば、まだこちらにも勝機はある。

 とうに相手の小舟は船縁に釣り下げられ、相手は船内に転げこんだ。それを追っていた先頭の舟が、今、彼奴等の船の船尾に取付こうとしている。


「逃がすなっ! 」


 じりじりと引き離そうとする帆船に向かい、最後の抵抗とばかりに小舟からかぎ付きの縄が飛んだ。飛びつく先は船尾の船縁、そこに今にもかかろうとした時だった。


 突然それが現れた。


 船の左右に突如広げられた三角帆、その長さは船を真横にしたよりもさらに長く、遠目にもその白い帆は白鳥の翼を思わせて。

 そして周りの空気が吸い寄せられるように風がその翼をめがけて吹き寄せ、追手はその凄まじさに皆、目を伏せて。

 その風で膨れ上がった帆はその力のまま、帆どころか船全体を宙に浮かばせて。


「……ひるむなっ! 追えっ! 」


 遅ればせながらの分団長の指示を守る者たち、その手に触れたのは宙の船体から滴る水滴のみ。それは時ならぬ小雨のように追手の体に降り注ぎ、照り返す陽光がかりそめの虹を浮かびあがらせる。


 その虹の中、白き帆船は飛び立っていった……青い空の彼方へと……。


「……指示を仰がねばならん……」


 喉の奥でうめくように分団長はつぶやいた。


「我らが軍団長……ガドルク様ならば奴らをのさばらせはすまい……断じて」




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