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5月3日のデート

「ヤバイ! ヤバイ、寝坊しちまった……」


俺は走って駅に着いた。しかし乗る予定だった時刻の列車は既に出発してしまっている

思わず舌打ちをしてしまう。走り去った列車に対してではなく、寝過ごした俺自身への腹立たしさからだ

全く、目覚ましまで使って昨日は十一時くらいに床に就いたはずなのにどうしてこうも寝過ごしてしまうのか?

一昨年のゴールデンウェークは連休中寝ていた、去年は確か新木とゲームセンターに行っていた気がする

腕時計を見ると約束の時間まで三十分くらいしかない、次の電車が来るのは十五分後だ

よりによって人生最初のデ…デートに、遅刻してしまうなんて人生の汚点になること間違いない


何回も後悔しながら俺は、ホームで地団駄を踏みそうになる気持ちをぐっと抑える

もとよりこれは俺の過失が原因なのだ駅のホームに八つ当たりしても仕方が無い

それに、昼前ということもあるのか、俺と同じような目的でここに来ている者も居るのだろう大勢の人間がホームに集っている

老若男女、親子連れにカップル…何でもござれのバーゲンセールだ

衆人監視の中で奇行に走ることが、どれほど恥をかくものなのかは、一般常識を叩き込まれて育ったものならば知っているはずだ

流石にそこまで恥知らずではないので俺はカバーで偽装した攻略本を読みつつ静かに電車が来るのを待った


「ん…?」


ふと気になって背後を振り返った。誰かに見られていた気がする

ゲームの攻略本なんて駅で読んでいる奴は普通じゃない。もしかしたら興味本位で俺に視線を向けた奴が居るのかもしれない

携帯を弄っていても良かったが、周りと全く同じ事をするのは嫌いだった

そもそも俺が読んでいるのはゴールデンウィーク直前に販売されたとある2Dスクロールアクションゲームの五年ぶりの新作なのだ

本来の予定なら三連休中家にこもって、3DSと寝食を共にしながらぶっ通しでプレイしたはずなのである

最近はネットで攻略情報のまとめが載せられる事も多くなってきた故に、なるべく早く本を売っておこうという出版社の思惑もあるのだろう

だから俺は、早くプレイできない分をネタバレに読み込んで己を紛らわしているのだ

無論、遊園地に着いたときは仕舞っておくつもりだ。流石に好きでもない人間にゲームの話をするのは不味い


(後八分か…長いな…)


俺は腕時計を見ながら溜息を吐く

次の電車が駅に来るのは、もう暫くかかりそうではある

駅にはだんだん人が集まっており、休日の慌しさを実感させられてしまう

遊園地もこれくらい混むのかと思ったら、少し心配になってしまう俺であった






列車に乗って次の駅を出た左手のすぐそばにあるバス停に走っていくと、あいつはそこに居た

一瞬誰だかわからなかったが、菜穂子は見違えるほど変わっていた。服装も少し古臭いがセレブなファッション雑誌で見るような感じだし

帽子も少しおしゃれなデザインで、表現に困るのだが…どことなくヨーロッパ風な匂いがして、品がある

自分は服にはあまり詳しくないのでいえないが、彼女が身に着けているものはそこそこ高そうで、金をかけているように見える


それに対して全く俺ときたら…いつもどおり一万もしないジャケットと、安っぽいプリントが印刷されている五百円Tシャツ

靴下は福袋に入っていた味気の無い縞模様の入った安物だし、ジーンズは三千円。ベルトはセールで売っていたのを千円で買い

スニーカーは三千円くらいしか金をかけていないというみすぼらしさだ…まるで田舎のチンピラだ

どう見ても菜穂子とは釣り合わない場違いな感じがする。たまにファッション雑誌を読む新木の野郎に色々聞いておけば良かったと後悔した


「済まん、遅れちまって…待ったか?」


俺は片手を顔の前に添えてごめんなさいのジェスチャーをするも、あいつは気にしていないかのように口元を緩めた


「ええ、私もさっき着たばかりですから。丁度良かったです」


言葉にはしなかったが、多分、嘘だと確信する。俺達が受験前に塾に通っていた時には

俺は遅刻ばかりしてよく講師から白い目で見られていたのに対して、菜穂子はそんな事が無かった

多分、気の優しい菜穂子は俺を気遣って嘘を言ってくれたのだと思う。自分のミスで気を遣わせてしまって申し訳ないと俺は反省した


「本当にゴメン。後で奢らせてくれ」


「いいんですか?」


「ああ、頼む。今年はお年玉無駄に貰っちゃって…あんま使ってないんだ

入園料といわず、昼食まで奢るからさ…石田が楽しめるように」


「判りました、今日はお言葉に甘えさせて頂きます。よろしくね…樫富君」


「ああ、よろしくな」


それでもそんな俺を許してくれた菜穂子は俺には勿体無いほど良い女だと思う

新木は昔彼女が居たが、俺なんかよりあいつの方が菜穂子に似合っていると考えてしまうほどには

こいつは良い意味で変わっていた。昔はもっと引っ込み思案だったのに…

対して俺は全く変わっていない。また人に迷惑をかけてしまった、自分は昔からこればかりだ


「そろそろバスが着ますよ。丁度良かったですね」


「ああ、今日は楽しくやろうな」


それは菜穂子だけではなく、俺自身に言った言葉でもあるかもしれない

どのくらい俺が馬鹿でも愚かでも、女の子一人を楽しませることくらいは出来るはずだ

菜穂子がプリンセスだとしたら、俺は今日限りの御付きのナイトだろう。自分でも鼻に付く表現なのであまり言いたくは無かったのだが

遊園地に行って、乗り物に乗り、食事をして楽しく会話する…たったこれくらいだ

こんな事ゲームの最高難易度ミッションより簡単なのかどうかはわからない。だが、やってみせるとも

新木の野郎に振り回されたとは言え、結局断らなかったのだ。今日一日くらい男気を見せてやる!







「お前さ、なんていうか…その…」


「何ですか? 樫富君」


バスの中で俺は、隣に座る菜穂子に話しかけようとしたが言葉に詰まってしまう

あまりにも彼女が小綺麗過ぎたからだ。色々とお世辞のコメントが思い浮かぶのだが

そのまま伝えると感情が乗ってしまわないような気がするので困っているのだ

話題の切り口に身嗜みの事を褒めようとは思うのだが、中々どうして台詞が出てこない

せめて、こいつが学生服を着ていたら話は変わっていたのかもしれない


「どうしたんですか? 何か気分でも悪いんですか?」


「え…あ、あ。その…だな…」


女の子ってのはこんなに良い匂いなんだなと、俺は実感した。体中がムズムズする様で…なんていうかヤバイ

菜穂子の控えめだが、うっすらと化粧された横顔を見ると中学とは違うんだなと言うことを思い知らされる

そう言えば、俺達は今年で高校三年生だった。来年から社会人なのだ、そして二年後は二十歳になる

俺は…ちゃんとした大人になれるのだろうか?それとも文也さんみたいに家に引きこもっているのだろうか?

それは解らない、解らないが社会に出て真面目に仕事に取り組んでいると言う自分自身の姿が全く想像出来ない

昔は夢や希望と言うものを持ち合わせていた。しかし今はどうだ?何も目標を持たずに生きている自分…

このままで良い筈は無い。だが、本当に何が正しいのか解らない

文也叔父さんは働かなくても、親の手伝いをしながら趣味を満喫している。もしかしたら俺もそんな風に出来るんじゃないかと思ってしまう


「なぁ、石田」


「はい、何でしょうか?」


「聞きたいことがあるんだが、いいか?」


「…ええ」


菜穂子が首を縦に振ったので俺は思い切って聞いた

今から聞くことが浮ついたデートの雰囲気に合わないであろうことを自覚しながら


「俺達、来年で社会人なんだよな? 俺はまだ自分がどうするか分かってないんだ

菜穂子って将来の夢、漫画家になりたいんだろ? 実際どうするつもりなんだ? 教えてくれよ」


「うーん。親からはよく進学か就職を勧められるんですけど、まだ漫画家の夢のことは話してないんです」


「へぇ…意外だな」


菜穂子が自分の夢の事をまだ彼女の両親に打ち明けていないのは意外だった

前向きに物を考えるようになった彼女なら、とっくに相談していてもおかしくないと思ったからだ


「結構、お父さんお母さんは女の子に地元に残ってくれるのを望んでいるみたいです

その方が私がお嫁さんになる時にお見合いさせやすいみたいですし、色々と融通が利くみたいです

なによりも、本格的に漫画家になろうとしたら出版社の本部がある東京に行かないといけませんから…」


「ふ、ふーん…大変なんだな」


お見合い。と言う単語を聞いて俺は居ても立っても居られなくなった

菜穂子が他の男の元にとついで行く。そのことを想像するとどうも落ち着かなかったからである

無論、それは俺の勝手な思い込みだ。彼女が誰と結婚しようが俺には関係ない…はず

そもそも、こうしてデートしたからといって、好意を向けられたからといって…恋愛は彼女の自由なのだ

それでも俺は一言言っておきたい事があった。男としての純粋な感想を


「石田…お前さ……」


「本当に大丈夫ですか、樫富君? 顔が真っ赤ですよ」


「いや、今日のお前…すごく大人っぽいと言うか、綺麗だなって思ったんだ

意外っつーかなんと言うか…ファッションのセンスもすごくいいし」


「え…これ、ですか?」


きょとんとした顔で菜穂子はスカートの端を持ち上げる。その仕草がひどく天然そのもので可愛らしい


「これ、お姉ちゃんから要らない服を送ってもらったんです。一度着たからもういらないって…」


「あ…そうなのか…」


今度は俺がびっくりする番だった。服は石田が選んだものじゃなかったのだと

彼女の姉の存在は聞いていたが、菜穂子自身があまり口にしたことが無かったのですっかり忘れていたのだ

それに送ってもらったとはどういうことなのか気になる

俺はそれを聞こうとしたが、バスが止まった。遊園地前に着いたのだ

前のドアが開き、人がどんどん降りていく。俺は早く着きすぎたことが意外だったので暫く放心していた


「ささ、行きますよ樫富君」


「お、おいちょっと待てよ!」


すっかり空っぽになったバスの前方から菜穂子が手を振って俺に呼びかける

俺もまた立ち上がり、彼女の後を追うようにしてバスから降りた







入場前からそれなりに人は並んでいたようだが、遊園地内に少し歩いてみると思った以上に中は閑散としていた

見覚えのある園内。左手付近には少し古いつくりのミラーハウス、右手にはこれまた時代を感じさせるつくりの小さいメリーゴーランド

そして中央には、日本ではバブル期くらいにしか建てられないであろう中世風の城を模造したレストランが鎮座し、存在感を放っていた

恐らくそこに予算をかけたのであろう。白い壁はよく見るとくすんで変色している感じがしたが遠目から見る分には問題ない

ファンタジーもののゲームや、教育テレビの特集なんかでよく見る意外は日本人からすれば馴染みは薄いかもしれない

かといって、石垣の上に瓦や金の鯱が乗った大阪城みたいな城が遊園地の真ん中にあってもシュールだろうが

恐らくオーナーの趣味が多分に入ったものには違いないだろうが、小さめだが西洋城が真ん中に建っているのは見栄えがする


「うわぁ…結構人が多いですね」


「そうか? ガキの頃来た時より少ないような気もするが」


「それはきっと、樫富君が小さい頃に訪れたからそう思うのかもしれませんよ?」


「いや、多分不景気もあるかもしれないな」


「そうかもしれませんね…」


この規模の遊園地にも客足があまり見えないのは、もしかしたら他にも娯楽施設が出来たからかもしれない

ユニバーサルスタジオやディズニーシー、娯楽施設に限らずとも京都や大阪城など色々挙げられる

家で過ごす人間も多いかもしれない。新木の提案さえ無ければ俺も家に篭りっきりになってただろうから

今日は雲は多く風もやや強いが、快晴であることには違いない

時計を見ると十一時二十分。俺は少し熟考した後に菜穂子に提案する


「もう十一時半だし、どこか食べに行かないか? 俺が奢るよ」


「ええっ…いいんですか? それに、まだお昼じゃないし…」


「昼過ぎて人が多くなる前に飯を済ませたほうが良いだろ? 少しお腹に入れる程度なら乗り物酔いもしないだろうし」


「あ、そうですね。じゃあお城のレストランで食べましょう!」


「じゃあ、行こうか」


俺たちは二人でレストランに向かった






「わぁ…綺麗な景色。描写の参考になりそうです」


「そ、そうか?」


「はい。ああっ…カメラもって来れば良かったなぁ」


地上からゆっくりとゴンドラが遠ざかっていく。下ばかり見ていると何故か浮遊感を覚えて落ち着かずには居られない

そもそも俺は高いところが苦手なのだ。下にはもう、レストラン城の全景が見渡せる位置になっている

菜穂子は子供のように目をきらきらさせて、この絶景に陶酔している様に見えた。昔の俺もそうだったのかもしれない

少なくとも親子三人で乗った時は俺も下の風景を覗き込むようにしていた覚えがある。しかし、今は違う

こうしているだけでも、床が抜けて自分が真っ逆さまに落ちてしまうような気がして怖いのだ

最近はあまり外に出て居なかった弊害なのかもしれない。猫もこの高さから落ちたら助かるのだろうかと、無意味な想像力が働いてしまう


「すごく、高いですね樫富君」


「そうか…俺は早く降りたい」


「やっぱり…気分が悪いんですか?」


「い、いや…大丈夫だ…。石田は気にしないでくれ……」


俺は再び下を見ずに山の向こうの光景を見るようにした。野鳥の群れが編隊を描くようにして飛んでいるのが見える

山を削り取って出来た台地にコンクリート色の発電施設が見えた。この遊園地に電力を送り込んでいるのかもしれない

空の向こうには雲が広がっている。何も遮るものが無い昼過ぎの春の柔らかな日差しが心地よい

なんだ、下を見なくても案外楽しめるじゃないか。それどころか鳥になったような気がして悪くない


「ふふ、結構楽しんでるんですね」


「そう見えるか?」


「ええ、とても」


目の前の菜穂子は口元に手を当てて上品に笑う。俺は眼前に居るこいつが本当に石田菜穂子なのかどうか解らなくなって来た

だからこそ、思わず聞いてしまう。こいつが本人なのかどうか確かめるために


「お前さ、何で漫画家になろうと思ったんだ?」


「うーん。漫画というよりか、昔は絵を描くのが好きだったのかな?」


俺と同じだ。そして確信するこいつは中学のときに俺に週刊少年誌を届けてくれた菜穂子であると

だが、不思議でならない。たった一度に受験中に漫画を見ただけで此処まで夢を目指せるものなのか?


「漫画って描くの大変だろ? それにアマチュアなんだからアシスタントも居ない

ネーム、シナリオ、設定、人物、背景、ポーズ、構図、色…全部自分で考えて自分で書かないといけないんだ。並大抵の努力じゃない

漫画家の例に例えれば、月刊誌はそうでもないけど週刊誌はまさに体力勝負だ

俺の知ってる漫画家なんか一週間に十時間ほどしか睡眠を取っていなかったって聞いたぞ。学生の身で大丈夫なのか?」


「はい、受験が終わった後から暫くお勉強して少しづつ描いてたんですが

やっぱり高校から勉強もしないと付いていけなくなって…友達との付き合いもあってあまり書かなくなってたんです

でも、一年生の今の時期くらいかな? 家で無意味にインターネットを使ってたんです。その頃も絵は見てましたから」


二年前。そうだ…あの事件が起きた直後で俺は自分の筆を折ってしまった頃は、菜穂子も描いていなかったのか

そう思うと不思議である。全く同じ頃に俺達は漫画を描かなくなっていたのだ

しかし石田は這い上がり、俺は這い蹲ったままだ。何がお互いに差をつけてしまったのか?


「凄く上手いイラストレーターさんのサイトで絵を見たんです。なんていうか、その―――

淡い色遣いで絵が凄く綺麗なのに…儚さを感じると言うか透明な印象を受ける絵でした。それだけですけど凄く惹かれるものを感じたんです

そこから私はまた漫画を描き始めたんです。勉強の合間に少しづつ、少しづつ…書き溜めて初めて作品を完成させたときの感動は忘れられません」


「そうか。それが俺と、お前との差か……」


いつの間にか洩れてしまった独り言に菜穂子が反応するのを見て、俺は慌てて取り繕う


「え…?」


「いや、何でもないんだ。気にしないでくれ、後でアイスクリームでも食べよう

その次はどこに行こうか? ミラーハウスもジェットコースターも捨てがたいな。さて…」


俺は誤魔化すように言った。やっぱり自分は駄目人間だなと思いつつ眩し過ぎる昼の空を仰ぐ

まだまだデートの時間は長い。だが、彼女をあまり楽しませられないだろうなと俺は予感する

心の中でもう一度菜穂子に謝罪する。こんな駄目な男に関わってしまった彼女に申し訳が立たなかった







「美味しいですね、此処のアイスクリーム」


「ああ、近くの牧場で取れた牛のミルクを使ってるらしいからな。やっぱり産地直送の新鮮なものに限るぜ」


俺達はレストランから離れたジェットコースターに乗った後、近くの屋台でアイスクリームを嘗めていた

野外でモノを食べるのは不衛生なイメージが付き纏うのであまり好きじゃない

しかし、誰かと食べるとなるとそうは言っていられなくなる。そしてレストランでも実感したことだが二人で会話を挟みながら食べると

何故か格段に美味しく感じてしまうのだ。家族で食卓を囲むとは違う特別な時間

そんな時間を菜穂子と過ごせるのなら、此処にまた来たいと思ってしまうのだ

俺の存在が彼女の足を引っ張ってしまうとしても、願望は勝手に湧き出てしまう


「アイスはチョコレートクッキーチップとか色々ありますけど。やっぱりバニラが一番ですね」


「俺は抹茶派だ。いかにも日本でしか食えないって言う特別感があるからな」


「もしかして…限定品とかに弱いタイプですか?」


「ああ…よく判ったな」


流石、将来漫画家を目指そうとするだけのことがある。そう、こいつに言われるまでも無く俺は限定品に弱いのだ

特にゲーム等は初回特典がついてくるというだけで、購入してしまう程度にはそうである

物によっては役に立つものもあるが、大概は要らないフィギュアやプロダクトコードばかりでそこまで必要なものではない

しかし、なぜか得した気持ちになってしまうのだ。メーカーの宣伝策略にやられているいい例である

俺みたいなカモが多いから、そういったもので釣るのが上手いメーカーはゲーム専用の

週間雑誌売り上げランキング上位に食い込むことができるその反面、中身が無いクソゲーであることも多い

そして良作に限って中身で勝負しよう事がある。当然だが、売れずにシリーズが打ち切られる

無駄なものを買うべきならば限られた資金で今日のために上等な服を買っておくべきだと後悔した

だが、彼女は気にしていないようなので一安心できる。菜穂子がもし見栄っ張りで外面だけの我侭女だとしたら

今日のデートそのものが成立してなかったかもしれない。そして、影のプロデューサーでもある新木にも感謝しなければならない

本当に、楽しい一日で終わりそうなのを誇りに思う。このまま何も無ければいいのだが…


「石田…聞いていいか?」


「何ですか? 樫富君」


「あのさ、今日は本当にありがとう」


「いきなりどうしたんですか?」


「あの…俺さ…お前のことがけっこう気になるかもしれない」


「え…」


俺は考えを改め始めていた。今日のデートを通して菜穂子の事がさらに良くわかった

彼女は本当にいい女だ。この俺には勿体無いと思えるほどに

そして、菜穂子は俺の絵が読みたいといっている。彼女の為に何かするのも悪くないのかもしれない

菜穂子がそうしたいというなら俺の過去なんて、安っぽいものだ。こいつは二年前から努力してきたのだ

途中で辛い事もあっただろう。俺に見せたあの漫画を描くために、勉強の時間が取れなかったり

友人との時間が取れなかったりしたかもしれない。あの元旦の日、菜穂子に再会したのはたぶん運命だったと思う

昔は気にならなかったのに、今は惹かれるというのは。彼女が良い方向に変わっていったというのもあるかもしれない

そして、俺も変われるのかもしれないと思った。人の闇の方向ばかり見て腐ってきたこの俺も


「だから…お前の為に漫画を描きたいと思う。だから待っていてくれないか?」


本当ならば、今彼女に想いを打ち明けたかった。好きになってしまったのだと、魅かれたのだと伝えたかった

しかし、それは出来ない。まずは自分の過去に決着をつけた後だ

それが出来なければ俺は過去を克服するなんて出来ないと、知っているから全部スッキリさせてから告白しようと考えたのだ


「はい。私はいつだって待ちます。それが一年でも、五年でも…十年でも――――」


「…ありがとう」


夕日をバックにして笑う菜穂子の表情は他の誰よりも輝いていてとても綺麗で…女神のようだった

俺はもう、自分はこれを見る為に生まれてきたのだと実感する。何を迷っていたのだろう

人を好きになるというものはこんなにも素晴らしい気持ちに慣れるものなのか?

いいだろう。俺は心から家族以外の人間の為に、何か自分に出来ることを成し遂げようと思った


(そうだな…帰ったら久しぶりに絵を描こう。リハビリには悪くないはずだ)


今日彼女の最高の笑顔を見れたことが、俺にとって最大の贈り物だった

菜穂子の為なら自分は何でもしてやると、心の中に固く…真っ赤に燃える夕日の空へと誓ったのだった

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