1月1日の再会
冬の寒い時期、真冬の季節一月。その第一日である元旦
俺、樫富早岳は宿題以外する事も特に見当たらなかったので古本屋に行った。親は親戚の家に挨拶に行っている
親戚の父兄方の連中は男兄弟二人が生意気で嫌いだったし、俺も親戚の餓鬼の相手が嫌いだった
もう一人の母方の弟家族も姉妹二人で年は俺より離れていたので話は合わない
だからこうして近年の正月は中古屋で暇を潰す事が多くなってきたのだ
最初の内は家を抜け出す言い訳も幾つか考えていた。曰く友人の引越しを手伝う、彼女と初詣に行く等と
当然の事ながら、俺の安易な嘘は親に見破られていた。しかしながら高校に入ってから何も言われなくなった
色々な前科から手のかかる子供だと思われ放置されたのか、あるい反抗真っ盛りの思春期の年頃だったためにそういうものであると割り切られたのかどうかは判らない
ただ、正月の恒例行事に出席しないと言う事実は変わらず。俺はこうして本屋で漫画を読んでいる
今手に取っているのは週刊誌の非常に面白いバトル漫画なのだが、作者が年に何回も休載する為にあまり続きが読めないタイトルだった
それでもこうやって売れた単行本が中古屋に回ってくるのだからあまり文句は言えない
学生は金が無いのだ。社会人と違って使える時間は限られている、ひたすらに時間は余る
独身の社会人は金が有るが、暇が無いのだと先輩から聞いた。社会人になったら一巻から買い揃えてみたい
金があれば、だが
俺はそれを羨ましい事だと思っている。欲しい物は無駄に多かったし、時間は無駄に余っていた
学校生活はどちらとも言えなかった。楽しい事もあったし、嫌な事も多い…いや、やはり退屈な場所ではある
そんな俺も来年度は高校三年生だ。後一年で社会人になるのである
恐らく、就活で忙しくなるのだろう。大学でダラダラ過ごす気は無かったし親の都合上そうならない事は明白であった
俺は漫画のページをめくる。正月のあまり混まない中古本屋は快適で過ごしやすい場所だった
学生にとって無料で暇が潰せると言うのはそれだけで大きいのだ
暇つぶしの環境でいうならインターネットし放題でドリンク無料が付いているネカフェに軍配が上がるが
いかんせんお金がかかるのである
家を持たないワープアの借り宿に使われるために全国的に普及し始めたのと、自由経済の宿命のお陰か利用金額は一時期に比べずいぶんとお求め安くなってはいる
しかし、金を使ってしまうというのがネックだった。タダか、安いか…その溝は近いようで埋められない
俺が更に次のページを読み進めると大きい噴出しの中に台詞がぎっしりと詰まっているコマが幾つか見える
正直に言うと、文字を読むのは苦手だった。国語の成績も「三」以上を取った事が無い
一旦本を閉じて別の漫画を読もうかと思案した時だった、背後から肩を叩かれたのは
「よっ樫富! あけおめ」
「ああ、英昭か…あけおめ」
背後に暖房着の厚木で固めた完全防備の長身眼鏡は新木英昭という
スポーツ万能で成績優秀。人格面にも問題は無くクラスで男女共に人気がある俺の親友だった
こいつがここに今居る事が意外だった。英昭なら親と過ごさなくても、俺と違って友人が多い
そいつらと一緒に初詣にでも足を運んでいるだろうと思ったからだ
「お前、何でここにいるんだよ?」
「いや、だってさぁ。親と居たくないっていうか…暇だし」
「だからって此処かよ…」
「いいじゃん、だってタダだし。おっ! その漫画新刊出てたのか?結局作者が続き書いてないと思ったぜ」
「バーカ。こいつをそこらの女向け漫画と一緒にすんな!」
「そうか…じゃあ読むぜ。しかしあの雑誌もずいぶんと趣向変わっちまったな
なんか泥臭い絵が減ったつーか、綺麗なんだけど無駄に線の細い絵が増えたって言うか…
後、キャラの目がやたら大きくなったり…変な女キャラ増えたり」
「最近は不景気なんだよ。手広く商売するのが出版業界の中でも流行らしい
購買意欲は非常に高いが、モラルはゴミ以下の連中からも金を絞り取らないといけないのさ」
「ふーん、大変だな。俺はよく知らないけど、そうなのかねぇ…早岳はいろいろ知っているな」
意外そうな顔で英明が相槌を打ってみせる。こいつは適当な返事で聞き流す事はない
いまどき珍しい人の話をちゃんと聞くタイプだった。それが羨ましくもあり、鬱陶しくもあるのだが
「まぁね。深いネットの波を潜っちまうと、知らなくていい所まで見てしまうのさ」
新木は俺の隣でさっき本棚に戻したばかりの本を取り出して読み始めた
はっきり言ってこいつが隣に立つと、身長のせいもあるのだが存在感を持っていかれる気がする…多分
それが俺と新木の違いなのだろう。カリスマ性の有無、人に好かれるかどうかの分岐点
そう、俺にもこいつほどの魅力とリーダーシップがあれば俺の人生も変わったのかもしれない
いまさら昔のことを考えて「もし」もの未来を思っても何も無い事は知っている
しかし、出来る事なら何かを取り戻せるものなら取り戻したいと考えるのが人間と言うものなのだろう
俺は女向けの様な絵柄でやたら男キャラが多く、登場人物線の細いスポーツ漫画の絵を見ながらそう思った
あまり好きではない画風だったが、線字体は綺麗だ。内容は面白くは感じないが
このクオリティの漫画を週刊で書いている事が素晴らしい。俺もかつては漫画家になりたかった
その道を捨てたのはある事件が起きてからだ。あの時から俺の時間はある意味で止まっているのかもしれない
「おい、樫富。聞いたか?」
「ん? 何なんだ」
「石田菜穂子って覚えてるよな?」
「……ああ」
覚えている。そいつの事は…かつて俺の幼馴染であり、女の癖に少年漫画を描きたいと申し出た変り種のやつだった
「石田って子、漫画家目指す為に応募したんだって」
「へぇ…ってオイ! マジなのか? 菜穂子が?」
石田菜穂子。時代遅れの牛乳瓶の底のような分厚い大眼鏡をかけた
物静かで読書と漫画を読むのが好きだった。今時ダサいお下げの元幼馴染の顔がよみがえる
幼馴染と言ってもある時期までは、殆ど口も聞いた事もない仲なので、知り合いと言ったほうが関係的に適切かもしれない
あいつは昔、虐められていた。俺は気まぐれで一度だけだがあいつを救った事がある
と言っても、アレは俺の自己満足でやったに過ぎない。当の菜穂子も迷惑に思っていた可能性が高い
そして、俺はあいつに絵を教えていた。だが、自分はなぜか人間よりも風景画を描くのが好きだった
「そうか…高校卒業後にで漫画家になったやつも居るには居るからな。俺とは大違いだ」
「お前、石田と知り合いだったのか?」
新木は目を細くして、俺を見た。視線を逃れるようにしてこいつの顔が見えないように顔を漫画の絵に固定しつつ言う
「ああ…受験の時に塾が同じだったんでな。結局志望校が違うから、そっから会ってねーけど」
「いや…俺、あいつと女友達の繋がりで遊んだ時に会った事あるんだけど、お前の事も話してたぞ」
「え…俺の事?」
「ああ、何でも絵が上手くなったから見せたいんだと」
「……」
俺は盛大にため息を吐きそうになる。もうあいつと会わなくなって二年、それでも菜穂子の奴は自分の事を気にしているのだ
二年と言う月日は大きい。それだけ会っておらず連絡も取れなくなっていたとしたら忘れられている可能性が大きい
それにも拘らず、あいつは俺の事を覚えていた。そして絵を見せたいのだと言う
いろいろな事に疲れ果て、今は全く絵は愚か趣味すらも持たない俺に絵を見せる…
「…悪い。俺、用事思い出したから帰るわ」
「おい、樫富 話はまだ終わっていない!」
「じゃあな。爺さんになるまで餅を詰まらせて死ぬんじゃねーぞ!」
「……樫富」
新木の言葉も聞かず、俺は店内で鳴り続けている流行らしいアイドルグループの歌を置き去りにして出て行った
その場に居る事自体、今の俺は耐えられずに居たのだ
公園近くのコンビニで週刊誌を読んで暇を潰す。別に正月に限った話ではない
こうやって暇を潰す事は、俺にとって無駄にある時間を浪費するための常套手段だった
石田菜穂子。あいつがまだ夢を追っていたなんて、信じられなかった
内気の代名詞であり、内心で俺はあいつの事を下に見ていた。気まぐれに絵の描き方を教えたのは本の遊び心だ
俺は高校受験の前、塾には通っていたが寝ていたり漫画ばかり読んで過ごしていたのは確かである
その生活に疑問を持った事はあまり無い。中学までの俺は成績はそこそこ良かったし落ちるとは思っていなかった
しかし、机の中に漫画雑誌を置き忘れた事がある
翌日塾の机に無かったので、多分誰かが借りパクしていったのだと思った。物を盗む人間は中学にも多かった
俺は大して困りはしなかった。漫画雑誌なんてページと分厚さの割には単行本より安くてお買い得だ
どうせ家に置いていた所で邪魔になる。適当に読み散らかした後で捨てるのが毎回の事である
たいした損失ではない…割り切って俺はつまらない授業を受けて終わったその後の事だ
『樫富君…これ無断で借りて御免なさい。とても、面白かったから』
意外な事に石田が俺に雑誌を手渡してきたのだ。分厚い眼鏡の奥に戸惑いを宿しながら
その頃の俺は今より女子達とフランクに会話していたような気がする、昔の事を持ち出したところで負け惜しみ以外にあり得ないのだが
別に石田を怒るつもりはないし、雑誌にも興味は失せていたので割とフレンドリーな対応をしたようだ
男ならぶん殴って…そもそも返しにくるケース自体がほぼ無いのだが、当時の俺はぶっきらぼうにこう言った
『別にいいよ。引き取ってくれ、処分すんの面倒くせーし』
その時の石田の顔を覚えている、あいつはまるで幼い頃に貰った宝物のぬいぐるみのようにそれを抱きしめたのだ
『いいんですか、これ貰っても?』
平気で男言葉を使う女子達と違って、物静かな石田の態度が好感を得たのか
それともまたまた俺の気まぐれからそういう言葉が飛び出したのか判らないが気付いたときには尋ねていた
『お前、漫画は好きなのか?』
『あ…あまり読んだ事はないですけど。今まで勉強ばかりで…』
『そうか。単行本もよかったら貸そうか? 従兄弟の叔父さんから貰ったのも含めて三百冊くらいしかないけど』
『ひゃ…三百冊……ですか?』
『ん…普通それくらいは持っていないか』
石田は巣頓狂な声を上げ本気で驚いているようだった。こいつは漫画をあまり読んだことがないのだろう
俺はそう推測する。とにかく、漫画は面白いものだ
少年漫画を知らずに人生を送るなんてもったいなさ過ぎる。俺は決心する
『明日は幾つか選りすぐりのやつ持って着てやるよ。今は受験中だが』
『本当ですか? なら…お願いします!』
馬鹿正直にお辞儀までした、石田の姿勢に俺は好感を持たざるをえない
女子にここまでへりくだれられると、悪い気はしない。なんだか出来の良い妹が出来たみたいで悪くない
俺は一人っ子だった。兄に近い存在は居るには居たが…
正直、その時の石田菜穂子の笑顔を俺は忘れる事が出来ない。正直に言うと時代遅れに過ぎる眼鏡は取って欲しかったのだが…
コンビニでも、例のごり押しアイドルグループの曲が流れ始めて絶えられなくなったために外に出る
メディアが売りつけたい商品をこちらに押し付けられても困る。それを公共の電波でやられるのだからテレビを見る事は少なくなった
冬の夕暮れは早く、五時を過ぎて少ししか立っていないのに空は闇に覆われている
親ももう家に帰っている頃なので、大丈夫だろうとは思っている
自室に引き篭もってもよかったのだが、一月の元旦くらいは外に出て居たかったのだ
明日は部屋でゲームをしながらダラダラするつもりだった。新しいタイトルではない
つい最近廉価版が販売されたアーケード移植PS3ゲームの3Dロボットアクション物である
画質が綺麗でグラフィックは思わず見ほれる程なのだが、うちのオンボロテレビではその性能をフルに発揮する事は出来ない
まぁ、フルにグラを堪能できるテレビなんて万冊十枚位無いと手が出せないのだが
俺は家電オタクではないのでとりあえずプレイできればそれでいいといった風に割り切っている
自転車をこいだ、腹が減っているのが判る。帰っても雑煮と申し訳程度の漬物しか用意されていないのはわかってはいるが
何も食え無いよりはマシだ。餓死で死体にハエがたかり数日間放置されない程度に我が祖国・日本は平和である
そして、公園を通り過ぎないようとした時に俺はふと自転車を止めた
公園で遊んだなんて小学校までだ。懐かしい気持ちになって適当な場所にチャリを止める
久しぶりにブランコを揺らし、風を感じるのもいいかもしれないと思って中に入る
だが、そこには先客が居た。紅いマフラーをして眼鏡をかけた女だった
背は多少伸び、髪形もお下げではなく肩まで切り揃えたストレート、眼鏡も細いフレームのものになっていたがそいつが誰だか分かった
「お前…もしかして…?」
思わず出した声にあいつも反応したようだった。ブランコから立ち上がり驚いたように口を開けている
「石田…」
「まさか、樫富君…」
同時に俺達はお互いに覚えていた互いの名前を無意識の内に呟いている
衝撃の再会。元旦の日にこんな出来事があるなんて俺は想像すらしていなかった
全く、運命ってやつは分からない。二度と会わないと思っていた石田菜穂子に再会してしまったのだから