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第8話 外から

夏の半ば。カタリーナ宛に、帝国から手紙が届いた。


父の字。


「帝国外務省の定期人事報告により、同居人の姓が『ヴェルナー』に変更されたことを知った。説明を求める。ヴェルナーの姓は当家の家名である。家名の使用は当主の許可を要する」


カタリーナは手紙を読み終え、テーブルに置いた。予想していたことだった。


「返事を書く。今夜。事実を全部」


マリアは隣の椅子に座っていた。帝国語は読めない。でも、カタリーナのペンが紙の上を走る音を聞いていた。


カタリーナは帝国語で書いた。


「マリアは、私にとって最も大切な人間です。帝国語にはこの関係を正確に表す言葉がありません。ヴェルナーの姓を与えたのは、この人を自分の家族として扱いたかったからです。家法への抵触については、父上の裁定に従います」


封をした。帝国式の封蝋ではなく、本家国の市販の蝋を使った。





同じ頃。


国立記録保管庫の休憩室。


ルーカス・ハルトマン——元写本師、現在は記録保管庫の嘱託職員——は昼食をとっていた。


見覚えのある顔がいた。修道服を着ていない。頭巾もない。茶色の髪が肩にかかっている。


テレーゼ——いや、マリアだ。


ルーカスは神権国から逃げてきた人間だ。「知ってしまったこと」が人生を変える経験をしている。だから、知る必要のないことを知ろうとしない。


「いい名前ですね」


「ありがとうございます」


二人は昼食を食べた。神権国から来た二人の人間が、パンをかじっている。一人は古聖語を読めてしまった元写本師。もう一人は修道服を脱いだ元修道女。


「普通の仕事というものが——まだ時々、不思議です」


「分かります。修道服を着ていないことが——普通であること。誰にも咎められないこと」


不思議を共有する沈黙だった。





同じ頃。


外務局条約管理課に、神権国からの照会が届いた。


「還俗した元修道女が古聖語文書に引き続きアクセスしていることへの懸念」——を、事務的な質問三つに包んだ照会。


条約管理課主任オットー・ハルトは回答書を起草した。


「同人の業務は文書の外見記録であり、内容読解には関与していません。追伸:本家国が独自に雇用する職員の人事に関する照会権は、同協定の範囲外と解されます」


オットーはそれを意図的に書いた。「これ以上の照会権はない」と、礼儀正しく告げた。





二十二日後。帝国からの返事が届いた。


父の字。


カタリーナは居間で開いた。マリアは隣にいた。


「お前が手紙に書いた『最も大切な人間』という表現は、帝国語としては不完全だ。だが、その不完全さの中に——お前がどれほど言葉を探したかは、伝わった」


カタリーナの目が、先を追った。


「帝国の記録上は、マリア・ヴェルナーの存在を認知しない。帝国の家系図にその名前は載らない。しかし、本家国の記録にある限り——私はそれを消そうとはしない」


「馬鹿げた行為だ。だが——勇気のある行為でもある」


カタリーナは手紙を置いた。手が震えていた。


「黙認。家法には反する。でも——消さない、と」


「父が——初めて——私を見た。三女で、翻訳官で、役割がなかった私を」


マリアはカタリーナを抱きしめた。カタリーナはマリアの肩に顔を埋めて泣いた。


「マリア。ヴェルナー姓——使っていい。父が——消さないって」


「帝国語が読めるようになったら——お父様に手紙を書きます」


「父は驚くだろうね。神権国の元修道女から帝国語の手紙が来たら」


「驚かせましょう」





外務局の記録室。


書記官が年度末のファイル整理をしていた。


一つのファイルを手に取った。


カタリーナ・フォン・ヴェルナー。マリア・ヴェルナー。同居人。


棚に戻した。


隣のファイルには、ルーカス・ハルトマンの記録がある。その隣には、レーナ・シュミットの記録がある。


神権国から来た三人の人間の記録。写本師。巫女。修道女。


それぞれの理由で、本家国にいる。それぞれの理由を、本家国は問わなかった。


棚にはさらに別のファイルがある。アルデンハイム王国から来た公爵令嬢。共和国から来た農業労働者の娘。本家国に来た人間の記録。本家国が判断しなかった記録。


ファイルは増え続けている。


いつか誰かが、これらのファイルを横断的に読むかもしれない。読んだら——この国に、どれだけの人間が、どれだけの理由で、流れ着いてきたか。そして本家国が、そのすべてに対して同じ態度をとり続けたことが——分かるかもしれない。


判断しない。記録する。棚に戻す。次のファイルに移る。


それが、本家国のやり方だ。


それだけのことが——ファイルの中の一人一人にとっては——世界のどこにもなかったものだ。

二人の物語はまだまだ続きますが、投稿としては一旦ここまでです。

この作品自体がエリザベータ王女のスピンオフですので、

本編に出るかもしれませんし、出ないかもしれません。


ちなみに私はハッピーエンド原理主義者なので、不幸にはしません。


もう一度本編の宣伝

「判断しない」女王エリザベータ 〜前例がないので規定を作ります。様式第1204号、発動〜

https://ncode.syosetu.com/n1932ls/


ここまでお読みいただきありがとうございました。

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