第7話 四つに
マリアは市場に慣れていなかった。
修道院では、買い物は調達係の仕事だった。何を食べるかを自分で選ぶことがない。
マリアになって一週間が経った朝。
「今日、私が市場に行っていい?」
銀貨を三枚持って、階段を降りた。
蕪はどこで買う。パンはどこで買う。値段はどう確認する。カタリーナはいつもこれを一人でやっていたのだ。
一番近い露店で蕪を買った。次の露店でパンを買った。お釣りが計算できた。二十五年間、お金を扱ったことがなかった手で。
貸間に戻った。
「買えました。蕪と玉葱とパン。お釣りが一枚」
マリアは紙袋から蕪を取り出していた。三つの蕪を並べて、一番大きいのを手に取って、少し嬉しそうに眺めていた。
「これが一番よさそうです」
カタリーナは何も言わなかった。蕪を選んで嬉しそうにしている人を見て、胸が痛んだ。二十五年間、蕪の大きさを自分で選ぶことすらできなかった人間が、今、三つの中から一番いいのを選んでいる。
*
ある日、カタリーナが仕事帰りに荷物を抱えて帰ってきた。
「鏡」
貸間には鏡がなかった。修道院にも鏡はなかった。虚栄は罪だから。
カタリーナは鏡を居間の壁に掛けた。
マリアが鏡の前に立った。動かなかった。
鏡の中に、一人の女性がいた。茶色の髪。本家国の平服。
「……これが、私ですか」
「そう。それがマリア」
「……修道女に見えない」
「修道女じゃないから」
「髪が——こんな色だったんですね。修道院では、自分の髪の色を忘れていました」
カタリーナの手がマリアの肩に触れた。鏡の中で、二人が並んでいた。
「……ありがとう。鏡を買ってくれて」
「たかが鏡だよ」
「たかが鏡じゃないです。二十五年間、自分を見なかった人間に——自分を見せてくれた」
*
ある夜。寝台の中で、カタリーナがマリアの名前を呼んだ。
「マリア」
「はい」
「もう一回。マリア」
「はい」
「反応が遅い」
「……まだ慣れなくて」
「練習しよう。マリア」
「はい」
「マリア」
「はい」
「マリア」
「はい」
「……マリア」
最後の一回だけ、声が変わった。呼んでいるのではなく、確認しているような声だった。
「います。ここにいます」
*
梅雨のような季節が来た。カタリーナは傘を二本買ってきた。
「私——傘を使ったことがないです。修道院では、雨でも頭巾があったから」
「祈りで乾くと言われていました」
「祈りで乾くわけないでしょう」
「ないですね。いつも風邪を引いていました」
雨の日、二人で出かけた。マリアの傘の差し方は不慣れだった。
「寄って。二人で入れるから」
一つの傘の下で、肩が触れた。
「こういうの——何て言うんですか。二人で一つの傘に入るの」
「……どの言語にもないかもしれない」
「でも、やってます」
「やってるね」
「言葉がないことを——やっている。この国では——それが普通なんですか」
「普通かどうかは分からない。でも——禁止されてはいない」
「禁止する様式がない」
「ない」
二人は笑った。雨の中で。一つの傘の下で。
*
夕食。マリアが蕪を切っている。四つに。
「引っ越す?」
「……引っ越す?」
「もう少し広い貸間に。台所が広いところ」
「……引っ越したら。寝室が——二つある必要はないですよね」
「……ないね」
「一つでいいです。居間と、台所と、寝室が一つ。それだけあれば」
「それだけあれば、十分」
マリアは蕪の残りを切った。四つになった。
「カタリーナの好きなもの、作りたい」
カタリーナは玉葱を刻みながら、泣いていた。
「マリア」
「はい」
「好きだよ」
マリアの手が止まった。
「……私もです。好きです」
二人は料理を続けた。台所は狭くて、肩が触れて、玉葱で涙が出て、鍋からスープの匂いがした。




