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第4話 距離と手紙

あの夜から、何かが変わった。


変わったのは事実ではない。二人は同じ貸間に住み、同じ台所で料理を作り、同じテーブルで食事をしている。


変わったのは、距離の意味だった。


台所は狭い。カタリーナが鍋に手を伸ばすとき、テレーゼの腕がすぐ隣にある。指先が触れる。ほんの一瞬。以前なら気づかなかった。今は、触れた箇所が熱い。


テレーゼの指は冷たかった。修道院の石壁の中で過ごした年月が、指先に残っている。その冷たさが、カタリーナの腕の内側を一瞬で走った。


カタリーナは手を引いた。テレーゼも手を引いた。


「すみません」


「いいえ」


二人とも、鍋から目を逸らさなかった。





夜。壁一枚を隔てて、寝台が二つある。


カタリーナは壁を見つめた。壁の向こう側に、テレーゼがいる。テレーゼが寝台の上で身じろぎする音が聞こえる。毛布が擦れる小さな音。


カタリーナは目を閉じた。眠れなかった。壁の向こうの人間の体温を、想像してしまう。


テレーゼは壁の向こうで、祈ろうとしていた。声を出すと、カタリーナに聞こえる。聞かれているときに自分の声が変わることが怖くて、今夜は声を出さなかった。


唇だけが動いた。祈りの途中で、唇が止まった。古聖語の音節の代わりに、カタリーナの名前が浮かんだ。





カタリーナは月に一度、帝国の家族に手紙を書く。帝国語で書き、帝国式の封蝋で封をする。


十一月の手紙。


「住居は首都中央区の貸間です。同居人が一名おりますが、業務上の支障はありません」


ペンが止まった。


テレーゼのことを、「同居人が一名」で処理している。


帝国の父に、何と書けばいいのか。帝国語には、この先の文章を書くための語彙がなかった。


名前がないものは、書けない。


手紙を最後まで書いた。テレーゼのことは、「同居人が一名」のまま、封蝋の向こう側に閉じ込められた。





テレーゼも月に一度、報告書を聖都の修道院に送る。


「生活状況:外務局手配の貸間にて問題なく生活しております」


嘘ではない。本家国の規定上、何も問題はない。修道院の規律に照らせば——問題だらけだった。


行政語には「罪の告白」の語彙がない。行政語は事実を記述する言語であって、魂の状態を報告する言語ではない。


テレーゼは備考欄に何も書かなかった。封をして、駅伝に出した。





ある夕方。


カタリーナが帰宅すると、テレーゼが居間のテーブルで泣いていた。声は出していなかった。テーブルの上に、手紙が開かれていた。


「修道院から……返信が来たんです。任期の延長を打診したら、許可が出ました」


「それは……良いことでは」


「理由を聞かれました。『業務の継続性を確保するため』と答えました」


テレーゼは目を伏せた。


「嘘です。業務は一年で十分終わります。延長したいのは——ここにいたいからです」


カタリーナは黙った。


「修道院に嘘をついたのは、初めてです」


テレーゼの声が震えた。


カタリーナはテーブルの上に手を置いた。テレーゼの手のすぐ近く。


「私も、帝国に嘘をついている。手紙に、『同居人が一名』としか書いていない。省略と嘘の境界がどこにあるのか、もう分からない」


テレーゼの指がカタリーナの手に触れた。冷たかった。泣いた後の、冷たい指だった。


カタリーナはテレーゼの手を握った。


「テレーゼ。嘘でもいい。帝国への手紙が省略でも、修道院への報告書が嘘でも——ここにいてほしい」


テレーゼの指が、カタリーナの手の中で力を込めた。離さない、という意志が、指先にあった。


「います。ここに、います」





冬が深まった。暖炉の前で過ごす夜が増えた。


テレーゼがカタリーナの肩にもたれかかるようになった。


ある晩、テレーゼが目を閉じたまま言った。


「心臓の音、聞こえます」


「……聞こえるの」


「速いですね」


「……寒いから」


「嘘ですね」


「……嘘です」


テレーゼが笑った。カタリーナの肩に額を押しつけるようにして、小さく笑った。

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