【9話】進展
ミモザは子猫を抱えたまま、境内に降り立った。
「もう日も暮れてきてるし、ショウは家にいるかねぇ」
社務所、兼、住居のほうへと目を向ければ、窓から明かりが漏れている。
ミモザは家の呼び鈴を探し、見当たらなかったので戸を叩いた。
ガシャガシャと走ってくる音がして、勢いよく戸が開かれる。
「ショウくんっ!?」
飛び出してきたのは、サソリ娘だ。
昨夜、ショウが保護した個体。確か、コーラルからの報告だと、サフィという名前だったか。
何故か頬を涙で濡らして、不安そうな顔をしている。
「ど、どうしたんだい、アンタ!」
只事では無い雰囲気に、ミモザは驚きながら聞く。
「あ、あの⋯⋯。ショウくんが、いなくなっちゃって⋯⋯。畑に行く途中の道に、クワが落ちてて⋯⋯っ!」
ボロボロと涙を溢しながら、サフィが言う。
「きっと、魔獣に連れていかれてしまったの⋯⋯。私のせいで、私がここに逃げ込んだせいで⋯⋯!」
「いやいや、ちょっと、落ち着きなって! この神社の近辺にゃ、危険な魔獣は近寄れないんだよ! アンタを追っかけてきた魔獣のせいなんて、そんなことがあるものかい!」
ミモザの言葉に、子猫もニャーと鳴き声を添える。
しかし、魔獣の仕業ではないのだとしても、ショウが消えたのは事実のようだ。
意図的な失踪か、それともトラブルか。誘拐の可能性も考慮しておかなければならない。
「ショウがいなくなってることに気づいたのは、いつの話だい?」
「お昼ごはんを食べた後までは、一緒だったの⋯⋯。コーラルさんを見送った後に、探してもどこにも見当たらなくて⋯⋯。畑に行ったら、途中にクワだけ⋯⋯」
「神社の中は探したんだね?」
「はい⋯⋯。鍵が掛かってない場所は全部⋯⋯。でも、家にも倉庫にも、どこにもいなくて⋯⋯」
サフィがまるで子供のようにしゃくりあげる。
身寄りのない彼女にとっては、ショックも大きかったことだろう。
「魔王軍の連中に森を探させてみるよ。住民が失踪するなんて、見過ごせる事件じゃないからね」
「はい⋯⋯。よろしくお願いします⋯⋯。どうか、どうか、ショウくんを⋯⋯!」
「大丈夫。必ず見つけるよ」
ミモザは力強く頷いた。サフィは涙を拭って、頷きを返す。
ミモザは腕の中の子猫を、サフィへと託した。
「この子と一緒に待っておいで。アタシは基地に行って、部下を連れてくるからさ」
「わかりました⋯⋯」
子猫はおとなしくサフィの腕の中に収まり、小さな鳴き声を上げる。
ミモザは空へ飛び上がり、大急ぎで基地へ向かった。
夕暮れの中に消えていくミモザの姿を見送って、サフィは家の中へと入る。
何の音もしないキッチンで、サフィは暗く俯いた。
「⋯⋯ショウくん。どこへ、行ってしまったの⋯⋯?」
家出をしたとは思えない。彼はこの神社ごと引っ越すような性格だ。
魔獣のせいでは無いと言われた。だとしたら、道端のクワは何?
事件性が高いのは確かだ。けれどサフィには、森へ探しに行く勇気は無い。
魔獣にまた襲われてしまうのが恐くて、どうしても遠くへは行けなかった。
腕に抱いていた子猫が、厨房の作業台へと飛び乗る。
昼間にここでおにぎりを作っていた時は、ショウの幸せを考えていた。
無邪気に笑ってくれる彼の、笑顔を尊いと感じていた。
自分と一緒にいることで、それが翳ることを恐れた。
意気地無しの、臆病者だ。自虐が何度も胸を刺す。
ショウがいなくなったのは、自分のせいだと泣いていながら、罪滅ぼしのために動くことも無い。
「⋯⋯こんなの、ダメよ。私、このままじゃ、きっと⋯⋯、ショウくんの前で、もう笑えない⋯⋯」
彼は、自分の笑顔が好きだと言っていた。
けどここで、泣いてるばかりだったら、何もしなかった罪悪感で、自分は一生、悩み続ける。
そうなってしまったら、ショウはきっと悲しむだろう。
サフィが愛おしいと思った、あの微笑みも、消えてしまう。
「勇気⋯⋯、出さなきゃ⋯⋯。ショウくんのために、なにか、しなきゃ⋯⋯。でも、私、何を、すれば⋯⋯」
「ニー」
子猫がぴょん、と作業台から飛び降りる。
反射的に動きを追えば、後片付けを忘れられた空のお鍋が目に入った。
「⋯⋯ごはん」
サフィは、呟く。
捜索はミモザが請け負ってくれた。だったら、自分がやるべきは、ショウが帰ってきた時に、意味のある行動のほうがいい。
サフィは手の甲で涙を拭って、空の鍋へと手を伸ばした。
「この鍋は、綺麗に洗って⋯⋯。ボウルに、お米⋯⋯」
昼にショウがやっていたことを思い出しながら、見様見真似で米を研ぐ。
「火は、えっと、とりあえず薪⋯⋯」
サフィは煮炊きをするための石の台に薪を置く。
けれど、この後はどうしよう? ショウは精霊術を使って、火をつけていた。だけど、サフィには魔法の才能が無い。
「⋯⋯せ、精霊様。力を貸してもらえませんか⋯⋯?」
ダメもとで、虚空に呼び掛ける。
いいよ、と答えるかのように、チカチカと薪の辺りが光った。
ボッ、と勢いよく炎が上がり、サフィは思わず悲鳴を上げる。
「きゃあっ!」
メラメラと燃え始めた薪を、サフィは驚いた顔で見つめた。
「て、手伝って、もらえるんだ⋯⋯。私なんかの料理なのに⋯⋯? もしかして、ショウくんのためだから、特別⋯⋯?」
サフィは戸惑いながらも、研いだ米を鍋に移す。
ショウはこの鍋にも何か声をかけていたけれど、あれは何と言ってたのだっけ?
懸命に記憶を辿りながら、呪文を捻り出す。
「えと、し、シンセキ? も、お願い、します⋯⋯!」
言い終わると同時に、ぱしゃん、と鍋に水が張る。
後はこれを火に掛けて、炊き上がるのを待つだけだ。
「今のうちに、ヘラとお皿を洗って⋯⋯。塩は、棚のこの辺り⋯⋯!」
厨房の中を行ったり来たりしているうちに、鍋を炙っていた炎は勝手に消え失せていた。
恐る恐る蓋をあけると、つやつやの白米が現れる。
「すごい⋯⋯! ありがとうございます、精霊様!」
サフィは感激しながら、鍋を作業台へと運ぶ。
「おにぎりは、まず塩水をつけて、それから握る⋯⋯!」
ショウから教わった通りに、握る、握る。
無事に帰ってきた彼が、笑顔で頬張る姿を想像しながら、サフィはおにぎりを作っていった。
「⋯⋯無事に、帰ってきて、ショウくん」
涙がボロボロと零れる。
「私、あなたと一緒にいたい⋯⋯。恩返しだって終わってないし、そのためだったら、結婚だって何だってするって言ったんだから⋯⋯!」
たった半日、一緒に過ごしただけで、どうしてこんなにも彼に思い入れがあるのか、自分でも不思議だ。
ショウはとても優しくて、サフィの回復を喜んでくれて⋯⋯。
「ああ、そっか。私、あの時にはもう、ショウくんのことが好きだったんだ」
自分の前から、いなくなって欲しくない。
それはきっと、恋の分野だ。
子供を作るという必須条件に目が行きすぎて、怯えていたけど、問題はずっとシンプルだった。
「私、あなたと一緒に、幸せになるのを夢見てるんだ」
サフィは、出来上がったおにぎりをお皿に置いた。
不器用な自分にそっくりな、でも彼が「健気でかわいい」と褒めてくれた、大きなおにぎり。
「⋯⋯帰ってきたら、一緒に笑いながら、おにぎり食べよう?」
ここにはいない彼に呼び掛けるように、サフィは穏やかに言った。
涙はもう止まっている。
昼間は延々と何度もぐるぐる考えていたが、ようやく答えに辿り着いた。
サフィは二つ目のおにぎりを握る。これは自分が食べる分。笑顔で食べて、彼の嬉しそうな顔をまた見るためのおにぎりだ。
「美味しく、なぁれ。美味しく、なぁれ」
ショウへの愛情をたっぷりと込めて、おにぎりを握り上げていく。
最後のひとつを作り終えた頃、ガタガタと玄関の戸が開く音がした。
「サフィさん! ただいま戻りました!」
行方不明になっていたくせに、明るくて元気なショウの声。
サフィと違って、迷子になっても泣きはしなかったのだろう。
サフィは駆け足で玄関に向かって、涙目で彼に声をかけた。
「おかえりなさい、ショウくん⋯⋯っ!」
「ごめんなさい、急にいなくなっちゃって。心配させましたよね?」
ショウは穏やかに微笑みながら、サフィの手のひらを優しく握った。
小さくて温かい感触に、サフィの目から、また涙が落ちてくる。
「心配、したよ⋯⋯! でも、ちゃんと、無事に帰ってきてくれて、良かった⋯⋯!」
「はい。僕も、サフィさんのところに帰ってこられて、嬉しいです!」
にっこりと笑うショウの姿に、サフィは、やっぱりこの笑顔のそばにいたい、と強く思った。
「あのね、ショウくん。私、おにぎりを作ったの。ショウくんが帰ってきたら、一緒に食べたくて」
「えっ! 凄い! 一人でですか!?」
「うん。ショウくんと食べたかったから、頑張ったの」
「嬉しい! 早く食べましょう!」
ショウが満面の笑みで言う。
かわいい。彼のこういうところが、好きだ。サフィも笑みを返しながら、そう思った。
「ショウさんが消えたって聞いたんですけどーっ!?」
バサバサと翼をやかましく動かしながら、空からコーラルが降ってくる。
サフィはショウの捜索に向かった魔王軍のことを思い出し、「あ」と間の抜けた声を溢した。
コーラルは玄関先に佇むショウの姿を見つめ、両手でビシリ!と指差してくる。
「いや、ちゃんといるじゃないですか!」
「さっき帰ってきたんですけど⋯⋯。もしかして、騒ぎになってる感じですか⋯⋯?」
「その、さっき、魔王軍の人に探して欲しいって頼んじゃって⋯⋯」
サフィが申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい、私のせいで⋯⋯」
「謝らないでください、サフィさん! それは当然の対応です!」
「そうですよ! 萎縮せずに通報は迅速に! これ、魔王軍の鉄則です!」
ショウのフォローを、コーラルも援護する。
サフィは気まずい思いをしながらも、それ以上は何も言わなかった。
「とりあえず、僕は開拓本部に伝話して、帰ってきたって説明します!」
「私はショウさんの無事が確認できたので、軍の基地に戻りまーす⋯⋯。サフィさんが心労で倒れないように見とけって命令だったので⋯⋯」
「そうだったの? それじゃあ、ありがとう、ってその命令をしてくれた悪魔に伝えてくれるかしら⋯⋯?」
「はい。隊長に伝えておきます。それでは、失礼いたします!」
コーラルが帰っていく。
ショウはパタパタと廊下を走って、通信用の水晶玉の前に急いだ。
水晶に映った映像の奥で、通信担当の兵士が慌てて、発見を示す信号弾を打ち上げるように指示を出す。
ショウはぺこぺこと頭を下げた。
「すみません、お騒がせしてしまって⋯⋯」
「いえ。ショウ殿が無事で何よりであります! ですが、なにゆえ失踪を⋯⋯?」
「僕もよくわからないんですが⋯⋯。たぶん、精霊様からの試練、みたいなもの、ですかね?」
「なるほど。神主というのも大変なのでありますね」
「あはは⋯⋯。この通り、元気に帰ってきましたので。皆さんによろしくお伝えください⋯⋯」
「了解であります。では、この辺りで通信を終了させていただきます」
「はい。ご対応いただき、ありがとうございました。それでは、失礼いたします」
プツン、と水晶の映像が消える。
ショウはゆっくりと息を吐いて、肩の力を抜いた。
「⋯⋯絶対に怒られると思ったんだけど。なんか、優しくて、良かったな⋯⋯」
ホッとしたら、お腹が空いてきた。
サフィがおにぎりを作っていると言っていたので、食べに行こう。
ショウは、厨房で手を洗ってから、すっかり居間と化している待機室へと足早に向かった。
「おかえりなさい、ショウくん。ごはんの準備、できてるよ」
テーブルに頬杖をついて待っていたサフィが、顔を上げて微笑んでくれる。
「ありがとうございます、サフィさん!」
ショウは笑顔で座布団に座り、食卓を見下ろした。
おおきくて可愛いサフィのおにぎりが、大皿にたくさん並んでいる。
ショウはサフィの顔を見上げて、笑った。
「すごく美味しそうですね!」
「⋯⋯えへへ。ありがとう、ショウくん」
サフィがはにかむ。
あ、今の顔、すごく可愛い。ショウはちょっと嬉しくなって、笑みを深める。
「それじゃ、一緒に食べようか」
「はい。いただきます!」
「いただきます」
二人で一緒に手を合わせ、おにぎりを頬張る。
美味しいね、と微笑んだのは、同時だった。
穏やかで、あたたかな時間。幸せだな、とショウはのんびりとお茶を飲む。
「ニー!」
「うわっ!」
突然、小さな猫がぴょこんと机の上に乗ってきた。
ショウは湯呑みを落としそうになり、慌てて両手で持ち直す。
「キミ、誰⋯⋯? どこから入ってきたの⋯⋯?」
不思議そうな顔で子猫を見つめるショウ。
「あ。その子、ここに来た魔王軍の兵士さんが、預かっててくれって⋯⋯」
「⋯⋯なんで?」
「たぶん、ショウくんを探しに行くのに、邪魔だから?」
「あー⋯⋯。だったら、そのうち迎えにくるかなぁ⋯⋯。あ、こら。おにぎりは塩が入ってるからダメだよ」
ショウが子猫からおにぎりの皿を遠ざける。
子猫はエサをねだるように、ニャアニャアとショウに鳴き始めた。
「サフィさん、ちょっとこれ預かってください。猫ちゃんの食べ物、持ってきます」
ショウは持ち上げていた皿をサフィの机へと避難させる。
子猫は立ち上がったショウのわき腹目掛けて飛び掛かった。
「うわっ! こら、やめろ!」
獣の爪がショウの着物に引っ掛かる。
子猫は帯につけられていたお守りを噛んで、引っ張った。
「これは食べ物じゃないよ! もう! 虫か何かに見えたのかー?」
ショウは子猫をひっぺがし、お守りを自分の帯から外す。
「すみません、サフィさん。これも預かっててください。すぐにごはんを持ってくるので」
おにぎり皿の隣に、ショウがおまもりを置く。
パタパタと早足で部屋を出ていったショウの後を子猫がニャアニャア追いかけていった。
微笑ましい光景に、サフィはクスリと目元を緩める。
「あら? ショウくんが着けてたこれ、何か文字が書いてあるわね⋯⋯」
サフィはおまもりを手にとってみる。
「恋愛、成就⋯⋯。れ、恋愛っ!? えっ、ショ、ショウくんがっ!?」
予想外の内容に、サフィはギョッとしてしまった。
恋愛成就ということは、成就させたい恋愛感情を抱えているということで。
つまり、彼には、好きな人がいる⋯⋯?
「えっ。だ、誰!? コーラル? それとも他の魔王軍っ?」
サフィは戸惑い、手元のおまもりを強く握り潰してしまう。
彼女の頭の中には、ショウが想っているのが自分だという可能性は、まるで浮かんでこなかった。
それほどまでに、ショウの態度には色気が無い。
「え。え。もしかして、ショウくん、悪い悪魔に誘惑されてる⋯⋯?」
サフィは瞳に涙を滲ませながら、そんなことを呟いてしまった。
事実無根かつネガティブな妄想からの発言だったが、しかし、そのせいでサフィの心に火が着いた。
「ショウくんを、守らなきゃ⋯⋯! 私が、ショウくんの目を覚まさせてあげなくちゃ⋯⋯!」
おかしな方向に捻れ始めているサフィ。
一方、ショウはそんな気配には気づきもせずに、呑気に煮干しを猫に食べさせてやっていた。