【7話】苦手分野を神頼み
お茶で汚れたコーラルの服を洗濯しながら、ショウはポツリと呟いた。
「⋯⋯結婚、かぁ」
サフィが悩んでいた内容を思い出す。
移住の条件として、ショウとの結婚を求められたという話。
「それでサフィさんが幸せになるなら、僕は結婚しちゃっても別にいいけれど⋯⋯」
脳内に、師匠の言葉が浮かぶ。
『結婚というのは、お互いを受け入れ合うための儀式である。──というのが、精霊信仰における定義だ』
『でもな、ショウ。お前は村でちょっと虐められてたから、他者を思いやることは出来ても、他者から受け入れられるってのにピンと来ないかもしれねぇ』
『だから、結婚相手を選ぶときは、一緒だなって思える部分が多いヤツを選ぶと良い。もちろん、俺の言葉は無視して、お前の心が思うがままに選んだヤツでも良いせどな』
ショウは、洗濯板に擦りつけていた手を止めて、天を仰いだ。
「⋯⋯一緒だなって思えるところ、かぁ」
違うところなら、すぐに思いつく。
サフィの足はサソリの足だし、性別だって一緒ではない。
たくさん考えて悩むのだって、ショウはそんなに得意ではない。
どこもかしこも、違うところだらけだ。
出会ってから、まだそんなに時間が経っていないから、同じ部分が見えていないだけかもしれないが⋯⋯。
「サフィさんの悩みって、どうしたら解決するのかな」
ショウは白い雲を眺めて、呟いた。
魔界の空は、今日も綺麗に晴れている。こんなに遠くに引っ越してきても、それは同じだ。
「⋯⋯僕と結婚したくないのに、結婚するって言っちゃったから、サフィさんは困ってるんだよね」
だったら、サフィが結婚したいと思うような男にショウが成長すれば、全て上手くのだろうか?
「僕を大人の男性だって思えないって、言ってたよね、サフィさん⋯⋯」
ショウは自分の小さな手を見る。
小柄で幼い顔立ちなのは、生まれつきで、どうしようもない。
悪魔に頼んで身長を伸ばして貰う物語を見たことはあるが、あれはバッドエンドで終わった。
「⋯⋯ダメだ。難しい。よくわかんない!」
ショウは答えを考えるのを止めて、目の前の洗濯を終わらせることにした。
ざぶざぶと桶の水を入れ換えて、泡をすすぐ。
絞ったズボンを物干しに掛けたら、精霊術で乾かしていく。
「師匠だったら、こんな時、どうするのかなぁ⋯⋯」
ショウは溜息を吐きながら、師匠の言葉を思い出す。
「そう言えば、パズルを解いてた時に、困ったらゴールから逆算してみろって言われたなぁ⋯⋯」
そのアドバイスを引用するなら、ショウが辿り着きたいゴールは、サフィの笑顔だ。
悩みごとなんて何も無くて、ごはんを美味しいって喜んでくれて⋯⋯。
「無理やりにでも結婚したら、結婚したくないって悩みは消えてくれるかなぁ⋯⋯。したくないけどしちゃった、っていう新しい悩みになるだけだよね⋯⋯」
ショウは乾いたズボンを綺麗に畳んで、社務所へ戻った。これは、コーラルの鞄の隣に置いておこう。
あたたかな日差しの中を進むと、社務所の外に掛けられている看板がふと、ショウの目に留まった。
『おまもり・5魔貨。宿願成就を祈願いたします』
「⋯⋯自分用に、加護を願ったことは無いけれど。困った時の神頼み、今回はしてみてもいいかな⋯⋯」
ショウはコーラルのズボンを待機室に置いてから、社務所の事務室に踏み込んだ。
「えっと、これは、何祈願かな⋯⋯? 開運招福? 社内安全?」
おまもりの外袋を見つめながら、ショウは迷う。
悩みの形が少しぼんやりしてるので、欲しい加護の形も今一つハッキリしない。
「⋯⋯僕は結婚してもいいって思ってるから、恋愛成就の範囲かな?」
最終的に、ショウは白い袋を選んだ。
精霊様の加護を願いながら、御札に文字を書き込んでいく。
どうか、サフィさんとの問題が解決しますように。
「よろしくお願いします、精霊様」
ショウは御札を袋に納めて、おまもりの紐を着物の帯に巻きつけた。
これが後々、とんでもない事件を引き起こすことになるとは、思いもしないまま。
ショウはおまもり作りの道具を片付けて、午後の予定を考え始める。
「サフィさんの新しい服は、採寸をお願いしないとだから、今は出来ないな⋯⋯。畑の続きを耕すか」
ショウはクワを担いで裏の畑へと向かう。
土の道を歩いていると、足が何かに躓いた。
「うわっ!」
ショウの体がべしゃりと転ぶ。
反射的にクワを投げ飛ばしてしまい、ガラガラと遠くへ転がっていく音が響いた。
何に躓いてしまったのかと足元を見やれば、土が微かに盛り上がっていた。
「あー⋯⋯。これ、精霊様からのお叱りだ⋯⋯」
そう言えば、おまもりを作った際に、お礼のお供え物をしていない。
「ごめんなさい、精霊様。すぐに何か供えます⋯⋯」
ショウは深々と頭を下げて、神社に引き返した。
倉庫から適量の豆を取り出して、拝殿の中へと持っていく。
この宴結神社の拝殿は、畳張りの広い部屋がひとつあるだけのシンプルな作りだ。
奥に祭壇が置かれていて、そこに供物を捧げるようになっている。
祭壇と言っても、見た目はただの長机で、教会や他の祭殿のように豪華な造りはしていなかった。
「精霊様。どうぞ、お受け取りください」
ショウは祭壇に豆を供えて、お祈りした。
ぴょこぴょこと周囲の魔力が跳ね回っている感覚がする。
どうやら、受け取っていただけたようだ。
ショウはホッと息を吐き、拝殿の外に出た。
「⋯⋯え? ここ、どこ⋯⋯?」
目の前に広がっているのは、荒れ果てた神社。
宴結神社よりもこぢんまりとしていて、社務所や手水舎は見当たらない。鳥居はボロボロで、石の柱にはいくつもヒビが入っている。
鳥居の向こう側に見えるのは、紅葉した木々が立ち並ぶ森だ。
慌てて振り返ってみると、扉の閉まった小さな祠が目に入った。
精霊の気配は祠の中からしているが、引きこもるような雰囲気もある。
「これは、一体⋯⋯?」
ショウは首を傾げることしか出来なかった。
先程まで晴れていたはずの空は、暗く曇っている。
「⋯⋯精霊様が、僕をここに運んだのですか? だとしたら、精霊様がたの気が済んだ時に、家に返してもらえますか?」
ショウは祠に話しかけてみる。肯定するように、祠の中の魔力が揺れた。
あちらの思惑はよくわからないが、とにかくショウには、ここにいて欲しいようだ。
「⋯⋯このお社を、修繕したほうが良いですか?」
ショウは更に問い掛ける。精霊様は、どちらでもいい、と伝えるように魔力を揺らした。
「それなら、特にやることも無いし、簡単にお手入れしていこう」
ショウは祠の前から離れて、ボロボロの鳥居に近づいた。
「これくらいなら、錬金術でどうにかなるかな⋯⋯」
ヒビを軽く手でなぞり、修繕の術式を編んでいく。
こういった細やかな作業は苦手なのだが、出来る限り丁寧に鳥居の柱を再構築する。
「⋯⋯つ、疲れた⋯⋯!」
修繕を終えたショウは、祠の前にしゃがみこむ。
頑張りすぎて頭痛がしている頭を手のひらで押さえ、深く息を吐く。
「精霊様は、どうして僕をここに連れてきたんだろう⋯⋯?」
今更ながら、考えてみるが、答えはサッパリわからない。
そもそも、ここが魔界のどの辺りなのかすら、ショウには探る方法が無い。
「⋯⋯サフィさんたち、心配してるよね。急にいなくなっちゃって⋯⋯」
ショウの瞳が暗く陰る。
精霊様たちは、まだ家に帰すつもりは無いようだ。
すぐに帰れると思ってたのに、案外長い。
いつまでここに居ればいいのか。お腹が空いたらどうしたらいいのか。ショウの頭に不安がよぎる。
「暇だ⋯⋯」
ショウは適当な小枝を拾って、神社の隅の土を掘った。子供の頃には、よくこうやって一人で砂遊びをしたものだ。
けれど、今のショウには、何も面白いとは思えなかった。
「⋯⋯楽しいことでも考えよう。晩ごはん、何にしたいとか⋯⋯」
ショウは地面におにぎりの絵を描いてみた。
サフィの握った大きなおにぎりが頭の中に思い浮かぶ。
一緒にお昼ごはんを作っていた時、ショウは彼女の悩みを聞いた。
芋づる式に記憶が蘇ってきて、ショウの口から溜息が零れる。
「恋愛成就のおまもりにしちゃったけど、これって間違いだったのかなぁ⋯⋯」
今になって思ってみれば、ショウは彼女と恋仲になっているわけでもない。
好きだとは思うが、片想いかと言われると微妙だ。
そもそも、彼女が神社へ来たのは昨日から。一目惚れなんてするような状況で出会ったわけでもなかった。
ショウの心にあったのは、心配と優しさの感情だ。
幸せになって欲しいとは思うが、それが恋愛に該当するのかはわからない。
問題を解決する手段としての結婚は考えられるけど、好きだから結婚しよう、という感じ方では無いのだ。
「⋯⋯でも、ミモザさんやコーラルさんとは、気持ちの形が違うんだよね」
ショウは、自分のしたことで、誰かが喜んでくれるのが好きだ。
けれど、ミモザやコーラルの喜ぶ顔を思い浮かべてみた時と、サフィの笑顔を思い浮かべてみた時では、嬉しさの強さが確かに違う。
「⋯⋯それじゃあ、やっぱり、好きで良いのかな?」
ショウは地面にサフィの似顔絵を描いてみる。
これまでショウは、誰かと恋人になった経験は無い。
物語に出てくるような「デートがしたいのが恋愛感情」といった言説も、ショウにはそもそもデート自体が理解できていないから、参考にならない。
「わからない。わからない。わからない⋯⋯」
ショウは小枝で、適当な絵を描いてみる。
神社の鳥居。摘み立てのベリー。師匠が得意だった弓矢。
ぐるぐると考えるのも嫌になってきた。
「⋯⋯師匠みたいに、何でも教えてくれる相手がいたら、良かったのに」
ショウは、ポツリと呟いた。やっぱり、一人でいるのはダメだ。どうしたらいいのか、わからなくなる。
「帰ったら、ミモザさんに相談してみようかな⋯⋯」
ショウは小枝を捨てて立ち上がり、ぐちゃぐちゃに描かれた絵の数々を足の裏で均して消した。
「⋯⋯精霊様。まだ、僕は家に帰してもらえませんか?」
祠に向かって話しかける。
返事はイエスだ。まだダメらしい。
ショウはぶらぶらと境内を歩いて、何度目かの溜息を吐いた。
「あれ。なんだろう。何か落ちてる⋯⋯?」
祠の裏側に、何かが見えた。
ショウは近づいて確かめてみる。
ひしゃげているが、どうやらそれは雑誌のようだ。
風で開いたままのページを見てみると、「結婚に必要だと思うものランキング」という文字列がショウの目に飛び込んできた。
「⋯⋯結婚に必要なもの?」
ショウは記事の内容が気になって、雑誌を拾い上げてみた。
野ざらしになっていたせいか、土で汚れていて字がよく読めない。
なんとか読み取れたのは、「相手と子供を不幸から守ってやる覚悟」という一文くらいだった。
「⋯⋯覚悟」
ショウは雑誌を握り締める。
幸せにしたいというだけでなく、不幸から守るという覚悟。
頭の中で、パズルのピースが嵌まった音がした。
ミモザやコーラルへの感情と、サフィへの感情の違いは、これだ。
彼女がまた魔獣に襲われないように、守る。路銀も無しに一人で森を彷徨うなんて不幸から、守る。
この感情は、「守りたい」なんて優しい温度をしていないのだ。
ショウは合点がいった顔で頷いた。
「僕の気持ち、やっぱり恋愛で合ってたんだ!」
客観的な視点から言うと、ショウのこの考えは間違っている。
だが、それを指摘してくれる師匠は、この場にはいなかった。




