【5話】お昼ごはんを作りましょう!
「ここが我が家のキッチンです!」
ショウが両手を広げて言う。
サフィはキョロキョロと周囲を見回して、恐る恐る中へ入った。
ショウの家のキッチンは、標準的な人型種族に合わせたサイズで造られている。
サフィの体だと、うっかり棚に尻尾をぶつけてしまいそうだ。サフィはサソリの尾を丸めてコンパクトにしておいた。
「お昼は何を作るの、ショウくん?」
「そうですね。朝はお芋を食べたから、お昼はお米にしましょうか」
「おコメ?」
サフィが首を傾げる。この辺りでは珍しい食材のようだ。口で説明するよりも、目で見たほうが早いだろう。
ショウは戸棚から米袋を引っ張り出した。
「これがお米です。お豆みたいな感じで、煮たり蒸したりして食べます」
「それも、ショウくんが育てた野菜?」
「いえ。これは、前に僕が住んでたところに、お米を扱っている商人さんがいて。日持ちもするので、たくさん買ってあるんです」
ショウはボウルに米を取り分けて、残りは棚の中へ戻した。多めに炊いて、余ったら晩ごはんを雑炊にしよう。
「サフィさんは、キャベツを切ってもらえますか? できるだけ細かく刻んで貰えると凄く助かります!」
「切るだけ? なら、たぶん私でも出来るわよね⋯⋯」
サフィはまな板の前に立ち、人型の手で包丁を握った。不器用だと言う自覚はあるが、このくらいならイケるはずだ。
ショウが丸い野菜からブチブチと葉っぱを数枚むしって、まな板の上に置く。
キャベツの葉っぱで出来た山に、サフィはそっと包丁を押し当てた。
ザク⋯⋯、ザク⋯⋯、とゆっくり野菜が切られていく。
隣ではショウが米を洗う水音が穏やかに流れていた。
「後ろ、通りますね」
ショウが米の入ったボウルを置きっぱなしにして、かまど台に火をつけに行く。
「こんな部屋の中で火を使うって、大丈夫なの?」
「はい。そこに、換気魔法の装置が取りつけてありますから。煙は外に流れてくれますし、煤も部屋のほうには飛ばない仕組みになってます」
「そうなの? 凄いのね、ショウくんの家って」
「ふふ。その凄い家、今はサフィさんの家ですよ」
ショウが悪戯っぽく笑う。
どこか自慢気で可愛らしい。魔族とのお見合いのために、わざわざ神社ごと引っ越してきたとは思えない無垢さをサフィは彼は感じていた。
ぱたぱたと小さな足で移動して、鍋に米を入れていくショウを横目に見ながら、サフィはそっと口を開いた。
「ねえ、ショウくん⋯⋯。どうしてショウくんは、この町に引っ越そうと思ったの⋯⋯?」
「魔王様からお手紙が来たので。神社ごと引っ越せるなら、悪い話じゃないなって。⋯⋯あと、一人で暮らすの、寂しかったし」
「え? ショウくん、一人暮らしだったの? こんなに大きいお家なのに?」
サフィは目を丸くする。野菜を切る手も止まってしまった。
ショウは少し影のある笑みを浮かべながら、サフィに事情を説明する。
「むかし、僕の住んでた村が、魔獣に襲われて滅んじゃいまして。神社で保護してもらってからは、先代の管理者さんと二人で暮らしてたんですよ。けど、数ヶ月前に、彼もいなくなってしまって⋯⋯」
「そうだったの⋯⋯。ごめんなさい、ツラい話をさせてしまって⋯⋯」
「そんな。僕こそ、ごめんなさい。あまり愉快な話じゃなくて⋯⋯。えっと、お米、炊きますね!」
ショウが空気を切り替えるように、明るい声で言う。
サフィもなんとか別の話題を考えてみた。
「その、この神社って『聖地』なのよね? 丸ごと移動させちゃうなんて、大丈夫だったの?」
「はい。大丈夫です。僕らがお祀りしている精霊様は、天界の神様なんかとは違うものでして⋯⋯。社を構えた場所に宿るというか、集まってくるものなんですよ」
「えっと⋯⋯。つまり、聖地に神社を建てたんじゃなくて、神社を建てた場所が聖地になっちゃうってこと?」
「その通りです! 馴染みの無い方に説明するのはちょっと難しいんですけど、わかってもらえてホッとしました!」
ショウがニコニコと笑いながら、鍋を火に掛ける。
ホッとしたのは、サフィのほうだ。彼の笑顔に、つられて微笑みが浮かぶ。
止めていた手を動かして、ザク、ザク、と野菜を切る音が再び響いた。
ショウが鍋の様子を見ながら、精霊に声を掛けている。
「火を弱めて⋯⋯。そうそう、そのくらい⋯⋯。ありがとうございます」
「⋯⋯ショウくんの言ってる精霊って、もしかして私の知ってる精霊とは違ってたりする?」
ふと疑問に思ってサフィはショウに聞いてみた。
「そうですね。魔界だと、実体や知性を持っている大精霊クラスの存在を精霊と呼びますが⋯⋯。僕たちが精霊様と呼んでいるものは、ほとんどが力の弱い微精霊たちです」
「なんか、色々とヘンテコなのね。⋯⋯あっ。いえ、今のは悪口じゃなくて⋯⋯! すごく珍しいってことよ!」
サフィは慌てて自分の失言を言い換える。
ショウはくすくすと笑いながら、
「大丈夫です。サフィさんは悪口を言うような魔族じゃないって、わかってますから」
と穏やかな眼差しをサフィに向けた。
サフィの心臓がドキリと跳ねる。そんなに優しい言葉を返してもらったのは、いつぶりだろう。
彼の優しさに照れが浮かんで、頬が少しだけ熱くなる。
「き、気にして無いなら、いいわ⋯⋯。その、ありがとう⋯⋯」
サフィはショウから目を逸らすように、まな板の上へと視線を戻した。
ショウは鍋の前から離れて、ガチャガチャと棚を漁っている。お皿でも準備しているのだろうか。
視界の端にぴょこっと小さなショウの手が伸ばされて、持っていたボウルを置いた。
「サフィさん、刻めた分は、これに入れといてください」
「わかったわ」
サフィは包丁を置いて、細切れのキャベツをボウルに移す。
ショウがテキパキと調味料を入れ、「味が行き渡るように、満遍なくかき混ぜてください」と指示を出した。
言われた通りにサフィがスプーンを動かしていると、ショウが鍋を持って作業台のほうへと移る。
サフィはボウルを持ったまま彼の手元を覗き込んでみた。
ショウは炊き上がったお米をヘラのようなもので掬って、ひょいひょいと軽快に握っている。
あっという間に整形された三角形の塊がお皿の上に並べられた。
「これは何を作っているの?」
「おにぎりですよ。炊いたお米を握るだけの簡単な料理です」
「へえ⋯⋯。でも、なんでそのままお皿に盛らないの?」
「こうやって握ると、食べやすいし、お米が美味しくなるんですよ。握った人の愛情がおにぎりに宿るので」
「あっ、愛情!?」
サフィは思わず叫んでしまった。
優しさならば理解できるが、愛情となると、なんだかちょっと意外な感じだ。
「それってつまり、お米への愛が、お米の味を引き立てるってこと、なの、よね⋯⋯?」
「いいえ。これは食べる人への愛情です。サフィさんに美味しく食べてほしいなーって思いながら握ると、おにぎりが美味しくなるんですよ。僕の師匠、じゃなくて、先代の管理者が言ってました」
ニコニコと笑いながらショウが言う。
サフィはドギマギと視線を彷徨わせながら、思いきって尋ねてみた。
「へ、へぇ、そうなの⋯⋯。それって、つまり、ショウは私のことが好きってこと⋯⋯?」
「はい! サフィさん、色々と気遣ってくれてて優しいし、笑ってくれると嬉しいですから! サフィさんへの愛情込めて、おにぎりを握らせてもらっています!」
ショウの笑顔が眩しすぎる。
純真で無垢で、きっと愛情と言ってもピュアな、それこそ真心とか、そういった方向性の物なのだろう。
恋愛的な感情では無いことが、サフィにもしっかりと伝わってくる。
こんな可愛らしい雰囲気の子と、結婚する覚悟があります、なんて言ってしまった過去の自分を殴りたい。
サフィは手元のスプーンを強く強く握りしめた。
ショウは成人しているらしいし、子供扱いは失礼なことになってしまうのだろうけど⋯⋯。
でも、どうしても、彼のまっさらすぎる心に、自分というノイズを混ぜ合わせたくは無いのだ。
⋯⋯サフィは自己評価の低さから、彼に関わり過ぎることを無意識的に恐れていた。
ショウはサフィの表情に影が差したのを見て、あれ?と戸惑う。
好きだと伝えて、喜んでもらえなかったのは、いつぶりだろう。
彼女には、他人からの好意はウザったるいのだろうか?
自分の態度が、サフィを苦しめる原因になってしまったのかもしれないと思うと、ショウの胸がズキズキと痛む。
ほんの些細なすれ違いであることにも気づかずに、ショウはただ彼女の顔を見つめた。
「えっと、その⋯⋯、サフィさんも握ってみますか?」
「⋯⋯そ、そうね。やってみようかしら⋯⋯」
少しぎくしゃくしながらも、二人は昼食作りを続ける。
「まずは、この塩水を手のひらにつけて⋯⋯」
「お水をつけて⋯⋯」
「しゃもじでお米を手のひらに乗せます。握り拳くらいの量で、熱いから気をつけてください」
「うん⋯⋯。わっ、あつ、あつ⋯⋯!」
「握って、握って!」
「握って、握って⋯⋯!」
ショウのジェスチャーを真似しながら、サフィは懸命にお米を握る。
完成したおにぎりは、ショウの物よりも大きくて不恰好だった。綺麗に並んだ小さな三角形の中で、サフィのおにぎりは悪目立ちしている。
「⋯⋯ごめんなさい。失敗しちゃった」
「大丈夫ですよ。手が大きいと、たくさん気持ちを込められるから、ぼこぼこしちゃうんだって、師匠がよく言ってました!」
ショウが楽しげに笑う。
「ショウくんの師匠って、手のひらが大きかったの?」
「はい。すごく大柄なエルフでした。古代魔族の僕と並ぶと、身長が二倍くらい違うって言われてて⋯⋯」
「二倍? それじゃ、私よりも大きかったの⋯⋯!?」
ショウの身長は、サフィの肩くらいの高さだ。二倍も差が開くほどでは無い。
「サフィさんの足はサソリ型だから、比較は難しいですが⋯⋯」
「あ。そう言えば、そうね。私、ショウくんの師匠もサソリの足でイメージしてたわ。人型だったら、そんなにビックリするほどじゃないか⋯⋯」
サソリの下半身は平べったいため、身長は低くなりやすい。
ショウは半人半蠍の師匠を想像して、笑ってしまった。
「師匠の体格でサソリの足が生えてたら、たぶん廊下でつっかえてますよ」
「そうなの? 私はその魔族と会ったことが無いから、想像が難しいんだけど⋯⋯」
「後で肖像画でも見ますか? 確か、旅の画家が描いてくれた絵が倉庫の中にあったはずです」
ショウは師匠の話になってから、ずっとやわらかい顔をしている。慈しむ、と言うのだろうか。優しくて、あたたかくて、どこか疎外感を感じる笑みだ。
「⋯⋯ショウくんにとって、お師匠さまは、大切な相手なのね」
「はい! でも、サフィさんのことだって、僕にはすごく大事ですよ!」
「へ? わ、私も?」
「あ。え、えっと⋯⋯! 今のは、その、言葉の綾⋯⋯というわけじゃなくも、なくもなくて⋯⋯っ」
ショウがわたわたと答える。
先程、好意を伝えたときの微妙な反応がショウの頭に思い出されて、取り繕うかのように言葉が飛び出していた。
サフィは急に挙動不審になってしまったショウの姿に、戸惑いながらも声を変える。
「だ、大丈夫? 落ちついて? 言いたいことがあるなら、ゆっくり考えてくれて良いから⋯⋯」
「は、はい⋯⋯。ごめんなさい⋯⋯」
ショウはぎゅっと自分の両手を握り締め、子供のように不安そうな顔でサフィを見上げた。
「あの、サフィさん⋯⋯。僕から好きだって言われるの、迷惑だったり、しますか⋯⋯?」
想定外の質問に、サフィの心臓が跳ねる。
「へっ!? え、な、なんで!?」
「サフィさん、僕がそういうことを言ったら、すぐに目を背けちゃったから⋯⋯。本当は嫌だったのかなって⋯⋯」
「⋯⋯それは⋯⋯。その、ちょっと込み入った話になるんだけど⋯⋯。ショウくん、聞いてくれる?」
サフィは、ショウの目を見つめて言った。
この子の無垢さを守るために、移住の条件やら何やらでぐちゃぐちゃになっている自分のことなど話したくは無いと言う気持ちより。
優しいこの子に、その場しのぎの嘘をついて、まともに向き合ってあげないほうが、サフィには悪いことに思えた。
「私ね、開拓部の人に言われたの。ショウくんと、その⋯⋯、結婚する気が無いのなら、町から出ていったほうがいいって」
「結婚? あー、そういえば、僕が町に引っ越す前にも言われましたね。古代魔族は珍しいから、出来れば子供は作ってほしいって」
ショウは兵士との会話を思い出す。
あまり切実な感じでは無かったので、200年以内にやればいいかな、とのんびり考えていた課題だ。
「ダニエルさんが移住を認めてくれたってことは、サフィさんはその条件を呑んだってことですか?」
「⋯⋯そうなの。でも私、本当は結婚なんてする覚悟は出来てなくって。ショウくんのことも、その、大人の男性っぽくないなぁって思ってたから⋯⋯。ショウくんに大事な人だって言われると、なんか、罪悪感があって⋯⋯」
サフィはなんとか自分の心境をショウに伝えた。
真剣に悩んでいる彼女の姿に、ショウは自分が力になってあげたいと思った。少しでも彼女の心が軽くなるのうに、言葉を探す。
ショウは穏やかに微笑んで言う。
「サフィさんって、すごく誠実なんですね」
「そうかしら。ただ、どっちつかずで、テキトーなだけよ」
「でも、サフィさんなりに僕を気遣ってくれているのは、なんとなく伝わってきますから。僕はそのお返しに、サフィさんのこと、幸せにしたいなぁって思ってますよ」
「そそそ、そんなっ、プロポーズみたいな⋯⋯!」
「え? あ。確かに。⋯⋯でも、サフィさんに幸せになって欲しいのは、本当の気持ちなので」
ショウがそっとサフィの腕に手を伸ばす。
包み込むように優しく握ったサフィの手は、怯えるように揺れていた。
「サフィさんが思ってること、聞かせてくれて、ありがとうございます」
「ええっ! でも、私、すごくダメなこと言ったわよっ⋯⋯?」
「サフィさんが話してくれなかったら、僕の疑問は、ずっと疑問のままだったので。⋯⋯僕だけ解決してて、サフィさんのお悩みはどうしたらいいのかわからないのが、歯がゆい気持ちはありますけれど」
「⋯⋯ごめんなさい。私が、恩返しのために、結婚できるって嘘ついちゃったから⋯⋯。別の町で働いて、お金を送るとか思いつけば良かったのに⋯⋯」
サフィには、知らない場所でお金を稼げるという自信が無かった。
優しいショウが与えてくれる簡単な仕事をするだけで、恩を返せているなんて言う、甘ったるい感覚に浸るほうを選んでしまった。
今からでも遅くないから、神社を離れて、ショウをガッカリさせないように幸せになったほうがマシなのではないか。
⋯⋯などと思っても、実際に行動に移せるだけの勇気が出ない。
それでも良いのだと、甘やかされたい。
考えれば考えるほど、サフィの胸には罪悪感が湧いてきた。
「⋯⋯サフィさん、気負いすぎですよ。一旦、ごはんでも食べて、息抜きしましょう」
ショウが穏やかに微笑む。
周囲の気を緩ませるとても優しい笑顔に、サフィはただ頷いた。
ショウと二人で、おにぎりを握る。
サフィにはこの不恰好なおにぎりが、自分が彼に掛けている迷惑の現れのように見えていた。
「あ。サフィさん。さっきのよりも、上手に形が出来てますね!」
「そう、かしら? 本当に、良くなれてる?」
「はい! すごく美味しそうです! 食べてみるのが楽しみですね!」
「⋯⋯ショウくんが、ガッカリしない味だと良いんだけど」
「そんなことを考えられるくらいに優しいんなら、大丈夫ですよ。おにぎりに愛情、ちゃんと宿ってくれてます!」
ショウがニコニコと笑いながら、最後の一個を握り上げる。
「完成です! さあ、一緒に食べましょう!」
「⋯⋯ええ。机まで運ぶの、手伝うわ」
サフィも少しだけ微笑んで、おにぎりが並んだ大皿を持ち上げる。
ショウはキャベツのサラダと取り皿をお盆に乗せて、廊下を歩くサフィを追った。