8-4
ノゾムがついてくれるなら怖いことはない。ガラテアは常にそう思っていた。
だから局部麻酔を用いて行う電脳化施術も恐ろしくなかったし、網膜に大量の文字群が浮かんだり、常に時計や自分のバイタルが表示されるようになっても平気だった。
自分が生物として、決定的に大きな一歩を踏み出した感覚はあっても、ノゾムが見ている物と同じ世界に近づいたのだと思えば、そこにあるのは悍ましさや脅えではなく、深い深い喜びさえ感じたほどだ。
しかし、そのノゾムが敵になったら?
「あっ、アラート! 二時方向……」
複座に座ったファルケンが悲鳴のような声を上げた。彼はレーダーや計器に齧り付くようにして、何も見落としてなるものかと必死になっているが、そのせいで却って視界が狭まっていることに気付いていない。
同時に、電探が拾ったのが反応欺瞞装置であることにも。
「そっち何もないよファルケン!? 電子戦に引っかかってないかい!?」
「けどレーダーは……うわぁ!?」
機体が揺れる。背後から強大な質量弾が機体に突き刺さり、疑似感覚で肩の辺りに圧力を感じるのはダメージレポートを一々見ずとも、体感で何処に被弾し方を教えてくれる機能のおかげだ。
故にガラテアは転ばずに済んだ。敢えて衝撃に逆らわず、前に数歩進んで勢いを殺してから反転。
同調している〝テイタン2-TypeG〟で躍るようにとはいかないが、不格好にならない程度のターンを成功させられた。
しかし、慌てて振り向いても、そこには崩れたビルがあるだけで何もない。銃口を緩やかに巡らせてFCSの感を探ろうと、ただ虚しく〝標的なし〟の文字ばかり。
恐らく半円形に抉れた痕は、姿を現すことなく建造物を貫通して撃った痕跡。一撃で撃破できないと悟った敵は、さっさと位置を動かしてしまったのだろう。
「1-1、どうした!」
電脳に備わった無線機構を通じて僚機からの通信が入る。機体が歩行する際に伝わる衝撃や、被弾時のダメージを抑えるため操縦手槽の内部に充填された緩衝液があっても耳元で囁いているようなクリアさの声は、ガラテアの勘違いでなければ脅えているのだろう。
「被弾した! 継戦可能!! 1-2、そっちは反応ある!?」
「こっちには何も……うわぁぁぁぁ!?」
「1-2!? 1-2!? 応答しろ!!」
「たすっ、助けっ……」
悲鳴の後に聞こえてきたのは、形容しがたい鋼と複合材が奏でる絶叫。
見えなくても、何が起こったか類推することはできる。
1-2、僚機が撃墜されたのだ。それも操縦手槽を完全に破壊されるような方法で。
「応答しろ1-2! 聞こえてるのか!」
「駄目だファルケン! 1-2はやられた! くそっ、1-3と合流する! 位置を報せてくれ!!」
信じたくないが、僚機は一撃でやられたらしい。未だ諦め悪く無線に話しかけているファルケンに怒鳴りつけて、ガラテアは生き残った小隊員の位置を教えさせた。
「だから索敵陣形はもう少し狭めるべきだったんだ! ファルケン、君の意見具申は、どれだけ五月蠅くてももう聞かないからな!」
「聞き入れたのは騎士ガラテアでしょうが! それに、そうしてたら何時までも見つからない!? 敵は単騎ですよ!」
「歩兵戦闘とは勝手が違うんだよ!!」
ワタワタ慌てるばかりでイマイチ役に立たない副操縦手に内心で舌打ちしながら、ガラテアはテイタン2を走らせた。四時方向300m先にいるはずの僚機を目指して。
「1-3! 合流する! 背中合わせで迎え撃つよ!」
「了解した1-1! 急いできてくれ! 今動体センサーに何か……うわぁぁぁ!?」
どうした、と問うだけの余裕はなかった。
何せ、脆いビルを突き破りながら〝敵に襟首を掴まれた僚機〟が突っ込んで来たのだから。
「わぁぁぁぁぁ!?」
「がはっ!?」
仲間の機体を支える暇もなく、予想もしていなかった襲撃に反応が遅れてガラテアは押し倒された。1-2は機動力を上げるため抗重力ユニットの出力を上げていたのが幸いし、押し潰されるようなことはなかったが動きが著しく制限されている。
早く退けねばと、主感覚素子を覆う位置にある仲間の肩を掴んでずらせば、逆光の中に赤い光が見えた。
「ひっ!?」
ミリタリーグリーンに塗装され、左腕に敵機であることを意味する赤い輪の塗装を施したテイタン2が倒れた二機を睥睨していたのだ。
そして、その機体は右手に持った対機動兵器用の大型レイルガンを1-3の胸郭に押し当てると、迷いなく引き金を引いた。
「ぎっ!?」
鋼が拉げる音。胸部装甲は操縦手の命を護るため特別頑強に作られているため、接射されても一撃で破壊されることはないが、伝わる衝撃は凄まじい。今頃、1-3のコックピットブロックを満たす緩衝液は、硬化して白く濁っていることだろう。
「だめだ! 1-3! 脱出しろ!!」
「で、できない! 今の一撃で装甲が歪んだ! ベイルアウトできなっあがっ!?」
そして、二射目が淡々と叩き込まれ、装甲の歪みが大きくなる。
三発目を受ければ正面装甲は砕けて剥がれ、操縦者槽が剥き出しとなった。
そして、無慈悲に叩き込まれる四発目。
「がはっ……」
頑強な外殻も圧倒的な運動エネルギーを持つレイルガンに耐えられるはずもなし。弾頭は正面を貫通して内部を搭乗者諸共に〝攪拌〟して、背部装甲にぶつかってとまった。
「何やってるんですか騎士ガラテア! 早く1-3を退けてください!」
「くっ、無理だ、膝に何か挟まってる! あっ、わっ!?」
がらんと重い音を立てて、レイルガンが地面に投げ捨てられた。放熱板を開いて陽炎を幾本も漂わせたソレは、弾が切れたのであろう。
代わりに赤帯を巻いたテイタン2が手にしたのは、巨大な片手斧であった。
斬るのではなく、頑健にして粘りある展性合金を叩き割るためだけに生まれた武装は陽光を浴びて剣呑に光る。
そして、刃の後端に備わった〝推進器〟に火が灯る。
「わぁぁぁ!? 騎士ガラテア! 反撃を! 騎士ガラテア!!」
「きゃぁぁぁぁぁ!?」
咄嗟にナックルガードを展開した拳を翳して受け止めようとするが、腕の振りとスラスターによる二重の加速を受けた斧がそれで止まるはずもなし。手首から先が酷く歪んで破断し、乱雑に何度も振り下ろされる刃が腕をもぐ。
そして、頭部に深々と突き立てたかと思うと、甲殻類を解体する要領で曲がらぬ方向に曲げて引っこ抜いたではないか。
同調しているガラテアは痛覚をオフにしているので、首を引っこ抜かれても酷い圧迫感しか感じなかったが、それだけで済むはずがない。
頭が取り払われたことで、脆い内部装甲が露出してしまったのだ。
敵はそれを絶対に見逃さない。ただ撃破して戦闘不能にするのではなく、確実に搭乗者を殺して〝二度と戦場に戻れないよう〟念入りにやる。
振り上げられた刃が、サブカメラの中、逆光の黒の中で不吉に煌めいた。
「ノゾム……」
思わず口から溢れた名は、操縦手槽が拉げる音に紛れて誰にも聞こえなかった……。
暗転、そしてビープ音。暗くなった内部に灯りが灯るのを感じて、ようやくガラテアは自分が生きている事に。
これが演習であることを思い出すことができた。
『状況終了。お疲れ様でした』
淡々と響くセレネの声。疑似演習用の摸擬操縦手槽の中に緩衝液はつまっておらず、斧で叩き割られてもいなかった。
全て仮想空間での出来事なのだ。
「……生きてる」
「はぁっ……はぁっ……吐きそうだ、何度味わっても慣れない……」
訓練装置が開放されて、外に出るように促されても二人は暫く足腰に力が入らなかった。
嫌なリアルさで表現される死の感覚。潰れる機体、味方の悲鳴、そして自分が終わる刹那。
こんな体験、何度繰り返しても慣れる訳がないと、ガラテアは転げ落ちるように座席から這い出しつつ思った。一度、“名前のない怪物”によって殺されかけた彼女ですらそうなのだから、新兵達はより心に深い傷を負ったことだろう。
「全員戦死だ! 情けない!!」
天蓋聖徒郊外。地面に下ろされて中身を片付けたブロックⅡ-2Bの中に設置された、仮象訓練装置の前で一足先に降りていた望が叫ぶ。ヘルメットを片手で弄び、満身創痍の新人パイロット六人を見下ろしている姿には、単騎で機動兵器三機を相手にした疲れは全く浮かんでいなかった。
それも、武装も一世代前の物を使い、出力も規定の2/3に落とした機体を使って〝副操縦手の支援なし〟で戦っていたにも拘わらず。
「おえぇぇぇ……」
「ファルケン! 反吐は自分で片付けろよ! 全く、今のは酷いぞ! 感想戦の前に格納庫十週! 駆け足よぉい!!」
「ひえぇぇぇ……」
さて、枢機卿補佐アウレリアの御触れがあり、聖徒からの詔が告げられた後に十数名の騎士が〝聖別〟を受けて端子を授かり、同時に電脳化を施された。
彼等が選ばれたことに喜ぶのもつかの間、始まったのは地獄の訓練であった。
基礎プログラムを終えて機体を格好だけでも動けるようになった後に待っていたのは、ひたすらに仮象の世界で行われる殺し合い。
時に単騎で、時に仲間同士で、延々とテイタン2を操って行われる闘争は無限に続いているかのように思われたが、電脳によって圧縮された体感のせいで僅か数分に過ぎない。
今、さっさと起きろドン亀共が! と怒鳴られて必死に立ち上がっているガラテアは三十分以上も勝ち目のない、遭遇戦を想定した訓練を行っていたつもりであったが、視界の端っこに映る時計ではたった五分しか過ぎていないことに絶望した。
彼女達の電脳では仮象戦闘装置を使っても六倍速しかできないので、統合軍の兵士ほど連続して殺され続けることはないが――そもそも彼等は、一回死んだくらいで訓練に休憩を挟まない――それでも辛い。機械神への信仰、そして聖徒から選ばれたという矜恃がなければ、何人もが初日で訓練を辞めていただろう。
ただ、まだ三日目。そう、この煉獄で炙られるような苦行が始まって何週間も経っているように思える時間を過ごしても、まだ三日なのだ。
慣熟訓練は半年続く。これがあと半年? そう思うと、如何に騎士として鍛えられていても、格納庫を走る脚が重くならざるを得なかった。
走っている間に更に二人が反吐を吐き――勿論自分で掃除させられた――十分間の休憩を挟んでから、戦闘映像を再生しながら何処が悪かったかをケチョンケチョンに貶される。これまた精神的にキツい時間を過ごした後、更に三度の戦闘を行って、マギウスギアナイト達はようやく開放された。
「どうしたガラテア、魂が抜けたような顔をして」
「ノゾム……」
ぼぅっと表に出て疲弊した精神を沈む夕日に晒して癒やしていたガラテアは、仮初めの空間で味わった今際の際に呼んだ名の持ち主に声を掛けられてビクッとしてしまった。
何事もなかったかのようにツナギの上をはだけさせ、襯衣一枚になっている彼は普段通り笑みとも無表情ともつかない特有の表情を作ってそこにおり、立ち姿には鬼神さえ退くような凄みは全くない。
訓練装置の中で見た時は、聖典に伝わる地獄の悪鬼でさえ可愛らしく感じる恐ろしさを放っていたのが嘘のようだ。
「いや、ノゾムが強いのは知ってたけど、本当に……本当に強いなぁって……」
「まぁ、私の本職ってアレだからね。歩兵はやれるってだけで、得意ってほどじゃないし」
『当たり前でしょう、ヒヨッコさん。上尉は総搭乗時間二十万時間超え、総撃墜数二九機のエース・オブ・エースですよ。しかも、ミッションキルやタスクキルではない、操縦手撃破確実だけでの二九機です』
そこにまるで自分のことを誇るようにセレネの人形筐体が飛び降りて言った。いや、実際彼女は訓練時からずっと彼の副操縦手を務めてきたため、正に己の誇りでもあるのだろう。
「にじゅっ!? い、一日が二四時間だから……」
『大体二三年くらいですね。訓練やシミュレーション時間を含めるともっと長いですが』
「それでも僕の人生ぐらいある!?」
そりゃ勝てないよ、とガラテアは草原に体を投げ出した。そして、隣に腰を下ろす彼を見て、やっぱり適わないと思った。
成人した騎士より長い時間、実戦で守護神と同調していた相手に高々十時間ちょっと乗っただけで歯が立つ訳もないのだから。
「でもガラテア、少しずつだが動きは良くなってるぞ。今日は背後からの不意討ちにも反応して転ばなかった」
『初日は酷い物でしたからね。受け身も取れず感覚素子を潰して棺桶状態でしたし』
「君の成長は群を抜いてる。誇って良い。ただ、配下に引っ張られているのはいただけないな。君からもっと副操縦手に指示を出せ。機長の権利だし、何より君は1-1、部隊長だったんだから」
慰めると同時に問題点を提示してくれる彼に――ガラテアは若いとは言え、もうこの中では最先任かつ唯一の騎士教導過程修了者なのだ――滅多打ちにされた自分はどう反応すれば良いのか分からなかった。
しかし、初日の演説が脳裏を過る。
今から私はお前達を何度も殺すと。愛するが故に殺す。実際に死んで欲しくないから、嫌になるまで殺し続けると。
愛している、演説のための言葉尻に過ぎないのだろうが、その言葉が心の中で温かく残っていて離れない。
死んで欲しくないから、取り返しの付くシミュレーションで殺すというのは些か倒錯的な気がしないでもないが、本気で大事にして貰えているのだと改めて理解できて、ガラテアは胸が熱くなるのを感じた。
「……でもさ、戦場に出る時はノゾムが1-1なんだよね」
「そりゃあね」
「……1-2は僕のためにあけてくれているって、ほんと?」
「私が君に嘘をついたことが? 2-1を任せなければならない時以外、そこは君の指定席だ」
微笑まれて、やっぱり勝てないなぁと思うガラテア。
夕映えに染まる笑みを糧に、明日も頑張ろうと決意して、彼女はそっと目を閉じた…………。
【惑星探査補機】マギウスギアナイト達に支給されるテイタン2は、操縦手の負担軽減のため複座化改修されることが決定している。これは本来フライトオフィサを疑似知性が行う設計であるからなのだが、黄道共和連合の機密保持コードに従って戦闘用AIの設計図が削除されており、製造できなかったためである。
愛しているの言葉だけで強くなる女。
明日も更新時間は未定でお願いします。
感想は作者の原動力。よろしければ、ちょびっと補給してやってください。




