5-3
一人の乙女の話をしよう。
とある男の部屋の前で、冬眠し損ねた熊のようにウロウロしている女の名はガラテア・ダッジ。
ダッジ侯爵家の四女であり五男四女の末娘である彼女は、侯爵家という立派な家柄の中でも随分と浮いていた。
両親の計画になかった子だから、他の姉妹と年の差が開いていたから、何より隔世遺伝で先々代の血が濃くでたのか蜂蜜色の肌を持つ彼女は、一時不義の子ではないのかと疑われたこともあったのだ。
故に彼女は家が嫌いで嫌いで仕方がなく、自分に才能があると分かるや否や家を飛び出した。
そして国家安寧、民草を護るという名目で軍務により都市を離れることが多いマギウスギアナイトに志願した。
幸い彼女には機械精霊と繋がる才能があったため、三方より敵が押し寄せる天蓋聖都を護れる戦力を常に欲した騎士団に受け容れられ――侯爵家とのパイプが欲しかったのもあろうが――最も巧みにギアキャリバーを操れる者が配属される北園騎士団への配属という栄誉も賜った。
そこで彼女は数年間幸せな時間を過ごすこととなる。
戦友に恵まれ、厳しくも暖かい上司にしごき上げられて始めて〝一人の人間〟として遇されたように感じられたのだ。
しかし、その幸福も長くは続かない。華々しく飾るはずであった初陣は〝名前のない怪物〟の急襲によって壊滅。戦友も、上官も、騎士としての誉れも、始めて自分の力で手に入れたと思った物全てが粉砕されたのだ。
テックゴブ達に乗せられた大八車の上で薄ら意識があった彼女は、何故ここで仲間達と死なせてくれなかったのだと運命を呪ったものだ。
そうすれば、同じく機械神の御許へ戦って死んだと、ただのガラテアとして斃れたと胸を張って誇ることができたのに。
敗残兵として生き残るなど、あんまりではないかと天の采配に涙したものだ。
だが、運命は睨み付けるばかりではなく、彼女に微笑みも贈った。
その微笑を向けた相手の部屋に備えられたインターコムを、どう鳴らそうかウロチョロしているのだが……鬱陶しいとばかりに何の前触れもなく扉が開いた。
「ひゃっ!?」
『部屋の前をウロチョロしてセンサーを延々騒がせないでください』
扉は勝手に開いたのではない。中にいる一つの存在が開いたのだ。
ガラテアが恐る恐る部屋を覗き込むと、矢鱈と豪華な大司教に宛がわれるような部屋の広々とした主室に彼女は佇んでいた。
暇そうにサイズ比でいえば巨大すぎる椅子に腰掛けて、足をブラブラさせながら何らかの器機を弄っている姿は大きさを鑑みても異形であった。
黒く艶のある肌はガラテアのそれと違って人間の色ではない。磨き上げた黒曜石のように艶やかな金属の表皮は人外のそれであり、前髪を一直線に切り揃えて鼻の半ばまでを隠す白い髪と相まって天蓋聖都の人間には神秘的に映える。
また、軟質素材で覆っているのか膝関節と踝のないヒール状の足や手甲のように長い泪型の前腕部から伸びる五指。体の各所から伸びて色々な器機に接続されているケーブルは、お伽噺の挿絵に現れる機械妖精そのものだ。
「き、機械妖精様……入っても?」
『ですから、私にはセレネという上尉がつけてくださった素敵な名前があるので、そちらでよんでくださいと』
「でも、畏れ多いですよ」
『はぁ、面倒な……まぁ、ずっと部屋の前をウロウロされるよりマシなのでどうぞ』
促されておずおずと入室した彼女は、セレネと名乗った子守型ドローンを改造した筐体の前におずおずと座った。
「そのう、機械妖精様は何を……?」
『上尉の装備を改良していました』
言うと、セレネの前に置いてあった一抱えほどある機械がプシュリと内部を保全するために蓄えていた窒素を吹き出しながら開いた。
内部に鎮座しているのは、小型の立体成形機によって製造された一丁の〝電磁加速銃〟であった。
今までのコイルガンとは異なり、望の筐体本体に電源が備わったが故にバッテリーと併用することで何とか運用出来るようになったレイルガンだ。
といっても、急造品かつ省電力で稼働することを前提に据えているため通常モードでは輪胴型のシリンダーに収めたヒューズと弾体、グリップの内部全体をバッテリーにするという無茶な構造な上、燃費を度外視した強装モードでも約12,000Jが限界という、地上軍の兵士が見たら頼りなくて泣きそうな代物ではあるのだが。
「これが、ノゾムの新しい銃……」
『今までの兵装ではマギウスギアナイトの装甲を貫通できなかったので、これから先の戦いに備えて新設しました』
「普通に殺せてたと思うんだけど……」
思い返せば身を震わせたくなるような光景が甦った。
そこでガラテアは初めて見たのだ。厳しい表情をした望を。
彼は視線だけで人を殺しそうな表情をして、無情に引き金を絞って狼藉を働こうとしていた者達を排除してくれた。
あの時、まるで運命が苦笑してくれたかのように彼が現れていなかったならば、自分は純潔を奪われた上に死んでいただろうと酷く暗い想像が過る。
だからだろうか、あの冷たい目にゾクゾクとした謎の快感を覚えてしまったのは。
笑っているのか無表情なのか判別がつきがたい表情を常に浮かべた彼が、コロコロと表情を変えるのは戦闘の最中と、ガラテアが何か頼みごとをした時くらい。優しい笑顔以外もできたのかと思うと同時、冷酷な一面を持ち合わせていた彼にドキッとした理由を彼女は今も咀嚼できていなかった。
『追加装甲を纏った騎士を貫徹できなかった時点で威力不足でしたから。上尉の筐体がアップグレードされたのに合わせて、こちらもと思いまして』
「凄いなぁ、機械妖精様は、なんでもできて……」
『皮肉ですか?』
問われてキョトンとしたガラテアに、小さな小さなボディの数列自我知性体は呆れたように首を竦めてみせた。
『この筐体でできることなんて、上尉のお話相手くらいのものですよ』
「でも、今銃を作って……」
『それは本体が……といっても、イマイチ分からないでしょうね』
ヤレヤレと首を竦める筐体は、自分では運べないので立体成形機から銃を退かすようにガラテアに頼んだ。小型に見えて重量が7kgもあるため、この子守型ドローンを流用したボディでは浮かすこともできないのだ。
「……ばーん」
手首にちょっとクるほど重い銃を持ち、引き金がない不思議な構造に首を傾げながらもガラテアは慕っている男の新たなメインアームを構えてみた。
銃にしてはトップヘヴィで重さが前部に偏っていることもあってクセが酷く強く、構えるのに苦労しそうだ。
今までの銃もそうだが、望はよくぞこんな物を百発百中で当てるなと感心するガラテアに、セレネは万が一にも弾がでないので好きにさせてやったが、モヤッとした気持ちを抱えることになる。
ない筈の臭覚センサーが甘酸っぱい匂いを感じ取って不愉快にさせるのだ。
『それで、態々訪ねて来た訳は? 今、上尉は枢機卿補佐殿と会談中ですよ』
「あっ、うん、その、疲れるてかなと思って……」
言われて、彼女は今まで抱きかかえてウロウロしていた箱を開いた。
中に収まっているのは小さなケーキだった。職人が熟達した腕前で焼いたと言うより、素人ができる限りの腕を発揮して作ったといった風情の素朴なそれは、外見からしてチーズケーキであろうか。
天蓋を維持させる人類を生み出すと同時に〝イナンナ12〟の船員は、彼等が衣食に困らないよう大量の家畜も生産していた。
その中で特に多かったのは牛だ。重作業に使ってよし、乳を飲んでよし、肉を食ってよしとメリットだらけの牛は、単位面積あたりでの育成コストは高いものの、利便性の高さによって多くがクローニングされて地上に降ろされている。
故に聖都の人間はチーズをよく食べる。パンにはクリームチーズを塗り、単体で囓り、溶かして肉を浸して食べることもあるなど国民食なのだ。
これは、その中でもクリームチーズを使って作ったスフレチーズケーキであろう。
素人作ながらフワッとしたそれをセレネはじぃっと見やったあと、唐突にケーブルを一本突き刺した。
「ほら、疲れた時には甘い物が一番かとおもっ……って、妖精様!?」
『糖度、硬度、成分検索……』
「僕が毒なんて盛るわけないだろ!?」
『いえ、上尉は結構食に五月蠅い方なので、予め採点しておこうと思って』
「アレで!?」
アレとは普段の望の食生活だ。彼は一粒400キロカロリーの栄養錠剤を囓るだけで食事らしい食事を摂ることはなく、水分補給も専ら水が尽きない不思議な水筒から呷るのみ。聖都に来てからも正餐や晩餐に誘われようと受けることはなく、体を乗り換えてからは錠剤を囓ることすらなくなった。
機械の体なので平気だと言われても、ガラテアには人間にしか見えないので――実際、そう見えるよう作ってあるのだが――心配になって、少しでも口にして貰えないだろうかと手慰みの趣味を披露しに来た訳だ。
『普段食べる必要がないからこそ、ですよ。上尉の採点は滅茶苦茶に辛いです』
「は、はぁ……」
さりとてしょせん趣味。本来は厨房に出入りすることなどよしとされない身分であるのを、家族の無関心をいいことに掻い潜って無視してきた彼女は、見よう見まねで作っているだけで玄人には遠く及ばない。
このスフレチーズケーキも材料の入手が今の聖都でも容易なのと、釜の温度調節がそこまで難しくないからできただけで、作った後に「こんな物を出して不敬ではないだろうか」と思い直して部屋の前でウロウロしていた次第である。
それに彼は聖徒なのだ。きっと近いうちにもっと神の御座に近い、それこそ聖女が従僕として与えられるのではないだろうか。
そう考えたガラテアは胸がギュッと締め付けられる感覚に襲われ、息が詰まった。
機械妖精様に勝てないのは分かっている。望から直接名を与えられ、ずっとずっと共にあったと聞かされた時、ストンと「ああ、勝てないのだな」と納得できた。
聖徒は機械神に祝福された大いなる存在。死からも、肉体を失ってさえも蘇り民を救い給ふ存在。そんな彼の隣に機械妖精がいることは、月下の夜に美しい池が映えるのと同じくらい当たり前のことだ。
しかし、同じ人間相手だと思うと……。
胸の締め付けが苦しかったからだろうか、小さな舌打ちを模した合成音声はガラテアに完全には届かなかった。
『素朴でいい味わいじゃないですか。酒漬けのレーズンが入っているのも上尉的にポイント高いですよコレは』
「ほ、本当ですか機械妖精様!」
『ええ、まぁ、私が合成する物には劣りますけどね』
どこかセレネが不愉快そうなことに気付かないまま、ガラテアは無邪気に喜んだ。作って良かったと。
「……おや、ガラテアかい? どうしたんだ、君が訪ねてくるなら茶の一杯でも用意していたのに」
そんな折りに望は戻ってきた。手に幾枚かの書類を挟んだバインダーを持っていることからして、何か新しい仕事を手に入れてきたのだろう。
「あっ、ノゾム!」
「よかった、また聖徒様と呼ばれた日には寂しくて死んでしまうところだ」
自然な動作でガラテアの隣に座った機械化人は、バインダーを放り出して目聡くケーキを見つけた。
「おや、差し入れかい?」
「ん、ああ、今までの道中では碌な料理をする機会がなかったし、ノゾムもその体になってから何も食べてないようだから……」
「有り難いじゃないか、私の好物だよチーズケーキは。しかもスフレか、しゅわっとした口当たりがいいんだよね」
いそいそと部屋に備え付けられた食器を人数分用意して、切り分けて配る望は思わぬ差し入れに心底嬉しそうであった。
ガラテアは思う。こんな素朴な持て成しで喜んでくれるのなら、正餐会で一口も手を着けなかったというのは嘘なのではないだろうかと。あれほどご馳走が出てくる集まりも、聖徒では他にないというのに。
「さて、いただこう」
「機械妖精様もめしあがるのですか!?」
『今は食べられませんが気持ちですよ、気持ち』
三人分の仕度を手早く調えた望は、一口囓って蕩けるような笑顔を浮かべた。普段は曖昧な形で結ばれている唇が解け、目尻が下がっておだやかな笑いはガラテアに向けるそれと同じ。
喜んで貰えたことにガラテアは胸が弾むような、締め付けるような奇妙な感覚を覚えた。騎士として生きること一辺倒だった当年二三歳乙女、彼女は未だ恋の整理を知らぬ。
機械化人は融合炉の出力があるから普段使う必要がない小型の有機転換炉に仕事をさせながら、この体になってから初めての食事を堪能した。
軽い酸味のある甘いチーズの味。口蓋に下で押し当てればシュワッと消えてしまう独得の食感。どれも仮想空間でも味わえるが、手間の掛かる基底現実で楽しむからこそ一際楽しい贅沢であるのだ。
「んー、美味しい」
「よかった……」
胸を撫で下ろすガラテア。三人での茶会はしばし進み、やがて終わる頃に望は徐にバインダーを取りだした。
「少し話があるんだ。また君に着いてきて貰いたい所があるんだが……」
「僕が……? 僕なんかでいいのかい? ほら、聖女が何人も……」
「君がいなくてどうするんだい?」
何を言われているのか良く分からないという顔をする望に、ガラテアは胸に一際大きな衝撃を受けて思わず体を仰け反らせそうになった。
『上尉のこういうところ、嫌いなんですよね』
「えっ!? せっ、セレネ、私なんか拙いこといったか!?」
『いーえ? 釣った魚に餌をやり過ぎるのもどうかと思うだけでして』
魚なんて釣ってないぞと言いはる機械化人に数列自我は冷笑で返した。
そして、当の魚は、こんな気持ちを味わえるなら魚も悪くないかななんて思うのであった…………。
【惑星探査補記】機械化人は物を食べる喜びを趣味として覚えているため、基本的にどの型の義体であっても喫食が可能なように作っている。排泄不要の有機転換炉は小型過ぎて主機が壊れた時の予備未満であるが、誰もそれを〝無駄〟と断じることがないのが彼等の微かに残った人間性と言えよう。
申し訳ありません、少し寝坊しました。
2024/08/07の更新も18:00頃を予定しております。




