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私達の頭、すなわち脳殻の中に浮かんでいる光子結晶は物理的に砕けない限り、半永久的に情報が揮発しない現在で――といっても二千年前の基準だが――最優の記憶媒体であるが、これの製造にはブラックホールに引き込まれる〝光でさえ脱出不能な間近〟の環境、つまり光子を捕まられるような立地が必要で、そこまでやってようやく結晶化させることができる。
つまり凄まじく閾値の狭い条件と技術が両立して成立しているものであって、基本的に人間が持って生まれていいわけがないのだが、如何ともし難いことにテラ16thの人型実体は大体これを持っている。
シルヴァニアンに関しては未確定ながら、彼等も大なり小なり機械を使っていることからして体内に宿してはいるのだろう。端子を積極的に使おうとしなかったり、ティシーを崇めているため自分達の体内にあまり興味がないだけで。
「では、聖なる端子は神祖が授けたものではないと?」
「そこなんだ。第何世代から備わったか分からないが、君達には突発的に光子結晶と端子を持つ才能を持った人間が生まれたと思われる。そうでないと色々理屈が立たないんだ」
少し無礼ながら椅子の脇息に体を預けて大きく溜息を吐いた。
多分、これには〝イナンナ12〟の船員達も驚いただろう。自分達の設計諸元に含まれていない物が唐突に湧いたのだから。
かといって「じゃあいっか!」と開き直って無動力でも動くからと、ギアアーマーやギアキャリバーを設計しはじめた精神性はイマイチ理解しかねるが。
だって普通にホラーだろ。設計してない物が唐突に生えてくるとか。我々だったら原因の究明に何世紀かかってでも取り組んで、納得行くまでプロジェクトを凍結するような案件だ。
まったく、これだから大雑把な旧人類は……。
「……やはり神はいらっしゃるのです」
「それで納得できるなら構わないんだけどね」
手を組んで祈りを捧げるアウレリアは神祖への信仰を喪った代わり、益々機械神への信仰を深めたようだ。
私もちょっと信じたくなってきたよ。そうでもないと得心行くだけの理由を見いだせていないのだからね。
「君達の由来に対する報告はこの辺にしておこう。私のコードが狂いそうだ」
「外典に加筆できそうな内容でもありませんね……これは、枢機卿が口伝でのみ伝える内容にしましょう」
お互いに溜息を一つ吐いた後、私は彼女に一つの端末を渡した。
ぱっと見はスタイリッシュな文鎮であるが、実態は旧人類が使っていた空間投影型のタブレット端末だ。
電源を入れると肉眼でも観測できるホログラフィックが空間に映し出され、後は直結するなり指で触れるなりで体感的に操作できる。
肉体を動かすという余計な一動作を介する点で我々には使われていなかったが〝イナンナ12〟乗員の置き土産が大量にあったので使わせて貰うことにしたのだ。
「これは、聖典の原本に近い媒体ですね」
「直結してもいいし、音声操作や接触操作でも構わない。まずは地図をだしてみてくれ」
アウレリアは似たような器機を扱い慣れているのか直結用コードを差すと直ぐに地図を呼び出した。下半分が灰色に塗りつぶされた――喪失ブロックだ――〝イナンナ12〟の全体図の中で、一部の区画が白く明滅するように設定してある。
「禁忌区画の中で、その経路は開放しておいたよ。食料生産施設と給電施設だけに繋がるよう工夫した」
「助かります。これで下の民達を飢えさせずに済むでしょう」
私が開放してきたのは単純な糧秣生産設備と各種バッテリーへの給電を可能とする施設であり、これで竜という災害から復興中の街を支える支援物資の差し入れだ。聖なる機械への接続を穏当かつ秘密裏に許して貰った上、一部設備を譲って貰えたのだから妥当な取引だと思う。
食料生産施設は時間単位で数万食分の軍用食料が生産できるし――ちょっとディストピア臭がするが、味は悪くないんだ――大型バッテリーを供給できれば送電網が寸断された街の機能も間に合わせ程度に回復するだろう。
「さて、急場はこれで凌げるとして」
「長期的視座での対策ですね。これを……」
寄越された綺麗な植物紙を受け取って見れば、そこにはプリンターがあるのか綺麗なフォントで名前が沢山並んでいた。どうせなら羊皮紙でも使っていてくれた方が雰囲気もでるのだけど、アレはコストが高いから仕方がないか。
実質リソースが無限とも言えるVRの中でもなし、雰囲気演出のために羊革を鞣してくれとは言えんからな。
「破門した者の名簿、及び〝逐電した〟者達の一覧です」
「おうおう、結構な量だ……」
「破門者の中には逐電した者達の後を追った者も多いようで、地方で何か良くないことを企てる可能性が懸念されています」
いっそ〝処して〟おきゃよかったのにと思わないでもないが、街がこれだけ荒れてる中でやると恐怖政治の夜が訪れかねないので致し方ないともいえるか。
「やはりヴァージルは逃れたか」
「手際がいいことで、資産や道具、技術の多くを持って逐電しました。今は行方知れずですが、地場の勢力を握っている北にいるかと……」
天蓋聖都北部はここより肥沃な平原帯であり、最大の穀物生産地帯であるという。主に四つの領邦と一つの辺境伯領から成り、ヴァージルはその中でも最大版図を誇る領邦出身のマギウスギアナイトで東園騎士団の団長にまで成り上がった傑物だ。
だというのに南方にも陰謀の食指を伸ばして私腹を肥やすとは、本当に人間の欲は尽きることがないのだな。
「結局、アイツは何がしたかったんだ?」
「マギウスギアナイト内での政治的有力者に立ちたかったのでしょう。先代騎士総代が病で亡くなったあと、竜の急襲もあって選挙どころではなかったので、済し崩し的に総代就任を狙っていたようです」
ふーむ、そこは分かりやすい悪党なんだな。実際、総代代行までは就任していたようだし、手腕は優れていたと見える。
まぁ、私というイレギュラーがいなければ上手く運んでいたんだろうな。
逆を言うと、いなかったら聖都は滅んでいた訳だけど。
ペラペラとリストを捲って内容を覚え、顔と一致しそうな物を紐付けた後で返却した。
もう覚えたのですかと驚かれたが、我々は意図してデータを削除しないと忘れる方が難しい生き物なんだ。人名くらいチラッとみただけで永劫に記憶するくらいのことはできるんだよ。
「それと、御身が人の姿を取り戻したことを一部の僧達が噂しておりまして」
「もう? ガラテアが話回った訳じゃないだろうから、チラッと姿を見られただけだろうに……」
「自分達も同じことをして貰えるのでは? と期待されているようですが」
「残念ながら、それは無理だ。アウレリア、貴女でもね」
ばっさり断っておくが、これは意地悪して言っているわけではない。
この〝イナンナ12〟はあくまで惑星地球化が終わった後で前線開拓拠点を惑星上に構築するべく黄道共和連合が持ち込んだ物であって、銀河高次思念連合体が売り渡した物であっても内部構造は全く異なる。
彼等向けに合わせて内装をイジっているのもあるが、不必要な設備は全て取り除いてあるのだ。
たとえば、高度な電脳処理化設備とか。
「私達は遺伝子を先天的に電脳化に向けて向上させてあるし、自我を二進数化する設備はもっと巨大で専門的な物が必要だ。何より本人を完全に二進数化するには“発生すると同時にログを取る”必要がある。」
そうでないなら、我々は自我を二進数化したなどと胸を張って言わないよ。これでいて自己連続性に自信があるから人類を名乗っている。そして、完璧に自我を二進数化しようと思えば赤子、つまり出生と同時にデータログを取らないといけない。
限られた時点から二進数化することは可能ではあるのだが、それだとどうしても何処かで連続性が途切れる。私達の観点において、それではデキの良いだけのクローンでしかなかった。
「ですが、我々にも同じ結晶があると」
「それは副脳と呼ばれる機械と繋がるための物で、脳を補助する一種のバイパスにしてサブデバイスだ。記憶データの蓄積はあっても自我データは保存されていない」
全神経網をスキャンして二進数化するのは非常に高度な作業だけあって、ただの立体成形機工場とは訳が違う。恐ろしく複雑な処理を可能とする光子電算機を並列化させたスパコンと、自我スキャナの二つが揃って始めて可能となる所業であって、ポンとできることと勘違いされては困るのだ。
できるとすればだ。
「ここ、惑星平衡点の四番に今も滞留しているであろう〝イザナミノミコト29〟ならば可能だが……」
当人が自我連続性に悩むことになる、不確実な二進数化だけだ。
地図を遠隔操作で星系図に切り替えて、ラグランジュポイントの一つを点滅させた。
ここが今回の惑星開拓における前線拠点にして総司令部であり〝イザナミ型惑星級母艦〟の二九番艦が停泊している。標準型戦艦さえ量産できる設備を持つ彼の船であれば、当然ながら自我データを複写する設備もパッケージングされている。
この設備さえ使えれば、組成が丁種義体と似ている聖都の民は機械化人になることも適うだろう。古い肉体を焼き潰すという処置に、精神が耐えられればだが。
「まぁ、それ以前の大きな問題として行き方が分からないってところなんだが」
「……そうですか。では、僧達はそのように説き伏せておきます」
少し残念そうにしている彼女は、自分が機械化人になれなかったことより配下をどう諫めるかで頭を悩ませているようだった。
大変だね、人の上に立つってのは。私は万年上尉で十分だったから軍大学プログラムに戻らなかったし、出世も蹴ってきたからアレなんだけど、百万都市の首長ってのはどれだけの精神負荷が掛かるのだろう。
あっちを宥めれば向こうが激発し、鎮火させたと思ったらそこの敵対派閥が文句を言う。終わらないモグラ叩きをやらされているようでちょっと可哀想だ。
今度、政務補助用の疑似知性くらいプレゼントしてやるか。幕僚団としてダース単位で。
「それと、もう一つ下から案件が上がっていまして」
「なんだ? 私への嘆願か? そろそろ設備拡張のために引き上げたいところなんだが……」
「お付きの聖女を選定すべきではないか、という意見が出ていまして」
「聖女?」
何だそれはと首を傾げれば、アウレリアはギアプリーストの中でも家格が高く、一等端子への適性が高い乙女のことだという。
現在は五人が聖女認定されていて、かく言う彼女も昔は聖女だったそうな。
なるほど、そういうのがあるのか。
「いや、私にはガラテアがいるからもういいよ」
「騎士ガラテアですか? ですが、彼女は侯爵家の四女であって格が足りませんよ。ギアスペルを操る才能もありませんし、足手まといでは?」
あ、やっぱり良いお家の出身だったんだな彼女。だから最初、自分のことを殊更ただのガラテアだと名乗っていた訳だ。
「私は戦場に赴くんだぞ? 家柄が良くてお淑やかな乙女を連れていけるものか。私のお付きはガラテアだけで十分だよ」
「……はぁ、また突き上げが厳しくなりますね。貴方に近づいてあわよくば、と思っている者達が数多いることをお忘れなきよう」
「精々気を付けよう。何、私に賄賂は効かないことは確かだ。安心してくれ」
粗方喋るべきことは喋ったかなと茶を飲み干せば、彼女はもう一つお願いがあると地図を引っ張り出してきた。
何でも、聖都を襲う異形は一つだけではなかったらしい。
「最悪なことに、周期的に襲われる時期が近いのです。ここで一つ大きな戦果を上げないと、民が離散する可能性が高いと」
「守護神様の加護ぞある、と唱えてもかね?」
「守護神様ですら分が悪い相手なのです」
ほう? と片眉を上げて続きを促した。
どうやらテックゴブ達を脅かしていたような異形が湧く地が一つあるらしく、その辺りは開拓不能地点のみならず、聖都に膨大な敵を流入させることがあるとして、六重の防御拠点を敷くほどに恐れられている。
だが、そこは遠征を主とする北園騎士団の担当だが、今回の防衛線で竜と正面から戦わされるという無茶を強いられたせいで半壊状態にあり使い物にならないとのことで――普段は見張りの常駐戦力も一個大隊くらいしかいないらしい――是非守護神様に〝出陣〟願いたいと嘆願が寄せられているそうだ。
「天蓋聖都で戦うのではなく、出向いて叩き潰せと言いたい訳か」
「足労を強いるのは無礼だと承知していますが、それ程に民はあの地を恐れています。そこから湧き出す〝不死の軍勢〟も」
本来なら、拠点防衛くらいなら自分達で工夫しなさいと言いたいところであるが、私はその場所に大いに興味を持った。
死の渓谷、そう呼ばれる場所は古い地図データと照合すると〝第5689開発拠点〟と場所が一緒であり、もしここから異形が漏れ出ているのなら、高次連に責任がないとは言い切れないし、あの〝穢れたる雄神〟と同個体を捕縛できる可能性があったのだから…………。
【惑星探査補記】聖女。極めて高いギアプリースト適性を持つ女性の敬称であり、将来は司祭や大司教になるため選抜されるエリート枠。ここから更に篩を掛けられて残った者が出世するのだが、アウレリアはかつて筆頭聖女として社交界羨望の的であったが、強い信仰心によって今まで独身を保ってきた。
本日で33歳になってしまいました。これからも拙著と私にお付き合い頂ければ幸いです。
2024/08/06の更新も18:00頃を予定しております。




