5-1
きしりと熟れていない故に微かに軋む腕を確かめるように動かして、ヴェイルの麗人は静かに正餐の茶を啜った。
向かいに座った私も何事もないかのように聖職者のみが喫することを許される真っ黒な液体を呷り、淡々と音もなくソーサーに戻した。
「味気ないな」
「やめてください。私もそうおもっていたところです」
貴賓室で饗された茶を飲んだ感想がそれだった。
いや、だって本当に物足りないんだもん。明らかに軍人の舌に「これでええやろ」と投げつけるための粗製品っぽい味がして、何と言うか凄く物足りない。
コクっていうのかね、深みっていうのかね、口の中で転がした時の奥行きがなくて苦みがひたすらに勝つというか……。
「やはり人間は堕落する生き物。飲むべきではありませんでした」
はぁ、と新しいヴェイルを纏った大司教猊下、ああ、今は〝枢機卿補佐〟に就任なされたアウレリア嬢が進呈した義手を鳴らしながらカップを卓に戻した。これはもう飲む気はないな。
「で、使い心地は如何ですか?」
「元の腕より器用で、元の足より負担がないのが腹立たしいくらいです」
避難の指揮を最前線で取ったがために左腕と左足を失った元大司教猊下に進呈した義手は、彼女が端子持ちということもあって〝副脳〟と直結していることもあり高度なソフトウェアと連動して動くため疑似触覚すら有している。
そのおかげで普段の生活に滞りなく戻ることができたようで何よりだ。
しかし、本当に要らなかったのだろうか。ご要望があれば散弾式のコイルガンとか超硬質ブレードとか、あと足ならハウジングスペースに余裕があるから擲弾だって仕込めたんだけど。
高貴な方だから、いざという時の護身具があって困ることはないと思うんだけどなぁ。
「使い心地といえば、そちらこそ如何です」
「まぁまぁですね」
「一応、胴体を回収したのですが」
さて、時は少し流れて私が義体を取り戻した翌日。わんわん泣くガラテアを引っ剥がすのにちょっと苦労したが、適合もフィッティングも滞りなく済んで、やっとこと私は人前に姿を現せるようになった。
格好はいつもの作業用ツナギにファーストラインをぶら下げた気楽なものだが、私を素手でノせる相手はギアアーマーを護ったマギウスギアナイト――ついでに私より格闘が達者という前提も必要だ――くらいなので非武装で訪ねている。単原子分子ブレード諸々返して貰ったけど、礼儀として一応ね。
「あ、原形残ってたの。あの中で残るとは奇跡的な」
「一応回収させましたが……」
「ああ、ご心配なく、普通に肉の体なので、他の遺体と一緒に弔って貰って結構」
私は泣き別れになった前の体にあっさりと別れを告げた。
すると、その感覚がイマイチ分からないのか枢機卿補佐猊下はヴェイルの下で眉を潜めていらっしゃるようだ。
そりゃあ、あの筐体が長い時間かけてセレネが再構築してくれたものだからといって、完全に損壊したら持ってても仕方ないからな。何時までも抜けた乳歯を大事にしている子供じゃあるまいし。
「そう仰るならそうしたいところですが、聖者の一部ということもあって聖遺物化すべしとの声が地下の説法僧から上がってまして」
「えぇ……」
それはちょっとドン引きした。
いや、本人ちゃんと生きてるんですけど。あとガラテアから貰って通読したけど、これといって聖人の復活伝説とかなかったですよね? 何でそんな物まで有り難がって奉りたがるの。
「ナンデ?」
片言で問うと、彼女は困ったように斜め下、つまり階下に広がる都市を見たのだろう。
「民草には縋れる物が必要なのですよ。いざという時に崇める物が」
街の外に今も突っ立ってるテイタン-2で十分じゃないんですかねぇ。首ナシ死体を崇めるとか邪教感が半端ないから止めて貰いたいんですが。
「……完全な復活に必要だからといって取り上げておいてください。あとでこっちで処分します」
「助かります」
大変だなぁ彼女も。この状態で人員が半分未満になって、ついでに都市再建やらにゃならんのだから。まだ三九と若いのに本当に大変だ。
「それで、禁忌区画の封鎖はどうなりましたか?」
「大体の情報は得られましたね。どうやら神祖達は貴方に過度なテクノロジーを与えたくなかったようです」
「その真意は?」
「食べ物が無限に出てくる箱の前に座るようになると不健全だから、だそうで」
あんぐり口を開けているのが面覆い越しに分かるが、極限まで分かりやすくするとそうなんだから仕方ないだろう。
あれから私達は彼女達が〝神祖〟と崇める存在が何をしたかったのかを探すべく――信仰に罅が入っては可哀想なので、ガラテアは帰した――深層に踏み込んで様々なデータを手に入れた。
まぁ、結果論的に言うと〝良く分からない〟が増えたというところなんだが。
「良く分からない、ですか」
「んー、含意が多くて申し訳ないのだが、この船が放置された意味や、何故テラ16thでの繁殖が許されたのかが結局謎でねぇ」
さて、〝ティアマット25〟ほどではないが〝イナンナ12〟の通信帯汚染による影響も深刻であったため、得られたデータは断片的だ。しかし確実に言えることが何点かある。
まず彼等の歴史はかなり正確だった。
通信帯異常が起こったのをX時と仮定すると〝イナンナ12〟も艦隊通信網に接続していたこともありX時±十秒以内に汚染されてコントロールを喪った。その時、この船は惑星の潮汐力微調整で月を引っ張ったり押したりする作業に従事しており、その進捗ログが残っていたので信憑性は高い。
ただ、ここで彼等と我々で違う所がある。
通信帯汚染を受けても旧人類ベースで多少体をイジっている程度の彼等は、機械化人や数列自我と違って致命傷を受けることはないのだ。
では、何故落着するまで〝イナンナ12〟を放っておいたのかというと、どうやら犯人は策士で〝非高次連人〟もちゃんとターゲットに入れていたらしい。
船体を管制している疑似知性は半殺しに留めた上、艦隊総旗艦たる〝ナガト7〟の縮退炉が臨界事故を起こしたとの偽報を送り込んでいたのだ。
「何て物を動力にしているんですか!!」
「言っておくけど、準惑星級だから〝イナンナ12〟も三基搭載してるよ」
告げると彼女がガタッと立ち上がって足下を不安そうに見始めた。しかし、縮退炉の原理が伝わっているあたり、外典とやら結構詳しく細かいことまで書いてあるようだな。
「まぁ、諦めた方が良い。暴走したら誰にもどうしようもないことだ」
「……この理論が外典にしか書かれていない理由が良く分かりました。まさか、足下にあるとは思ってもみませんでしたが」
「安心していいよ、今まで事故は一件も起きたことがないから。轟沈した艦でさえ即座にブラックホールを霧散させて無力化することに成功する程度には安全なんだ。さもなきゃ二百人から乗員がいる旗艦にそんな炉を採用しやせんさ」
ともあれ〝ナガト7〟は統合宇宙軍が誇る総旗艦専用艦級の〝ナガトノクニ型惑星級戦艦〟であるため七機の縮退炉を搭載している化物艦。こいつの炉がケーシング破損などで壊れると、この辺りに新しい銀河が一個生まれるくらいの大変動が発生しかねないため〝イナンナ12〟の疑似知性は大慌てで乗組員を避難させた。
実際、ブラックホールが新しく一個生まれてしまえば逃げ場なんぞないが、緊急跳躍などで離脱できる可能性が絶無ではないため、何とか乗組員を活かそうとしたのだろう。あるいは、緊急時にはそうするように定義されていただけなのか。
ともあれ乗員は〝ステイシスポット〟と呼ばれる一種の乾眠装置に入った。原理的には代謝を極めてゼロに近い状態に持って行きつつ仮死状態を維持させる、冷凍睡眠装置のアップグレード版であって、全乗組員はこれに入って奇跡を願った訳だ。
だが、当然ながら〝ナガト7〟は臨界事故など起こしておらず、狂わされた疑似知性は星系を離脱することもできず漂流。そのままテラ16th周回を漂う内に船は重力にひかれて徐々に、徐々に落下姿勢に入る。
「では、神祖の方々は」
「その時になってやっと起こされたのさ。〝出所不明の命令〟を受けた疑似知性に叩き起こされてね」
勿論〝イナンナ12〟に搭載されている疑似知性も馬鹿ではないので――汚染されていて真面な受け答えはできなくなっていたが――推進剤を吹かして現状位置を固定しようとするのだが、準惑星級を重力圏から離脱させ続ける無限の推進剤は搭載されておらず、ついに重力に捕まってしまう。
そして、破滅的な事態が避けられなくなった時点で船員達を乾眠状態から叩き起こし、起こった自体が惑星に被害を起こさないよう自壊しつつ、表面に落着するという対応だった訳だ。
恐らく寝起きの船員も事態が良く分からなかったことだろう。初の縮退炉事故に巻き込まれるかと思って神に祈りながら乾眠に入ったら、どういう訳か自分達の船はテラ16thに置き去りにされたままで、しかも墜落数分前とかいう意味不明な状況なのだから。
壊れたなりに疑似知性が仕事をしたのか、英断を下した艦長がいたのかは混雑して壊れたログからは判断不能であったが、惑星への影響を最低限にするため各ブロックを自切しながら〝イナンナ12〟は惑星表面上に不時着。
抗重力ユニットのおかげで恐竜絶滅ほどの被害は起こさずとも、プチ氷河期をもたらして惑星に降り立った訳だ。
「それが国作り神話の真相ですか」
「ああ。外典に追記するかい?」
「……止めておきましょう。こういうと失礼ですが、どこか間抜けに聞こえます」
仕方ないっちゃ仕方ないと思うんだけどね。船乗りって基本的に宇宙のことなんか体感できる訳もないから、機械の言う通り、計器の指し示した通り動くしかないんだし。
「で、地上に降り立った彼等は思ったわけだ。私と同じく、どれだけ時間が経っても故郷に帰りたいと」
「それで……」
「船体を維持するため、そして救助が来ることを願って自分達の遺伝子をベースに君達を生み出した」
ここで彼等は一縷の望みを掛けて、助けが来た時に救助信号を出せるよう船体を維持することを望んだ。
ただ、同時に不思議なことにも気付いた。
少々イカレていようと原始的な時計は壊れていなかったのか、彼等は事故から千年の時が経ったことに気付いた。それと同時、どういう訳か〝明らかに耐用年数を超えた〟船や装備が壊れていないことにも。
そう、如何に数個分遣艦隊を指揮できるような巨艦であっても十世紀もの間ノーメンテで一切の問題が起こらないわけがない。基本的に準惑星級船舶のメンテは八〇年に一度は行わないと行けないし、二〇〇年に一回は船渠に入れたオーバーホールが求められる。
そこまでやって耐用年数は八百年ほどを想定しているため、ただ無為に周回軌道を回っていた船が無事であっていいはずがないのだ。
ここで彼等は仮定に仮定を重ねた結果であるが、一つの推論を導き出す。
この惑星、あるいはこの星系には何か謎があると。
そして、その謎が自分達を生かしたのだと。
それから最終的に色々模索した結果が、あのスタイリッシュ遺体損壊と――実際には我々の頭骨を出力していただけだった――聖教な訳である。
まったく、科学の時代に生きていた人間が〝惑星が魔法をかけてくれた〟なんて大真面目に信じるのもどうかと思うが、実際そうでないと納得できかねる事態が起こっているのだから縋りたくなるのも分かる。
「そして、船に祈り続けさせ続けるため我等を生み……」
「またステイシスポットに帰っていった」
残念ながら黄道共和連合の人々は殆ど旧人類であるため、機械化して遺伝子治療を受けて諸々頑張っても三百年かそこら生きたら良い方だ。その寿命が短い彼等が生きて故郷の地を踏む方法は、また乾眠して救助を待つしかない。
故に百年ほどかけてコツコツ人口を増やした被造物に任せて……というより、全てを教えない内に全部うっちゃって乾眠に入った訳だ。
「なんと……なんと……」
「無責任な話だが、彼等は彼等で必死だったんだろう」
「それで神祖……いえ、乗組員達は?」
「んー……それがだね、残念ながらこの惑星の魔法はどうやら〝機械限定〟だったのか……短期間で二回目の乾眠に入る無茶のせいで全員フリーズドライ状態だ」
「フリー……?」
「簡単に言うと干からびた蜥蜴。水に漬けてももう戻らない」
一回目はギリ耐えたが、二回目はダメっぽくてね。漂流仲間が数百人単位でを増やせるかとウキウキで訪ねて行ったのだが、結果は全滅。
ステイシスポットこそ生きていたものの、中で寝ていた人達は乾眠のやり過ぎと間を置かず再び使ったこともあって細胞が壊れて駄目になってましたと。
何とも酷いオチだが、予測不能だから仕方あるまい。
というか、流石に誰も実験してないんだよなぁ、人間が千年以上乾眠したらどうなるかなんて。それこそステイシスポット実用化前の人体実験でさえ最長で百年とかしか試してない訳だし。
そも理論の時点で「いけて五百年とかじゃない?」くらいの試算だったからね、ステイシスポッドって。従来の冷凍睡眠より安全かつ確実だから採用されていたけど、流石に二千年は誰も計算してないから仕方ないって。
「とまぁ、神祖絡みで調べて分かったことはそれくらいだ」
「……せめてもの救いは、機械神が本当に存在することを確信させてくれたことだけですね」
額に組んだ手を押し抱いて祈りを捧げる彼女夜を見て、何だか不憫になった。
いや、でも調べて分かったことは教えて欲しいって言いただしたのは向こうだし、私悪くないよな……?
「それでもやっぱり謎なことがあるんだよなぁ」
「謎ですか?」
「なんで君達に光子結晶があるか、は一切記録になかった。そもそも、設計されてなかった」
「えっ……?」
大層驚いているところ申し訳ないのだけど、一番驚いているのはこっちなんだよ。
いやー黄道共和連合が何かの実験で自然分娩で製造できるようにしたのかと思っていたけど、まさか〝知らんうちに生えてた〟とか予想できるわけないじゃん…………?
【惑星探査補記】ステイシスポット。一種の人工的な乾眠装置で代謝を極端に落とすことによって人体の長期保存を可能にした機構。極低温保存より長期間の保存と、目覚めた後の〝酔い〟が弱いことから、旧人類ベースの船で非常時に備えて設置されている。
しかしながら、最長保証期間は五百年であり、二度目の保証もされていない。
明日の更新は18:00頃を予定しております。




