表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

42/119

4-11

 さて、我々機械化人にとって最も濃密な接触、それは粘膜ではなく電脳空間内でのやり取りであり、副脳を持たない今の状況でも、クロック数を最大に引き上げれば体感時間は最大で三千倍を超える。


 つまるところ、やろうと思えば一秒が一時間近くに引き上げられる訳だ。


 『あのやり取りを鑑みるに、大司教。貴方は回線を持っているのだな?』


 「……ええ、こちらに」


 彼女が掌を差し出せば、手首のあたりに端子が埋まっているのが見えた。前腕部の余剰スペースに小型電算機を埋め込んであるようだ。完全な電脳化に忌避感のある旧人類が使う形態だな。脳と直結しない分安全性は高いが、彼女の場合は副脳があるから自我接触も可能なはず。


 はて、黄道共和連合は我々ほどではないが機械化も遺伝子操作も受け容れていたはずなのだが、何故斯くも古式ゆかしい方式を末裔に取らせているのだろう。普通に電脳化した方が処理容量も速度も比べものにならないほど稼げるというのに。


 『外典に直結の内容は書いてあったか?』


 「高次サンクトゥスギアとの接触には一部直結が必要です。故にギアプリーストでも司祭以上の者ならば端子を持ちます。才能がある者に限られますが……」


 ああ、やっぱりギアプリーストは才能云々に完全に依拠しないで、政治的な立場で出世するやつもいるってことね。そこら辺、やっぱ宗教が絡むと微妙なことになるんだよなぁ。


 『では、内密な話もある。直結して全てを教えよう』


 「……サンクトゥスギアとの直結には多大な精神的負荷がかかります。守護神様ほどの機械と繋がるとなると……」


 『そこら辺は加減する。安心してくれ』


 旧型の直結装置、そこにほぼ無防備な電脳で以て〝イナンナ12〟の機能にアクセスしているのなら、そりゃ負荷も掛かろうよ。生体脳にどんな悪影響があるか想像もつかないのに――そもそも、そんな無茶を試す者がいなかった――副脳だけで機械に直結なんて、高次連の感性で言えば狂気の沙汰だ。


 よくぞまぁ、千年間もそんなことをしてきたもんだと呆れより先に感心が来る。


 『えーと、セレネ、この筐体の端子って機体を挟む形式しかないよな。流石にテイタン2を中継させると負担が大きすぎるから、電脳直結方式で行こうと思うんだが』


 『では胸郭をオープンにしてください。脳殻から直結させます。ですが、ウイルスを使った自爆の可能性もあるのでは?』


 『そこはサポート頼むよ。常設防壁の護りは厚いが、監視をしていてくれ』


 『自爆テロの可能性を受け容れて直結するのは如何かと思いますが……』


 本来は遠隔操縦用の疑似知性を収めていた胸郭を開いて電脳を露出させ、ドローンを解し長い長い直結用回線を伸ばした。


 彼女は差し出されるそれをおずおずと受け取ると、暫しの逡巡の後に手首へと突き刺す。


 同調開始。


 「ここは」


 「ようこそ、私の電脳エントランスへ」


 一瞬の明滅の後、私は電脳内の応対用領域に意識を飛ばしていた。


 アバターは大司教と初めて会った時と同じ顔に設定し、服装は統合軍の甲種二種礼装で――そこそこ偉い人に会う時用――固め、髪は後ろに流して清潔感を演出。


 部屋のモチーフは西暦二〇世紀末頃、金持ちが住んでいるマンションのペントハウスだ。大きな食事用の四人がけ卓やダイニングキッチン、観葉植物に壁を彩る絵画やテレビを始めとした様々な電化製品。それと遮る物のない満天の夜景と都市の光りが楽しめる空間は私の趣味……ではなく、貴人を持て成すなら相応の雰囲気が合った方が良いだろうとプリセットの中で一番豪華そうなのを用意した。


 普段は石造りの中世風建築の中に豪奢な装丁の聖典を並べた本棚がみっしりのファンタジー系空間にしているのだけど、それじゃあ神秘性が薄れると思ったんでちゃちゃっと入れ替えてみました。


 ぶっちゃけ落ち着かないんだけどね、部屋がこれだけ広いと。私はやっぱり八畳くらいのこぢんまりとした空間が一番だ。


 「今は貴方の副脳を解して自我と直接接触している。ああ、安心してくれ、自我領域に踏み込むような真似はしない。むしろ、私が入り口まで招いている形だ」


 さぁ、かけてと椅子を勧めると、彼女はおずおずと座る。どうやら、ここまで高度な電脳空間に踏み入るのは初めてのようだった。


 「さて、茶でも饗しよう。苦いのと甘いの、どちらお好みかな?」


 「ここは、本当に電脳空間なのでしょうか? その、サンクトゥスギアとの接触に比べて脳への負荷があまりにも……」


 「副脳を介して擬似的に接続しているだけだからね。生体脳への負担は殆どないはずだ。私はその程度の気遣いができるつもりではあるよ」


 〝イナンナ12〟への接続がどれだけの負荷を与えるか分からないが、私は今彼女の副脳に優しく触れ、そこから電気信号に変換した疑似感覚を流しているだけだ。ガラテアの時より気を遣っていて――あの時は、彼女達がそんな構造だと知らなかったので少し踏み込みすぎた――記憶領域にすら触っていない。


 ガラテアの時は言語フォーマットとかも欲しかったからやむなく踏み入ったが、今は大司教に私が無害だと分かって貰いたい交渉の卓なので、可能な限り紳士に行くよ。


 仮想空間用でコーヒーマシンを使って香り高いコーヒーを煎れ、客人の前にミルクや砂糖と一緒に置いた。疑似感覚を刺激するだけで腹は膨らまないが、味覚だけはきちんと楽しめるであろう。


 毒が入っていないと示すように私も同じポットからコーヒーを注ぎ、砂糖と一つとミルクをたっぷり注いで一口。薄味のアメリカンを――合衆国はもうないが、今でもこう呼ばれている――ベースにしたカフェオレは、故郷にいた時にボーナスを叩いて専門の味覚再現師にチューニングして貰ったこともあって最高だ。本物でも玄人中の玄人が拘ろうと、会心の一杯でなければここまで香り高い物は煎れられまい。


 これが電脳空間を自由にできる特権なんだよな。


 「うん、美味い。最近は味気ないない栄養タブレットと水ばかりだったから尚更舌が楽しいね」


 「正餐の茶……」


 「おや、天蓋聖都でもコーヒーはあるのかい?」


 「聖なる食料生産工場より出てくる貴重な物です。故に我々は正餐の時にしか口にしません」


 なら結構なおもてなしができているようでよかった。


 敵地で喫食する文化がないのか中々手を着けようとしない彼女であったが、冷めると勿体ないと言えば顔が見えないよう、器用にヴェイルをずらしてコーヒーを一口呷る。


 「何と香り高い……」


 「お気に召したようで何より」


 私は彼女の対面に座ると、改めて名乗った。


 「前にも名乗ったが私は待宵 望。階級は上尉。銀河高次思念連合体の第二二次播種船団所属の軍人だ。今や船団は喪われたが故、ただの敗残兵だがね」


 そういえば名前を聞いていなかったと問い返せば、彼女は暫しの逡巡の後に口を開く。


 「天蓋聖都大聖堂所属〝大司教〟アウレリア。家名は出家した際に捨てました」


 「そうかい、大司教アウレリア。では相互理解のため少し映像をみようか」


 壁面に欠けられた大型テレビのリモコンを操作して、私の記憶にある歴史の教科書を開いた。


 「最初、人類は天の川銀河の果て、地球……今では1stテラと呼ばれる場所で発生した」


 映像が写すのは銀河の中で綺麗に輝く――我々でも、一応これを綺麗だと感じる感性はあるんだ――青い惑星から全ては始まった。


 今では第一次から第四次まで続いた太陽系紛争で数多の記憶庫や通信帯が崩壊して情報の多くが喪われている。かつて人類は地球にのみ生息していたが、人口増加に伴って辛うじて追いついたエネルギー革命と抗重力ユニットの発明により地球圏より版図を増やし、おおよそ西暦で二三〇〇年頃に始めて人類以外の高次知性と接触した。


 それから宇宙開発は爆発的に広がり、宇宙圏の人類と地球圏の人類で軋轢を受けたり、人類国家ながら人類が作っていた太陽系連合から離脱して、別起源の知性体が構築した連合に参加する国家が現れたりして政治的な摩擦が加速。


 因みに、この時、旧人類の筐体が脆すぎるとして機械化を先鋭化した結果、排斥されて高次連に参加した我々も分離独立勢力の一派だったりする。


 いやー、私は参加してないんだが爺さんが第二次地球紛争で従軍したらしくてね。航宙機七機落としてエースパイロットになっただとか、地球をプチ氷河期にした大質量弾投下作戦に従事したとか自慢が五月蠅かったのを覚えている。


 「そして第四次紛争で地球は完全に喪われた。何処かの馬鹿が惑星粉砕機構と呼ばれる、地核にまで到達して炸裂する爆弾を使ったんだ。今や旧地球近郊は恒星の周りを大量のガスデブリが滞留するだけの空間に成り果ててしまった」


 この時に喪われた命と情報の何と多いことか。我々も勿体ないとできる限りサルベージしたが、それでも旧地球の情報は限られた物しか残っていない。


 「何と酷い……」


 「だが、我々がそれを為した生き物の連枝である事実は変わらない」


 映像は移り変わり、乙女座銀河の外縁にある大型恒星系〝アマテラス1st〟と、それを取り囲むダイソン級やリングワールドが映し出される。


 これが我々の故郷。機械化人が人工的に作り出した、丁度良い天体に寄生した人類最大の人工建造物の一つであり、恒星周辺を地球駒の輪のように取り囲む三重の輪っかが機械化人と数列自我の本拠だ。


 同じ物が銀河中にあと二〇個あり、それぞれに数千万の人間と同程度の数列自我、そして同じ高次連に参加している異種知性体が暮らしている。


 「ここから我々は広がって、今も広がり続けているだろう。そして二千年前、私は播種船団の一員に選任され故郷を旅立った」


 映像が切り替わり勇壮な船団が映し出される。その中には今は大地に横たわっている〝ティアマット25〟の姿もあれば完全な球形を保っていた時の〝イナンナ12〟も含まれていた。


 総旗艦〝ナガト7〟から舐めるように小型艦までを含めた楕円陣を画く巡行形態の艦隊を写した映像は、重力門を通ってランダム跳躍。かみのけ座の果て、ハビタブルゾーンから少しはみ出る位置にあった大型岩石惑星を見つけるまでの旅に出る。


 「そして、この惑星を見つけ、我々は具合の良い位置まで引っ張っていき、衛星を作り、水を注ぎ、少しずつ今の形に持っていった」


 壮大な物語だ。人類が積み上げていった叡智の凄まじさを実感させられるね。


 「ただ、二千年前、私が惑星地球化事業の間に十年間の休暇を取っている間に全てが変わってしまった」


 それから起きたことは全て仮想。混乱、破壊、悲鳴、想像できる悲劇を並べ立てた後、私は彼等がエグジエル辺境伯領と呼ばれる僻地で二千年引き籠もって生き残りを計ったことを説明し、現状に至るまでの映像ログに繋げる。


 「正直、私が寝ている間に何が起こったかはまるで分からない。ただ、分かって欲しいのは、私も事件に巻き込まれただけの被害者だということだ。そして、恐らくは君達の祖先も」


 「……貴方は、これを私に見せて何がしたいのですか」


 戸惑いを見せる大司教猊下に私はコーヒーを啜りながら、首を竦めた。


 「誤解を解いて仲良くしたいだけさ。君達の聖典を蔑ろにするつもりはないし、信仰を誤っていると断じるつもりもない」


 神や奇跡のことを〝大いなる勘違い〟と評した人間もいるが、私はそうは思わない。信仰とは信念を礎にした歴史の積み重ねであって、形を持たない意志や祖霊の魂を概念的に結晶化させたものだ。


 私を悪魔呼ばわりするのは勘弁して貰いたいが〝聖典〟は尊い物だと思うし、それを護って千年も滅ばず繁栄し続けた天蓋聖都は大したものさ。前時代的な考えと機械を色々融合させて謎の宗教になってこそいるが、否定はしない。


 「ただ、悪魔ではないと改めて名乗りたいだけだ。これで口を聞いてくれるかな? アウレリア大司教猊下」


 「……分かりました。異端という誹りは撤回しましょうマツヨイ殿」


 やや考え込んだ後にそう言ってくれて私は少し安堵したが、次に続く言葉は期待していた物と違った。


 「ですが、貴方が〝悪魔〟になり得る存在だということは変わりないことが分かりました」


 ……あれ? 私、なんかトチッた?


 仮想のコーヒーを音もなく啜る彼女は、これが良い証拠だと言って空になったカップを静かに押し返してきた…………。




【Tips】地球圏紛争。今では理由も定かではないが、地球中央政府及び旧国家群の軋轢によって勃発した紛争の総称。第一次~二次の地球紛争、及び第一次~第四次の太陽系紛争に分けられ、第四次太陽系紛争によって地球は何者かの手によって粉砕され、旧人類は母星系から追い出されて宇宙中に散らばっていった。 

大変申し訳ありません、予約投稿の時刻設定をミスって19:00にしておりましました。


2024/08/02も18:00頃の予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
手段と目的入れ替えるから宗教ダメなんだよな 容量用法はタダシク。
[一言] 某食堂に土曜日だけ来るパウンドケーキ好き高司祭と同じ道を歩みそう(笑) 誘惑するのは悪魔の常套手段だから仕方ないよね!
[一言] 現体制を根本からぶっ壊しかねない存在は、まぁ悪魔と評されても仕方ないですね。 水素爆弾なんぞよりも余程やばいッピ!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ