4-6
「いってて、ありがとうノゾム……」
ガラテアはあわや竜の巨体に巻き込まれて死ぬかと思ったところを助けてくれた、自分にとって何度命を助けてくれたかも分からない男に礼を述べねばならないと思った。
考えてみれば、命を助けられたのは何度目か。
“太母”から無様に逃げ帰った時は貴重な霊薬を使ってくれたし、戦場では庇い庇われ回た数も分からぬ。
そして、虜囚の身に貶められ辱めの内に死ぬのだと覚悟した時、現れた彼の姿を見て彼女は確信した。
夢見がちな乙女だった時に夢見た、白馬の……。
振り返れば、白い馬ではなくミリタリーグレーの車体、そしてそれに跨がるのは首がない体。
首の、ない。
「のぞ……む……?」
僅かに遅れて、近くに放り出された鞠のように首が落ちた。転々と跳ね、泥に塗れ、自ら溢れた血に汚れて何が起こったかも分かっていなさそうな、呆けた表情の首が。
「のぞ……む……? とれ……た……よ?」
思わず馬鹿なセリフが口を吐いて出た。彼女は今も自分の襟を掴んでいた手を振り払い、斬り落とされた首を拾い上げると何を思ったのか、ギアキャリバーに搭載されたオートバランサーで立ったままの胴体に首を乗っける。
「あ……れ? おか、しい……な……」
しかし、くっつくことはない。斬り落とされた首は、そのまま血の尾を引いて再び彼女の足下に転がった。
「だ、ダメじゃないかノゾム、こんな、こんな大事な物を落としちゃ……」
[族長……! ぞく……]
〔ノゾムさ……ま……〕
斉射を終えて駆け寄ってきた配下達も呆然とした。
「み、みんな……のぞ、ノゾムが……」
首を抱えて呆然とするガラテアを前に戦士達も膝を突いたり、銃を落として絶望を露わにした。
誰も考えていなかったのだ。これまで自分を導いてくれた彼が死ぬなど。どんな難局も自分から言いだした無茶を通し、引き攣った半笑いで乗り越えてきた彼が〝自分達と同じで死ぬ生き物〟だとは誰も想定してこなかった。
シルヴァニアン達にとっては神の伴侶たる一族であり、テックゴブ達にとっては〝太母〟を取り戻してみせた万夫不当の大英雄。
そして、ガラテアには聖徒にして初めての〝恋〟を自覚させた男。
それが間の悪さであっさり死ぬなど、予想だにしていなかった。
『あーあ……上尉……調子に乗るから……いつかこんなことになるかと思っていましたよ』
誰もが自分を失って立ち尽くす中、そうでない者が一人だけいた。
彼が着ていたツナギの胸ポケットに入っていたセレネだ。玩具を改造しただけの筐体がギアキャリバーの上にぴょんと飛び降りると、生首になった相方を見て呆れたように首を振る。
『T・オサムも、三至聖の加護も無限ではないというのに。無茶なさるから』
「き、機械妖精様……の、ノゾムは、ノゾムは直りますよね?」
ガラテアにはもう、縋れる者は目の前の人形だけだった。自分が信仰する宗教において、機械の中で人を助けていると信じられている存在が現れる奇跡があったのだ。
もう一つ、恋をした人が生き返る奇跡が起こることくらい信じたっていいだろう。
『残念ながら無理ですね、その筐体はもう再生不能です』
「うそ……だ……」
『申し訳ありませんが、私はつまらない嘘や冗談が嫌いです』
しかし、その奇跡は無情にも奇跡を信じるに値すると思わせた存在から否定された。
セレネはしげしげと傷口を観察した後、空から何かを呼び寄せた。
丸いティルトローターを二つ生やした、簡素な構造の無人機。セレネは自分の本体とメインで繋がっているドローンを呼び寄せ、作業用アームを伸ばし望の頭を掴もうとする。
「機械妖精様! 何をっ!?」
『あるべき所へ持っていきます』
「それはっ、それは、折角聖徒様を遣わしてくださったのに、無碍に扱った僕らへの罰ですか!?」
『はぁ?』
唐突な物言いに数列自我は間の抜けた声を上げる。
彼女には分からないが、信仰者にだけ通じる理屈があったのだろう。
ガラテアはそうではなかったが、聖都の騎士達も神官達も望を丁重に扱ったとは言い難い。異端者と詰り、拘束し、遂には殺そうとまでしている。
それは天の機械神もお怒りになるであろう。きっと、自分の大事な使徒を取り戻そうとするはずだと彼女は思った。そして、また天に戻すべく機械が差し向けられたのだ。
『罰も何もありませんよ。今、あるべきところへ連れていくだけです』
「だから、それは天に……」
『分からない子ですねぇ。分かりました、じゃあ上尉の首は持ってて良いです。ですが、そのまま誰かの群狼の後ろに』
「でもっ、僕はノゾムを……」
『我が儘を言えば、上尉は二度と戻ってきませんよ』
そのジョウイとやらが何を指しているかガラテアには一瞬分からなかったが、きっと天界の言葉でノゾムのことを意味しているのだろうと類推した。
「じゃ、じゃあ、従えばノゾムを返してくれるんですね!?」
『返すもへったくれも最初から……いや、まぁ、それでいいです』
早く乗れと命じられ、茫然自失としていたテックゴブやシルヴァニアン達は慌てて群狼に跨がった。
彼等はまことに幸福であっただろう。翼を破壊されて派手に転がった竜は、頸椎を損傷して動けなくなっていた。さもなければ皆殺しになっていただろうから。
『ほら、急いで』
「で、でも、ノゾムを置いて行くわけには……」
『大事なのは頭ですよ。貴方にとってどちらが待宵 望なのですか』
どちらがと言われても、どっちもだろうと至極普通の考えを持っているガラテアには理解できなかった。頭と胴体を見比べても、納得など行くはずがない。今もまだギアキャリバーに跨がったままの体は温かいのに、置いて行けという命令が上手く咀嚼できずにいる。
『ほら、急いで』
「は、はい、機械妖精様……」
ふらふらとした足取りで二度、三度と躓きながら、ガラテアは辛うじてピーターの乗る群狼に跨がることができた。
制御はセレネが握ったのであろう。即座に走り出す群狼から見える遺骸の胴体部分は見る間に遠ざかっていった。
「ノゾム……」
『まだ言いますか。こっちの死生観はよく分かりませんね。筐体なんて消耗品でしょうに』
いつの間にやらガラテアと同乗していたセレネは、人形の筐体を操って傷口を探る。
『それにしても……また上尉も運のない。丁度端子から上を持って行かれちゃって』
訳も分からぬまま群狼に跨がった一同は、そのまま市外へ。そして、何故か市街近郊にある苔生した巨人の前に止まった。
いや、巨人の一部は、よく見れば苔が払われているではないか。胴体胸部、装甲板の継ぎ目にあたる部分が綺麗に掃除されて、何かを開いた痕跡が残っている。
『上尉の頭を此方へ』
「は、はい」
言われるがままガラテアは一縷の望みを託して機械妖精に頭を差し出した。何か奇跡を起こしてノゾムを生き返らせてくれることを望んで。
だが、差し出した頭を受け取ったのは天から降ってきたドローンだった。
ドローンは多目的アームで頭部を毟り取るように取り上げると、更に作業用アームを伸ばして万能工具を握る。
そして、やにわに頭部を解体しはじめたではないか。
「きゃっ、きゃぁぁぁぁぁ!?」
[■■■■!!]
〔ノゾム様!?〕
皆が唐突に繰り広げられた残酷な光景に叫ぶ中、腕は淡々と頭部を解体して最早〝余分〟な部分になってしまった箇所をそぎ落とす。
最後に頭蓋骨を剥ぎ取れば、残るのは鈍色に輝く脳髄とほぼ同サイズをした機械の塊。
「何を、何をするんだっ!!」
思わずガラテアはセレネの人形筐体を握り上げる。不遜だと頭の一部では分かっていても止められなかった。恋しい人の、胴体を泣く泣く置いてまで持って逃げた頭部をこんな目に遭わされて冷静でいられるだろうか。
『離して貰えますか。アレが待宵 望上尉の本体ですよ』
「本体……?」
『ええ、肉体は殻に過ぎません。厳密に言うと、アレ自体も二枚目の殻のようなものですけどね』
ですが、魂はここに入っていますと言われて、不思議と皆、その言葉を呑み込むことができた。
何故なら、頭部から削り出され、衆目の下に曝け出された塊は普通ではなかったからだ。
血を浴びて鈍く陽光を反射する機械は、ある種神秘的で神々しさすら感じられる。この機械に祈りを込めて動かす世界だらこそ感じられる神秘性だ。
「ノゾム……そこに、そこにいるのかい……?」
『ええ、いますとも、最初から。そして今から上尉に新しい〝殻〟を与えます』
ドローンは高度を上げたかと思うと、片膝を突いて沈黙していた〝守護神〟の胸部に近づき、望の頭部だった物。脳殻を機動兵器テイタン-2 TypeGの中枢制御部分へと差し込んで、次々にコードを繋げていく。
『えーと、あれがこれで、それがそこで………黄道共和連合のは規格が家と違うから分かりづらいですね。中途半端に遠隔操作するぐらいなら、我々を積めば良い物を。えーと、この辺のコードは余るから中継器でデッチ上げて……』
虚空を眺める人形筐体が何やら不穏なことを呟いているが、ふと護衛隊の一部が気が付いて叫びを上げた。
〔お、おい! 何か来てるぞ!〕
[やっ、やばい! 竜だ! 何で俺達を追ってきた!?]
そこにあるのは巨竜の陰影。彼等は本能なのか、素早く動く物を追いかける習性があるのだ。
そして、今この天蓋聖都で最も早く動いていていたのは、そう、群狼達である。
「ひっ、き、きた……」
『あちゃー、こりゃ拙いことに。取りあえず逃げますよ』
自動制御で動き出す群狼。しかしガラテアは目線を脳殻が入って行った方から動かせない。
「待って! ノゾムを! ノゾムを置いて行ったら!!」
『ですから、貴方達が死ぬ方が上尉は悲しみます。弊機としては業腹ですが、そうならないよう努めて……』
「ノゾム! ノゾム!!」
『あーもー……って、あっ、やば、拙い』
筐体がぼやくと同時、群狼の群れは急減速。ブレーキを掛けると同時に車体を横に振って四肢を突っ張らせ、地面を抉りながら停止する。
それから僅かに遅れて、進路上に巨影が落着した。
ぐるると喉を鳴らす巨竜。体長40m、首を擡げれば10mはある体高に騎士も戦士も脅えて武器を構えることすらできない。
このような巨体に出会ったことがないからだ。
確実に死を予見される冷酷な爬虫類の目、瞬きと共に瞬膜が上下する冷たい目線に射貫かれて動けなくなった彼女達にできることなどなかった。
喩え手足が動いて武器を構えられても、痛痒すら与えられまい。
「けて……」
いや、一つだけある。唯一自由な口を動かし、慈悲を請うか悲鳴を上げるくらい。
「たす……けて……ノゾム……」
その二つの選択肢の中、ガラテアは前者を選んだ。
普通ならば届くはずのない願い。
だが、それは届いた。
突如として鳴り響くテンポの良い足音と拍手の多重奏。聞いたことのあるような、ないような言語での歌声が世界を割るような大音響で鳴り響く。
『だらっしゃぁぁぁぁ!!』
直後、凄まじい轟音が世界を割った。
沈黙を永遠に保っているはずであった〝守護神〟が起き上がるやいなや、やにわに〝ドロップキック〟を巨竜に見舞ったからであった。
鋼の塊と肉の塊がぶつかって形容しがたい轟音を上げ、小さな犠牲者達を呑み込むはずだった影が吹き飛んで消えていく。
『呼んだかい、ガラテア』
そして、反作用を用いて空中でとんぼを切り、その巨体に不釣り合いな身軽さで着地した巨神は助けを乞う乙女に向かって首を巡らせる。
「ノゾム……?」
『ああ、遅くなったが助けに来たぞ』
丸みを帯びた頭部の真っ赤なモノアイが力強く輝き、無骨なマニピュレーターが親指を立てた。
『基底現実へのご帰還、御言祝ぎ申し上げます上尉』
『ああ、ただいまセレネ』
守護神、テイタン-2 TypeG、否、その内部に取り込まれた待宵 望は自分の仲間達を巨竜から守るように立ちはだかり、複合展性合金製の拳をぶつけ合わせて帰参の言葉を告げる。
『さぁ、好き勝手やってくれたな蜥蜴野郎。さっきはお前の手下に痛い目を見せられた』
「ぐるるるるるる……」
殺意を漲らせる竜に向かって、鋼の巨神もまた殺意をカメラアイに込めながら腕を回す。八〇〇年に渡る永き眠りからの目覚めを感じさせぬ快調さで動く体には闘志が漲り、機械というよりも生身の力強さを感じさせた。
『第二ラウンドだ』
宣言と共に、10mの巨神は地を滑るよう滑らかに前進し、弧を描くように突き出した右腕で竜の首を狩る。
完璧なまでの〝ラリアット〟が立てる轟音が、第二ラウンド開始の号砲として郊外に鳴り響いた…………。
【惑星探査補記】機械化人にとっても筐体など換えが利く〝道具〟の一つに過ぎない。余人がどれだけ、その道具に思い入れを抱こうとも。
本日の更新は以上となります。
2024/07/28の更新は15:00頃を予定しております。