4-1
震える手を見られたことを恥じたのだろうか。大司教は手を体の後ろで組んで断固とした声で言った。
「聖典にはこうあります。機械神が降臨するにあたり、この天蓋は我等を守るために創造されたと。銀河高次思念連合体も〝イナンナ12〟なども知りません。やはり貴方は悪魔だ。私の信仰を試そうとする」
「信仰に身を殉じた者を貶す者がいるにも拘わらず、何も言わない神を信じるのかい?」
そうきたか。これだから信仰者は苦手なんだ。意志が強い上に一度〝斯くあるべし〟と決めたことは、余程のことが起こっても覆さない。
こりゃ〝外典〟とやらに何が書かれていても、交渉してひっくり返すのは無理だな。ここで言葉で丸め込んで〝イナンナ12〟を目覚めさせる交渉札が使えなくなった。
「私は貴方が何を言おうと機械神を信じます」
「神を試す勿れかね」
「何故聖典の一節を?」
「有り触れたものだからさ。どの信仰でもある一節だ」
大凡全ての宗教で神は人を試すが、その逆は許されない。まるで決まり文句のように添えられていて、ただ信じろと命じてくる。
それが嫌いで、未だ科学で観測できぬ神とやらを我々は捨てたのだ。そして、尊い教えと物語を紡いだ至聖達を崇めるようになった。
この点、ティシーは仕方なくプロメテウスになったのだろうな。文明レベルが一定に達し、哲学が円熟していなければ神の存在を疑うことは難しい。
シルヴァニアン達は純粋過ぎて、そしてティシーは優しすぎた。
だが、ここを作った人間はどうにも違うように感じる。
〝前時代的〟過ぎるきらいがあるのだ。
黄道共和連合に尖った人がいたのかね。
やれやれと私は頭を振り、足を組み直して扉を手で示した。
「なら行くといい、ここにいるのが悪魔だというのであれば言葉を交わさないのが一番だ」
「……悪魔がそれを言うのですか?」
「知らないのかね? 人が一番望むことを望む時に言ってやる存在をこそ悪魔と言うらしいよ」
さぁ、お引き取りをと扉を指すと、大司教猊下はやや逡巡した後に踵を返そうとする。
『ただ、私を上手く操りたいなら一つの言葉を言わずにいればいいだけだ』
ここで揺さぶりをもう一つ。圧縮電波言語でスピーカーに音を発させれば、彼女は振り向いた。やはり、私と話すことに未練があるのだろう。
「それは……?」
『時を止めようとしなければ良いだけさ』
「時……?」
と、流石にこれは伝わらないか。ま、私達機械化人は享楽と発展の生き物。
時よ止まれ、汝は今こそ美しいなどと言われたら呆れてそっぽを向く生き物だからなぁ。
『なに、比喩表現だ。この意味を考えるのも悪魔を御するのにいいんじゃないかな?』
退出するよう促すと、彼女はやや悩み込んだ後に立ち去っていった。
さてはて、敢えて返したけど、これでどうアクションを見せてくれるやら。
ただ立ち寄っただけではあるまい、何らかの意図があったことは明白。私を見る目がどう変わったか要注意だな。
椅子の背もたれに身を預けてぐいっと伸びをすると、筋肉と関節が解れて快感が伝達されてくる。疑似快楽系は丁種義体の標準装備機能だからすっかり慣れてきたが、この窮屈な体に慣れすぎると元に戻れた時に酷く酔いそうだな。
義務教育を終えて始めて電脳化を終え、通信帯に潜ったあの時のように……。
感慨に浸っていると、不意に肩を叩かれた。
即座に脳が戦闘モードに切り替わり、振り返りながら腰元に武器を求めるが拘束された手が掴めるものは何もない。ゼロコンマ一秒の一手損の末、私の顔に冷たい物が突き立ち……。
『やーい、引っかかりましたね』
「……セレネ?」
頬をぷにっと押していた。
何事かとみれば、肩に小さな〝人型端末〟が乗っかっているではないか。
そして、その声は我が友李徴……じゃなくてセレネ!?
「セレネかい!? どうしたんだその筐体は!!」
『お忘れですか? 私は数列自我知性体、天性のマルチタスカーですよ。上尉がワチャワチャやっている間に〝イナンナ12〟の工場設備を使えないか調べていたんです』
どうです? とくるりと回ってみせる体高15cmほどの玩具めいた筐体は、正しく在りし日の、いや、この言い方だと死んだみたいでよくないか。昔日のセレネそのままであった。
大雑把な形は人型であるが、全く人間ではないと分かる〝数列自我知性体が好む〟特有のデザイン。廃熱用のチューブファイバーは人間で言うと鼻に当たる部分で水平に切り揃えられた姫カットで、筐体のメインカラーは艶のある黒。口は再現できなかったのか猫のようなふにゃっとした曲線が描かれているだけだが、膝の辺りまである長い腕、ヒール型の踝がない足など正に彼女そのままではないか。
「どうしたんだい、その素敵な姿は」
『比較的重要度の低い階層に富裕層向けの玩具工場がありまして。そこで子供の養育用小型ドローンを作っていたので、ちょっと立体成形機をお借りして作りました』
掌の上にちょこんと乗り移ってくる相方の似姿は、私の涙腺を刺激してじわっと涙を浮かび上がらせた。
いかんな、月の孫衛星になった重力跳躍門を見た時でも涙なんて出なかったのに。
「セレネ~」
『はい、貴方のセレネですよ上尉。お一人では寂しいかと思ってお迎えにあがりました』
こんなに嬉しいサプライズがあるとは思っていなかったので、フィギアサイズの相方に頬擦りしてしまった。表面は有機金属系の柔らかかったかつての肌と違って、冷たく硬質だが相方に触れることができるというだけで感動が止まらない。
電脳空間でのふれあいは今までもしてきたというのに、実体があることがこれだけ嬉しいとは。
やっぱり私は悪魔ではなく人間なんだなぁと実感できた。
『ですが上尉、この筐体でできることと言えば通信中継とおしゃべりくらいです。すみません、他の所は防護が堅くて』
「この牢獄に一人でいるよりずっと救われた気分になったんだ。それだけで十分さ」
仮初めとは言え姿を取り戻した相方とキャッキャして暫く過ごしたが、ふと思い出した。
いかん、ガラテアはどうなった!?
「そうだ! セレネ、ガラテアは……」
『あんなことがあった直後ですからね。上尉より上等の牢獄に入れられてますよ』
クソ、あれだけの証拠を突きつけてまーだ嫌疑をかけてやがるのか。頭の硬い連中だし、ガラテアの味方はイマイチ使えないな。
だが、直ぐ身の危険がないことが分かっただけで何よりだ。
だって、あのノリだとヴァージルとやらはガラテアをさっさと始末してしまいたい感が溢れ出していたからな。彼女個人に問題があるというよりも、彼女を殺すことで政治的に有利に立てるから始末してしまいたかった意図が、薄っぺらく適当な演説から透けて見えていた。
ただ、彼女は家名持ち、つまるところの貴族な訳だ。
軽々に殺せない理由もあって、あそこまで強引に話を持って行った可能性もある。
「ガラテアと連絡はとれそうか?」
『監視カメラをクラックして無事を確認しましたが、それは難しそうですね。流石に上等な牢獄だけ合って電波暗室になっていますので』
ぬぅー、電波暗室か、それはよくない。
我々機械化人と数列自我は計算速度に物を言わせ、電波を通じて大概のコミュニケーションを成立させている都合上、実は有線接続技術をそこまで発展させていないのだ。髪の毛よりも細いファイバー通信ケーブルなんて物もあるが、基本は量子通信で解決させる方針で物を作るため、完全に電波を遮断する暗室を作られると干渉する手段が限られる。
『それに彼女は装備の全てを剥奪されているので、無線通信手段がありません』
「そうか、ならプランBを用意しておかないとな」
『プランBですか?』
そんなのねぇよ、とVRゲームで地底人と殴り合っていた時の頼り甲斐がある友好NPCが口にする情景がフラッシュバックしたが、私はあそこまで行き当たりばったりに、全てを筋肉と火力で解決できる人間ではないので緊密にいくさ。
「経路図を作っておいてくれ。最悪脱走かまして助けに行く」
『上尉、急に脳内筋肉率を上げるのやめてもらっていいですか?』
「そうは言うが、私はここで政治的な手札をもっていないんだ。物理的解決に傾くのは仕方がないことだろう。最悪のパターンでだよ、最悪の」
『仰る通りではあるんですけど。あと、前置きするのってフラグじゃないですか?』
セレネに呆れられてしまったが、やっぱり最終的に物を言うのって暴力なんだよな。だから平和的解決を好む我々高次連だって四〇〇万隻の宇宙艦隊を持っている訳だし。
穏当にことを運ぶプランは、何か微妙に上手く行かなそうだから、もう破棄して効率が良い方に行っても良いかもしれないじゃない?
「それと戦士達はどうだ?」
『都市近郊で潜んでいます。必要とあれば二時間で上尉の元まで到達できるよう準備させていますよ』
「それは重畳。リデルバーディは落ち着いているか?』
「激怒しています」
そりゃそうか。私は仮にも部族の長だものな。彼が激発していないのは、命令があるまで大人しくしているようにと噛んで含めて言い聞かせたからと、熱しやすくても決して短慮な人物ではないからだ。
頼むぞラスティアギーズの戦士長、君も頼り甲斐のある切り札の一つなんだから、もうちょっと我慢してくれ。
「さて、動きがあるまでのんびりしておくか」
『ちょっ、上尉、お人形さん扱いはやめてください』
最初の審問がぐだぐだに終わったから、次もあるだろうと予想し、そこで上手いこと味方を作ろうとプランAを練りながらセレネのほっぺたをうりうり突っついて遊んでいたのだが、不意に大きく地面が揺れた。
「うおっ!? なんだ、地震か!?」
『いえ、この振動は……』
網膜モニタにセレネの母機をやっているドローンからの映像が映し出された。
すると、そこには何とも御ファンタジックな光景が映し出されているではないか。
竜だ、竜がいる。
それを何と形容するべきか、私は少しだけ形容に困った。
外見はファンタジーに搭乗する竜そのもの。翡翠めいた緑色の美しい体は非常に巨大で尻尾を抜いた体長は40mはあり、ゴツい頭から伸びる細い首の向こうには四脚歩行の足がある。その上で肩から生えた翼は翼腕めいており、先端に三つ指の爪があるではないか。
あれじゃ飛竜なのか獣脚竜なのか区別がつかん。
いや、そこまではいいんだ。見慣れているし、わーいファンタジーだーとVRゲームオタクとしてテンションが上がるだけ。
だが、ヤツには何を思ったか、まるで装甲化された軍馬の如く諸所に合金製と思しき金属パーツが生えているのだ。
しかも、空中での機動性を上げるためか、体の諸所にスラスターと思しき物が備わっている。今も年外縁部で大暴れしながら、ゴゥッとジェットスラスターを噴かして地上から何十発と射かけられる大矢を変則的な機動で避けていた。
うおお、凄い、体を捻ったかと思ったら右側部のスラスターだけ噴かして空中を水平移動しながらきりもみ回転して照準を外している。何たる変態機動と、それに耐えうる頑強性か。瞬間的に体に掛かっているGは想像もつかんぞ。
「おいおい、何だ今の見たか。アレ凄いな、航宙軍の格闘機並の動きだぞ」
『壮絶ですね。普通、あの巨大さなら飛べるはずがないんですが』
だよなぁ、どう考えても体重がウン百tありそうなガタイなんだから、あんな見た目は雄大でも航空力学的にはちっぽけな二枚の翼だけで揚力を得られていいはずがない。
第一、普通に肉と骨でできていれば自重さえ支え切れているか怪しい巨大さ……って、おお!?
「凄い、建物が纏めて吹っ飛んだ!」
対空砲火を避けた竜が地面にスライディングしながら落着すると、建物が吹っ飛んで空中に巻き上がり――どうやら地震がない土地なのか、基礎が固定されていないようだ――天蓋の方へと降ってくる。
『上尉! 関心している場合ではありません! 伏せて!!』
たっぷり十数秒滞空した建物の群れは散弾の如く天蓋に殺到し……空中で木っ端微塵になった。
船体に備わっている防御力場だ。本来は微少デブリなどから船体を守る、対物エネルギーシールド発生装置が生きているようで降り注いだ幾棟もの建物を防ぎきっている!
しかし、その壁は弱々しく、本来なら力強い赤色に光っていなければいけない斥力力場の壁は、シャボン玉の表面のようにすき取った虹色になっておりあまりに頼りない。
それを分かってか、竜は再度飛び上がると対空攻撃を避けながら地面に滑り込み建物の散弾を浴びせてくる。
二度目までは力場が防いだが、三度目は難しかろう。
なるほど、これは何とかするべく無理をしてでも〝太母〟で竜を撃墜できる装備を欲する訳だ。
『って、拙いです上尉!』
「どうした?」
『ガラテアの部屋に騎士が何人も差し向けられています!!』
「何っ!?」
あの野郎共! これを好機とばかりに竜襲撃時の〝事故〟でガラテアの口を塞ぐつもりか! そして、審問の場に私を立たせなければ全て上手く行くと短慮を起こしやがったな。
「行くぞセレネ!」
『はい!』
すると、外から小さな袋が投げ込まれた。格子のある嵌め殺しの窓をドローンの工具で壊したらしく、小さな隙間が空いている。
袋の中には予備で持ってきていたコイルガン改と小型のナイフ、そして万能工具を始め一般的な装備を纏めた帯革が詰まっている。
ありがたい、丸腰でスニーキングミッションはゲーム以外で成立しないからな。
私は工具で手枷を外すと、銃に初弾を装填し扉へむかって強装モードでぶっ放した…………。
【惑星探査補記】対物力場。斥力エネルギーフィールドとも。船体を守る最後の壁であり、主に微少デブリや対物質量弾から船体を保護するための装備。本来なら主力級船艦主砲にも数発耐える力がある。
だが、〝イナンナ12〟のそれは長くメンテされていないこともあって随分と弱っているようだ。
書きためが結構な量なので、明日は土曜日なので恒例の5話連続更新をやろうと思います。
初回更新はいつも通り15:00頃を予定しております。お楽しみに。