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「なぁ、何だろうかこれは」
『少なくとも敵意は感じられません。むしろ、歓迎されていますね』
兎達の奇妙な踊りは五分ほど続いただろうか。それから一匹の――いや、敬意を払って一人と呼称すべきか――兎が前にやって来たと思えば、深々と体を屈めた後、ふすふす匂いを嗅ぎ回った後にゆっくり走り出した。
何度も振り返って私を見ていることからして、着いてきて欲しいのだと思う。
「ま、まぁ行ってみるか」
『そうですね。文明があるなら交流しておくに越したことはありませんし』
困惑しつつ追従すると、行き先は奇遇にも我々が当初目指していた開発拠点であった。数時間かけて歩いて辿り着けば――畜生、この体は恒温性を保つための発汗が鬱陶しい。慣れてなかったら発狂してるぞ――開発拠点の廃墟がそこにあった。
兎の一人が人間では入り込めそうにない穴蔵に入り込んだと思えば、中が騒然となった。パタンパタンと足を踏みならす音、恐らく彼等の言語的コミュニケーションが交わされているのだろう。
やがて穴から出てきたと思えば、何十人と兎が続いてやってくる。出るわ出るわと驚いていれば、最後にはその数は百数十人にも上った。
群衆の中から、杖を突いた老齢と思しき個体がもう片方の肩を別個体に支えられてやってきたと思えば、最初の兎がそうしたように平伏した後に周りを一周した。
たった一周しただけでぜぇぜぇ荒い息をしていることからして、老齢で間違いないのだろう。彼等の老若を区別するのは難しいが、褐色や白が多い被毛の艶で何とか判別できそうではある。
「友好を示しているようだよな?」
『ですね。挨拶しておきましょうか?』
ドローンのカメラアイと見つめ合って圧縮電波言語で相談することゼロコンマゼロゼロ一秒、私は軍人の例に倣って掌を見せない航宙軍式の敬礼を捧げた。
するとどうだ、彼等のお眼鏡に適ったのか、兎達は一斉に飛び上がって喜び始め、私の周りをぐるぐるぐるぐる回り続ける。
おいおい、本当に何なんだ一体、このままだとバター、いや色的に生クリームになって溶けてしまうんじゃないかと心配になる勢いだ。
歓迎の周回は、やはりまた五分ほど続いた後、老齢の兎が私を導くように手招きしてくる。こういう仕草が人類と共通しているのは、誰かが教えたからなのか?
呼ばれるがままに進めば、そこには草を編んで偽装した蓋で巧妙に隠した緊急用の出入り口があるではないか。端子は粘土で埋めて劣化しないよう保護されており、接続しようとしたら何とか繋がりそうだ。
「入れと言うことか」
『罠という可能性もありますが』
「……元々来る予定だったんだ。男は度胸、何でも試してみるしかないだろ」
端子に封をしていた粘土を外せば、どろりと長期保存用の極小機械群が溢れていった。この手の設備の入り口だけは、救助隊が数百年経って訪れてからも開くよう頑丈に作られているので、壊れていなくて良かった。
情報端末からケーブルを伸ばして直結すれば、誰何の信号が帰って来る。
銀河高次思念体連合統合軍、待宵 望上尉の個人情報と軍籍コードを打ち込めば、私のセキュリティクリアランスで――クラスⅠ~Ⅴまであり、士官のそれはⅢだ――認証が通り、問題なく開かれた。
すると、再び兎達が大盛り上がり。一体何なのだと思いつつ、地面にぽっかりと口を開けた梯子を下っていく。
内部は観測拠点に繋がっており、そこら中から土の匂いがした。自閉していた我々の拠点と違って、ここは早々に開け放ったのか色々な物が吹き込んでいるようで清潔とは程遠い。
ああ、もう、鼻がむずむずする。後でセレネに頼み、工房でガスマスクか全頭型ヘルメットを作って貰おう。
「コンソールは……駄目か、死んでるな」
内部案内を見ようと、出口付近に設置されていたコンソールパネルに端子を直結するが反応がない。経年劣化によって壊れているようで、私は仕方なくカンに頼って施設をぶらつくことにした。
こういう建物は大抵統一規格で作られているので、構造は似通ってくるものだ。私の拠点と同じなら、こっちの角を曲がったら倉庫があるはず。
ビンゴ。大型の搬入口と気密扉にぶち当たったので、予想は間違っていなかったようだ。
また粘土を嵌めて保護されていた端子に情報端末を差し込んで開けば、そこには想像を絶する光景が広がっていた。
兎達の集落だ。大型の配管や木製の籠を組み合わせた家々が立体的に広がっており、本来は惑星開拓用の物資を貯め込んでいる数ヘクタールはある倉庫全体が市街地になっている。
なるほど、通るべきでない人間が通れないよう他の入り口を封印し、人間が通れる回廊を一つに絞っておいたのか。
長らく開かれることがなかったと思しき扉が開いたことに兎達のテンションは絶頂に達し、そこら中で踊りが始まった。ここまで見てきて分かったが、彼等は外見から察するにアナウサギに近い種類だから声帯がないのだろう。
だから声の代わりに、ああやってボディーランゲージや足を打ち鳴らす音でコミュニケーションを取っているのだ。
私が彷徨っている間に外から戻ってきた老齢の兎――便宜上長老と呼ぼう――が再び手招きしてきた。今度は別の通路に通じる扉で、同じく端子が劣化しないよう粘土で蓋がしてあり、同様に開いた形跡がない。
むしろ、兎の立哨が立っているのみならず、隔壁を守るように門が築かれていることからして、彼等の聖地か何かなのかもしれない。
立ち入って良い物か困惑しつつ、開かれた門を潜って端子にアクセスすれば、少し引っかかりつつも扉は開いた。
壁には照明も案内板もないが、雰囲気から分かる。私が眠っていたのと同じ、中央管制室に続いている通路だ。
兎達は正面に殺到し、今にも入りたそうにしていたが、長老が杖を振ってそれを押し止める。
そして、私に進むよう促した。
何だか腹が読めてきた。
この兎達には知識と文明を与えた神ことプロメテウスがいたのではなかろうか。知恵を教え、文明を与えた神の如き何かが。
そして、それがこの最奥に存在しているのだ。
やっと二人きりから解放されるのかと心強く思いながら中央管制室に踏み込むと、そこには想像していたのと違う光景が広がっていた。
損傷再生槽を再利用したと思しき棺に横たわる一人の機械化人。
そして、その隣で佇む一機の数列自我が愛用する、人型なれど機械の丸みと装甲板を有する筐体がひっそりと佇んでいるではないか。
機械化人には葬られた後があった。恐らく立体成形機で作ったと思しき枯れない造花が、経年劣化でグズグズになった体の周りに敷き詰められており、手は胸の前で安らかに組まされつつ軍刀を握っている。
顔に白い布を添えるのは、生前愛用していた刀を備えるのと同じく、機械化人が意味消失、本当の死を迎えた際に弔いを行う儀式だ。
そして隣で沈黙している、これまた経年劣化で錆と傷みが酷い筐体。
きっと、この二人がこの基地の監督者であったのだろう。
「首の接続ポートは……駄目か」
『開頭してブラックボックスを取り出すしかないですね』
幸いにも兎達はここまで来ていない。私はこの基地に起こった異変を察知するべく、大変申し訳ないが機能を停止した数列自我の脳を開くことにした。
パネルを外し、流体金属からなる万能工具をネジ穴に合わせて回せば、幾つかの複雑な手順の末に開頭ができる。念のため、汚染されていても被害が端末だけで済むようコードを繋げば、奇妙な反応が帰ってきた。
「ブラックボックスの全セキュリティが落ちてる。自我領域も全開だぞ」
『……待ってください上尉。これは』
通信端末と接続したセレネが内容を精査していく。すると、この個体の名前がティシー四〇八九五であると判明した。
それと同時、本来なら自我を収めているはずの光子結晶が全て〝近隣のデータベース〟に上書きされていることも。
「光子結晶をデータベースに!? それは、それは実質自殺だろう!!」
『通常の記憶素子は揮発性が高いですからね……何としても情報を残したかったのでしょう』
光子結晶は、その性質上刻み込んだデータが喪われることはないが、容量にも限界がある。故に我々は自我領域とは別に量子メモリに日常的な記憶を保管するが、これは耐用年数がたった五百年ほどしかないので揮発性が高い。軍の高官は副脳として光子結晶の記憶媒体を用意することもあるが、汎用型では専らそんな贅沢はされない。
しかし、何故彼女は自死に等しい行いをしてまでデータを残そうとしたのだ?
『データバンクの先頭にメッセージがあります。再生しますか?』
「……ああ、頼む」
浮かぶのは短い音声記録。プロメテウスが最後に残そうとした言葉。
『弊機は高次連第二二次播種船団所属、第二一物資集積衛星副管理官のティシー四〇八九五です。このメッセージが心ある同胞に届くことを祈り、最期の言葉を残します』
淡々とした口調は数列自我らしいが、声が少し震えていた。感情制限処理を挟まず、魂に従った生の言葉を刻もうとするよう生々しい過去の残響が脳に染み入っていく。
『私はもう駄目です。筐体が可動限界に至ったのもありますが、疲れてしまいました。パートナーは初期の動乱で逝き、私も今まで頑張りましたが、もう限界です……ですので、ここで終わります。統合軍人らしからぬ惰弱な選択をお許しください』
独白は静かに彼女が諦観に染まるまでを並び上げていく。
最初に彼女のパートナーが汚染されながらも、辛うじてネットワークから弾き出してくれて生き延びられたこと。何とかしようとしたが、衛星は全て不通になった上、本隊との連絡も途絶してしまったこと。
地上に大質量弾が無差別に降り注ぎ、大量の艦艇が墜落してきたことによってテラ16thがあまりに早い氷河期を迎えたこと。
彼女も千年ばかし自閉状態と覚醒を挟みながら時を待ったが、救助が一向に来ないことに絶望して隔壁を開いてしまったようだ。
数列自我知性体は孤独に弱い。セレネが私の存在を縁に二千年を耐えられたのと違って、彼女は千年の孤独を揺蕩う内に壊れてしまったのだろう。
その後、彼女は兎達を――シルヴァニアンと安直に名付けていた。何処かから怒られやしないだろうか――見つけ、この地の底辺被捕食者に近かった現状を憐れんで、住処と文明を与えた。
活動の範囲は広がり、今やこの地下拠点を広げに広げて当初の何十倍もの個体数が生息し、立体成形機に依存しない文明を作って生きているという。
そして、近隣の別知性体とも交流を重ねながら、今の国を作ったようだ。
しかし、それでも彼女の孤独は埋められなかったらしい。筐体の耐用年数が来るのを悟ると同時、来るか分からない目覚めに身を託すよりも、自我を抹消して誰かが来た時に備えたというわけだ。
きっと、彼女にとって自死よりも、来ない可能性の方が高い目覚めを待って就く眠りの方がずっとずっと恐ろしかったのであろう。
事実、私達がやってくるという奇跡がなければ、ブラックボックスが開かれることはなかった。理性的で、そして絶望的な選択であったことに疑いはない。
『……データは丁重にいただき、元に戻しておきましょう』
「そうだな。二人はここで眠らせてやった方が良い」
果てた機械化人と数列自我。同じ存在として、この部屋を墓標に選んだ意志は尊重しよう。
兎達、シルヴァニアンはきっと誰かが来た時に備えて、ここに案内するようずっとずっと語り継いできたのであろう。
よかったなティシー、その願いは果たされたぞ。
おやすみ、兎のプロメテウス…………。
【惑星探査補記】
高次連において既存の宗教体系は崩壊して久しいが、ギリシア、ローマ、北欧神話などは信仰の対象ではないにせよ根強く残っている。
理由は偏に彼等の感性的に“格好好いから”であって、主に艦船名に用いられる。
大体の機械化人と数列自我は心の中に中学二年生を飼っている。
先日、SFジャンル空想科学で日刊1位になれました! 全体日刊ランキングは11位だったので大健闘。それも皆様のご支援あってのことですので、本当に感謝しています。引き続き推してくだされば幸甚にございます。