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空を飛べる利点は数多く挙げられるが、その最たる一つに偵察力がある。
高空域から見下ろすことによって得られる情報は莫大で、地形は勿論、敵の配備、防備の厚さなど、敵にとって事前に知られたくないことを知ることができる。
『まぁ、威力偵察はともかく、秘密裏な偵察は本業じゃないんだが……』
『言いだしたのは上尉ですからね』
私は〝テミス11〟格納庫で〝ウラノス3〟に収まったまま、小さく呟いた。
操縦手と一言で言っても専門分野は多岐に渡る。私は航宙艦修復のEVA特技兵であると同時に、機動兵器戦に特化した突撃前衛である。
まさしく、機動兵器を用いて戦うにしても、実に様々な任務があるのだ。
軽量隠密型の機動兵器で後方を攪乱する特殊コマンドから、航空機動兵器を用いた軽妙な動きで敵を翻弄する空対地戦闘。私はどちらもできるが、今回やろうとしている任務は専門外の領域である。
『肩部マウントラッチ』
『チェック。流路正常』
『腰部及び脛部マウントラッチ』
『チェック。こちらも正常』
『背部マウントラッチ』
『チェック。オールグリーン』
飛行前チェックリストを淡々と熟し、内蔵されている機能のみに従うのではなく、自分の手で機能性に問題がないかを確認する。緊急発進時は略式で済ますことも多いが、今は万全を期す必要があるので丁寧にちゃんと一からやった。
機体の各所に用意されたハードポイントにずらりと並ぶのは、全て推進剤用の追加増槽であった。装備は標準型の対機動兵器用重レイルガンのみのシンプルさで、航続距離に拘った結果、こうなった。
「ノゾム、目視点検も問題ないよ」
整備用ラックに横たわっていた機体の側面からガラテアが声を掛けてくる。作業用のツナギと高所作業用のハーネスを身に付けた姿は、短く整えた髪の毛もあって正に現場の女という風情である。
手元には目視用チェックリストが共有AR映像で浮かんでおり――彼女も電脳化したので使えるようになったのだ――全てにチェックの印が振られていた。
これで機体は万全。いつでもいけるな。
『ありがとう、ガラテア』
「……ねぇ、その、本当に行くの?」
作業時にはキャットウォークにもなるラックの上で、ガラテアが上目遣いで心配そうに問うた。
『なに、気楽なもんさ。行って帰って来るだけなんだから』
「その行く先が大問題なんだけど!?」
敵地のど真ん中を突っ切って様子を見るって正気!? 格納庫に響き渡ったのは、正しく彼女が上げる魂の悲鳴であった。
戦闘能力に乏しい組み合わせにして、門外漢の任務、つまり高機動機体での航空偵察を敢行せんと試みていた私の目的は、ヴァージルが掌握している北方の情勢把握であった。
戦略を立てるにおいて、敵の動きを探るのは初歩も初歩。ブリアレオースパッケージがどこに配備されているか分からない状況では、トゥピアーリウスの森を焼き討ちして以降静かになっているヴァージルの動向が読めなくて困る。
これが臆して穴熊を決めているだけなら、此方としても精兵を育てる時間を稼げて結構なのだが――リソース的に時間は我々の味方だ――計算高いヤツのことだ、何か私達の知らない策を巡らせている可能性も高い。
それに、ただ引き籠もっているだけにしても、北方領邦の州都に三隻揃って停泊しているのと、離反の抑えとして分散配備しているのとでは状況が大分違う。
まぁ、アレは馬鹿じゃないので浸透攻撃の危険性くらいとっくに悟っているだろうから、方々に散らばらせている可能性は低いものの、もし配下を裏切らせないため船を各地に配備してくれていたらやりやすいからな。
今の我々には船を襲うのに適した強襲揚陸機〝桜花4〟はないので、〝テミス11〟からトロトロ落っこちていくか、地面をバタバタ藻掻くように走るしかないのだけれど、単艦でいてくれれば制圧は容易だ。上首尾に運べば、使える船が増える結果も期待できる。
ただ陸上の不沈要塞とも呼ばれた〝クサナギ級陸上戦艦〟の――実際、この艦級は過去に撃破されたことがない――廉価版である〝アイガイオン級〟が相手ともなると、そうもいかん。
数百に及ぶ対空機銃、数十の誘導弾発射機構、そして恐ろしく正確な500mmレイルガン。
これらを掻い潜って接敵するのは至難の業である上、そこに護衛艦たる〝ギュゲス級巡洋艦〟と〝コットス級掃陸艇〟が加われば、防御網は更に濃密に、そして落としづらくなる。
悲しいかな、此方の戦力で敵に勝っているのは起動戦力の数と質だけだ。おっかなびっくり飛んでいるに過ぎない〝テミス11〟一隻しか艦隊戦力がない以上、敵の情報を探って作戦を立てないと鴨撃ちにされて終わるのは必定。
布陣を敷いている陣形、配置、そして拡充しているであろう戦力の幅を知らねば勝利は有り得ないのだから、多少の無茶は必要経費というものだ。
なあに、何も〝アイガイオン級〟の迎撃範囲に直接突っ込んでおちょくってやろうとか考えている訳ではないのだ。射程ギリギリから布陣だけ見て帰って来るから余裕余裕。
「言うが易しの典型みたいなことばっかり言うよね、君って……」
『言うのも言われるのも軍人の宿業だろうさ。よくあるだろ? あそこの丘を取ってこい、なんてさ』
「まぁ、分かるけど」
軍人の仕事なんて大体そんなもんだ。重砲の支援があって機関銃がずらりと並び、塹壕が掘られて鉄条網も張り巡らせた丘陵上の陣地の堅牢さは、衛星攻撃と味方の砲兵隊がいなければ実質的に落とすのは殆ど不可能であるにも拘わらず、さっさと行ってこいと命令されることなど珍しくもない。
基本的に我々は無茶で道理を撲殺して、血を流しながら何とかするしかない職業なのだ。芋を引いていたら何も進まないどころか、状況が悪化するんだから、言葉だけが易い無理に挑むのも給料の内なのさ。
『……待てよ? 給料? なぁ、セレネ。私、帰ったら二千年分のお賃金貰えたりするのかな?』
『馬鹿言っていないで行きますよ上尉。ガラテア、ラックから退避してください』
小粋な冗談をしれっと流され――いや、軍人的には結構大事な問題なんだが――周りで作業していた騎士達が退避し終えたのを見送って、ラックがレールに沿って運ばれ、ゆっくりと立ち上がった。
機動兵器の保管は基本的に横倒しで行われる。航宙艦でも人工重力を発生させている準惑星級以上の船だと転倒の危険もあって危ないのもあるが、やっぱりこの方がスペースを取らないからだ。
そして、機体が持ち上がっていく瞬間、この得も言えぬ浮遊感が何とも心を湧かせるね。
『出撃前チェックリスト……主機臨界安定、各アクチュエーター正常、推進剤流路よし』
『IFF、FCS正常、データリンク、及び中継準備完了。上尉、この艦の指揮半径は衛星がないとたったの30kmです。中継ドローンの定期散布を忘れず』
『留意してる。アンチアイス、オン。スラスター暖機開始』
「ノゾムが出るよ!! 総員退避! 気圧差で外に吹っ飛ばされないよう注意!!」
踵のない脚で踏み出せば、作業員達は格納庫を出て行くか、作業用外骨格の固定具を船内各所に設けられた安全枠に固定して開放に備えた。
セレネもそれを確認したのだろう。庫内の赤色灯が回転を始め、警告音を鳴らし始めた。
『よし、全チェックリスト確認』
『チェックリスト確認よろし。上尉の出撃を許可します。T・オサムのご加護を』
『了解、1-1、これより出撃する。三至聖の加護ぞある』
格納庫と大空を隔てる隔壁が滑り、気圧差で暴風が吹き荒れた。それと同時に私も推進器に点火し、抗重力ユニットを始動。足下を踏みしめて、十分な速度が出るのを待つ。
『そろそろV1』
『カタパルトがないのが不安ですね。出撃後、当艦の羽根に当たらないよう気を付けてください』
『おいおい、私を誰だと思ってるんだいセレネ。そんな初心者みたいなことやらないよ』
まぁ、この船はあくまで地上で機動兵器を運用するために作られているからね。そんな気の利いた物がないのは分かっている。
なので私は、機体が離陸決心速度に達すると同時、駆けだして大空に身を投じ、直ぐに船体の下方に潜り込んだ。
そして、掠めて飛んでいく管制塔がないので、代わりに船底にある展望室を“撫でるように”通り過ぎていった。
最近あそこは人気の休憩スポットと化しているので、休んでいる者達は急激に近づいて、装甲一枚分の距離を突き抜けていく私にさぞ驚いたことだろう。
『上尉……』
『お約束だろう、お約束。ああ、セレネ、折角だし何かアガるのを頼む。今回は流石に機外スピーカーをオフで頼むよ』
『了解。じゃ、これでいいですね』
何か投げやりだなぁと思う声のあと、少し無音が続いたかと思えば、小さな音で多重弦楽が始まったかと思えば、演奏は女性の美声を伴った勇壮にして壮大なオーケストラに移り変わる。
これも粉砕された地球からサルベージされた貴重な記録だけど……。
『ちょっと不謹慎じゃないかな!? 私、敵上空を飛ぶけど爆装なんてしてないぞ! ナパームなんて以ての外だ!』
『あれ? 言ってませんでしたっけ? 余計なことしたヴァージルの領地を石器時代まで戻してやるって』
『言ってねぇよ! それは君の私怨だろう!? あと、私は別に聖S・キューブリックは信仰してない!!』
一応、正統派的な意味で高次連が正式に認めているのは三至聖のみであり、そこに集団ごとに崇める聖人がいるのだが――セレネが熱心に信仰している聖T・オサムと、その弟子達たる二八小至聖とか――映画なる没入しないで見る平面娯楽を作ってきた創造者を崇める集団もいる。
熱心なのはたしか……えーと……ああ、そうだ、聖G・W・ルーカスだっけか。彼と聖E・W・ロッテンベリーが航宙艦艦隊では信仰を二分しているようで、たまに凄い殴り合いをしているのを見かける。
実際に軍幹部もそれを重く見ており、艦隊内人事では、できるだけどちらの聖人を崇めているかを重視して一緒にしないよう配分しているらしく、それも相まって軍事演習はそりゃあもう盛り上がる。
本当にぶっ殺してやるくらいの勢いで臨んで、全員テンションがおかしいことになるから、私みたいな一般的な聖教徒には、ちょっとついていけなかったりするんだよな。
それにあの人達、勧誘してくる時、目ぇガンギマリで怖いんだよな。推しを布教したい気持ちは分かるが――実は、かく言う私も聖典の現地語訳をちょっとずつやっている――全部みたら結構な時間になるシリーズを一気見させようとするのは本当に遠慮して頂きたい。
どっちも外伝の量が凄いし、覚えておかないといけないこと多いし、倍速視聴したら火刑にするとか公言してるから時間が足りねぇっての。
それにくらべて聖Y・タナカ信徒の静かなことよ。彼等は妙なコスプレをしたがるだけで、布教熱心だけど慎みがあって良い。まぁ、矢鱈と義体を西洋系の顔付きで金髪やら碧い目やらにしたがるから、たまに合うと外国人かと勘違いしてギョッとするんだけども。
などと考えている内に飛行は順調に進み、森を飛び越え、北方の領域に到達した。
入植禁忌範囲の外側にある荘園は鄙びているが活気がないという訳ではなく、高感度素子で見下ろせば人の往き来は結構あるし、機械もちゃんと動いている。融合路の反応もあるので、南と比べると健全も健全な生活が営まれているではないか。
どうやら搾り取れるだけ搾り取れればよしと判断していたエグジエル辺境伯領と違って、ヴァージルは自分の地元は繁栄させる方針だったようだ。
まぁ、これは別に変でも何でもないか。誰かが富むには誰かが飢えねばならないのは、どれだけ世界が進んでも同じことだ。我々が平和にVRゲームをやっているのに、一日二食の合成タンパク質で一日一六時間労働を強いられているのみならず、娯楽はプロパガンダ映画のみなんて悲惨な国も宇宙には存在しているのだから、こればかりはどうしようもないのだろう。
『上尉、両肩部増槽残量85%。予定より少し噴かしすぎです』
『っと、すまない、少し節約して飛ぶ。ただ参ったな、上空でも山がないせいで捕まえようにも気流がないぞ。都合が良い季節風とか吹いていないか?』
『流石にそこまでのデータは持ち合わせておりませんので』
いかんいかん、私も慣れない偵察任務だからとぶっ飛ばし過ぎていたようだ。
らしくないな、緊張なんて。
とはいえ無理もないか。
これから〝アイガイオン級〟がいる公算が最も高い、北部の州都に単騎で突っ込もうというのだから…………。
【惑星探査補機】増槽。融合路によって電力はほぼ無限に供給されるが、スラスターを噴かす燃料などは機体内部に貯蔵するには限界がある。そのため、長距離斥候任務などを行う際は、機体に追加燃料を供給する補助装備として現役で活躍している。
これを使い果たした際はトコトコ歩いて帰るしかなくなるので、燃料計算を失敗したペアは部隊内で暫く〝機械化人のくせに算数ができないヤツ〟と煽られる。
燃料計算は航空機乗りの基本。できなきゃNOOB扱いされてるのも致し方なし。
明日も更新は未定でお願いします。
感想は作者の拍車。たまに尻を蹴っ飛ばしてやるつもりでコメントいただけると嬉しく存じます。