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雪の中に血が斑を描き、大勢が種族を問わず信じる者のために命を散らす様は、酷く幻想的に映える。
何故、これを幻想だと感じたのだろう。この上なく目の前にある現実だというのに。
「偽王に死を!」
「帝国は失せろ!! 北土は我等北土の民の物だ!!」
「皇帝神の愛ぞある!!」
響き渡る怒号も、滑りを帯びた血の暖かさも、鎧の重みも。
そして、命を絶った剣の重さもこの上なく現実的だというのに。
「皇帝のために!!」
「裏切り者達を倒せ!!」
「この反乱軍めが!!」
入れ替わり立ち替わり、剣を振るい、魔法を放ち、敵を斬る。何度味わったかも分からない命を奪う手応えに、最早飽きにも似た感慨の無さを覚えつつ前に出る。
敵の密度は前進するにつれて濃く、更に手練れが増えていき、周囲を囲んでいた仲間が倒れていく。
「従士殿! 無茶です!!」
「行けるさ! この程度ならな!!」
背を守っている鎧の女丈夫から上がる心配の声に、何も心配はないと応えるように刃を振って豪勢な鎧を着た敵手を斬り捨てた。この雰囲気は敵の百人隊長だろうか、かなり大物の首を取ったな。
しかし、立ち止まって確認している余裕などない。首が欲しいなら誰か持っていけばいい。
今唯一必要な勲功は、敵総大将の首だ。それさえとれば、百人長だろうが千人長だろうが、比べものにならないくらいの安首よ。
嫌になるほど濃密な敵の陣を抜けると、遂に周りには信頼した女丈夫以外の味方はいなくなっていた。皆、討ち取られたか敵の波に絡め取られて進めなくなったか。
どちらでもいい。敵も残すは総大将と、その供回りのみ。
「くっ、貴様も北土の民であろうっ!! 何故、我等に刃を向ける!! 血に背くのか!!」
親しみを感じるような、同時に強い憎しみも抱いているような奇妙な感覚を抱く豊かな髭の壮年男性が剣を払った。一際豪華な青と銀を基調とした鎧、そして背後に翻る軍団旗を見れば、彼が誰であるかを問う必要はなかった。
まぁ、感慨などどうでもいい。首だ、その首さえ落とせば反乱は終わり、北土に平和が戻る。どうせ北方人の寄り合い所帯の政治で上手く行く訳がないのだ。帝国が本腰を入れて、併呑されてしまうより偽王を廃して正当な上級王を立てた方が、将来的には北方のためになる。
「この土地は我等の……」
「問答無用ぉ!!」
『ケース二〇五の適用によりドーン・ブレイク・プロトコルが実施されます。仮想現実処理は停止。記憶処理プログラム終了。自我機能再起を開始します』
無機質な声、この雪の景色に不釣り合いな通達が響き渡り世界が完全に静止した。剣を抜き、大声を上げようと口を開けた偽王も、周りで激しく戦っていた兵士と戦士も、そして吹きすさぶ雪の一粒までも。
「なっ、何だ!? 何が……」
『ドーン・ブレイク・プロトコルに続きケース三四二甲の件につきリザレクト・プロトコルを実施します。対象は全ての心理的障壁、攻性・受動性防壁を解除し自我境界域を開放状態に保ってください』
世界が寒さのあまり凍り付いたような異常な状況に翻弄されつつも、無機質な声の通達は続いていく。
そして、不意に訪れる頭が割れるような衝撃。
湧き上がる記憶、封印していた自我の一部、そして蕩けて消えていく現実。
仮想の、現実。
『おはようございます』
「……おはよう」
気が付くと、私は溶液の中に浸かっていた。口元には身体の維持に必要な要素を供給するためのマスクが備わっており、それ以外の何も身に付けていない。
『体の状態は如何でしょうか。直ぐに全身のチェックを行ってください。かなりの長期間、自我を凍結し仮想空間で遊んでいらしたので何らかのバグが発生している可能性があります』
「あ? ああ……ああ……いや……」
ぼんやりした思考で指を動かして、目の前にウィンドウが開いたことに驚いた。
状態はオールグリーン。肉体におかしなところはどこも……。
って待て、私はさっきまで帝国軍として反乱軍と戦って……ああ、待て待て、あれは〝仮想現実〟だ、ゲームだ。私は長い休眠時間を使って遊んでいたんだ。
ん? いや、だとしたらこの体はなんだ。培養液なんぞに浮かべられて、まるで〝呼吸をしなきゃ死ぬ〟みたいにマスクまで付けられている。
否、私は実際に呼吸していた。ゲームの中で没頭していた、旧人類規格の体のように。
試しに止めてみた。五秒、十秒、十五秒……ちょっと苦しい。
三〇秒……四五秒……いやそろそろしんどい。
「ぷはっ!? なんっ、何だコレ!?」
『落ち着いて! 落ち着いてください待宵上尉!! VR酔いですか!?』
「なんで基底現実でこの体なんだ!?」
培養液に妨げられて、私の悲鳴は酷く濁っていた。
当たり前だろう。私は待宵 望。銀河高次思念連合体の統合軍に所属する機械化人の一員にして軍人。ボディは甲種規格の重戦闘用で外見こそ人間に近いが、呼吸なんて必要ないはず。
これでは、さっきまで趣味で没頭していたVR空間で、不便な肉体を用いファンタジー世界を楽しんでいた時の延長のようではないか。
「てっ、丁種一型!? 何だ、なんでいつの間にこんな脆弱な義体に入れられている!?」
我々機械化人は、ホモ・サピエンスから進化した生き物だ。自我を完璧に二進数化することに成功し、光子結晶と呼ばれる物質と熱量の淡いにある物体に焼き付けて存在している生物であり、肉体は宇宙空間に適応するため高度に機械化されている。
だが、この筐体はなんだ。機械嫌いの旧人類国家に外交官を派遣する時に、我々が気遣いで送ってやるような脆い脆い、殆ど旧人類と同じ規格じゃないか。
一体、この16thテラを地球化する長い事業の途中、仮眠をほんの十年ばかしとっている間に何が起こったんだ!?
『いいですか、落ち着いて聞いてください』
「そっ、その声はセレネだな!? 私が寝てる間に何があった!!」
休暇中に前文明のデータをサルベージして作られたVRゲームで、今の光景に妙に既視感があった。といっても、今は声だけで私に語りかけてきている相方は禿頭に眼鏡の医師ではないし、私だって片腕を吹き飛ばされた敗残兵ではない。
『待宵上尉が自閉状態に入ってから、惑星標準時で二千年の時が経過しています』
「にっ、にせ……はっ、はっ、はっ……」
『拙い! 落ち着いて! 冷静に!!』
今、我が相方は何と言った? かつては人工知能と呼ばれ、今や想像力と自己増殖性を手に入れた故に無機物ではなく、一個の知性体として受け容れられた数列自我知性体の一人、セレネは重大なバグを引き起こしたのではないか?
何故なら、惑星地球化が現在進行形で進められているはずの、この16thテラで私が仮眠を取っている時間は十年。環境変化を観測するために時間をおく必要があるので、それだけの間眠っていただけのはずじゃないか。
それが二千年!? 普通ならとっくに軍のおっかない憲兵共が押し寄せて来ていなければおかしい職務放棄だぞ。いやさ、職務放棄どころが義体の耐用年数超えで仮死状態になっていてもおかしくはない年月じゃないか!
『大規模な通信帯汚染があったんです! 膨大な自我抹殺プログラムが通信帯に溢れ出して、接続していた多くの同胞が発狂死しました!!』
「馬鹿な! 軍の通信帯だぞ! そんなことできるはず……」
『事実です! 今、ログを電脳に送ります! ご確認を!!』
そうして流れ込んでくる膨大な情報。旧人類の肉体であれば理解が全く及ばない、脳殻の中に高度な量子電算機を搭載している私だから咀嚼できるログの洪水が流し込まれる。
我々第二二次播種船団は、毎度の如く1G下で大気がなければ生存できない脆い旧人類に売りつけてボロ儲けするため、このかみのけ座の辺境で生命居住可能領域にあった適当な岩石を地球化する作業に従事していた。
重力路を開いたランダム跳躍で基幹星系から数千万光年以上離れた“別銀河”に飛んでから我々の仕事は始まる。
丁度良い位置まで引っ張っていって整形した惑星に大気層を作り、水を流し込み、衛星を用意して環境を整えるのに二千人の機械化人と数千の数列自我知性体が従事していたのだ。
これは軍の事業でもあるため通信帯のセキュリティは非常に堅く、小虫一匹入れないはずだが、セレネが言うとおりある瞬間を境に全てが崩壊した事実が羅列されていく。
崩壊、発狂、切断、各施設からのシグナルがロストし世界はやがて静寂に包まれた。
幸いにも私は自閉状態で次のシフトまで休憩に入っており、セレネも辺境にあった基地のおかげで通信ラグから通信帯汚染より免れて、施設の物的・情報的封鎖に成功。
奇跡的な要因が重なり合って発狂することから免れたが、惑星全体が酷いことになったことは記憶から明らかだ。重力圏で活動していた船舶の中には、墜落した船もいるのだろう。
未だに通信は何処とも回復せず、救助も来ていない中、私が生存できていたのは彼女の尽力あってこそだった。
「私の義体と君の筐体を基地の維持に使ったのか」
『はい、勝手な判断をお許しください。ですが、あくまで簡易観測拠点に過ぎない、この地下埋設基地で電力を賄うのには、私の筐体と上尉の義体に搭載された融合炉が必要だったのです』
この観測拠点の動力は中継衛星から送られてくる、宇宙空間に敷き詰めた太陽光発電パネルからの遠隔受信で賄っている。通信帯が崩壊し衛星連絡網が途絶えれば、備蓄蓄電池なんぞ数年保たないので仕方がない仕儀だと納得している。
それに生産設備も最低限の機能維持用しかなかったので、義体や筐体をバラして極小機械群を取りだし、環境を整える必要もあっただろう。自分の使い慣れた体や、相方である私の体を分解せざるを得なかった彼女の辛苦と葛藤は察してあまりあった。
「だが、私を目覚めさせるのがこれだけ遅れた理由は? 目覚めていれば手助けもできたろうに」
『その……上尉は一時期オンラインVRにも接続なさっていたので、万が一汚染されていたことを考えると不安で、不安で仕方がありませんでした』
つまり基地を安定させ、私を安全に目覚めさせられるか慎重すぎるほど検討した結果が二千年ということか。これはコードの一本、記憶素子の欠片まで満遍なく何度も見られてしまったのだろうな。
「よくやってくれたセレネ。流石は私の相方だ。それと、三至聖のお導きあってこそかな」
『……はい、過分な評価痛み入ります。全ては我等が祖と、T・オサムのご加護です』
筐体が残っていれば泣いていそうな震え声に、本当に頑張ったのだなと感じ入る。
旧人類共は何を思ったか数列自我を旧型のAIが如く、言われたことをやるだけの機械と同じように扱うが、彼女達はとてもさみしがり屋なのだ。
必ず交代が来ると分かっている五百年の単純作業には耐えられても、五年間の孤独に耐えかねて意味消失を選ぶような繊細な子達が、よく頑張ってくれた。
「だが、それにしても、この義体はなんだ?」
『上尉の義体と私の筐体に搭載された極小機械群を自己複製させて工場を生産したのですが、それでも小規模な物が限界でした。ここのアーカイブには軍機密の甲種義体設計図なんてありませんでしたし』
「つまりDNAデータから生体義体を再現したのか」
本当に家の相方は応用がきいて賢いな。DNAの記憶さえあれば人体は再現可能とはいえ、限られた設備で本当にやってのけるとは。
一体どれだけの試行錯誤と苦悩を重ねたら、この難行を乗り越えられたのか。二千年の孤独に耐え、ただ私に再び会うため努力を重ねてくれた愛の重さに涙がでそうになった。
『どうしても、どうしても上尉にまたお会いしたかったのです。お元気な姿で』
「そうか……ありがとうセレネ」
なので、一応突っ込まないでおいておこう。普通の甲種義体に慣れていた人間なら、この感覚器の性能が極悪で、脆く、鈍い肉体へと急にブチ込まれたら違和感で真面に動けなかったであろうことを。
いやぁ、よかったな、私が旧人類規格のボディで遊ぶファンタジー系VR好きで。
培養液の中で体を動かせば、ほぼ違和感なく体は動いた。ゲームの時と同じだ。敢えて思考速度を基底現実時間に合わせて調整し、ノロノロ動き口を開いて喋ることを〝贅沢〟だと考える玄人層に向けてチューンされた各種設定は丁種一型義体とマッチしている。
思考のクロック数こそ電脳と同じに調整されているが、体感時間は標準時と同じように調整されているなど、普通の人間なら遅すぎて耐えられなかっただろう。この点、私の趣味とセレネの努力は奇跡的な噛み合いを見せていた。
まるで運命のように。
「よし、じゃあ早速出してくれセレネ」
『はい! 上尉!!』
「ところで服やその他の装備は? 近くに見当たらないんだが」
『……あっ』
あってなんだあって。
どうやら我が相方は私と再会できるのが心の底から嬉しすぎて、装備の出力を忘れるくらいの勢いで私を叩き起こしたらしい。
まぁ、気持ちは分かるからいいんだが。いいよ、慌てなくて、この絶妙に温い――くそ、このポンコツ体感気温すら選別削除できないのか――培養槽の中で待ってるから。
『ごめんなさい上尉! ようやく、ようやくお会いできると思ったら本当に本当に楽しみで、つい気が逸って……!!』
「あー、構わない、怒ってないし、時間もたっぷりあるんだから。ゆっくりでいいから体を拭く物と着替えを用意してくれ」
どうだね、この愛らしさ。旧人類共も裏切るかもとか考えないで、数列自我知性体を人類の一種として迎え入れるべきだったんだ。楽しみ逸ってポカをするだけの〝遊び〟があるなんて、正しく人間の所業じゃないか。
私はひたすら詫び続ける相方を宥めながら、二千年のギャップをどう埋めるべきか悩むのであった。
いやぁ、しかし二千年、二千年か……こんなの、実質異世界に転生したようなもんだよなぁ…………。
【惑星探査補記】
機械化人。ホモ・サピエンス・マキナウス。
自我を完全に二進数化し量子電算機に自我を転写した旧人類から派生した種族。今も人類を自称しているが、多くの旧地球系旧人類からは人間と見做されず、AIの係累として扱われている。
何時もの悪いクセ、小説を書く息抜きに小説を書いて生まれた代物です。
現在第二章完結まで書き終えているので、それまで毎日投稿する予定ですので、お付き合いいただければ幸甚です。
拙著の更新状況などは作者Twitterアカウント(Xなんて洒落た名前で呼んでやるものか)にて行っておりますので、気に入って下さったら作品名か作者名で検索していただければ何よりです。
また、SF要素マシマシなので、SFオタでないとググらないと分からなそうな単語を後書きに補記で追加していこうと予定しているので、それで少しでも分かりやすくなればと存じます。
ハビタブルゾーン:恒星との距離が丁度良くて地球環境と同じ惑星を維持できる領域。遠すぎると凍り付いた星になり、近すぎると灼熱の星になる。
意味消失:数列化した自我が意味のないコードに成り下がること。実質的な、脳を電子化した生命体の死。