棺桶に入るお時間です。
あなたには大切にしたい人はいますか?
あなたは人に大切にされていますか?
そんな人いないと言う人もいるかもしれません。でも生きているあなたは、誰かの一部です。目の前の食べ物は、誰かが育て、誰かが調理し、あなたの元へきました。消費者がいないと、生産者はいません。皆知らず知らずのうちに、誰かの一部になっているのではないかと思います。
何か見失いそうな時に、読んで頂けたら幸いです。
「美月様、そろそろ棺桶に入って頂くお時間です」
黒服に身を固めた執事みたいな人に声をかけられ、私は半ば達成感もありながら、
『来たか。。』
自分で自分を諭すことができた。
死ぬことがわかっていた自分は、思い残しのないようやれることはやった。もうやれることは思い付かない。お迎えの気配さえ、堂々たる姿勢で望むことができた。こんな晴れ晴れとした気持ちいつぶりだろう。
死ぬことに恐怖さえない。若くして生涯を終えようとしているのに不思議な気分だ。元気なまま、自ら棺桶に入るなんて。。。
「レフトーーー」
透き通った晴天。眩しくて空なんて見てらんない。
舞い上がったボールはどこにいったのか。先輩達の目線から軌道を予想し、ここらへんかなとよんだ先は大当たり。グラブにしっかりとしたボールの感触。
「スリーアウト! ゲームセット!」
フライをとり、東岡田高との連絡試合は5-2の勝利で幕を閉じた。
「やったね美雪!ナイスキャッチ!」
声をかけてくれたのは、ソフト仲間の優美。彼女は1年で知り合ってから、部活メンバーでもとくに気が合う。優美は運動神経が良くてどのポジションも上手くやる。先輩からも1番期待されており、来年はキャプテン候補の努力家だ。人一倍努力し、それでいて鼻に掛けた態度もまるでない。クラスの友達なんか、ちょっとしたことでもマウントとってくる底辺な子が多い。その点、優美は家に頼らずバイトしながらでも隙間時間はソフトボールに打ち込む。尊敬しかない。そんな彼女がなぜ、私に心を許してくれたのかは謎だが、大親友っていってくれたこと嬉しかった。
私はといえば、顔で言えば中の上。小さい頃から割かし明るめのグループに属してきた。派手過ぎるグループとは違い、程よくオシャレや流行りに興味がある程度。勉強だって苦手が多く、授業についていくのが必死である。ただ唯一、運動は好きだった。中学ではバスケ部に所属してたが、あまりのレベルの高さにレギュラー入りは敵わなかった。日本ではあまりバスケは2軍なイメージがあったが、ワールドカップが賑わったあたりからバスケ熱を感じていた。少し遠くの公園へいけばバスケットゴールが設置されているのも珍しくはない。しかし運動神経がいいからといって、中学デビューは厳しすぎた。ミニバス経験者との圧倒的な実力の差を見せつけられ、練習も必死についていくのが精一杯だった。あっという間に3年の夏がきて、重要な試合には1クォーターやっと出させて貰う程度で終わった。引退になる瞬間もスタメンは悔しい思いで涙が止まらなかったのに、私はどこか他人事な感じはあった。練習はとてもハードだった。でも部活動の中心メンバーでないことから、負けても自分のせいではないと安堵していたのも知れない。部活メンバーは嫌いでもなかったし、そこそこ楽しい時間も多かった。でも中学は嫌というほど、友達関係で苦労をした。
盛んな年頃ということもあり、家庭事情で噂されたり下に見られたり、自分とは違う所で評価されたりして下らなかった。結局、親在りきで守られてることにも気づかない温々で育った人達とも到底気が合うことも無かった。私だって1人で生きていけるほど頼もしくも無いが、自分1人で何も出来ない人とは違う自信がある。家事だってする。弟の面倒もみる。裕福な家でないことも知ってるから、成人後は親に面倒かけないようにある程度の生活力も身につけてきた。それでも優美は自分より過酷な状況にも関わらず、他人を蔑むことなく透明感がある女性だ。本当に尊敬する。そんな彼女が私を大親友だって言ってくれた。今までぼんやりと生きてきたのに、凄い人が認めてくれたこと。本当嬉しかった。
優美はシングルの家庭で、年の離れた弟もいる。母親は仕事に終われ、弟の世話は優美在りきで回っていた。勿論、生活必需品以外は買うことも許されないし、欲しいとも言えない状況である。中学は部活動には属さず、家のことだけしてきた。弟が小学校に上がる頃には少しずつ、荷が降りて高校に入って遅場せの青春を送っている。自分と他人を比べず、与えられた環境を全うに受け入れる彼女の精神力には到底叶わない。ただ、男性へ縋ってこなかったことは価値観を共有できる仲間であることは間違いない。
「ねぇ、美雪〜。お互いちゃんとした仕事してたらさ、どっか海でも旅行行こう?」
「いいね!私も行きたいっ」
今はお互い金銭面で余裕ないことも知ってるから、未来の約束をした。でも叶わない夢とは思わない。それぐらい赤い糸ならぬ、友情の太い糸を感じる。兎に角私も、1人立ち出来ることが第一歩であることは認識している。高校ではバスケを選択せず、ソフトを選んだことも理由の一つである。築島高校は部活はあまり活気付いてなく、剣道以外は幽霊部員が多数いる弱小部が多々ある。とくにソフトボール部は練習試合も少なく、顧問の先生も未経験であることから楽しめる部活です、と先輩からの紹介で選んだ。私にはちょうどいい運動部であった。そこで生涯の共に出会えたことは、加入した価値があった。
さて。
私が死ぬ日が2030年9月13日というのが決まっているので、私は動けるうちにやり残したことをやらなければならない。
「何かの映画であったなぁ。。」
まさか自分にもそういう機会が訪れると思ってもみなかったが、若さと体力が残っていたことは有難いことだ。兄も若くして亡くなった。家族遺伝性のタンパク質分解異常があるらしく15%で発症する高確率の遺伝性の病気らしい。兄の海斗なんかは病気が発覚してから、打ち込んでいた野球も断念し半年無くしてこの世を去った。親族といえば、歴代の亡き人のこともあり、海斗が生きてきた証を讃えるように、手を長く長く合わせてくれていた。勿論、そんなこと知らない兄の友人達は急すぎる報告に唖然としていたが、異様な葬式の様子から死を受け入れざるを終えなかった。兄は私と違い、暇があれば本を読むのが好きだった。知性があり将来も期待されていたから、短命すぎた人生皆が惜しまれるものだった。兄と違い、私は丁寧に死ぬ日を予告されていた。兄には申し訳ないが、計画的に余生を過ごさせてもらうとしよう。
やり残したとすれば、中学生時代打ち込んでいたテニス。当時は精神的に弱かったあまり、練習で出来ていたロブは、相手前衛のスマッシュ位置にあまく落ち、全て打ちのめされた。あるがままに過ごして中学時代。あの時自分が置かれていたポジションを理解していたら、もう少し良い成績を残せたのではないか。タラレバか。体力こそ現役には叶わないが、精神面では色々経験してるからこそ強メンタルで挑めるのではないか。死ぬ前にもう一度、このコンディションでやれるとこまでやってみたいと思い、社会人テニスサークルを調べてみた。
「結構あるなぁ。」
今やチーム情報を集めるのに時間はかからない。
「うわぁ、これは本気そうやな。。」
現役で活動されている人達と並んで勝てる気もしない。お酒が飲めるようになってからはふしだらな生活にシフトし、肴があれば一食済んでしまう。メンタルは強くなったかもしれないが、体力は学生時代に比べたら比でもない。流石に安易だったか。諦めかけた時に一際目を引いたチームがあった。
「昨日より明後日」
チーム活動は人が集まればで不定期、年配チームとの練習試合有り。気軽に楽しみましょう。
「緩いの好きだなぁ。」
参加費も一回500円だけなので、気軽にできそう。1人行動は苦手で初回からの1人参加には踏み止まったが、我儘言ってられない。友達を誘うことも考えたが、都合良く集まれる手空きの友人は持ち合わせていかった。勇気をだし、ラインから参加申込を送信した。
「初めまして!連絡有難う御座います!」
チーム管理者からの返信は早く、気さくな感じのラインが届いた。少し若い人なのかしら。。若干の不安も残るが、活動場所、時間等の情報を貰い早々と初日を迎えた。
指定されたテニスコートには、10名程男女様々に居るようだった。中には子供連れもいて、怪しい感じもしなかった。早い人からウォーミングアップを始めており、幹事らしき方を探していたところ、若そうな男性と目があった。
「みづきんさんですか?」
「あっ、はい。。美月です」
「すいませんね。馴れ馴れしくて。皆、打ち解けて貰うために基本アダ名で呼ばせて貰ってます。」
「あ、そうなんですね!」
話し方は好印象で、若くても信頼はできそうで、安心した。
「僕、一応チームの取りまとめさせて貰ってます、矢作と言います。皆にはサクって呼ばれてます!」
「サク?」
「漢字で書いた時の作るから、文字られてます。」
「あ〜」
矢作の漢字には追いつけなかったが、良しとしとこう。サクさんは、皆に声掛けてくれて一通り自己紹介をしてくれた。どうやら、ご夫婦やら友人、本当バラバラなメンバーのようだ。
「じゃあ早速、打ち込んで行きましょう〜」
私も会費を預けてから、柔軟後にウォーミングアップに参加した。サクさんはマサという男性に声をかけ、一緒に打ち合うよう誘導してくれた。ストレートでショートから打ち合い、ロングまで後ろに長くしていった。学生以来だが、取り敢えず正面には届けて良かった。相手のマサさんは上級者っぽくて私に合わせてくれていた。
「ちょっと休憩いれましょう」
休憩中、あちこちで雑談が始まっていた。
「どれくらい、テニス経験者なんですか」
「中学の3年間だけです」
「あれ?じゃあ軟式だけ?」
「そうですね。」
本当は高校でもテニスを続けたかったが、軟式しかないということで断念した。硬式しかプロが無いことや目標を見失ったこともある。
いつ、硬式ラケット買ったっけ?軟式上がりは力ずくでボールを打ちがちなんだよなぁ。よく打ててるなぁ私。
休憩後は少し試合形式が入ってきて、前衛とのラリー感を味わった。懐かしい!私よりも経験が浅い方もいるようで、チームでみると、ちょっと上のほうかも。
サクさんが徐ろに声を上げた。
「今日早速なんですが、午後から練習試合の申込みありまして、行ける方いるなら受けようかと」
2,3人が手を挙げるなか、
「みづきん、どう?」
「え!私でいいんですか?」
「4人いれば有り難いんですが。予定ありますよね?」
まだ体力的には動けそうなので、折角だし参加することにした。このチーム感ならソコソコいけるかもって余裕が出てしまったこともある。
場所を変更して、ぞろぞろと対戦相手らしき人達が集まってきた。サクさんは慣れた感じで挨拶しており、何か驚きの表情も見せていた。
「皆さん!今日勝てば優勝プレゼントあるみたいです」
何か、向こうチームのスポンサーの加減で、賞品を用意してくれたみたいだった。俄然、試合感を感じてきて緊張が走ってきた。
一回戦、先程相手をしてくれてたマサさんとダブルス出場することとなった。
ファーストサーブ。。入れ!
弱いサーブだが、何とか相手コートに落ちた。マサさんのフォローもあり、試合は順調にゲームを獲得していた。
「ゲームセット」
なんだかあっという間に、マッチポイントだったようで勝利を収めることができた。あれよあれよと言う間に次勝てば、準決勝まで上りつめていた。
やっぱり、メンタルは大事だなぁ。相手にアドバンテージを取られても、冷静に対処することができた。
この試合に勝てば、準決勝かぁ。いけちゃうかも?自分の悪い癖だ。直ぐ調子に乗ってしまう。落ち着け、落ち着け。自分には経験値がある。中学の頃から成長してるんだ。自分に言い聞かせながら、次の試合に臨んだ。
「ラブオール、ゲームスタート!」
対戦相手は、ペアユニフォームで出場しており、いかにも経験者であることが伺えた。ファーストマッチはレシーブで相手サーブを受ける側である。
高くあげられたボールは、高い打点からのサーブで、ネットギリギリにも関わらず、凄い勢いでサービスラインに打ち込まれた。得意なフォアコースにも関わらず、呆気なく打ち込まれてしまった。しかも、ファーストサーブを入れてくる確率も高く、サービスエースを取られあっという間に、セットを取られてしまった。この体が強張る感じ、凄く覚えている。いつも確実に入れてくるセカンドサーブ狙いだったため、サービスエースを狙ってくる相手は苦手だった。かなり後ろに下り、強いボールに対抗できるよう体制をととのが、それを安安と上回る強さで打ち込んでくる。中学時代、ファーストサーブ外れろとばかり祈っていた。
「ゲームカウント、ラブワン」
マサさんからのサービスで始まり、暫くラリーが続いたあと、マサさんの強烈なバックハンドがクロスに決まり、ゲームは優勢で進み何とかセットポイントを勝ち取る事ができた。しかし、試合は相手優勢で進み、こちらのミスが目立つようになってきた。
「ゲームカウント、フォーツー」
相手のサービスから始まるゲームは、太刀打ちできずほとんどをサービスエースでもっていかれた。
「ゲームカウント、ツーファイブ」
次のゲームを死守しなければ、敗退が決まってしまう。中学時代、嫌ほど味わった負ける経験。私はあの時とは違う。色んな事経験して、辛いこと、楽しこと一杯あった。死ぬまでに、新たな一歩を切り刻むんだ!力んで打ったサーブは、ネットに引掛かり呆気なくフォルト。まだまだーと意気込んだセカンドサーブは、距離が足りず敢え無くネット前に終わった。
「ラブフィフティーン」
嫌だ。負けたくない。
「ラブサーティ」
私は変わったんだ。
「ラブフォーティ」
苦しい。やったことのあるミス、成長してないバックハンド、繰り返すダブルフォルト。メンタルで強くなったはずだったのに、負ける、負けてしまうと思う気持ちを断ち切れない!嫌だ。変えたい。変わりたい。強い気持ちで挑んだ筈なのに、体が言う事をきかない。結局、私は何も成長してなかったの?何とか新しい結末が欲しい。。。
「シュークリーム、3つね。」
移動販売でケーキ屋を営み、もうかれこれ13年になり、店舗を構えるまで大きくなってきた。ご贔屓さんと世間話も交わえながら、試行錯誤で新しいスイーツ作りにも励んでいる。
「遥ちゃん、またね! 今度息子の誕生日ケーキも予約させて貰うわね」
「有難う御座いましたー。またお待ちしております。」
扉まで見送り一礼が終わる頃、楽しそうに談笑する学生さんが目に止まった。笑っている姿が印象的で面影があるような、、
「あれ?もしかして要くん?」
彼は学生服に身を包み、重そうなリュックを右肩にかけていた。暫し、こちらを不思議そうに見下げていたが、
「あぁ~、母の同級の!」
「そうそう!いや〜見違えたやんー。何?部活帰り?」
要君は、高校の同級生の息子で、もう何年と会って無かった。
「いや〜。本当大きくなったわ。今何センチまでなったん?」
「173はありますね。母に自分より1mmでも大きくなれと言われてましたからね!でも、もう止まりかけてます!」
相変わらず、陽気なキャラは変わっていないようで安心した。本当やんちゃで、いつもじっとしてない子供だったから将来大丈夫かと心配していたほどだ。
「あっ!そや! 残り物あげるからまってて」
店内へ案内し、待合の椅子で待つよう声をかけた。要君は友人と帰り道だったようで、待ってる間も楽しそうな会話が聞こえてきた。
「陸さー、あれは無いわ。相手のパスがサイドに行くって分からんかったんー?」
「いや、だって18番にパスするって皆思ってたって!」
「はい、これ!お待たせっ」
要君と友人に、売れ残りの焼き菓子を詰めてあげた。
「有り難く、頂きます!」
友人も、申し訳無さそうであったが、要君に促され2度ほど頭を下げながら受け取ってくれた。
「あ、またお見舞い行くからね〜」
「母も喜ぶと思います!じゃっ」
振り返りながら手を振り、笑顔で友人と立ち去っていった。
姿が見えなくなるまで見送ると、ポツポツと小雨が降り出した。
「今日は早仕舞いかな。」
お店の片付けを進めながら、物思いにふけていた。
「良い息子に育ってんじゃん。。。」
安堵とともに、高校時代の思い出が蘇ってきた。文化祭でダンスを踊るってはしゃいでたあの頃が懐かしい。本当に運動音痴だった私は、体育が大キライだった。スタミナ強化目的でサーキットがメニューにあったが、匍匐前進やら、ブリッジ歩きやら体育館の端から端まで往復させられた。特別、体育科でもないのに変な学校であった。いつも私はビリで、当時のグループメンバーがいつも応援に駆けつけてくれた。グループの中でも楓がいつも1番で、頭もよく生徒会にも属していた。
「おーい、何回後ろ周り失敗してんねーん」
グループのリーダー格で、場をいつも盛り上げてくれていた。周辺で笑っているのが綾とつっきーとクミボン。いつものメンバーだ。私のグループは本当にキャラが濃くて、皆それぞれバラバラな趣味なのに、漫画だけは好みがあった。新刊がでたら1人が買ってきて、読み終えたら直ぐグループで回しあっていた。しかも、好きな漫画がアニメ化され、エンディングでダンスが披露されていた。高校最後の年だったこともあり、文化祭で踊るって言い出したのは私。皆の目がひんむいていたのを覚えている。放課後に皆で振りを覚えて、何度も練習したなぁ。結局、足を引っ張ったのは私だけど。卒業以来は、暫く待ち合わせてご飯とかしてたけど、早い子から結婚、出産と続いて、なかなか全員で揃うことは無くなってしまった。私はといえば、かなりの奥手で只管相手を待っているうちにアラフォーを迎えている。正直、今はもう人に合わせるとか面倒でしかない。結婚に興味が無い訳ではないが、マッチングアプリとか始めるのも億劫である。自然に出会えることなんて無いんだろうか。お客さんの紹介で出会った男性もいたが、何度かお会いして連絡が来なくなった。お久しぶりですとメールをしようと試みたが、焦りがない分いつでもいいかと今になっている。高校の友達は、今や主婦業、技術職、営業職、看護、福祉と多種に渡り社会人となった。子育てが一段落すると、子連れでランチに参加したり、しなかったり。今ではアラフォーということもあり、美容に気をつかっている子は今でも綺麗だか、年相応な子もいる。私はその中でもストレスを受けてない分、まだ綺麗でいると思っている。1人は早くに体を悪くし、ずっと入院続きな子もいる。さっきの要君の母がそうだ。もう、高校生だなんて、私には本当出会い無いもんかね。。楓なんて早めに結婚して離婚して、直ぐ再婚して。私なんて、一度もそんな機会無かったんですけど。でも寂しいとか思わない。声かけたら、2人は集まるし、早めに予定したら旅行だって行けたこともある。友達の子供の成長だって、嬉しくてたまらない。妬みとか取り残され感とか全く感じたことはない。いつも皆からは外れていたから、特別気を遣われたこともない。
「ピロン、ピロン」
携帯が鳴って、懐かしい名前が表示された。
「お久しぶりです。長らく連絡出来ず申し訳ありません。あれ以来、同級の子と再会し昔話もありながら盛り上がってしまい、結婚することが決まりました。私自身こんなことになるとはと、驚いているかぎりです。遥さんにご報告が遅れて、本当に申し訳ないと思っています。遥さんの御多幸をこれからもお祈り申し上げます。またお菓子買いに伺いますね。」
わー。律儀な方だなぁ。そう。とってもいい人で気の利く人だった。でもただそれだけ。親にとっては安心できる人かもと思ってたけど、そんなにうまく心が付いてくるものでもない。久しぶりなんてメールしなくて良かった。
「おめでとうございます!次は私もそんな再会があるかもなんて期待しちゃいます。なんて女子高なんですけどね。いつでもお待ちしております!またお祝いさせて下さいね。」
これだと少し嫌味チックかな?でも少しも悲しくないということは、やっぱりその程度か。今度、常連さんへのご報告忘れないようにしないと。さて、なんか一段落感が半端無いな。こういう時は高校の友達に会いたくなるのは何故だろう。
「そろそろ、ランチしませんか?」
青い海!見る限りのオーシャンビュー!待ちにまった沖縄!友達に声かけまくって、やっと中学時代の友人と休みの都合があって、念願の沖縄へ到達したのだ。ずっとスキューバダイビングをしたかったのだ。母親も興味を持っていたようだが、どうやら年齢制限というものがあるらしい。教育機関上は制限がされていないようだが、やはり健康面でのリスクがあることから、ダイバーショップの方で断わられる場合が多いようだ。その事を聞いてから、絶対60歳までにはと思っていたが、死ぬ事が分かってからは絶対に行くと決めていた。陽菜とは中学時代、とっても仲が良かった訳ではない。お互い別々のグループに所属していたし、部活も一緒では無かった。でも、社会見学活動では同じコーヒーショップを選択し、環境活動でも川沿いのゴミ拾いを選択するなど、話す時間こそ短かったが、趣旨は似てると勝手に思っていた。それでも同じクラスになったことは1年の時だけで、卒業までの間は特にプライベートな付き合いは無かった。別の高校に進学したが、SNSの普及もあり連絡手段は辛うじて繋がっていた。それでも特別会う用事もないし、お互いマメに投稿するタイプでも無かったから、今何してるとかさっぱりであった。高校を卒業してから、陽菜は大学へ通っていることが風の噂で流れてきた。私は大阪の短期大学で1人暮らしを始めており、居酒屋でバイトしながらお金をやりくりしていた。地方から集まった短大の子たちは、1個や2個違いの子もいたが、高校までの先輩後輩の関係が崩れ、対等な関係での付き合いだった。同じ出身で固まるかと思われたが、金銭面での価値観や、時間の使い方が合う子でグループが出来ていったように思う。親の収入差だろうか、月の仕送りの額だったり着ている服のブランドだったりと、話の流れから深入りするのを辞めたのは自分だったかもしれない。中学時代は、1人になるのが嫌で、好きでもない音楽や流行り言葉に追いつくので大変だった。皆どこから情報を得てるのかいつも不思議だった。早い子からお洒落に目覚めていってたが、兄兄弟だっためか、その手の話は苦手だった。好きな男の子だっていたが、バレンタインにチョコを上げたりする女子を応援しつつも、どこか遠い目で見てた。中学では一方的に好意を持たれ、仕方なく付き合うって決めた途端、鳴りやまない携帯に嫌気がさした。高校デビューで1人2人彼氏はいたが、長くは続かなかった。興味を持たれることは嬉しかったが、2人よりも友人と悪ふざけしてる時間の方が楽しかった。オンナとして扱われるのが歯がゆくて、オトコに対して甘えたい気持ちもまだ芽生えてなかった。ただ、周りの皆が彼氏の話が多くなり、友達と話を合わせる為だっただけかもしれない。付き合う前はいい人だからと思っているのに、いざ付き合いだすと疲れている自分がいた。今になってだが、ずっと気を張っていた。格好悪いところを見せたくないからと相手に合わせるばかりで、我儘も言わなかった。もっと相手に委ねていたら、もっと違う結末になっていたかもしれない。私はいつから三人称視点になったのだろうか。子供の頃はずっと無邪気で、伝わってなかったら嫌だから、相手の反応が悪いと2度同じ事を言う癖があった。自分中心が当たり前だった。ふとビデオを回したときに、相手の話を全く聞いていない自分がいて、過去の自分がとても恥ずかしくなったのを覚えている。見てきた世界が、一転してかなり反省すべきシーンが思い返された。そんな自分勝手な自分だったのに、こうして連絡をとってくれている友人達には頭が上がらない。陽菜とは私の悪しき時代からも、変わらず接してくれて有り難かった。大阪という共通点から連絡をとりあい、日が合えばご飯を行くようになり、ノリで弾丸旅行にまで行く仲に発展した。親から譲って貰った軽自動車で、2泊4日で九州まで行ったのは今でも覚えてる。車の免許をとってからは、いくらでも運転できる気でいた。目的無く、ただ海を見るだけに何時間と運転した。グルメでも堪能すれば良かったなぁとか今更に思う。でも流石に九州は大きかった。本当は鹿児島まで行って、九州を巡ったことにしたかったが、帰り道のことを考えると帰路方向へ向うことを決断した。走っても走っても県境を越えれないと気付いたとき、下道の大変さを痛感した。2人とも2日間に渡る車中泊で、心身疲れていた。来るは易しで、この距離を運転して帰らないと気付いたときはどうにか車ごと帰れないものかと自暴自棄になりかけていた。その日の夜、かなりの眠気に襲われ、運転を陽菜に預けて仮眠させてもらった。ふと目が覚めたとき、車を停めて陽菜も横になろうとしていた。
「ごめん、かなり寝ちゃった。今どこ?」
「熊本抜けて、福岡に入ったかな?」
「うそ!だいぶ走ってくれたんや」
もう帰れないかもって思ってけど、陽菜が頑張ってくれて希望が湧いた。本州が見えてきて、気持ちの負担がかなり減った。このときほど、陽菜を誇りに思い感謝したことを忘れない。この時もまだ後先考えていない甘い自分だったにも関わらず、寛大に接してくれたこと嬉しい限りだ。彼女のことを自分より大人だと思ったのも、弾丸旅行で知れて事だ。
さて、そんな陽菜との沖縄!最後の旅行になるだろうから、あの時の感謝の想いを伝えたい。あの時の若気の至りとは違い、きっちり旅行計画は立ててきた。空港に着いてから、真っ赤なレンタカーを借りて、目指すはソーキそば!目指すはるるぶで調べたやんばるにある食堂。肉肉しい大きいお肉にそそられたのと、昔ながらのおばあちゃんが営む雰囲気あるお店。北へ向う道入、九州旅行の想い出話で盛り上がった。
「あの時の道のりに比べたら、やんばるまで楽勝だね。本当あのとき、挫けてたから陽菜の存在が有難かったよ。」
「なんでよ〜美月は朝強かったからね。朝の運転はかなり任せてたよ。」
思い出した。陽菜は夜型で私は朝型だった。貧乏旅行だったから、道の駅で車を停めて朝ご飯を求めて起き次第、勝手に走り出してたなぁ。あの頃は目覚めもよく、何か急かせかしてた自分だったなぁ。そうか。私ばっかり迷惑かけたと思っていたから、少しでも陽菜の役に立つシーンがあって良かった。天気もよくドライブ日和である。那覇市内を抜けるとあっという間に右手に海が見え、最高のドライブルートである。音楽が流れてる。ケツメイシのケツノポリスだ。当時はケツノポリス5までが流行っていて、よくカラオケで歌ったっけ。
「よるのかぜ〜」
「あ〜びながら〜」
「車で〜♪」
「懐かしー。ケツノポリス3だっけ?」
「2じゃない? よるかぜだよね。」
陽菜との会話は楽しい。ずっとお喋りするのではなく、まったりする時間も多い。でも何か目に止まったり、急に思い出したりで話込んだりして、話のネタをやさがしすることは無い。当時流行ってた人間観察。お茶しながら道行く人の興味の的は、いつもおんなじ所が目にとまったなぁ。あの人の2度見面白かったね〜とかから、あやった、こうやったと妄想話で盛り上がったっけ。
「そ〜いや、悟元気にしてるの?」
悟?
「あぁ。さとるね。今頃、何してるんだろうね。」
陽菜と連絡を取り出してから、グループ交際で何度か、悟の友達と陽菜とで4人で出掛けたこともあった。悟は自分が初めて自分から好きになった相手だった。今まで相手から好意を受ける側だったから、初めて両思いだってことが嬉しかった。何してても、悟のことが気になるし、他の子といててもその日の夜にはもう会いたくなっていた。ほんとに恋してた。どこにいっても何をしても悟と過ごす時間が幸せ過ぎて、これが運命の出会いだったんだって思ってたのに。彼が遊び人だって気付いてからも、簡単に諦めきれなくて、でも、だんだん彼がいない時間に涙を流すようになって。私を1番だって言ってくれても、信じられなくなっていった。初めて自分が好きになった人だったから、この人と毎日居たい、結婚したいとまで思ってたから別れを切出し、遊びをやめてくれないか期待したが全然駄目だった。悟は親からの偏愛により、多くの愛情を求める人間だった。彼自身も自分の気持ちをセーブできなくて、悔やむ日も少なくなかった。一緒にいてもお互い地獄をみるだけと何度も何度も頭で理解し、距離を置くことを決めた。別れてから暫く何かを考えるのも辛く、空白の時間を過ごした。信じてキラキラしてた日々が嘘みたいに真っ白になった。私が、自分を客観的に見るようになったのは、この頃の自分を自分として受け止めるのか辛かったんだと思う。第三者として扱うことで、楽になりたかった。今思うといい思い出しか蘇えらないが、もう二度と悟と2人で時間を過ごすことはない。死ぬ前に会いにいこうかと一瞬思ったこともあったが、もう会うことはないだろう。
思い出に浸っていたらやんばるに着いた。目的のお店に入ると豚出汁のいい匂いがしてきた。
「ソーキそば、2つで。」
名前はそばだが、見た目は白くうどんを細くしたような麺。ラーメンみたいにすすれるものでもなく、骨付き肉は長時間煮込まれ、ホロホロと箸で崩れるほど柔らかかった。
「おいしっ」
2人で顔を見合わせて、声を揃えた。器自体は普通のうどんの量だったが、肉の大きさとお出汁のこってりで想像以上にお腹を膨らした。
「ご馳走さま〜。」
「あー、お腹一杯!」
「さぁー!メインのスキューバ行くよ〜」
恩納村まで移動してる間に、お腹も落ち着き念願のマリンクラブに辿り着いた。
「いよいよですな!」
受付を済ませ、案内の方に誘導されながら、ウェットスーツの着替えからボンベの使い方、耳抜きなとざっと説明を受けた。初めて着るウェットスーツは硬く、なんたが窮屈に感じながらも心がうきうきしているのを肌で感じていた。終始何が装備する度に、陽菜と目を合わせニヤつきが止められなかった。ダイビングスポットまでは貸切ボートでの移動となるが、同じ時間の体験者たちとの相乗りであった。子連れの家族と、友人と旅行だろうか、若そうな2人組もいた。ボートが走りだすと、波を立てながら絶景の蒼い海を進んで行く。
「気持ちいーー!」
この日は晴天で、すかっと晴れた空と水平線は涙が出るほど綺麗だった。
『既に幸せだわ。。』
年を重ねて、四季を求めて山をを登る両親の気持ちが今になって理解できる。景色で泣ける。1年1年当たり前に咲く桜も、青々として木々に照りつける日差しもも、イチョウの色付きも、山の頂上か白く色づくのも、四季の素晴らしさを味わえる日本人で良かったと思う。
「ここが、青の洞窟ねー」
「うわ〜」
大体、ガイドの掲載写真以下での景色を目の前にしてがっかりするものだが、何度見ても青い!碧い!蒼い!
「。。綺麗」
「じゃっ、海さ入ってくねー。」
ガイドさんの呼びかけで、皆それぞれ先程指導された手順で海に潜っていく。
『いよいよだ』
背中から潜ると思われたが、足からゆっくり海に浸かり、ウェイトのお陰で簡単に潜ることができた。全身が浸かるまで呼吸が出来るか不安だったが、シュノーケルの経験もあったからか、ブクブクと息を吐けていて一安心だ。ガイドさんが皆の状態を確認したところで、洞窟内に誘導してくれた。海の底は影になっており、明るい青ではなく一段と濃い青に見えた。ゆっくりたがフィンの使い方にも慣れてきて、行きたい方向へも泳ぐことが出来た。途中、テレビでみるようなサンゴに沢山の熱帯魚もいる。
「お魚一杯〜」
「あ、ニモニモ! カクレクマノミー」
陽菜もかなりテンション上がってるのが凄く伝わってくる。スノーケル越しだから曇って聞こえる会話も、大体の身振りで伝わってくる。おいでおいでと、指差す先には砂地からのびたチンアナゴ。
「えー。もう水族館やん」
テンションの上がる2人。ガイドさんから、早くおいでと身振りされ周りを見渡すと皆もう洞窟の中に入っていた。家族連れさんにも遅れをとり、申し訳ない気持ちがこみ上げてきた。昔ながらの友人と合うと、我を忘れて楽しんでいることに気付くのが遅い。足早に皆の元へ集まると、皆顔をだして撮影タイムだった。ツアーにはカメラマンも同行しており、綺麗に取れる場所やポーズなどを伝授されていた。洞窟の中さえ薄暗いが、差し込んだ日の光が水中で反射し、神秘的な蒼を映しだしていた。
「うちらも撮ってもらお」
カメラマンは、2人で手を繋ぎハートを描くよう指示してきた。どうやらシルエットでくっきり2人の腕がハートになるようだ。
「もー満足だねっ」
他の撮影者を待つ間、ガイドが見える位置なら自由に見て回っても良いとのこと。先に撮影を終えていた、若い2人組の後に付いて探索を始めた。先程とは違う方向に進み、新しい魚に会えないか夢中になって泳いだ。日の光の入り方、波の立ちかたで海の底の雰囲気が変わっていく。自分の呼吸音、遠くの家族連れの会話は薄れ、静かな海となっていた。
「あぁ、気持ちいいなぁ。。」
現実離れしたこの空間はあまりにも、夢心地だった。水の中にいることも忘れるような、浮遊感に酔いしれ、ただ波に身を委ねるのが心地良かった。
あっという間だったなぁ。どうしても体験したかったダイビングもこうして経験出来てよかった。付いてきてくれた陽菜に感謝だな。
「?。 陽菜?」
海底の白いサンゴたちは?気付けば、日の差し込みは見上げた海面で終わり、辺りは薄暗くなっていた。
『ヤバい。』
あまりに水の中が気持ち良すぎて、自分が沈んでいることに気が付かなかった。
『戻らなきゃ』
フィンをパタパタと動かすも、上へ進まない。泳いでるのにどんどん海の底に吸い込まれている。
『これってダウンカレント?』
テレビで見たことがある。岩礁の側で海底へ流れる海流があり巻き込まれると、海底へ沈んでいくというもの。この場合、上へ泳ぐことは難しいので出来るだけ岩礁から離れた方が流れが弱くなるといっていた。
『残留酸素もまだ余裕がある。落ち着いて横へ逃げよう。』
横へ横へ。
なんで。。。
岩礁から離れられない。
私は落ち着いてる。上は駄目だから横に泳いでるのに、横にも進むことが出来ない。水深カウンタがカタカタ数字が上がっていく。先程まで差し込んでいた日の光もあっという間に、遠ざかり岩礁が今どこにあるかも分からない。水圧で耳も痛いのかな。不安で心臓がバクバクしているのを感じる。深い方へ沈んでいく身体。昔、疲れた時に頭まで深く浸かった湯船で栓を抜くと、ドンドン水かさが減る分、お湯から出た体積分の身体の重みを感じていた。浮力が無くなった身体は重く、水が無くなる頃にはズンと大きい石の塊のように感じていた。この重みで私は生きてる、まだやれるって気がしてた。でも今は身体の重みも、浮力が無くなっていく感じもしない。
『陽菜。。ごめん。折角の旅行だったのに嫌な思い出にさせちゃう。。』
同じ乗り合いにしてしまった、家族連れと若い2人組。若い2人組?!私、あの子達知ってる。2人が運動神経良いことも、仲良しだってことも。あれ。記憶が混乱してきた。自分が置かれている状況からの現実逃避なのかしら。深い深い暗い海の底に、ただ1人取り残されてしまった。怖いはず、パニックを起こしてるはずなのに、2人のことを知ってるだけで安堵の気持ちで一杯になった。酸欠なのかな。意識が遠のいていく。ただ、ただ、深い水の中に自分が一体化していくのを感じる。。。
「要くん。脳波の受信記録が短くなってきていますね。」
森さんに告げられ、母が段々弱ってきていることを悟った。母親は、いわゆる植物状態にあり、心臓から臓器までなんら問題がないが、脳の損傷により思考や身体を動かしたりなどの行動はできない。モニタを操る森という人間は、病院の医師ではなく母が所属していた部署の同僚である。
僕が聞いた話では、母はヘルスケア関連機器の開発に携わっており、年々増加している高齢者の孤独死を無くすべく、心拍から体温、血流状態を常時モニタリングし異常値が見つかればヘルパーやかかりつけの医師に連絡がいくという健康管理システム開発に努めていたという。母は実際に高齢者や家族さんへ説明の上、生命管理機器が上手く作動するか何年もデータを取っていた。
ある試験者のテスト期間中に、アラートがなり、実際にかかり医を連れて自宅へ駆けつけた。試験者は発作を起こしており、医師により懸命な処置が始まった。母は症例など知識は豊富に勉強してきていたのだが、発作患者を目の当たりにしたのは始めてだったようだ。
『痙攣が発生しています、AEDを持って来てくれますか』
車には救命道具は1式準備しており、医師の指示で母はAEDを急いで取りに戻った。医師は手早くパッドを貼り付け、電気ショックの操作をした。バタバタと走る足音が聞こえてきた。アラート情報は親族へも自動に連絡がいくようになっており、どうやら駆けつけてくれたようだ。
『母さん!大丈夫なの!聞こえる!?』
患者の娘さんはかなり慌てているようで、身体に触れようとしている。
『触れないで下さい!』
医師が大声を出し注意をしたが、娘さんはパニックでそれどころでは無かった。必死の思いで駆け寄る娘さんを押さえ込めたが、その反動でバランスを崩し、机の角で頭を強打してしまった。医師の措置で患者さんは大事に至らなかったが、母はその時の打ち所が悪く大脳の神経を損傷してしまった。母は寝たきりの状態になり、担当の医師から植物状態であることが告げられた。医学会でも植物状態の患者の経過処置方法は一概に言えず、家族の思いを尊重したいと言うことだった。
姉から聞いた話だが、母が急に寝たきりになり父も姉も現実を受け止めきれていなかったが、平謝りを続ける患者の娘さんの前では、父は泣くことは許されず、ただ一言告げていたという。
「妻の行動を誇りに思ってます。妻もお母様を助けられて安心してると思います。もう泣かないでお母様の側にいてあげて下さい。」
娘さんは何度も頭を下げ、これ以上やれることはないと諦め病棟を後にした。姉はこの時の父親の姿をみて、母のことを大事に思ってたんだと痛感したという。
母の入院が続く頃、会社の同僚がお見舞いにきてくれた。その彼が森さんである。森さんも母と同じくヘルスケア機器の開発に携わっており、淡々と説明を始めた。
「お母様の脳波を見える化されませんか」
森さんの研究は、脳波の信号を読取り、その信号を映像化するというものだった。森さんの研究もまだ開発途中で、信号から作りだした映像に整合性があるか参照データを取りたいとのことだった。始めは母を実験台にされることに抵抗があったが、上手くいけば母と意志疎通が取れるかもしれないと、家族合意のもと試験器の利用が始まった。森さんは担当医師に、機器の目的と安全性を説明し、母の脳波の測定を始めた。森さんは脳波の電気信号が読取れていることが確認とれたと説明してくれた。
「何か話かけて貰えますか?」
家族で目を合わせ、何から声をかけて良いものかと口を紡いだが、
「お母さん、聞こえる?」
僕は恐れながら呼びかけた。モニタには何やら薄い色味がモヤモヤしているなか、時折濃淡が強くなっているのが見えた。
「海馬に反応あります。要くんの声、聞こえてますよ!」
「僕だよ。要だよ!」
「ちょっとモードを切替えますね。」
森さんは!モニタを操作すると、今度は文字が浮かび上がってきた。
『男、黄色、柔らかい、愛、丸い、、』
「まだ開発途中なので、信号の具現化がいまいちなのですが、脳波の信号を解析した文字を表してます。」
父を見上げると、目が充血しているのが分かる。父は口数が多い方だったが、母がこうなってから黙って何か考え込む時間が増えていた。父も取り乱すまいと色々溜め込んでいたのだろう。姉は気を良くしたのか、母に向かって話かけていた。
「こないだ、美玖とね、買物行ったよ!」
美玖は姉の幼馴染で、小さい頃からの付き合いだ。
『ボール、服、ラーメン』
「ラーメン!」
姉の大好物のラーメンの文字が浮かび上がり、皆の顔に笑顔が見えた。森さんも母が『生きている』事が確認とれて、肩を落としている様子だった。森さんは、話かけてない間も信号が取れることがあることを教えてくれ、信号の記録は定期的に報告するとのことだった。植物状態からの回復は保証出来ないが、今まで呼びかけに対して無反応だった状態より微かに希望が見えた。
あれ以来父は、母の知り合いには出来るだけ声を掛けて、母に会いにきてくれないかと頼んでいるようだった。僕が居ない間も、母の知人が何度か見舞いに来てくれていることが、脳波の記録で知ることができた。
しかし、今回の森さんからの報告で、記録の回数が減っていること、受信できる脳波が微弱になってきているとの事だった。呼びかけにも反応がない時間も増えてきているのは確かだ。森さんは担当医師とも脳波記録について議論を進めているが、過去には脳波の信号を受信しなくなった時は、脳死判定が下りている症例もあるようだ。母からの信号はまだゼロではないが、僕は母の反応が無くなるまでは諦めたくない。
ランチの招集に予定がついたのは、私と楓と綾だ。
「綾、久しぶりやな!」
楓は社会人2年目で結婚し、子供が2人いるが既に手が離れてきてランチ会の参加率は上がっている。綾は最近結婚して子宝にも恵まれ、今は産前休職中ということで久しぶりに再会することができた。他メンバーは仕事や家庭と忙しいようだ。私はお店の休みさえ合わせれば予定は立てやすいので、自分が言い出しっぺでもあり、全てのランチ会に参加している。
「最近はどうなん?」
基本、集まれば自分の近況報告か、他メンバーがどうしてるなど情報共有から始まる。高校時代の友人ももうアラフォーとなり、会社員としてはベテランの域になってきている。プレ更年期にも差しかかってきており後輩の面倒やら、体調の変化など話題は全然尽きない。
「楓って今仕事なにしてるの?」
「今ね!国家資格目指してんの!」
「えっ!」
楓は昔から優秀だったが、飽き症があり会う度に違う仕事に携わっている。新しい職場に就いたと思ったら、お局さんにキレてやめたり、急に塾の先生になったと思ったら、世の中間違ってるーとか言いながら、ボランティア活動に勤しんだり、今回もぶっ飛んだ話が聞けるかと思っていてが、アラフォーで国家資格とは流石である。
「宅地建物取引士!」
「何それっ~?」
喋り込んでくると、昔のノリが蘇ってくる瞬間が多々ある。内容が分からな過ぎて笑ってしまうほどだったが、楓の近所や、知人で住宅の売買問題があるらしく、調べてるうちに資格を取る流れとなったみたいだ。楓の強い意思と行動力は未だに健在であるようだ。
「凄いなぁ。私なんて自分のことで精一杯」
綾は高齢出産にあたり、色々リスクを背負っている。腰痛が酷く、胎動があるたび吐き気があるという。旦那さんはというと、話を聞く分にはあまり気が効くタイプではないようで悪阻があった時でさえ、綾がご飯の支度をしていたようだ。
「そんなんで、やってけんのー」
楓は子育て経験者ということもあり、ズバズバ綾に食いついていた。綾はどちらかというと、強気な楓を苦手としていて、今も言い返すことは出来なさそうだ。
「でも、少子化時代に貢献してるからね〜」
「それ、遥が言うかっ!」
綾はグループの中では大人しく、控えめな性格である。楓がリーダーポジションだとしたら、綾はアウトリーダーにあたり、テンション上がって羽目を外す私達を冷静に受け止め、周りに迷惑がいかないようストッパー役だった。お酒が飲める年になってからは、目新しいお店を探してはベロベロになるまで酔い潰れる時もあった。その時も綾だけが帰り道をしっかり覚えててくれたり、忘れ物がないかの確認など母親的存在であった。綾のお陰で、私達のグループが野蛮ではなく、上品さも持ち合わしていたといえる。そんな綾だから、甘えん坊の彼氏に懐かれてしまうのは納得だ。
「辛くなったら、この楓様を召喚したまえ!」
「楓が来たら、私の旦那ビビると思う〜」
「間違いない〜あははは〜」
高校のグループメンバーは本当に個性が強く、中には2人だけでは相性が悪かったりもする。でもそれでも、落ち込んだときは助けあい、罵りあい、お互いを励ましあってきた。同じ時代を生きてるからこその悩みを分かち合ってきた。私もお店が上手くいって無い時は、口コミで広めてくれたり、新商品のアイデア出しなど、色んな場面で助けて貰っている。
「そーいえば、悟また違う子といたよ。」
高校時代に知り合った悟は、今だに遊び人健在らしい。高校グループ内でも引っ掻き回し、彼は厄介者としてちょくちょくネタにされている。
「つっきー、別れて正解だったね!」
「でも、初めて本気だったみたいで、かなり後引いてたみたいだけど、今のご主人はつっきーにベタ惚れだもんね。」
「そーいや遥、つっきーの見舞い行って来たんでしょ?」
つっきーとは要くんのお母さんで、長く病院生活を送っている。
「、、、。話かけても反応無い時間増えてるみたいね。」
「、、、そか、、、。」
「色々、健康診断とかで数値引っかかってきてるけど、つっきーは別次元だもんね。」
「次会うときは、皆でつっきーの見舞いだな!」
「そうだね!絶対の約束」
「綾は、子育ての最中かもね!」
「その時はこの楓様を、、」
「もう、いいって!」
「あははは」
私達は、誰かが苦しい話をしても、別れ際には皆前を向いている。誰しもがハッピーだらけな人生でないことを知っているからだ。皆、大小あるが苦しい経験をして今がある。全て自分の糧になっていることを分かっているからだ。次は元気なつっきーに会えるといいなぁ。
「あれ?皆いるじゃん」
「つっきー!元気そうだねっ」
「綾ーー!赤ちゃん産まれてる!可愛いー」
「遥、ちょっと太ったんじゃない?」
「あれ!クミボンその髪、何色よー」
「陽菜!無事だったのね!ケツメ歌いにこ〜」
「え?悟までいるの? まっいっか、もう許してやるよ!」
「森さん!会社の人まで一杯いる〜」
何か全員集合してない?ウケるんですけど。皆それぞれ楽しそうに喋っていて、和気あいあいとして心地よい空間である。そんな中、一際背筋を伸ばしいる黒服の人が遠くに目に入った。彼は白い手袋をして畏まった体制で、一礼深く頭を下げた。
「美月様、そろそろ棺桶に入って頂くお時間です」
「そっかぁ。もうそんな時間なんだ。。。」
皆、私の雰囲気を悟り談笑をやめて目線をこちらに向けている。
「美月、また来世で会おうね!」
「いってらっしゃい!」
結婚式の花道かと思えるほど、ピンクに染まった空間を私は火葬場へと案内されている。
不思議な光景だ。
何か色々やりたかったことあったと思うのに、皆の楽しそうな雰囲気で吹っ飛んでしまった。
皆、何か口々に私に声をかけてくれているが、どれも楽しく聞こえる。
なんだろう、この達成感は。
歩みを進めると、皆の姿は見えなくなり、黒服の人と2人になった。長い長い廊下をゆっくり進んでいく。廊下を抜けた先に開けた部屋があった。部屋の中央には大きめの台がある。
収骨室。。
記憶にある。おばあちゃんが亡くなった時に、皆で骨を拾った場所だ。喪主は父親で、待つ間父はずっと会話はするも心、此処にあらずといった感じであった。私は物子心ついてから初めての親族のお葬式で、火葬場に来たのも初めての経験であった。勝手がわからないまま、言われるがままに失礼のないよう振る舞っていた。式場で沢山のお花と、生前好きだった物品を詰めて行った。一つ一つにおばあちゃんの思い出があり、おばあちゃんが生きた証になっていた。おばあちゃんは89歳と長生きだったが、年々弱くなり亡くなった。化粧された祖母の顔は肌のハリがまだ感じとれるくらい綺麗で、触っても冷たいがまだ生きてるのでないかと思えるくらい潤っていた。祖母は食事にも気を遣っていたし、装飾品が好きで、お洒落にも気を遣っていた。その中でもネックレスの金と変形真珠は印象に残っている。バロック真珠というもので、子供ながらに歪な真珠に魅力を感じなかったが、葬儀のあと形見分けで1番に手にとったのを覚えている。祖母はいつも孫の私と兄に優しく、遊びに行く度に沢山のお菓子を準備してくれていた。孫目線ではいい祖母だったが、大人になってからは色々祖母関連で嫌な話もあった。それを聞いても、孫の前では嫌な顔をしなかった祖母を誇りに思う。祖母の死のキッカケで、宗教や宗派に触れたが、浄土真宗では阿弥陀如来のもと仏弟子になるといい、極楽浄土から私達を見守ってくれるという。お経もしっかり聞いたら、ちゃんと内容があったことを知った。かといって、何か宗派に入りたいという気持ちは無かったが、祖母が見守ってくれていると思うと悲しいだけではないなと前向きになったことも覚えている。
さて、収骨室を抜けると刺繍が織りなされた様な白い棺が用意されていた。黒服は特に喋りもしないが、私が入る棺であることは直ぐに悟った。友人達との別れから、あっという間の時間であった。
「檜の香り。。」
棺の蓋は空いており、私は足から棺に入る。
思ったより深いんだ。。もうすでに沢山の花が添えられており、ゆっくりと仰向けに寝転ぶと視界には白い天井しか見えなくなった。
「こんなものか。。」
あっさりと死んでしまう自分が、あまりにもさっぱりしていて自分で自分のことを誉めたくなった。
「皆。。私と携わってくれて有難う。」
「いい人生だったよ。」
ゆっくりと蓋が閉められ、これから身体が無くなるとは思うと流石に寂しい気持ちがこみ上げてきた。ジェットコースターでいえば、カタカタと上昇にいざ降りる時の不安な気持ちに似ている気がする。降りてしまえば、慣れてしまえば勝ち。
「一瞬だよ。大丈夫だよ、私。」
「?」
そーいえば、誰が点火スイッチ押すの?
祖母の時は喪主の父親だった。
私の喪主。。。
私の喪主!
「そうだった!私の家族!」
将大。。美雪。。要。。!
何で今の今まで忘れていたんだろう!?
そーじゃん、テニス会で参加してた家族!あれは私の子供達の小さい頃の姿だ。一瞬にテニスをプレイしていたヒロさんは私の主人!沖縄も。。陽菜は悟のこと知らないし、あの時の若い2人組は大きくなった美雪だった!
そうだ!全部思い出した。。。
私は。
私は。。。訪問先の患者宅で頭をぶつけたんだった。でも、皆の声所々で聞こえてた。
遥『要くん、大きくなってたよ』
美雪『でね〜、優美と深いとこまで潜ったんだ〜』
要『陸のサイドからシュートに繋がったんだよ』
綾『予定日、もうすぐなんだよ』
森『信号が弱いですね。。』
将大『美月は生前、臓器提供を希望していました。』
そうか。。私はきっと駄目になったんだな。皆の声暫く聞いて無かったかも知れない。
でも。もう、思い残す事無いな。要には私よりも大きく育って欲しかったのも叶った。美雪も友人と充実した生活を送れている。将大のお陰で、私が動けなくなったあとも色々やってくれたんだな。なんだかんだで、やらないだけで、やり出したら拘る奴だったから大丈夫だ。
『皆、私と関わってくれて有難う。
皆が私の一部だった。
本当に私は幸せ者だ。
有難う!私は先に逝くとするよ。
それじゃあね。
また、あとで。。。』
「本日、2030年9月13日をもちまして、高橋美月さんの人工呼吸器を止めさせて頂きます。またご家族承認のもと、装置停止後は臓器提供とさせて頂き、美月さんの心臓・肺・肝臓・腎臓・膵臓・小腸・眼球は新しい患者さんへ送り届けます。」
美月の命日となる日は、前もって知らされていたので、連絡が渡っていた友人達も駆けつけてくれた。皆思い思いに美月に声をかけてくれている。妻は感受性が強かったようで、周りが楽しいと楽しくなるし、悲しい時は人一倍泣いていた。人への感謝も大事にしていて、大昔に友人から貰ったカード入れを穴が開くまで愛用していた。僕は見かねて新しいカード入れを妻にプレゼントしたが、直ぐには捨てられていないようだった。妻とはテニスサークルで知り合い、趣味が似ていたことからすぐに仲良くなった。お互い家族への憧れも強かったことから、結婚に至るまではあっという間であった。妻は結婚後も度々、友人と出掛けたりして毎日忙しいそうにしていた。子供を授かってからは、子供中心となり流石に疲れもあったのか、口喧嘩が増えてしまった。職場でもバリバリ働いていた妻だったので、自分のことはよく後回しにしていた。初めての子育てということもあり、キャパを超えてしまったのだろう。ようやく僕は不器用にも家事、育児をするようになってからは、陰から見守る妻がいて、その顔がニヤけていたのを覚えている。不甲斐ない僕にも沢山愛情をくれていたことに、ようやく気づくことができた。妻が手掛けていた健康管理機器の動作環境も問題無いことから、今や1人住まいの高齢者のもと活用されているようだ。森さんからは装置名は「美月Call」も候補に上がったと言っていた。結局却下されたが、何とか美月の頑張りを認めて貰おうと上に掛け合ってくれたようだ。どうあれ、妻の頑張りが世の中で生きているのが嬉しい。集まってくれたメンバーからも、妻の存在意義を重々感じる事ができた。妻の身体は呼吸を止めてからも人々の身体の中で生き続ける。僕の中にも、妻の心が生き続ける。生活の節々に彼女の愛が満ちている。勿論、子供達からも妻の愛が溢れている。姿こそ見れないが、彼女が伝えてくれた愛は消える事はない。
クミボンの子
「あれ〜?おばちゃんわらってる〜?」
クミボン
「本当だね〜。なんか嬉しそうだね~」
「美月。。
僕の人生の中にいてくれて有難う。
ゆっくり休んでね。」
美月の移植も無事に終わり、葬儀もあっさり済んでしまった。森さんが集めていた脳波信号データのエビデンスも取れ、実用化が進んでいる。美月のように意志疎通が取れない状態でも、口や手も使わず意思を伝達できるようになってきているらしい。美月の存在は、美月の事を知らない人達にもこれからも繋がっていくんだと実感が湧いてくる。ヒュ〜っと窓から少し冷たい風が入ってきた。季節は冬を終え、ピンクに色づき始めていた。美月を失ったが、不思議と春の匂いが心地よい。前を向けている自分が誇らしい。家ではバタバタと娘が身支度に追われ、息子は朝から山盛りご飯だ。忙しい中でも平穏な日々であることが有り難い。
「さて、そろそろ仕事行くかな!」
美月の人生はどうだったでしょうか?思いもよらない人生の秋止符でしたが、周りの助けもあり自分の死を受け入れることができました。今の時代、何が起きるか予想できませんが、いつ、何が訪れようと自分をブレずに生きられたらと思います。
美月が生きてきたなかで、誰1人として無駄な出会いはありませんでした。楽しいことも辛かった経験も全て彼女の糧となり、彼女の一部になりました。また、彼女と携わった人達にも彼女はその人の一部となっていました。自分の行動が良いも悪いも他の人の一部になることは、私達は真剣に向き合う必要がある。美月はいつでも全力で誠意で生きていたが、後ろめたかった事も勿論あったと思う。生きているうちに気付けたなら、その倍、人に優しくできたらと思う。その優しさに触れた人は、きっとまた人に優しくなれる。色んな人があっていい。そうでないと楽しくないから。どんな人でも、人を想う気持ちだけは同じでありたいなと思います。
最後まで読んで下さり、有難う御座いました。




