白と黒
ミストラは、ルカにアリアの事を伝えようと、部屋に向かった。
部屋に入ると、薄暗くランプの灯をつけていない。
ミストラが点けてやると、まだ剣を抱いたままだった。
アリアの事を言おうとしたとき、扉をノックされた。
あれほど、人を遠ざけるように言ったのに。
そう思いながら、扉を開けるとペレスが、執務室に来るようと言った。
ルカを見ると、ベッドから出て身支度を始めていた。
ミストラは、すぐに行くとペレスに伝えた。
執務室に全員が集まるのを待って、ティファニアが、これまでの護衛の労をねぎらった。
今更の感じがする。そして、ミレイラとペレスがいない。
ティファニアは一呼吸おくと、ローレイラを去ると言った。
全員が驚いた。いつも冷静なリリスでさえ、声をあげた。
カインが理由を聞くと、こちらの問題と言って答えない。
そして、教えられない事を、皆に詫びた。
帰路には、ペレスと使用人、騎士の数人が伴をする。だから、道中の危険はないと言った。
そして、剣士や賊から守ってくれた礼として、報酬を渡すと言った。
領主の妻ではなく、一人の女性として、振る舞っているように見える。
まるで、親しい友人に別れを告げるようなに、寂しそうな笑顔で、淡々と話していく。
リリスが口を開いた。
「生家の親から身を引けと言われたか。ガレスが手を回したか。ミレイラは人質で残るんだな」
ティファニアは、何も言わない。
だだ、一週間の後に、すべてが終わると言った。
ミストラは、一週間という期間が気になった。視察を切り上げなければ、ここに着くのは、そのくらいではなかったのだろうか。
内通者の情報で、急いで帰ることになったところを、足止めしようとした。
しかし、ルカとカインが助けに入ったところから、筋書きが狂ってきたのか。
では、前倒しできない一週間は、何に費やしているのか。
国は任務を変えた。この一週間で何が出来るのか。ローレリアに乗り込んでくる連中を見てみたい。
しかし、相手は筋書きを邪魔する、私たちの存在を疎んでいる。
この一週間で、筋書きがひっくり返る可能性は、排除するはず。
アリアが間に合えばいいが。
いま、あてにできるのはルカだけ。
そう思って、辺りを見渡すとルカがいない。部屋から出るまではいたのに。
ミレイラがルカに気を取られていると、リリスが言った。
「西の国とやらは、この国に傭兵を放っているそうじゃないか。お前の国が、糸を引いているんじゃないか」
この言葉に、全員がミストラをみた。
リリスめ。先手を打って、こちら側を動かしにかかったか。
正直な話し、剣士をおびき寄せ、ローレリアを乗っ取る連中を監視するのが、最良の手段と思っていたのだが。
しかし、私情で任務以外の事をするつもりはない。そう考えながらティファニアの顔を見た。
察してか、ティファニアは何も言わずに、顔を横に振った。
私には子供はいない。だが、想像はつく。子供を人質において、遠く離れる母親の気持ちが、如何に苦しいことかと。
目の前にいるのは、ミレイラの母親なのだ。
私はもう国に帰ることはあきらめている。丸投げならば、そうさせてもらう。
「三日。いえ、二日、お待ちいただけませんか。我々も今回の件に関して遺憾に思っています」
「何らかの形で、お手伝いが出来るやもしれません」
アリアならお手伝いをする。言わなくても。
ティファニアは、気持ちだけ受け取ると言った。
代わって執務官が、あと一週間の間に、この屋敷から出て行ってほしい。仕官するなら推薦状を書くと言って、話は終わりになった。
ルカはミストラの後を追って執務室に行こうしたとき、ランプの灯り火を見た。
フードを深くかぶっている女だ。
ルカは誘われるように、その女を追った。
庭園に出ると、女の姿がない。
ランプの灯りは、すでに見当たらない。
地面をみて、足跡を探る。繰り返し教えられた追跡の技術。
近くの芝生を見ると、足で踏まれた跡を見つけた。
石畳を外れて、屋敷の裏に続く。一人のようだ。
足跡は物置小屋の裏に続いていた。塀と物置小屋との間に穴が開いている。
さっきまで塞がれていたのか、石がどけられている。
ルカが穴をくぐると、森の中に石で固められてた道があった。
道を行くと、先に灯りを見つけた。ランプの灯りだ。
誰かいる。ルカは息を潜めて近づくと、開けた場所で剣を振っている者がいる。
ミレイラだ。
平らな岩を敷き詰めてある。間からは草が生えている。手入れはされていない。
小さな一人専用の教場ようだ。
ルカは教場の端の大きな石に腰かけた。
満月だ。ミレイラの剣が満月の光を蓄え、闇夜を切り裂いていゆく。
その剣の振りは、整い美しい軌道で風に舞う。そのたびに、ミレイラの汗がきらめいて散ってゆく。
ルカは、声をかけずに見入っていた。
ミレイラが、ルカに気付くと剣を収めて言った。
「ルカには、とうとう、一太刀も浴びせることが出来なかった」
「お粗末な剣技でしょう」
そう言うと、ルカの隣に座った。
ここは、父親のエルンストが作った秘密の場所で、父とペレスとが、ミレイラに特訓をした場所だそうだ。
領主の娘に恥じないようにと、毎晩、遅くまで。怪我をして帰ってくると、母が手当てをしてくれた。
十五歳の時に、父に一撃を加えたら、大喜びして抱きあげられて恥ずかしかった。
そんな思い出話をミレイラは、遠くを見ながら語った。
ミレイラは、自分の剣に目を落とすと、それでもルカには、遠く及ばなかったと言った。
ルカは、なぜミレイラが、すべてが終わったかのように言い方をするのか分からなかった。
「これからも練習をすれば強くなれる」
ルカがそう言うと、ミレイラは「もういいの。必要なくなったし」と言う。
ルカは、「どうして?」と言った。
ミレイラは、ルカがローレリアの事を聞いていないことに気付いた。
ミレイラは、ルカにローレリアがどうなるかを語った。
そして、自分がただの人形になることも伝えた。
ルカは話を黙って聞いていた。
「ミレイラの側から離れない。約束したから」
ルカは、剣を抜いて月にかざした。
ミレイラは、初めてルカの剣を間近かで見た。
黒い刀身に、刃だけが冷たく光る。
「この前、剣士を斬った時に気付いた。私の中に白いのと黒いのがいる。どちらも私だった」
「黒いのを見たら、気分が悪くなった。でも、黒いのも、白いのも私だ」
ミレイラは、集会所のルカを思い出した。
ルカが怯えていたのいたのは、その、「黒の」だったのだろう。
「私は、母を斬った」
ミレイラは言葉が出なかった。
「母から剣を極めろと教えられていた。たぶん、その頃に黒いのが出来たと思う」
「私が強い剣士を見つけた。どれくらい強いのかと思ったら、弱かった」
「母は、私を連れて森に逃げた。途中で止まると私を抱きしめた。何か言っていたけど思い出せない。なにか謝っていた気がする。後は覚えてない」
ミレイラは、淡々と語るルカの横顔を見つめた。
とても、落ち着いた表情だった。
「みんな、母を悪く言うけど、私は母が好きだったと思う」
「ミレイラも好きだ。良くしてくれる。」
ミレイラは「もうやめて」と、ルカに言った。
そして、みんな、お別れだよと言って、ルカを抱きしめた。
ルカは黙っている。ミレイラをゆっくりと押しのけると、振り返った。
「剣士だ」
そう言うと、広場の中央に立った。