猫と鼠
町が騒がしい。
宿の火事に、おそらくはルカと剣士の斬り合い。
振り返ると、遠くの屋台で騒ぎが起きている。
ルカは無事なのか。
リリスとミレイラは、広場に出た。
少ないが商人たちが集まり、荷を積む者、運び出す者と入り混じっている。
ルカの話では、馬が準備してあるはず。
あたりを見回していると、荷役で鍛えられた、屈強な大柄の男が話しかけてきた。
あんたがリリスかと男が言うと、ついて来いという。
水場の近くに、馬が三頭用意してある。
仕事は終わったが、駄賃をもらって面倒を見てくれと引き受けたらしい。
そして、リリスが馬に異常が確認すると、そそくさと立ち去った。子供と奥さんが待っているそうだ。
ミレイラが心配そうに、辺りを見渡している。
ルカの姿を探している。
馬の準備が終わった頃、ルカが現れた。
首を斬られたのか、外套を深めに被り、布を押し当ててある。
リリスが傷口を見た。かなり深いが血管にまでは届いていない。
余程の斬り合いだったのだろう。
路地に連れ込んで、リリスが手当をしてやった。
顔色が悪い。そんなに血は出ていないはずだが。
リリスが、他に斬られた所があるかと聞くと、顔を横に振るだけだ。
毒とも思えたが、意識は明瞭で動けなくわけではない。
ここで休むわけにはいかない。
剣士達はともかくとして、衛兵たちが自分たちを探し回っているはずだ。
一晩、駆ければローレリアに入ることが出来る。
ルカは少し落ち着いたのか、いつもの丸薬を飲み込むと自分で立ち上がり、「急ごう」と言った。
カインは、ガレスの屋敷を見張っていた。
満月があたりを照らす。
月の灯りから逃げるように、深い森の中に身を潜めている。
ガーランドが交代のために近づいてきた。
「動きは」
カインは少なくとも、数人の使用人が帰って、住み込みの使用人だけになっているはずと伝えた。
交代しながら朝から監視しているが、特に動きはない。
何か動くなら夜だ。
ガーランドが申し訳なさそうに、パンと水筒を差した。
こんなの時に、屋敷に食料を調達しに出ていたのか。
ガーランドが言うには、休んでいると近くに人の気配を感じ、隠れていると騎士がこっちに向かっていたそうだ。
口を塞いで引き込むと、食料を届けに来たと言う。
しかも、場所が分からずに、かなりの時間、さ迷たらしい。
カインはあきれた。自分たちがやっている事が分からないのか。
小さな領地の騎士さん達だ。長年、実戦を経験していないのだろう。
それが仕方ないとして、頼むから足を引っ張らない欲しい。
カインは、ガーランドと代わって、後ろで警戒と休息にはいった
残念だがパンには手を付けない。わずかな干した果物を口に入れただけだった。
空腹にならない程度に食べておく。パンでは腹が膨れるし、美味ければ気が緩む。
後方に下がって休養するなら、腹いっぱい食べるのだが。
やはり、騎士たちは戦いに慣れてない。
カインは思う。騎士と自分自身。どちらが正しいのか。
ガーランドが、カインを呼んだ。
動きがあったのか。
見ると、馬車が一台、正面につけられている。
黒服男が一人、入っていったらしい。
カインは剣士の事を思い出していた。
ここで、あの男を追って、屋敷の内部にまで入るのはたやすい。
しかし、今はいつ、どこから剣士に襲われるか分からない。
あの屋敷の中にいる可能性もある。
剣士は、自分たちを容易く逃がしてくれるだろうか。
ティファニア達の手前、騒ぎを大きくするのは得策ではない。
ましてや、捕まる事があったはならない。
ふと、ミストラの事を思い出す。何か言いたげだだったが、あえて無視した。
完全に信用したわけではない。
騎士がのんびり、森を散策しているぐらいだから、向こうには剣士が現れてないのであろう。
ならば、あの馬車の主を確認してから、ティファニア達のところに戻って、剣士を迎え撃つのもいい。
カインは、ガーランドに合図を送ると、静かに森を下り始めた。
ガレスは、その巨躯を居室の椅子に深々と預けていた。
やけて黒い肌にはいくつかの傷がある。戦場を駆けた証だ。
目は鋭く、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。
昔は多くの騎士たちと、大騎士エルンストを囲み、戦術に戦略、戦争が終わった後の領地経営に至るまで、夜が明けるまで議論したものだった。
壁には、大剣が飾られている。
白髪が多くなり、皺も深くなった。年相応か。
あの頃に戻りたい。皆がこの国の発展のために同じ方向を向いていた。
そのおかげで、今の平和がある。そして、それはいつかは崩れる時が来る。
備えねば。
部屋をノックする者がいる。使用人たちは、全員、下がらせてある。あの男か。
ガレスが、入れというと、扉がゆっくりと開き、フードの男が入ってきた。
フードを外すと、美麗な男の顔が現れた。
何を考えているか分からない、細い目の奥の瞳が不気味だ。
「我らが剣士が戻らぬ者となりました」
ガレスの眉間の皺が深くなる。
「話が違うのでは。筋書きにない者どもを退場させる。そして、送り込むのは適任者とも言ったな」
フードの男は黙っている。
「君の飼い猫が、屋敷の鼠を駆除してくれた。感謝している。そして、ここを根城にさせてやった」
「ティファニア様への接見の引き延ばし。二日が限度だと思いたまえ」
「歯車は回り続けている。止めたくなければ、それなりの働きをしたまえ」
フードの男は、すぐに処理を行うと言うと、屋敷を出た。
ガレスは深いため息をついた。
ティファニア様。
ガレスは剣を壁から取って構えた。
まだよく手になじむ。そして剣の重さが全身の筋肉に行きわたり、戦場をかけるあの頃を思い出す。
そして自分に問うた。「これでよいのか」
カインとガーランドは、屋敷の裏手まで這い出た。
近づくと、馬の嘶く声が聞こえた。
馬車が出る。カインが表を見るために、動こうとした瞬間、ガーランドの巨体がカインに覆いかぶさってきた。
ガーランドに潰される前に、壁に何か金属が当たった音がした。
ナイフか。目をやると人影が見える。
ガーランドが槍で薙ぎ払うと。人影は月の灯りの届かない闇に溶け込んだ。
気配を隠したか。
ガーランドが、また暗闇の中から狙い飛んでくるナイフを槍で叩き落した。
カインが、ナイフが飛んできた方向へ、走ると背中に痛みが走った。
そして、その場から飛びのくと、ナイフだ地面に突き刺さる。
手元に帰ってくる、湾曲したナイフを使っている。南方の人間に好んで使う者がいたのを思い出した。
リリスがいれば、まかせて逃げるのだが。
ナイフは軌道を変え続け攻めてくる。
今度は連続して、湾曲しナイフが襲い掛かる。軌道が読めない。
一瞬でも止まれば、ナイフが襲い掛かってくる。
ガーランドも、槍で応戦しようにも、闇から飛び出すナイフをかわすのが精一杯だ。
このままでは、体力を消耗して動けなくなる。
しかし、こちらが月の灯りに照らし出されているとはいえ、相手の姿が見えないのはおかしい。
何か仕掛けがあるのか。
ガーランドが、カインに動きを止めると言い放つと、槍を地面に突き立て、そのまま暗がりにまき散らした。
まき散らされた土が、何かに当たった音がする。
カインは腰に差しているナイフを、音のした方に二本。わずかに位置をずらして放った。
一本は森の木に突き立った。一本に手ごたえがある。
一瞬、月の灯りが、カインのナイフに反射した。
ガーランドは、その光にめがけて槍を放った。
鈍い音と共に、槍は森の木に突き刺さる。
慎重に近づくと、胸を槍に貫かれ木に張り付けられている者がいた。
人間技ではない。
フード取ると、女だった。目を見開きこと切れている。
手には、湾曲したナイフが両手に握られていた。二本を巧みに使い分けていたのか。
軌道が読めないはずだ。
そして、外套は月の灯りにされしても、ほとんど光を反射しない。
初めてみる生地だ。
他にも無いかと持ち物をあたると、鍵とミストラの持っていた細い針金が出てきた。
もっとも、ミストラのそれとは、針金の太さが違う。
この女は剣士なのか。
ガーランドが女から槍を引き抜いて、女の体を地面に横たえた。
不意に背後から声がした。
「そのカギは、うちの裏口の鍵だ。返してくれんかね」
振り向くと、大きな体をした男が立っている。
聞いていた特徴と合致する。ガレスか。
カインは、鍵をガレスの足元に放り投げた。
そして、「この女は何者だ」と、ガレスに問うた。
ガレスは、足元の鍵を拾い、カイン達を一瞥すると、働きの悪い猫だと言った。
「女はこちらで葬る」
「体調がすぐれない。ティファニア様には、近日中に伺うと伝えてくれ」
ガレスは空を見上げて言った。「もう、夜も遅い。君たちも帰りたまえ」
ガレスは屋敷へ戻っていった。
カイン達は、外套と針金を手にして、森に消えた。