彼女の仕事
ネリアが練兵場に着くと、すでにルカが待っていた。白い面を携え静かに目を閉じている。
「外してくれ。終わるまで外に居ろ。」
彼女の命令に従卒は重い練兵場の扉を閉じた。辺りが静けさに満たされる。
ルカはゆっくり目を開けると、二人は向き合った。ネリアの目にルカの頬の傷が飛び込む。それまで、うっすらとしか見えていなかった傷が、朱色の染まっている。
”緊張しているのか”
互いに探り合うようにして間を探し、それぞれの位置に立った。
「仕事は何件目だ。」
ネリアの問いにルカは「初めて」と答えると、おもむろに面を着けた。
「私が初仕事かい。なめられたもんだね。しかも、見えなくても斬れるって?」
ルカは何も答えずに腰の剣に手を添え、少しだけ腰を落として構えをとった。ネリアは鼻で笑うと剣を抜き中段に構えた。
”居合を使うつもりか”
精密さと速さに特化した剣技、深い経験と高い集中力、そして、才能が有る者にしか使えない。完成すれば、相手は斬られた事にも気付かずに命を奪われる。
ネリアは一度だけ、訓練で教官の一人が使うところを見たことがある。訓練生が見守る中、教官の周りにだけ静寂が立ち込め彼の気配が消えたと思った瞬間、人形の頭が地面に転がっていた。
”こんな小娘に使える訳がない”
彼女はそう思いながらも、ルカの姿に目を奪われていた。少女の気配は、今や呼吸の音も拾えない程に周りの空気に溶け込んでいる。そして、面で遮られているはずの彼女の目が自分を捕らえている。
”一撃で頭をたたき割る”
ネリアはルカが「使い手」である可能性を打ち消すように、殺気をはらみつつ剣を握る手に力を入れた。そして、自分の得意とする突きの構えをとった。
間合いを詰めるネリアにルカは微動だにしない。互いの距離は縮まっていく。体格差と剣の長さでネリアは有利だ。
自分の間合いに踏み込んだ時、何か不気味なものを感じた。心の奥底まで見られているような感覚。目の前の少女に吸い込まれてゆくような感覚。奈落の底に落ちてゆく、訓練でも実戦でも味わったことのない感覚。
”離れろ”
ネリア本能的に少しだけ下がった。ほんの少しだけ。
瞬間、ルカの一閃がネリアの喉笛を襲った。
ネリアの手から抜け落ちた剣が床に落ち、教場に乾いた音を響かせた。彼女は両手で喉を抑えながら膝から崩れ落ち、その場に座り込んだ。傷口を押さえた手の隙間から、血がしたたり落ちてゆく。
”見えなかった”
ネリアの体の震えが止まらない。「どうして」。それだけが全身を支配して、動くことが出来なかった。
ルカは面を外し投げすてると、次の一閃でネリアの首を落とした。
「ごめんなさい。」
ネリアの首は胴から離れ、床に転がっていた。彼女の目は見開かれたままだった。ルカは首に近づくとその瞼をそっと閉じてやった。
程なく練兵場に男が入ってきた。簡素な黒い服を着た初老の男。肌は浅黒く眉間の皺が深い。
「無駄に苦しませてしまった。」
ルカのその言葉に男はその言葉に何も返さず、ネリアの骸むくろを一瞥すると合図した。すると、数人の男たちが現れてネリアの骸を運び出した。
「他の者達も処分が終わった。先方とも話はついている。我々はすぐに引き上げが、お前はどうする。」
ルカは宿で休んで、明日の朝に発つと男に言った。男は何も言わずに練兵場を後にした。
また練兵場が静けさに満たされる。ルカはその場に座り込むとゆっくりと息を吐き出した。そして、自分の頬の傷を撫でた。拭うと指先に血が付いている。
「誰の血なの?」
そう呟くと、いつまでも指先に付いた血を見つめた。