動かない
リリスは宿の部屋で、武具の手入れをしていた。
太い鉄の針を研いでいる。
ミレイラが、聞くと、投擲用の武器だと言う。
握らせてもらうと、その大きさからは信じられないほど重い。
鉛の芯を鉄で覆っているそうだ。
上手く当てれば、騎士の甲冑など、一撃で貫通すると言う。
後は手に収まる、星型の武器。
上手く当てれば、首に突き刺さると言う。
そこまで聞くと、会話が途切れてしまった。
窓は開けてあるが、風が通らず蒸し暑い。
ルカは窓際に腰かけ、時折、体を伸ばしている。
蒸し暑い部屋で、沈黙の時が過ぎる。
外からは、行き交う人々の喧騒が聞こえる。
リリスは、あれから何もしゃべっていない。
気にしていないのか、機嫌が悪いのを隠しているのか。
そろそろ、日が傾く。
お腹が減ってきた。
ミレイラが、食事をどうするかと聞いたが、返事がない。
言った以上は、どうにかせねば。自分だけ食堂に行くか。
ミレイラは、酒を飲まないが、昼間から酒を飲む人の気持ちが分かった気がした。
とりあえず、自分の空腹問題をどうにかせねばと、悩んでいると、唐突にルカが立ち上がった。
部屋の扉に近づくと、耳をあてて外の様子を覗っている。誰かいるのか。
リリスは、何の反応も示さない。
ルカが扉を開けると、しゃがみ込んで、廊下から小さな筒を拾い上げた。
部屋の隅に座り込むと、筒から紙を出した。何かの手紙の様だ。
誰かが居たのだろうが、全く気付かなかった。
ルカは「ティファニアのところに来ている、国の者が剣士に襲われたが、撃退した。朝方の話だ」
「国の者が推測するには、剣士が狙っているのは、私とリリス。カインとガードランド。後は、リリスが会っている、国の女だ。」
「ミレイラを伴って、ローレリア領へ帰れと書いてある」
リリスがそれを聞いて、意外といった顔をしている。
「ティファニアとミレイラが狙いではないのか」
ルカは、「分からない」と言うと、国の女に会って話を聞きたいと言い出した。
リリスは、しばらく考えると「あの女も一緒にローレリア領に行くのか」と言うと、ルカは「あの女はクビだ、なにかしてやる必要はない」と答えた。
リリスは、お前の国は、手厳しいなと言った。
そこまで言うと、ルカとリリスは、帰路と出発の時間について話始めた。
ミレイラは、自分だけがのけ者にされていると思った。
役に立たないから、帰路への話をされない。ついて行くだけなのか。
そもそも、私の目的のために二人を護衛に雇ったのだ。
全ては、父に会い、すべてを終わらせるために、この町に来た。
リリスは、何かあれば抜けると言った。それは仕方がないかもしれない。
でも。ルカは私を守ると言った。いつもそう言ってくれた。あれは嘘だったのか。
そして、ミレイラは突然、湯にのぼせた自分を、宿で優しく介抱してくれたルカを思い出した。
いつも、優しくしてくれると思っていた自分が、恥ずかしい。
そして、腹立たしく思えてきた。
ミレイラは立ち上がると、
「二人は帰ったらいい。これは私の問題だから」
そう言って、部屋を飛び出した。
はずだった。
ルカはミレイラの動きに瞬時に反応して、ドアノブに手をかける前に羽交い絞めにした。
そのまま、暴れるミレイラをベッドに押し倒すと、「ごめんなさいと」と言った。
ミレイラが、一瞬、ひるんだと思われた瞬間、ミレイラの平手打ちにあった。
やっと、ミレイラが落ち着きを取り戻したころには、ルカは嚙まれるわ、爪で引っかかれるわで、満身創痍となっていた。
それは、騒ぎを聞きつけた宿の老人が様子を見に来るほどだった。
リリスは、申し訳ないことをしたと思った。ルカも同じ気持ちだろう。
ミレイラを、騎士として見ていなかった。野営の時も、木剣を振るったがルカに触れることすら出来なかった。
ミレイラの事を、もっと考えてやるべきだった。
リリスはミレイラに謝った。ミレイラも、落ちたのか、リリスに申し訳ないと謝った。
ルカには、頑なに謝罪の言葉を言わない。なぜだ。
リリスは、状況につい説明し、考えを言った。
すでにティファニアではなく、ルカの国の者が襲われた事。
ルカと自身が剣士に狙われるなら、一緒に対処する方がいい。
そして、万が一にもミレイラを人質にされることが無いように、守りたいと説明した。
冷静さを取り戻したミレイラは、その話をきいて、分かったと言った。
しかし、父へ会いに行くことについて、時間が惜しいことを付け加えた。
ミレイラを含めて話し合い、ローレリア領に出発する時間は、明日の早朝とした。
国の者が、早朝に襲われたことから、昼も夜も関係ない。
しかし、ミレイラは夜目が利かない。剣士はルカ同様に投擲武器も使う。
ならば、今夜は防御しやすい宿に籠城し、視界が確保できる昼間に移動することにした。
夕飯は外には出ずに、携行食を取ることにした。
「明日までに出て行け」それはつまり、日付が変わるまで居ていいことだ。
女は、この町の事をよく知っている。退避用の家を持っている。
宿だと足が付きやすい。街中の住宅の一室だ。予備の荷物に食料もある。
ベッドに横たわって一息ついていた。
この町に置いている協力者に、ルカたちの居場所を探せていた。
役人は、どこの国でも金に困っている。特に下級になればなるほど。裕福なのは、ほんの一握り。
宿帳を検めるのは、下級役人の仕事。
おそらくは、人に紛れるのに商業地区。にぎやかな宿か、寂れた宿。女三人組。姫様に傭兵二人。
だいぶん、絞り込めるはずだ。
協力者がそろそろ、役人から情報を買った頃だ。
落ち合う場所に行こうか。
女は立ち上がろうとしたとき、人の気配を感じた。
腕に仕込んである、鉄の針を抜き、足元に隠し持っていた短剣の柄に手をかけた。
間者でも剣士でも、ましてリリスでもない。
気配は扉の前に来ると、そのまま立っている様だ。
なんだろうか。この空気の様で冷気をもって、空間も体も支配するような。
柄を握る手に汗がにじんでいるのが分かる。
扉がノックされた。暫し待つ。もう一度ノックされた。
女は覚悟を決めて扉を開けた。
そこには、一人の老人が立っていた。老齢を感じさせない、まっすぐに張った背筋。
そして、黒い瞳には人の心をわしづみするような力が宿っている。
黒い髪は後ろに撫でつけられ、切りそろえられた髭が顔の輪郭を覆ている。
一見、柔和な顔つきだが、その目の力は衰えていない。
女が最後に会った日から、もう何年だろう。確か亡くなったと聞いた。
そして、あの頃は白髪だったはず。
男は「久しぶりだね。アウロラ。入っていいかね。」
声が出ない。
女は、アウロラは、のけぞるだけだった。
男は部屋に入ると、椅子に腰かけた。そして、物騒な物は閉まってくれないかとと言った。
「随分だな。父の顔を忘れたのかい。」
「ああ、そうか。髪は染めたのだよ。少しは若く見えるかな。」
国では、帰らぬ者の子を、集落や親戚、国が面倒を見る。
特に、国に尽くすように強制的な教育はしない。しかし、素養のある子どもは例外だ。
特別な役に付くものが、後継の候補として育てる。アウロラもその一人だ。
そして、目の前の男は育ての親だ。
アウロラは、やっと口を開いた。
「父上。誠に申し訳ございません。後継に成れなく、東国の僻地で眠らねばならなことを、お許しください。」
男は、気にするなと言い、アウロラの事を、愛し子と呼んだ。
男は「仕事は順調かい?」と言った。
アウロラの背筋が凍り付く。仕事が上手くいっていないときに、いつも言う言葉だ。
「申し訳ございません」条件反射で答える。
「私の事は、後でゆっくり話そう。」
「それよりも、取引をしないか?」
アウロラに選択肢はなかった。