鈴を付ける
ルカたちは城下町へ入った。
大きな看板があり、町全体の略図が描かれていた。
市場街、役場街、商業地区、工業地区、住宅街。
宿は、それぞれに密集している。
リリスは、雑多な人間のいる市場街で宿を取る事を考えた。
外からの商人は、行く先々の情報を多く持っている。
あとは、信頼できる情報屋が欲しい。
カモにされたり、最悪、官憲に売られるなんて御免だ。
この地に知り合いがいれば、早いのだが。
町は人通りが多く、珍しい漆喰を塗った建物が散見された。
ミレイラによると、役場や一部の貴族や金持ちが好んで使うそうだ。
整然としてしてきれいだ。ミレイラの父は、優秀なのだろう。
市場に着くと早速、宿を探した。
出来るだけ質素な方がいい。豪華な宿では、それなりの人間が泊まる。
ミレイラの顔を知る者と出くわす可能性がある。
宿帳も整備され、衛兵の巡回もあるだろう。最悪、身分証明書を見せなければならない。
リリスが、そう思いながら歩いていると、ルカが少し離れたところに、古びた宿を見つけた。
年期が入っているが、小奇麗にしてある。出てくる客を見たが、普通の行商人だった。
とりあえず入ってみると、老夫婦がカウンターにいた。
リリスが、話してみると、閑散期に入り、部屋が余っているそうだ。
体が衰え、食事の準備や掃除もきつくなったので、世話はしてやれないという。
人が少なく、主が無関心でいてくれるならありがたい。
ここがいいだろう。宿を一軒一軒尋ねて回るのも怪しまれる。
リリスは、気が休まらなかった。
とりあえずは、三日分の料金を支払った。
リリスは、宿帳を掻きながら、老夫婦と世間話をしながら聞いてみた。
自分たちは職を探していて、斡旋所を探している。
そして、治安の悪いところには、入り込みたくない。
老夫婦は丁寧に教えてくれた。
やはり、ならず者の巣くうところはところはあるようだ。
後で行こう。
斡旋所は役所と民間とに分かれているそうだ。しかし、傭兵の募集はほとんどない。
傭兵は僻地の紛争地帯が仕事場で、紛争を抱えていない国では仕事がない。
知り合いに会える可能性が低くなった。
宿帳を書き終えると、代表で誰か、身分証明書か通行許可証を見せてくれと言われた。
不味い。ここで断れば、怪しまれる。
すると、ルカが身分証明書を取り出した。この国の外れにある村の出身になっている。
老夫婦は、透かしも確認して、ありがとうと言うと、ルカに返した。
「その年しで、出稼ぎとは大変だね」
そして、珍しくルカが口を開いた。「湯屋はありますか」
老夫婦はリリスに質問と同じく、場所を丁寧に教えてくれた。
リリスがルカに身分証明書の事を尋ねると、赤い髪の女に頼むと出してくれるそうだ。
上質な紙に、色の付いた押印。鮮明な透かし。本物そっくりだ。いや、用紙は本物だ。
言えば出てくる。軽く言ってくれる。
二人分を用意できないか聞いてみると、国に行けば出してくれるはずと言う。
ここから早馬で往復一週間というところか。
誰も知らない土地で、質の悪い偽造物をつかまされるよりか、一週間待った方がいいのでは。
ミレイラに聞くと、やはり一週間という時間はもったいないと言う。
確かに、一気に事を進める計画だ。
一か所に長く留まれば、それだけ見つかる危険性も高まる。
リリスが思案していると、あの女の事を思い出した。
近くにいるのではないか。しかし、こちらからの接触手段がない。
反物だ。市場にいるのではないか。
リリスが市場をうろつこうと考えていると、ルカとミレイラとを、あの女と会わせたくないと思った。
宿で待機させるか。だが、ルカとミレイラが外出した時の、すれ違いは極力避けたい。
ルカとミレイラに、今日は一日、宿に居るように言うと、ルカが湯屋に行くという。
何か理由があるのか。国の人間との接触か。ルカにも秘密が多い。
リリスは、何かあった時の段取りを打ち合わせた後、宿を出た。
ミストラは疲れていた。昼も夜も馬に乗ることが、こんなに苦痛だとは。
東国に入ってから、報告書にあった商館の町に行くことに決めていた。
ローレリアの一派と、同行を決めた場所だ。一日間、滞在している。
大方、利権を背景に資金援助と、商人の情報網で支援もしているだろう。
商館長とやらに会って、一気に商人の情報網をいただく。
そして、あの女は傭兵と接触するときに、反物を買ている。
反物を扱う商人に、あの女の事を聞いてみよう。手がかりがつかめるかもしれない。
一日でも早く、情報戦の基盤を作りたい。
ミストラは、未明に商館の町に入った。すでに町は動いている。
適当に宿を取ると、昼まで眠った。
起きるとすぐに、小さな商会や行商人に武具の相場を聞いて回った。
そして、大口の取引が出来る商人を探していると。
戦争で一儲けしたそうな人間がうろついている。
その噂が流れればよかった。あとは、商館長とやらが、どう動くかだ。
ミストラが宿に帰ると、カウンターの男が言付けを頼まれたという。
「今日の夜半に屋敷に」そう、目を合わさずに言った。
商館ではなく屋敷。商館長の住まいの事か。どこだろう。
ミストラが、カウンターの男に屋敷の場所を聞くと、無視をされた。
場所が分からないなら行けないと言うと、カウンターの男は不機嫌そうに場所を言った。
寝ずに馬で東国に入り、少し寝たら市場を歩き回り、夜半に呼び出し。
文官がやる事ではない。
とりあえず、夜が深まるまで、仮眠をしよう。
そうしてベッドに横たわると、ミストラはいつの間にか深い眠りについた。
ミストラは飛び起きた。寝過ごしている。深夜もいいところだ。
慌てて身支度をしていると、ドアをノックする者がいる。忙しいのに誰だ。
ノックの主は何も言わない。
もしやと思い「迎えに来てくれたの」と、言うと、扉の向こうの男は、迎えに来るのが遅れたことを詫びた。
危なかった。しかし、向こうがどうしても会いたがっている証拠だ。
身支度を整え、ドアを開けると、使用人風の男が立っていた。
ミストラは「こちらこそ申し訳ございません。こちらが行くのか、迎えに来るのか分からなかったので」と、白々しく言った。
馬車が来ている。でかい。
国では儀礼の時以外、走っているのを見たことが無い。
黒服の男が馬車の扉を開けると、中には初老のやせた男がいた。
資料通りなら商館長だ。
黒服の男が御者台に上ると、馬車はゆっくり走り出した。
初老の男は言った。
「夜中に一人歩きをさせてしまうところでした。失礼いたしました」
ミストラは、お気になさらずにと言うと、用件を聞いた。
「武具をお探しでしょうか。どこかで戦争でも」そして、この話を請け負いたいと。
彼なら、戦争の可能性は遠方も含めて、一つしかない事を知っている。
請負の話をしながら、私が何者かを探る。
早く帰って寝たい。早く切り上げよう。
「武具の話は、あなたと会いたかったからしました」
そう言うと、初老の男の眉間の皺が深くなった。
「ローレイラの事は興味ありません。張り付いている番犬に鈴をつけたいだけです。だから、あなた方の情報網を使わせていただきたい。そういうお話です。」
ミストラは、顔色を変えずに行った。
初老の男は、お高いですよと言うと、口元に笑みを浮かべた。
話にならんという事か。
私は頭がいい。良すぎて、あんな訳の分からない部署に行くはめになった。
この男を、どう料理してやろうか。
そう考えながら、いつもの癖で自慢の赤い髪で遊んでいた。
すると、寝ていたせいで緩んだ髪から、仕込みナイフが手に滑り込んだ。
「すごい。こうやって出すんだ」
そして、一瞬考えて、手のひらの仕込みナイフを、窓のテーブルに無言で置くと、微笑んだ。
初老男は仕込みナイフを見つめている。
馬車は、周りをまわっているだけのようだ。
「こちらは、鈴だけ付けられたらいいだけです。そのためだけに猟犬を放つのは面倒でしょう。」
ミストラは、髪で遊びながら言った。
「番犬の鈴がなったら?」
そう、初老の男が言うと
「猟犬は主に従順です。主が指を差した方へ走るでしょう」
「主は聡明な方です。恩を受けた方の力になりたと思っています」
ミストラは、初老の男に微笑みながら答えた。
初老の男は、御者に宿に向かう様に言った。
馬車が宿に着いた。
ミストラが降りようとすると、初老の男がナイフを忘れていると言った。
「記念にどうそ。よく切れるんです」
そう言って、道に降り立った。
実際、あんなものを髪の毛に入れたまま、寝返りしたら首が切れてしまう。
ミストラは一瞬、立止まると、初老の男に振り返り「反物はどうされました」と聞いた。
初老の男は、何のことか分からない様子だった。
「ごめんなさい。勘違いでした。おやすみなさい」
馬車は走りだして、闇夜に消えた。
あの女は、商館長の網を使っていない。
ミストラは、急に眠くなってきた、主って誰たっけ。猟犬なんていたっけ。
宿に戻って、昼まで起きなかった。