もう一人
蒸し暑くてかなわない。
窓は大きく放たれていたが、湿気をはらみ、部屋全体を覆ていた。
そういった理由で事務所に来ない者もいる。
此処には、彼の秘書役の女と、グリンデルが立っていた。
秘書役の女は、この国の中では珍しく、緑の瞳と赤い髪をしている。
黒髪を羨ましいと思ったことは無い。子供頃、赤い髪をからかった相手を、剣技の授業で打ちのめした。
それからというもの、より赤い髪を自慢するかのように、背中まで伸ばしている。
部屋の扉が開くと、間者の女が入ってきて、長椅子に座った。
秘書役の女は、ノックもせずに入ってきた。彼女はこの手の来客者に慣れていた。
お茶に口を付けな者もいるが、毎回お茶を出している。
グリンデルは、間者の女の向かいに座った。
「ルカは、剣に呑まれていない。誰かの影響を受けている」
間者の女は、そう言うと、男の顔が転写された紙を、グリンデルに渡した。
「二人目だ。もっといるそうだ。」
そう言うと、グリンデルはある名簿の事を思い出した。
未だに居場所が分からない剣士達。何年経とうが抹消されない。年齢的にもういない者、あるいは病魔に襲われて倒れた者もいるだろう。
「ルカが斬った二人は、東国の誰かに庇護されている。そしてルカを邪魔に思っている」
「最近、痕跡すら残さずに、文字通り消えた剣士名前の中に、二人がいた。」
グリンデルはが、こちらには情報が上がってきてないといった。
そして、王の直轄の女が、部下の邪魔をしていると言った。
間者の女は「王の命には忠実だが、手段を選ばない。」
そして、まさか東国に押し込んでいたのが裏目になるとはと、ため息をついた。
「逃げた剣士を庇護者している者を探そうとしている。そのためなら、東国の争いごとにもに介入しかねない。」
秘書役の女は、話に興味ない素振りで、自慢の赤毛を指に巻いて遊んでいる。
グリンデルは東国への介入するとは、どういうことかと、間者の女に問うた。
間者の女は、「東国が分裂しかかっている。ルカは、その一派の貴族と行動して、東国の中央へ向かっている。」
「その一派は二手に分かれたそうだ。剣士を庇護する連中が、剣士を使って東国分裂の黒幕なら、ルカにも、もう一方にも剣士を遣わせるだろう。」そして、剣士が引き金になって戦争が起きれば、我々も危ない。と付け加えた。
グリンデルも間者の女も「執行人」の増員が必要だと考えた。
グリンデルは、王の意図がつかめずにいた。ルカはもういいのか。勝手な行動をする、あの女の知っていて、敢て眠りから覚ましたのか。
グリンデルは善処すると言いうと、間者の女は部屋から出て行った。
秘書役の女が、冷めたお茶を片付けている。
グリンデルは秘書役に、執行人が張り付いている案件の数と、評価中案件の件数を尋ねた。
秘書役は、茶器を片付けながら、それらの件数をすぐに答えた。
やはり足りないくらいだ。
グリンデルはアリアの所在を聞いた。
秘書役は、「海が見たいと言って、どこかに行ったそうです」
いつもそうだ。人を煙にまいて、自分で直感で、どこかの剣士に張り張り付いている。
捕まえるときは、帰省しているときぐらいだ。
グリンデルは思った。
「執行人」ではなくても、機転が利いて、剣士や、あの女やることに、先回り出来る者でもいいだろう。
秘書役は悪い予感がしていた。この手の話は、人払いするのが絶対だ。なぜ、私がお茶を淹れる必要がある。
彼女は文官だが、それなりに剣術を身に着けている。しかし、応援に行く程度の話だ。
国情調査や剣士の心理分析が本来の仕事だ。あと、お茶を出すことも。
話しからすると、東に行けば帰ってこれない。命も危ない。
グリンデルは窓の外を見ながら思案している。もうすぐ定刻だ。
グリンデルは振り返ると、「ミストラ君」と、秘書役の女の名を呼んだ。
そして、東へ行けとミストラに命じた。
ミストラは「私は執行人ではありませんけど」と、言い、お茶は誰かが淹れないと困りますよねと、食い下がった。
グリンデルの表情は変わらない。
ミストラは定刻出勤の定刻退勤の生活に、別れを告げた。
カイン達は無事に分岐碑に着いた。
東の空が藍色に染まっている。もうすぐ日が昇る。
ティファニアとミレイラは、無言で抱き合っていた。
騎士の老人は、肩を震わせて泣いていた。
二人の間に、もはや言葉は必要なかった。
ティファには、ミレイラに指輪を渡した。
太陽と風に揺れる小麦の穂が描かれた指輪。
ティファニアの生まれた家の家紋だ。
何かの役に立てばと、ミレイラの指にはめてやった。
ティファニア達は、もう必要ないとして、手持ちの金のほとんどをミレイラ達に渡した。
ティファニアはルカを呼んだ、
そして、ルカの手を取ると、ミレイラを守ってと頭を下げた。
ルカも頭を下げると。「私の剣に誓って、ミレイラ様をお守りいたします。必ずティファニア様の下へお送りいたします。」と言った。
ルカとて剣士としてのたしなみを心得ている。
教養として教えれただけだったが、ティファの顔を見たら、心の底から湧き出るように言葉があふれ出した。
「剣に誓って」カインは、もう何十年も言っていない言葉だと思った。
雲は去り、上りゆく太陽が、空を藍色から青に染めようとしていた。
出発の時が来た。
カインは馬車をゆっくりと走らせた。
ミレイラは「行ってきます」と言うと、ルカとリリスと一緒に、エンデオへ向けて駆け出した。