知らない事
カインとガーランドは別室を借りて、そこに待機していた。
静かだ。
宿泊客、使用人たちに、大きな動きは無さそうだった。
男二人で狭いが、椅子とテーブル、ベッドがそれぞれあったのが救いだった。
カインは衛兵をやり過ごす自信がなかった。
料理人が、あのような状況では、詰め所に連れて行かれ、尋問されるのは目に見えている。
領地に近い場所に、詰め所があると言う。町の自警団の早馬は、もう詰め所に向かっている。
朝には衛兵がやって来るだろう。
何人来るのだろうか。ガーランドだけなら、十人くらいは相手にして、突破できる。
朝までには、リロワのところへティファニアを移したい。
衛兵が宿を検めるなら、ティファニアの存在が露呈する。
ティファニアは視察で不在のはず。衛兵は国に帰り、指示を仰ぐだろう。
カインがガーランドを見ると、槍を抱きながら座り、目を閉じていた。
その姿をみて、カインも剣の柄を握りしめた。
不意に扉にノックがされた。
カインが剣に手を付けたまま、扉に近づくと、串刺しは勘弁と女の声がした。リリスだ。
リリスは部屋に入るなり、リロワのところにティファニアを連れて行くと言った。
リリス方は成功したようだ。
リリスは、準備出来次第、移動すると言い、ティファニアの部屋に向かった。
カインは安堵した。あとは自分たちだけだ。頭の血の巡りが良くなった。
どうやって、衛兵どもを煙に巻いてやろうか。
ガーランドは顔色が良くなったカインの姿を見ると、ようやく飯について話せると思った。
ミレイラとルカは、屋根裏部屋にいた。
ミレイラはルカと二人だけなことに、気まずさを覚えた。
リロワと使用人に気を配れと言われても、いないはずの人間だ。中をうろつくわけにはいかない。
部屋も片付いているので、することが無い。
ミレイラはリロワから、部屋の紐を引くと、私室の呼び鈴がなる。それで、飛んでくるから、何でも言ってほしいと言ってくれた。
向こうからは、一回が呼び出し、二回が注意、三回が危険。
ルカがのぞき穴から、外を伺っていた。賊の警戒とリリスの合図が無いか、見張っている。
そんなルカを、ミレイラはぼんやりと見つめていてた。
一言あってもいいのに。
ルカは突然、ミレイラに監視を変わってくれと言った。
ミレイラは驚いたが、一呼吸置くと、無言で見張りを代わった。
動きにくいのか、ルカは礼服の上とチェーンメイルを脱いだ。
肌着になると、床と壁に耳を付け、下階の様子をうかがっている。立ったかと思うと、天井を剣の鞘で押し始めた。
肌着は体の動きを邪魔しないように、体に張り付くようにあつらえている。
ミレイラは肌着のまま動き回るルカをみて、ため息をついた。
ミレイラは、自ら沈黙を破り、何をしているのかルカに尋ねた。
ルカは、使用人の足音から大まかな人数や、出入りを確認して、今は第三の逃げ道を、天井に作れないか探っていると答えた。
ルカは剣の事しか教えられていない。
ミレイラはルカに、部屋でのことについて話し始めた。
「あんなの、恥ずかしかった。」ルカは手を止めて言った。「何の事。」
「みんなに足を、素肌を見られたこと。それに、ルカが肌着で動き回るのも見ていられない。」
ルカは、ごめんなさいと言うと、ミレイラの隣ののぞき穴から、外を見始めた。
「私は知らないことが沢山ある。だから、旅をしようと思った。」
「ミレイラは色々と教えてくれるし、良くしてくれる」
「もっと色々教えてほしい。代わりにミレイラを守るし、ミレイラに良くしてあげたい」
ミレイラは、途切れ途切れだが、懸命に自分の感情を口にだしたルカを見つめて思った。
何かを怖がる子供の様な目。それは感情の芽生え。
これからは、もっと色々な事を教えてあげよう。まだ、ルカの時間は取り戻せる。
ミレイラはルカの頬に優しく手をあてた。
ルカの頬の傷隠しが取れた。
リリスはティファニアと従者を連れて、宿の入り口から、リロワの店へ慎重に向かった。
ティファニアは、日ごろから夫の代わりを務めていたので、多少、歩速を上げても息が上がることは無かった。
後をつける者がいないか、確認しつつ、リロワの店が見える路地までたどり着いた。
リリスがランプをのぞき穴に掲げ、黒い布で二回遮ると、のぞき穴からわずかな光が一瞬、きらめいた。
安全だ。
リリアが先導して、慎重に外の物置に進んだ。
周囲に異常が無いか確認すると、リリアは裏の扉を開けた。
屋根裏部屋への入り口を開けると、ルカが立っていた。傷隠しがはがれていることは後だ。ルカも周囲を警戒しながら、素早くティファニアを裏口に引き入れた。
ミレイラは緊張の糸が切れたのか、思わずティファニアに抱きついた。ティファニアもミレイラを抱きしめた。
この時ばかりは、ただの親子だった。
呼び鈴を鳴らすと、リロワが部屋に入ってきた。
いつもは、リロワ自身が部屋に入ることはしないそうだ。
リロワがティファニア前に無言で傅く。ティファニアが礼を述べると、一時、ティファニアの顔を見て、また頭を下げると、落涙で絨毯が濡れた。