安全な場所
安全な場所とは。カインはリリスに聞いた。
狙われているのは二人。木を隠すなら森の中。
そう言うと、懐から地図をだした。指を差したのは市場の通りに面する建物だった。
ここの町で一番の大店。歴史は古く、代々、ローレリアに絹を献上している。
ここは小都市だが、昔は養蚕で栄えていたそうだ。
大店の主人は、リロワと言い、この町の世話役をしている。リロワの曽祖父は当時の領主に仕え、忠義に扱ったそうだ。
そして自ら騎士を辞めて、この町の発展に尽くしたそうだ。ここで二人をかくまってもらう。
カインは、日が落ちて間もない。市場も屋台が並んでいる。人通りも多い。危険ではないのかと言った。
リリスは、ここの絹は質がいい。貴婦人たち御用達で、位の高い者の出入りがある。当然、お供をつけて町を通ってくる。それに紛れ込むと言った。
連中に見つかっても、大通りで、他のお供の兵士がいる中では動きづらいだろう。
そして、馬車がの修理が終わるまで、そこにかくまってもらう。
カインは、いきなり訪問して、かくまってくれと言って、承諾するだろうかと言った。
彼は、目まぐるしく変わる状況に慎重になっている。
リリスは、それが、この計画のキモだと言った。
いかにして、リロワが領主側の人間である事を確認し、受け入れの交渉が出来るか。
そして、本当に、こちらにティファニアが領主の妻と証明出来るか。
傭兵達は、この話をティファニアにすべく、部屋に向かった。
この話を聞いた、騎士の老人は悩んだ。確かにリロワの曽祖父は先々代の領主の膝元にいた、忠義の熱い者であったと聞いている。その子孫はどうなのか。
騎士の老人は、従者にリロワの話をすると、確かに毎年、絹を献上していると答えた。
ティファニアも、リロワが、毎年、質の良い絹を届けていることを知っていた。
礼の手紙も、毎年贈っているそうだ。
カインは、夫を支え、領民を思い、自身の危険を顧みず、少数の護衛で旅をするティファニアに尊敬の念を抱いた。
こんな領主のが居るのなら、雇われても、いいかもしれないと思った。
騎士の老人は口を開いた。リロワとの関係は先々代の話で、献上も慣例で続けている事かもしれない。
いきなり行くのは危険だ。
確かにそうだ。慣例化して、今は一領民として商いをしているだけかもしれない。
商館長のように、特権を与えてもいないだろう。むしろ、リロワがが衛兵に通報する可能性すらある。
しかし、今の状況では悪くない考えだ、それには、誰を行かせるかが問題だ。
その時、ミレイラが立ち上がり、自分が行って話をすると言った。
そこには、ルカの背中に隠れていた、ミレイラとは全く違った、一人の騎士の姿があった。
ミレイラはこれからの過酷な人生を受け入れ、戦おうと決心したのであろう。
驚いた騎士の老人が止めに入ろうとしたが、ティファニアは凛とした声で、「そのように」と言うと、騎士の老人は口を閉じた。
確かに、ご令嬢が行くのなら、話をしやすい。不測の事態が発生してもティファニアは安全だ。
危険な任務だ。そして、カインとは住む世界が違うが、母としての内心はどうなのだろうかと思った。
ミレイラはルカに向かうと、「ルカには、私を護衛してもらいます」と。言った。
ルカは、無言でうなずいた。
皆は唖然としていた。
自分で警護を申し出ていたルカが、ミレイラの指示に従っている。
ガーランドは、「仲直りにしたら、尻に敷かれたか」と、大声で笑った。
相変わらず、空気が読めない。
計画は実行される。
リリスは、あの女と別れるときに、リロワ話を聞かされた。あの女自身、年に数回、絹を仕入れに訪れるそうだ。
契約通りなら、私たちはリロワの世話になることになる。
カインは、さっそく残る人間の配置を考えた。ミレイラとルカは決まった。食堂の一件で、カーランドと俺は此処を出ることが出来ない。衛兵が早く着き、事情聴取が長引けば、ティファニア達の守りが手薄になる。身柄を拘束されるなら、衛兵相手に一戦交えるしかない。
そして、ルカたちには機転が利く者が必要だ。騎士の老人は頭が固い。とするとリリスとなる。
しかも計画の立案者だ。うまく立ち回れるだろう。
カインは、それぞれの配置を皆に伝えた。
騎士の老人がミレイラの事をしきりに心配していたが、ティファニアが、彼女はもう大人ですと言うと、引き下がった。
騎士の老人の姿は、領主の娘に対するそれではなく、まるで孫を心配する、お爺さんのように見えた。
リリスはミレイラに部屋を借りると言うと、ルカを連れて部屋を出た。
部屋に入ると、ルカに、従卒の士官のに変装するように言った。
ミレイラのような高位の人間が、傭兵二人だけを伴うのでは、怪しまれる。
リリアは南方人だ。このような国で仕官している者など聞いたことが無い。今のままの傭兵の姿でいい。
とりあえずは、ルカの服を脱がせた。体の所々に傷がある。
剣士ならばあたり間だが、あの女の話を聞くと、ルカは子供のころから剣と生きてきたのだろう。そう思うと、胸が締め付けられた。
チェーンメイルを着せ、騎士が着るような白い礼服を着せた。詰め襟と袖口に金の刺繍があしらわれている。胸に、装飾をした銀の小さなプレートを付けた。
本当は、この国の階級章が欲しかったが、騎士の連中には断られた。命より大事なものだそうだ。
鏡台にルカを座らせると、リリスは懐から、細長い小物入れを出した。
その中から薄い肌色をした透明なガラスのようなものを取り出し、水につけた。
水につけると柔らかくなった。ルカの顔の傷に、軟膏を塗り込んで、それを慎重に重ねた。
リリスは、鏡に映るルカの顔をみて、もう一枚張った。ルカが痒いと触ろうとした。
大人しくしないと、ミレイラに言いつけると言うと、手を収めた。
上から肌と同じ色の粉をはたくと、余程、近くで見ない限り、傷は見えないようになった。
そして髪をとかし、後ろで纏めると、高めに結んだ。
立派なお付きの士官だ。ミレイラと同じで女性だから、怪しまれない。
全体的に整ってはいるが、小物は用意する時間がなかった。
あとは剣だが、武骨で使い込まれている。探せば道具屋に騎士の剣の模造品はあるだろうが、丸腰で賊と渡り合えと言っているようなものだ。
そうやって、全体をリリアが見ていると、ルカは自分の着ていた服から、鉄針と、鋭い刃がついた小さな投げ輪、紙のように薄いナイフを取り出し、服の中にしまい込んだ。
その姿をため息交じりに見ていたリリアは、何か足りないと思った。
そして、なんとなく、ルカの唇にとても薄く、桜の色の口紅を引いてやった。
騎士として人目が気になるが、化粧したいお年頃の士官の出来上がりだ。
リリアはルカを鏡台に立たせて、「どうだい」と言った。
ルカは、痒いと言った。