監視
暑い。汗が止まらない。
日影を行きながら、風もあると言うのに。
舎弟は焦っていた。計画を実行しようと廃屋に集まると、あの使いの男が現れて、中止を告げた。
そして、早々に立ち去った。
呆然としていたが、報酬も武器も渡らないと知った連中は、騒ぎ始めた。
騒ぎが収まらなければ、誰かに見つかる。収めるために、手持ちの金をばらまくと、皆がそれに群がった。多少の騒動は仕方ない。なくなれば諦めて帰るだろう。落ちた金を拾うのに必死な連中の隙を見て、手下と廃屋から逃げ出した。
一体、何が起こっている。馬車はどうしている。まさか、ヴォルデの連中に横取りされたのか。宿に行って馬車を見ればわかるはず。
そして、兄貴になんて言い訳する。向こうから、突然の中止の連絡だ。殺されはしないだろう。こっちの準備はぬかりなかった。しいて言えば、残った金をばらまいて、逃げ出したことか。
足早に宿に向かっていると、目の前に男が立っていた。鋭い目でこちらを見ている。舎弟は、喧嘩ごしに、汚い言葉で威嚇して、男を追いやろうとした。
瞬間、男の拳がみぞおちに深く入り込む。
息が出来ない。腹を押さえて激痛に耐えながら後ろを振り向くと、手下が倒れれている。最後に立っている手下は、フードの女に膝を腹に打ちこまれている最中だった。
見上げると、髪をわしづかみにして、頭を持ち上げられた。
痛みに悲鳴を上げる前に口を手でふさがれ、息がまた苦しくなる。
男は誰に頼まれたかと聞いてきた。
舎弟はもがいて、知らないと言おうとしてもがくと、やっと口から手が離れた。髪は鷲掴みにされたまま、頭の皮膚は髪ごと剥がれそうだった。
「知らない。男が突然やってきて、金をくれた。兄貴から人集めを命令されて。今になって中止だとかぬかしやがった」
男は舎弟に「馬車への細工は」と聞かれた。倒れている手下にやらせたと、目でかろうじて手下を差した。
そして、男は矢継ぎ早に質問してきた。使いの男の特徴、馬車の存在、襲い掛かる合図。
あらかた聞き終わったのか、髪を離すと女と共に立ち去った。兄貴のところに行かなければ。痛むみぞおちに苦しみながら、見ると、力なく立っている兄貴が居る。そして、その後ろには見知った組織の幹部がいた。舎弟はこれから起こることに恐怖して、うずくまった。
カインとリリスは、取り合えず、集団での襲撃がなくなったことに安堵した。
あとは、その馬車の中の人間と、その使いの男。その動向を押さえる必要がある。
カインは宿に戻りながら考えていた。
馬を含めて一緒の宿で警護しなくてはならない。今日も含めてあと二日だったが、状況は変化している
。しかし、残りの金を手に入れたいが、相手のなりふり構わない今回のやり方に付き合っていては、命がいくらあっても足りない。
ルカも含めて、巻き込んでしまった三人には、今夜にでも話して、途中で分かれる判断のしてもらおう。
こんなにも状況がが変われば、契約破棄は当然になる。しかも、拉致したい連中が居ると言う問題が顕在化した。ただの警護ではない。
それにしても。カインは後ろを歩くリリスは、なぜ上機嫌なのだろうかと思った。
カインとリリスが宿に戻った。騎士の老人はまだ帰ってきてようだ。
こんな町で馬は別として、馬車など売っていない。せいぜい、荷馬車が限度だ。
後は、職人を探して、馬車を直させるか。それとて、何日かかるか分からない。
急いで二階に上がると、騎士とガーランドがいた。ガーランドは座り込んで居眠りをしていた。
二人に気付くと、何も起こっていないと告げ、大声で飯はまだかと言った。
ガーランドは思い出したように、ミレイラとルカが喧嘩をして出て行ったと言うと、若い二人が喧嘩をするのは、成長している証拠だと笑い始めた。
カインはガーランドと長い付き合いだが、今回だけは、なぜ止めなかったと言いたくなった。
ミレイラとルカを探さねば。ルカなら賊を皆殺しに出来るだろうが、ミレイラを守りながらという条件だ。何かあってからでは遅い。
そこへ、ミレイラとルカが帰ってきた。
ルカは頬にハンカチをあてている。そのハンカチには血が滲んでいる。賊と斬り合ったのか。そして、いつも無表情が、わずかに動揺しているように見える。
ミレイラはわずかだげ、服に斬られた跡がある。襲われたのか。表情は硬くこわばり、ルカを支えるように立ってる。
騎士の老人が戻ってきた。ミレイラの姿を認めると、その姿に驚き駆け寄った。ミレイラが無事であることを喜んだ。
カインは喜ぶ騎士の老人に「なにが起きている。契約の事を話したい」と言った。そして、契約破棄もあり得ると。
騎士の老人は、険しい表情で無言でカインを見た。
部屋の中から領主の妻、ティファニアの声がした。
「すべて話しましょう」
騎士の老人は目を閉じて、かしこまりましたと言った。
間者の女とグリンデルは、誰もいない監視役の部屋に居た。
長椅子に互いに向き合い、座っている。
ルカが剣士を斬った後、間者が剣士の顔を取ってきた。骸の顔に紙を押し当てると、顔の輪郭や鼻、口、目の位置を正確に写し取れる紙だ。この国でしか作られていない。
間者の女は、その紙をテーブルに差し出しすと、顔の持ち主の事を話し始めた。
五年前、雇われた国の騎士団の副団長を斬った。団長はお飾りで、副団長が国で随一の使い手だったそうだ。
逃げるときに追っ手を切り刻み、行方をくらませた。
国は派遣した国に、賠償金と今後の五年間、無料で剣士を派遣することで和解した。くしくも、五年目に奴を斬った。
グリンデルは紙を取り上げた。顔は苦悶の表情を浮かべている。
「助かったよ。誰かが東国へ逃亡の手助けしている情報もつかんだ。」
グリンデルが紙を間者の女に差し戻した。
「ルカが斬ったのか」間者の女は沈黙の後、「剣を楽しみながら振っていた。最後は息絶えるまで、剣をゆっくり体へ押し込んでいったそうだ。」と言いうと、椅子から立ち上がった。
グリンデルはルカが面を着けていなかったか聞いたが、間者の女は何も答えなかった。
「いつか王の耳にも入るだろう。私も眠り続けるわけにはいかない」
そう言い残すと、部屋を後にした。
「ルカ」そう言うと、グリンデルは長椅子に深く腰掛け、天井を仰ぎ見た。
窓の外は重たい雲で覆われて、日の光は部屋を照らすことなく、薄暗い。
雨粒が窓に張り付きだすと、やがて、滝のように窓を流れ始めた。