雇われる
ルカは目を覚ますと、カインは寝ていた。まだ、日は昇っていない。
ルカはカインが目を覚まさぬように、気配を消して部屋から出ると、外に出た。軽く体を曲げ伸ばし、筋肉をほぐした。
短時間にあれだけの人数を斬るのは初めてだったが、敵の統率がなされていなかった事、個々が弱かったこと、装備が貧弱であったことが、自身に優位性を持たせ、斬られることが無かったと考えた。あれが、統率された強い剣士の一団だったら、斬られていただろう。
そう思いながら、剣を抜くと、状況を想定した訓練を始めた。剣を振り、受け流し、身を伏せ、格闘し、暗器を使う。いろいろな状況を想定しながら剣を振った。
刀身は闇に溶け込み、その刃がわずかに夜明け前の光を受けていた。細いきらめきだけが怪しく舞っていた。
朝はまだ冷える。それでも汗が噴き出した。日が昇る頃、服を脱いで井戸水を頭からかぶった。水は冷たかったが、火照った体にはちょうど良かった。体を拭いていると、朝一の水汲みにきた使用人の女が歩いてきた。昨日のあの使用人だ、飲用の水を使うことを禁じられ、今後は洗い場に行くように言われた。
あの手の人間には、悪いことが起こる。
ルカは、自分には関係ないと思いつつ、部屋に戻ろうとした。何か視線を感じて商館を見上げると人影が見えて、こちらに気付くと身を隠した。
余計ではない詮索もある。ルカはそう思って、ナイフを隠し持つ方法を思い出していた。
部屋に戻ると、カインが上半身裸で立っていた。体には小さな傷より大きな傷が目立った。そしてそれは、乱雑に縫われたもの、そのまま治癒するまで放置されたものだった。中には、致命傷だったであろう傷もあった。ルカが、水浴びなら裏の洗濯場でしなければならいと言うと、年頃の娘の反応ではないと、茶化すように言った。
カインがそのままの姿で、部屋を出た後、あの使用人の悲鳴と水の入った桶が落ちる音がした。
カインが部屋に戻ると、部屋がノックされ朝食が運ばれてきた。
宿では出ることは無い、質の良いものだった。パンは小さいが柔らかく、スープには肉が入っていた。別の皿には、チーズとバター、果物盛られていた。
カインは、豪華な食事を楽しんだが、後が怖いなとつぶやいた。ルカには、その言葉の意味が分からなかった。食事が終わって食器が下げられると、服が渡された。奥様の前に出るので、着替えるように指示された。ルカもカインも、服の一部が破れ、泥や返り血の跡があった。綿でできていて、豪華ではないが裾や首回りに刺繡があった。
ルカは、町に出て古着を買う手間が省けたと思ったが、カインは浮かない顔をしていた。
使用人が二人を、別棟から商館の一部屋に案内した。
部屋に入ると、領主の妻が正面の椅子に腰かけていた。その後ろに騎士の女と騎士の老人が立っていた。そして商館長は長椅子に腰かけていた。
豪華な部屋だ。来客用の部屋で、商館長の威厳を示す装飾品の数々。金で縁を彩られた大きな皿、白い獣の皮、大きな絵画、深い緑色をした壺、金の甲冑と、柄に宝石が散りばめられた大剣。
ルカが部屋を見渡すと、騎士の女と目が合った。女は目をそらした。
領主の妻はティファニアと名乗り、ルカとカインに、盗賊を撃退した働きに感謝の言葉を送った。
商館長も同様に感謝の言葉を送った。
カインが「もったいないお言葉です」といって、頭を下げると。ルカも頭を下げた。
騎士の老人が口を開いた。
「訳あって、我々は領地に急ぎ戻らなければならい。いまだに橋が渡れない状況下での迂回の判断は正しく、時間の浪費は免れた。しかし、これは貴殿らの働きがあっての事だ。」
そういうと、ルカとカインの、領地までの残りの四日間の行程への帯同を許し、準備が出来次第、出発するそうだ。
話を聞きながら、ルカは、断ろうと思った。次の町で連絡役と定期接触する予定だ。隣で騎士の老人の話を聞き終わったカインが言った「橋を迂回できた。そこまでの契約じゃないのか。領地までの護衛など聞いていない」と言った。そして、新たに傭兵を雇えばいいとも言った。
彼らは今回の件で傭兵を雇うことを恐れている。
騎士の老人が言い返そうしたとき、商館長が二人の間に入った。商館長は口約束では、よくある事だと言い、金貨を取り出した。ルカとカインに一枚ずつ。これを前金として、領地に着けばさらに一枚ずつと言った。もちろん、今回の件の残りとは別とも言った。領主の妻と、商館長の目の前だ。偽りはないだろう。半年は働かなくて済む。それだけ危ない橋を渡らなくて済む。
カインは、騎士が減った分、次の町で傭兵を雇うことを条件としてだした。そして傭兵はカイン自身が選ぶと言った。
商館長は騎士の老人に目をやった。騎士の老人は、渋々承諾した。
カインが何も言わないルカに目をやると、少し考えて護衛を断った。カインがため息をついたのが分かった。連絡役と接触しなければならない。ルカの態度をみて、商館長はほくそ笑むと商館長は、さらに金貨を追加した。ルカは、路銀には困っていないと言って、部屋を出ようとした。
「お願いします!」
騎士の女だ。部屋にいる全員の視線を集めた。ルカもその一人だった。
「あなたが必要です」
そうして騎士の女は、頭を下げた。騎士の老人は慌てて、たしなめた。ティファニアも驚いた様子だった。
ルカは立ち止まった。そして考えた。自分の任務は何か。東方への先遣だ。座っている女性は、領主の妻で権力を持っている。自分が斬った傭兵達の存在も気になる。何かが起きているのは確かだ。
そして、昨日の夜と今朝、自分を見ていたのは、あの騎士の女だろう。進むだけなら、だれにでも出来る。しかし、有力者と交流をもち、何か、権力を取り巻く状況の一端で掴むのは難しい。
柔軟な判断。連絡役など、何かを感じて向こうから追って来るだろう。
ルカはカインに並ぶと、気が変わったと言った。そうして、部屋の全員の視線を集めた。
その中で、騎士の女だけは安堵の表情を浮かべていた。