領主の娘
騎士の一行は、慎重に迂回路の旧街道を進んでいた。
カインが前衛とルカが後衛なのは変わりがなかった。騎士の女は、騎士の老人と一緒に馬に乗っていた。
日が傾き、生い茂る木々のせいで、暗くなってきていた。騎士の女がランプを用意するように言うと、カインが、的になるとって辞めさせた。騎士の女は不機嫌になった。
騎士の女は、たまに自身の肩越しに後ろを見ていた。
ルカは自分を見ているのが分かっていた。甲冑を捨てさせたのが、よほど気に食わなかったのか思った。
町に出たら代わりの物を買ってあげようか。
いくらするのだろうか。
路銀に困らないように、銀貨と銅貨は定期的に連絡役が補充に来ていた。予備として金貨を数枚、ベルトの隠しポケットに入れていた。
間者の女から、金貨を使うと目立つので、出来るだけ使わないように指示されていた。
暗い旧道を抜けると、平野が広がっていた。夕方になっていた。あたりが夕日に照らされ、赤く染まっていた。
遠くに大きな建物と、それを囲むように集落が見えた。馬車の出入りが多い、騎士の老人が言っていた、商館だろう。誰かが潜むような場所はない。一団は速度を少し上げて、商館に向かった。
町に入ると、カインは後方に下げられた。こんなもんだよ、とルカにつぶやいた。
一団は人々の注目を浴び、中には会釈をする者がいた。
商館の門番が遠目に馬車を認めると、急いで商館に入り、誰かが出迎えに出てきた様子だ。
痩せて背が高く、きれいに髪を整えた初老の男が立っていた。
「お立ち寄りいただき光栄です」そういうと、騎士団に深々と頭を下げた。
騎士の老人が、「奥様は大変お疲れである。部屋を用意していただけぬか」
そういうと、痩せた男は、若い商人見習いの男に、準備するように指示を出した。若い見習の男は、弾かれたように走り出した。
馬車が商館の入り口につられると、従者に手を添えられた女性が出てきた。白く曇りのない布地で作られた、簡素なドレスを身にまとい、長い銀髪の妙齢の女性。髪は長く、金の髪飾りをしていた。
疲れた様子だった。
そして、騎士の女に深々と頭を下げ、女性と一緒に商館に案内された。それに騎士の老人と従者が続いて行った。
カインとルカ、騎士の二人は別棟に案内された。
傷を負った騎士は、馬車で医師のところに運ばれていった。
騎士には個室が与えられたが、カインとルカは四人ほどが滞在できる部屋に通された。
装飾品はないが手入れは行き届いており、快適だった。カインは、高貴な人物に使える従者や使用人が使う部屋だと、言うと、ベッドに横になった。
カインは続けで、あれは、近隣の領主の妻と娘だろう。あの男は商人で、領地での商売を認められているから、領主に頭が上がらないのだろうと。
そして、急いでいた理由は、分からない。余計な詮索はせずに、自分の身の安全を第一に考えるのが、傭兵の鉄則だとも言った。
ルカは父親代わりだった、あの人から聞いた剣士のあり方と違うのが気になった。金で雇われているのは同じなのに、カインは違うことを言う。
ルカは水の補給と、拭いただけで落として切れていない返り血を、特に外套を洗いたくて仕方なかった。部屋を出ると、女の使用人と出会った。その女はルカの血の跡が残る姿と、顔の傷をみると顔をしかめた。ぞんざいに、外の庭に井戸と、敷地にある川に洗濯用の水場があると告げて、その場を後にした。
ルカは外に出た。月夜で空は明るかった。見上げた空には星が散りばめられていた。星を読む訓練以外で夜空を見上げたのは、初めてだった。このまま見上げていたら、吸い込まれそうになる感覚を覚えたルカは、急いで井戸へ向かった。井戸水で水筒の水を満たすと、建物の裏にある洗濯用の水場で、丁寧に外套を洗った。汚れはすぐに落ち、わずかに吸った水は絞るとすべて出て行った
ルカkは服を脱ぐと、体を水で流した。汗と埃と泥が流され落ち、透き通るような白い肌が見えた。無駄な肉はなく、細身だが鍛えられた体には、大小の傷があった。
髪を丁寧に洗うと、返り血で固まった髪はほぐれていき、一本一本のつややかさが戻っていった。
ルカが乾いた布で体を拭いていると、人の気配がした。すぐに走り去ったようだ。ルカはカインの言う余計な詮索を止め、服を着ると部屋へ戻った。
部屋ではカインが剣の手入れをしていた。ルカの顔を見ると、騎士の女と何か話かと尋ねてきた。
誰とも会っていないと答えると、先刻、騎士の女がルカを訪ねて来たから、水場だと案内したと言う。
ルカは、気配の者と思ったが、走り去る理由が思いつかない。
ルカはカインがこちらを見つめているのに気付くと。「余計な詮索はしない」と言って、剣を抱いて部屋隅に座り込んで目を閉じた。
カインは、その調子だと言うと、また剣の手入れを始めた。
カインは剣の手入れをしながら、ルカに盗賊の人数を尋ねた。前方に居た盗賊と合わせて十二人と答えた。よく逃げ切れたとカインが言うと、ルカは目を閉じたまま、全員斬ったと言った。カインは剣を拭く手を止めた。ルカが思い出したように、橋の向こうに居た、片腕の男が森に逃げたので、矢で仕留めたと言った。おそらく俺が斬った男だ。
ルカは、あの弓はもだめだ。森の中の、見えている人間を仕留めるのに二本使った。返す時に言っておいた方がいいかなと、逆にカインに尋ねた。
カインは、そうだなと答えると黙り込んだ。
少しの沈黙の後、ルカが口を開いた。「前に五人。後ろに五人、そしてあとは、あの傭兵が五人」だから、追って来る者は居ないと思ったと言った。
カインは言葉を失った。もめて出て行った傭兵連中が、元雇い主を襲う。腹いせか。または、仕組まれていたか。だが、川の増水は誰にも予想がつかなかったはず。
カインは、連中が何か言っていなかったと言うと、思い出しながら、何か言いたげだった坊主頭が居たが、とりあえず斬った。時間は大切だから。
カインはあきれた顔でルカを見た。ルカはまた目を閉じると、余計な詮索はしない。そう言って顔を背けた。
十二人斬って平然としている娘と、襲ってきた傭兵たち。
カインは、自分の身の安全を、どう守るか思いを巡らせていた。