会談
ルカは目を覚ました。
となりでアリアが寝ている。深く眠っているようで、ルカが目を覚ましたことに気づいていない。
ルカがアリアの手にそっと手を重ねると、はっと目を覚ました。
ルカが、初めて見たと言いうと。アリアは何も言わずに起き上がって、大きな伸びをした。
そして、ルカに、やっと起きたのね。そう言うと、一晩中、怪我人の番をするのは疲れると言った。
寝入っていたことを認めないつもりだ。
アリアはルカの体中の傷の具合を見て回った。そして、顔を洗って部屋を出て行くと、水を運んできて、彼女の体を丁寧に拭いた。
水を捨てに行くついでに、朝食を取って帰ってきた。この宿では、あらかじめ一定量を作り置きしておくらしく、良いものは早い者勝ちのようだった。
パンとスープだけ持ってきた。ルカがいつまでも起きないから、チーズも果物もなくなっていたと、不機嫌そうに言った。
ルカがはにかんで、ごめんなさいと言うと、少し驚いた様子だった。
朝食が終わると、二人はテーブルについて、沈黙の時間を過ごした。アリアは頬杖をついて、虚空を見つめていた。
「お前たちの長が来る」。あの人が来るのだ。私は処分されるのだろうか。そう思うと、仕方がないと思った。アリアを斬れなかった。斬ることしかできない私はお払い箱だ。
扉がノックされた。アリアがため息交じりに立ち上がって、部屋の扉を開けると。初老のあの男が立っていた。ルカは目を合わせることが出来なかった。
アリアは男を部屋に招き入れると、自分が座っていた椅子に座らせ、ベットに腰かけた。
ルカは「アリアを斬れませんでした」と、男に言った。ごめんなさいと付け加えた。
斬られなかった人が、あくびをしながらベットに座っている。
男は答えなかった。
アリアは、男に、ルカが執行人に向いていないと言った。
百回向かい合えば、百回私が勝つ。執行人を続けていれば、近いうちに、この子は斬られる。
あんたの失敗よ。
ルカは手を血が出るくらい握り、うっすらと涙した。
小さな声で、もう一回、ごめんなさいと男に言った。
男が口を開いた。「どうしたい」
ルカは答えに詰まった。そんなことは、考えたことは無かった。命が下る。斬る。訓練する。そしてまたまた命が下る。その繰り返しが全てだった。研ぎ澄まされた剣術はアリアに砕かれた。
ルカがルカである唯一の証が砕かれたのだ。何もかもを失ったのだ。問いの意味が分からず、思わずアリアをすがるような目で見た。
アリアは立ち上がると、ルカに近づいて頬を打った。ルカは打たれた頬を手で押さえ、目を見開いてアリアを見つめた。
アリアは、「やっぱり向いてない」と言った。
アリアは言った「私はこの男から、あなたが多くの選択肢がある世の中で、自分の意志で、自分の選択が出来るようにしてくれと頼まれた」
ルカは、ごめんなさいと、また消え入るような声で言った。
アリアは続けた「あなたは、斬られたくないって言ったでしょ。斬りたくもないって。ただのわがままよ。あなたに剣しかないなら、これかから逃れなれない。」
「よく考えなさい」
そういうと、男と一緒に部屋を出た。
ルカはベットにうずくまると、静かに涙を流し続けた。
ルカはいつの間にか眠っていた。
もう、夕暮れ時だ。
部屋にはルカだけだった。体が重い。頭が重い。ベッドから出たくない。
でも、アリアに、そして父親代わりだったグリンデルに会いたい。会うだけでいい。
「会ったらどうする。」
ルカは顔を洗うと、宿の主人にアリアの行方を聞いた。たぶん釣りだろうと答えた。
とぼとぼと河原に向かいながら思った。きっとアリアは私の事が嫌いになっているだろう。
打たれた頬をさすりながら思った。傷は少し熱を持っていた。
一目だけでも会いたい。しかし、また同じことを問われたら、どうしようか。何も答えられずに、また頬を打たれるのか。
消えてなくなりたい。
そう思いながらも、アリアの居るはずの河原に向かった。
アリアは釣り糸を垂れていた。釣果は無いようだった。アリアはこちらに気付いたが、そのまま動かないし、何も言わない。
ルカは、どう声をかけていいのか分からなかったが、思わず、魚は突いた方が早いと言った。アリアは吹き出すと、笑い始めた。
以外な反応だった。
そんなアリアをみると、自然に言葉が出始めた。「果物は一口大に切った方が、きれいに食べることが出来る」「今朝は本当にアリアが寝ていた」「私が先に目を覚ました」「果物がなかったのは私のせいじゃない」「持たされているお金で馬なんか買えない」
そして、「私が先に抜いていれば、私が斬っていた」「私の方が強いんだ」
そこまで言うと、アリアは言い返した。
「この辺のジャガイモの相場はわかる?」「東方のさらに東の国では、硬貨に穴が開いているのよ」「この前の串焼きの肉は何の肉か分かった?」「チーズの作り方は知ってる?」「オオカミを飼いならして、狩に使っている国があるのよ。」
アリアは、笑いながら言った。「世界は広い。知らないことばかり」
そういうと、歩きだして釣り師の小屋に行って、釣り竿を返した。
魚がない。そういうと、アリアは笑顔で大丈夫と言って、宿へ向かった。
宿に着くと、主人に釣果がなかったことを、からかわれた。ルカは、主人に何らかの不幸が訪れないか心配した。
階段で三階まで上がると、大商人用の大部屋の前に立った。
アリアがノックをすると、返事が返ってくる前に扉を開けて部屋に入り込んだ。
そこにはグリンデルがいた。椅子に座り足を組んで本を読んでいた。驚いた様子はなかった。
夕飯の準備がされていないことがわかると、アリアは「なぜ」と問うた。
グリンデルは、自分が夜はあまり食べないことを伝えた。
アリアは呼び鈴を、壊れるほど鳴らして宿の人間をよんで、パンと肉と魚と果物と叫んだ。
料理が運ばれてくると、三人で囲んで食べた。
アリアはルカに料理をとってやったり、魚の小骨を取ってやるなど世話を焼いた。
グリンデルは、少しだが料理を口に運んでいた。
まるで家族のようだった。
グリンデルは食事をしながら、表情が変わったルカを愛おしく眺めていた。
そして、改めて、今朝と同じ質問をした。
ルカは食べるのを止めて、グリンデルの目をみてた。まだ弱いが、彼女自身の決意が見える。
「許されるなら」はじめは小さな声で、そしてはっきりとして声で。
「許されるなら、旅をしたい」
グリンデルは小さくうなずいた。アリアはルカを優しい目で見つめた。
食事が終わると、アリアがルカに、食べ過ぎたので先に湯屋に行くように言った。
ルカはうなずくと、部屋を出て行った。
窓から外をのぞくと、暗闇を湯屋に向かう姿が見えた。普通ならランプを借りるんだけどね、とつぶやいた。訓練された人間とすぐにわかる。ルカの決断を喜んだが、少し不安になった。
振り返ると、この町でよくみられる服を着た女が立っていた。
あの給仕の姿をしていた間者だった。
グリンデルとアリア、王の直轄の間者。三人はルカの事を話し始めた。
アリアが先に発言した。「あの子はもう大丈夫」
グリンデルは、執行人が監察役の元を離れることは許されないというと、アリアは、あんたは何がしたい、とかみついた。あの子に必要なのは、外の世界を一人で歩き、人と出会い、そして別れを経験すこと。母と向き合えるだけの強さを手に入れるまで。
間者の女が言った。才覚が開花し、母のように剣に飲み込まれたらどうする。あの状態で外を歩くのは危険だ。精神的に不安定になる可能性があるなら、今のうちに処分する。
それを聞いたアリアは笑顔で、彼女に表に出るように言って、剣の柄を握った。
グリンデルが重い口を開いた。
我々の事を重用する国は、まだ少ない。特に東方には名が知れ渡っていない。行方の分からない剣士潜んでいる可能性もある。先遣が必要だ。腕の立つ剣士だ。
間者は、暗闇を明かりなしで出歩く女は、すぐに捕まる。と言った。
アリアは、処分って言葉しか知らいのかと、あきれて行った。
そもそも、狩るべき剣士を探し切れていないって、仕事している振りが上手いのか、付け加えると、アリアに、その剣を抜いてみろと返した。
グリンデルは二人のやり取りをよそに、しばしの沈黙の後、凛とした声で言った。「東方に先遣としてルカを送る。我々は連絡役と監査役を付ける。執行人は監査役の管理下にある。王の直轄でも間者もそうだ。情報を集めつつ、拠点と協力者を獲得せよ。行方知れずの剣士を探すように網を張れ。そして、ルカの補助を行え。執行が必要な剣士が見つかれば、ルカが斬る。報告は定期的に送れ。王には私が話す。そのうえで、王が直接手を下すなら、それに従う。」
そう言って、話し合いを締めた。
開け放った窓から、虫たちの鳴き声が聞こえていた。アリアは肩の荷が下りたと思ったが、同時に心にぽっかりと穴が開いた感覚を覚えた。