斬らないと言う事
ルカと仮面の女。いつも情報をもたらす間者と名乗る女。
王の剣として仕える。
アリアはルカの首がはねられることしか想像できなかった。
何とも言えない、すべての剣士を上回る圧力。
私が出てルカを逃がすか。同時には斬れまい。
アリアがそう考えていると、イーゼルが肩に手を添えた。
「闘気がむき出しだぜ」
ふと見ると、仮面の女の後ろに控えていた剣士達が散開している。
誰も近づけないように。
気付かなった。
手にはべっとりと汗をかいている。
しかし、みすみすルカが斬られるのを見てはいられない。
信じて見守ると言う状況ではない。どうにかしなければ。
イーゼルはアリアが焦っているのを初めて見るたかもしれない。
それは、髙い木によじ登っている我が子が、今にも落ちるのではないかと心配して見ている母親と同じに見える。
しかし、イーゼルもアリアと同じで、ルカを信じてやろうとは言えない。
ただ言えるのは、剣士としてこの結末をこの目で見届けたい。その思いだけがある。
ルカが剣に手を添える。
「面を着けていて見えるのか」
「見えるさ。特にお前の事はな」
仮面の女も剣に手を添える。
互いに剣に手を添えたまま動かない。
ルカは静かに目を閉じた。
まわりの世界に溶け込んでゆく。人々の気配が消えてゆく。
草木のざわめきも消えてゆく。
深く深く、溶け込む世界には何もない。
うっすら目を開けると白い世界が広がっている。
地は鏡のように、そして水面のように白い世界を写し出している。
荒ぶる黒い私も冷酷な白い私もいない。
感じるのは体の中で混ざり合う二人の気配。
前には白と黒がゆっくりと混ざり合う者がいる。
時には白く、時には黒く。
それは、ゆっくりをルカを包み込むとゆっくりルカの中に入っていく。
ルカは肩に手が添えられるのを感じた。
とても暖かい。
まだ深く。
暖かい手の主は言う。
ルカはまた静かに目を閉じると、深く深く溶け込んでいく。
包み込む者の命の流れを感じた。混ざり合る白と黒に揺らいでいる。
ルカは次第に自身の存在すら感じなくなってきた。
消え入りそうなルカを、肩の暖かい手がこの世界にとどめる。
お母さん。
ルカを包み込むの者の命の流れが速くなってゆく。
私を見ていて。
命の流れが高まろうとした瞬間、ルカは目を見開いた。
金属が弾ける高い音が響き渡った。
斬られた剣が空高く舞い上がり太陽の光を反射して輝くと、自ら地に落ち深々と地に突き刺さった。
皆が二人を見つめていた。声を出すものはいない。
風だけが木々を揺らし、ざわめいている。
ルカと仮面の女は互いに剣を抜きはらったままでいる。
そして、二人はゆっくりと立ち直った。
仮面の女の剣の切先がなくなっている。
女は面をとると、自らの剣を眼前に持った。
折られてているのではない。斬られている。
確かにルカの首を捕らえていた。しかし、ルカの方が速かったのか。
そして、私ではなく剣を斬っている。偶然に剣があったのではない。
この切り口は、迷うことなく私の剣を斬りに来ていた証拠だ。
ルカの剣を見ると刃こぼれ一つしていない。
首元に達する前。それよりも早く私の放つ軌道に剣を合わせ、真芯で捉えたからだ。
何も感じなかった。多くの人間を斬ってきたが、こちらの心を読もうとした者、動きを捕らえて先手を打とうとした者。
皆、斬ってきた。
ルカだけは違った。何も感じられななかったから自ら剣を抜かざるを得なかった。
無心と言うものか。
ルカは静かに目を開けると、ゆっくりと剣を収めて言った。
「帰って王に伝えろ。これが私の答えだ」
仮面の女は深くため息をついた。
「王に伝えよう」
「だが、軍の全ては渡せん。いくらか抽出してお前に預けよう。そう多くは無いぞ」
女は馬にまたがるとアリアに向かって言った。
「甘く育てな。斬らずに斬る。この先、後悔しても知らんぞ」
「負け惜しみはいいわ。ケチらず全軍を渡しなさいよ」
「忘れものよ」
アリアは、地に突き刺さった剣の切先をつまみ上げ抜いた。
女は記念にやると言って、剣士を従えて去っていった。
アリアは切先の断面を見た。自らの瞳が写り込んでいる。
そして、ルカを見た。ミレイラが怪我をしていないか心配そうにして駆け寄る。
相手の剣を斬ってそれが答えなのか。
アリアはルカに打ち勝つ者は誰もいないと確信した。
同時にルカはもう、人が斬れなくなったのではと心配になった。
ルカを見ているとイーゼルが、背後から切先をつまみ上げた。
断面を見ながら驚いていた。そして、アリアに、母親の顔になっていると言った。
イーゼルは斬られた剣を日にかざしながら言った。
「向こうの軍はまだ止まらないのかね」
「いくら剣を斬っても軍隊は斬れない」
「エドが何とかするんでしょう」
アリアは、そう言ってルカに向かって歩き出した。