国の中の国
ミストラは馬に乗ると早々と町を出た。
後にリリスが続く。
ミストラは何も喋らない。
アウロラから、自らが国の人間に手をかけたことを聞いてからだ。
私が同じ立場なら、アウロラはその場で息絶えていただろう。
だが、いまはアウロラに同情している自分がいる。
だからと言って、ミストラに気軽に声をかける気になることは出来ない。
詳しい事情は分からないが、アウロラはこの件で両方の勢力の中で翻弄されているのだろう。
しかし、逃がしてやると言うのに、それを断ってまで黒幕を葬れとはなぜだ。
リリスはミストラに何処に行くのか聞くと、拠点に帰ると言った。
アリアにディートスの居場所の地図を渡すとだけ言った。
地図が偽物の可能性を考えていない。ミストラらしくない。
とりあえずは、拠点に戻らなければならない。
拠点に着くとミストラは足早に屋敷の広間に入ると、アリアを呼んだ。
アリアが出てくるなり、テーブルに地図を叩きつけて言った。
「あの女は国の人間に手をかけたわ。裏切りとは違う。今すぐに国から追っ手を放つべきよ」
アリアは地図を手に取ると、それどころじゃないと言った。
ミストラが平手打ちをしようと手を上げたが、リリスが腕を掴んで止めた。
「あんたはかんけいないでしょう!」とミストラが声を張り上げた。
リリスは、こんなにも取り乱しているミストラを初めてみた。
弱い力だが未だに手を下ろそうとしない。
アリアは何事もなかったように、広間から立ち去ろうとしている。
「あんたも一言あっていいんじゃないか」
リリスはアリアに言った。
アリアは振り返らずに、屋敷から出て行った。
「痛いんで放してくれます?」
ミストラの腕を見ると掴んだ先が紫色になろうとしていた。
放してやるとミストラは腕をさすりながら、自室へと戻っていった。
広間にはリリスだけになった。
一旦、宿に帰るか。便りが無いか確認していない。
まさか、抜けると伝言しては無いだろう。
リリスがテーブルに座って頬づえをついていると、ナタリアが奥から現れた。
一部始終を見ていたらしい。
リリスにお茶と四角く白い何かを出してきた。新作のお茶菓子だと言いう。
「馬が合わないようですね。アリアは何かを知っているようです。ミストラは感情に流され始めているみたいです」
そして、隣にいる兵たちの指揮権が国の軍務相に移るという。
リリスには状況が呑み込めなかった。国を挙げてディートスとやらを追っているのではないか。
「アリアは悩んでいるのよ。余裕がない。ミストラの気持ちを理解しているけど、寄り添ってあげられない」
「これからは、もしかすると軍が全てを引き継ぐかもしれないですね」
そう、ナタリアが言った。
リリスは、「お前もアリアも、全員が引き上げるっていうのか」とナタリアに食って掛かった。
無責任ではないのか。ルカはともかく、途中参加で協力してもらって軍に引き継ぐ。
そもそも、戦争を防ぐために動いてきた。西の国のお家事情など知った事ではない。
ナタリアは言った。
「アリアもルカもそんなに素直に見えますか?」
そして、彼女たちは周りの人間も巻き込むと言い、自分もそうなるだろうと言った。
リリスはカインとガーランドの事を思い浮かべた。
彼らもそうだった。ガーランドも私も仕事でカインに付き合っただけなのに此処に居る。
「一蓮托生ですよ。それに、任務でなければ地方の動植物研究に足を運べません」
ナタリアはそう言って、四角くて白い何かを勧めてきた。この辺りの植物で作ったそうだ。
リリスの知る範囲でこんなにも真っ白な食べ物は無い。
リリスが宿に発とうとするが、ナタリアが笑顔でこちらを見ているので食べる流れになっている。
ミストラがナタリアに腕が痛い。どうにかならないかと広間に降りて来た。
リリスは、一蓮托生が降りて来たと思った。
ルカはエドの話をずっと聞いていた。
嘘ではないが、大きな事を言う。
権限とは何か。王でもないのに軍を動かす約束が出来ると言う。
機密のはずのディートスの事まで話してしまっている。
ティファニアを国で預かることが出来るのか。それならミレイラも預かることが出来ないのか。
結局、ティファイアの父親は、国の兵士の駐留することに同意したが、ローレイラが許すものなのか。
ルカは軍を知らない。同行している剣士は軍の者だそうだ。
三十人程で小隊だと言う。やってやれない人数だとルカは思った。
そんな剣士達の存在に一喜一憂する領主が不思議でならない。
エドはティファニアが到着し次第、国と契約を交わすと言った。
ティファニア達に手を出すと、国が動くようそうだ。
代わりにティファニアの父親が国の中枢への道を探すらしい。それを公の秘密にするそうだ。
公の秘密。意味が分からない。
それに、この国の兵が動くだけで国が動くのは、割が合わないのではないだろうか。
ルカがそう考えていると、エドとティファニアの父親が握手して話は終わった。
一旦、また町へ戻るそうだ。
帰る道すがら、エドがルカに言った。
「我が国の軍が一兵でもいる。そして、何か秘密の約束をしているらしい」
「相手がそう思うと、その一兵を倒すと軍隊が駆けつけるかもしれない」
「駆けつける軍はどれくらいの規模なのか。そもそも、本当なのか」
エドは、嘘一つで相手国が軍を出すか出すまいか悩む。でも、相手は軍にひるまずに堂々としている。
そして、時間と軍の維持費だけが垂れ流されてゆく。
それが嫌だから、話し合って勝ってないけど負けていない状況を作るのが外交だと言った。
「僕には君が持っている剣が無くても、百万の軍の足を止める事が出来る」
どうだい。凄いだろう。
エドがそうルカに言おうとした瞬間、ルカが抜刀ししてエドに剣を振り落とそうとした。
エドの目の前で金属が弾ける音がする。
「前に出る!防御を!」
そういルカが言い終わる前に剣士がエドと書記官の前後に付くと、問答無用に頭を抑え込まれた。
「姿勢を低く」
剣士は抜刀して、エドには目もくれずに周囲に目をやる。
まだ矢が放たれているのか、剣士が剣を振るたびに鉄が弾ける音がする。
剣士と馬の首の間から、前を行っていた荷馬車が見える。
ルカが御者の首を切り落としていた。後には道に倒れた人が二人見える。
エドは剣士の一人が「早い」と呟くのを聞いた。
荷馬車まで剣で落とされたであろう矢が折れて落ちている。
馬を走らせながら、向かってくる矢を落としたのか。
ルカが辺りを見渡し、剣士に合図を送った。
エドはようやく頭を上げる事を許され、周りを見渡した。
道端に弓矢を持った男が倒れている。
こいつもルカが倒したのか。一人で四人も。
エドが唖然としていると、ルカが斬った男たちの持ち物を調べている。
剣士が道端に倒れている男を足で返し、胸に突き刺さっているナイフを引き抜いている。
付いた血を男の服で拭うとルカに渡した
ルカはエドのところまで来ると、「土地の物を使っている。でも、土地の者ではない」と言った。
エドは気を取り戻して思った。
そうだ。誰がなぜ私たちを襲った。ルカが言う事が正しいなら、誰かが土地の者を装い襲ってきたことになる。
しかも、賊ではない。待ち伏せなら情報が漏れていることになる。
エドは「守ってくれて感謝する。このことは口外しないように願いたい」
そして、町へ急ごうと言った。帰って状況を整理したい。新しい情報があるかもしれない。
書記官があまりの出来事に気分が悪いと言い出した。
仕方ないのでエド達は歩速を早めて街道を行く。
エドは思い返していた。ルカが剣を抜いたとき、気分を害したのかと思った。何せアリアの弟子だ。
しかし、話を聞いていながら周りの状況も把握していたのか。
私は前を行く荷馬車に気を払う事などなかった。
剣士達もルカの剣技を見て、見る目が違っているのが分かる。
羨望の眼差しだ。
ルカがエドに話しかけてきた。
「話の続きが聞きたい」
「剣が無くても軍を相倒せるとこから」
言葉のあやだし、倒せるとは言っていない。調子に乗って「凄いだろう」なんて言わなくてよかった。
しかし、ルカの目は純粋に学ぼうとする者の目だ。
エイドは気を取り直すと、外交とは何かを改めて語り始めた。