疲れた人
窓の外には二つの建物がある。
その二つの建物の間から、外の景色が見える。どこまでも続く空に森の木々の緑がまぶしい。
それは切り取られた絵画のように、窓に飾られている様だ。
部屋は広く、古びてはいるが暖炉もある。
テーブルには刺繍の道具だけが乱雑に置かれ、それを縫い付ける布地は見当たらない。
「この町の住人は食べるのに精一杯で、服にお金をかける余裕なんかないのです」
「見せる相手なんていない服に刺繍をするのは馬鹿げていますよね」
そう言いながら、アウロラは刺繍の道具を片付けてしまいこんだ。
彼女の服は小奇麗だがどこにでも売っている物に見える。しかし、それに刺繍が無い。
「この服ですか。買ったんです。動きやすいだけです」
人の考えていることを読んでいるかのような会話は相変わらずだが、明らかに疲れて投げやりだ。
何があったのだろうか。
アウロラは二人に椅子をすすめた。
扉がノックされると青年が缶に入ったお茶をもって入って来た。
「お茶を買ってきました」
アウロラはありがとうと言うと、缶からお茶注いだ。
「水場の水はろ過して沸かさないと飲めません。浄水場が壊れたままです。水管も掃除されていません」
「お茶を淹れるならお茶屋さんから買うのが一番です」
二人にお茶を出す。
「あの青年はこの店を出した時、私が暇つぶしに服を仕立てているのをみて、弟子入りさせてくれと言ってきたので側に置いているだけです」
「ただの酔狂です。気にしないでください。私をお姉さんと呼んでいるのは彼の勝手です。私がそうしろと言ったわけではありませんから」
「職人になって、他の町に移りたいそうです。この町の若者は皆同じ考えをしています」
二人はお茶を口にした。
アウロラは深いため息をして、そのまま会話が途切れた。
ただの世間話だ。
ミストラが口を開いた。
「初めまして。ミストラです」
「失礼ですが仕事はしてらっしゃいますか?エンデオ領に変化は無いとばかり報告が上がってますが、明らかに何か動きがあるようですが」
アウロラは答えて言った。
「実は訳があって国を裏切っています。今朝も同じ報告を飛ばしました」
「デンデオの中には、安い人間を雇って歩かせているだけです」
「深く潜っていた間者を消したのは私です。そろそろ私も消されると思います。どちらが側からも。どちらが早いんでしょうか」
ミストラは愕然とした。目の前の女は、国の者に手をかけたと言っている。
「国の方が早いと思います。それまで怯えていてください」
そう言ってミストラが席を立とうとしたとき、リリスが引き留めて言った。
「取引しませんか?そうだろう」
ミストラは息を深く吐いて、椅子に座った。
そうだった。ディートスに近づけるなら放免してもいいと上は言っている。
しかし、国の人間に手をかけた女を目の前にして、そんなことは頭から吹き飛んだ。
戦争を止めるためとはいえ、納得がいかない。
「いいえ。その必要はありません。ですが、お望みの事をします」
「ただ、ディートスを必ず葬ってください。国に戻して生かしておくとか、亡命させるとか、泳がせて都合よく利用するとか」
リリスはミストラをみた。
「そっちは約束できない。もう国同士の問題になっている。私が言われているのは、貴女からディートスの情報を引き出す代わりに放免してあげる事だけ」
「放免してあげるから、さっさとディートスの居場所と目的を吐いてちょうだい」
ミストラは感情的になっている。
「アリアから言われて来たんでしょ。彼女は政治が介入するのを嫌がりますから」
「それに、彼女なら私が言わんとしていることを理解するでしょうね」
ミストラは黙っている。
「庇護者とはエルンストです。ディートスは取り入るのが上手なので」
「彼はエンデオ領の奥地に村を作ってそこに居ます。剣士は散らばっていますが拠点はそこです」
そう言うとアウロラは地図を渡した。
「エルンストはローレイラをディートスにあげるみたいです」
「目的は分かりません。ただ、エルンストには理想があるそうです」
「傭兵国家。国の真似ですね。ディートスが吹き込んだんでしょう」
ミストラは地図を受け取ると今後は連絡役を寄こすと言った。
「くれぐれも嘘の情報なんて流さないでね。裏切者さん」
ミストラはそう言うと席を立ち部屋から出る。リリスも後を追う。
「さようなら」
アウロラが言った。リリスが振り返るとアウロラが立っている。ふと見ると彼女の袖口にほつれがある。
「見ないでください。失敗しちゃいました。恥ずかしい」
アウロラは手で袖を隠した。
「難しいんだな。刺繍ってのは」
リリスはそう言うと部屋を出た。
下階に降りると青年が見送りに出た。ミストラは青年にすら冷たい。
リリスがアウロラの事を聞いた。いい師匠かと。
青年は彼女が素晴らしい職人で、優しく教えてくれると言った。そして名前を初めて知ったと言う。
だから「お姉さん」と呼んでいたそうだ。
リリスが刺繍は難しいかと聞くと、「お姉さん」は下手だと言って教えてくれないと言った。
青年は通りまで見送ると店に戻っていった。
リリスはアウロラを振り返ってたときの事を思い出していた。
彼女は窓の景色に切り取られた絵画に描かれいる一人の女性に見えた。
両脇の冷たく陰鬱な建物に挟まれ、背後に見えるのはわずかな空と森の風景だけ。
絵画の女性の服には、襟と袖口にあるはず物がない。