特使
ルカは夜明け前に起きだして、日課の外に出ると素振りを始めた。
相変わらず、刀身の黒は開けやらぬ空の黒に溶け込み、刃だけが闇夜を舞っている。
夜が明けるころ、少女が起きてきてルカの姿を見てた。
ルカが素振りを終えると、剣を見せてくれと言う。
ルカは少女に剣を渡した。
重い。こんなものを軽々と。
鞘から抜くと刃が朝日にきらめく。
少女は木工に使う刃とは全く違うものだど感じた。これが肉を切り裂く刃だ。
まがまがしくも美しい。
少女は剣を鞘に収めて礼を言うと、ルカに返した。
奥から人の声が聞こえてきた。これから水汲みが始まると言いう。
ルカは手伝うと言って上着を脱いで肌着になったが、少女が慌てて止めた。
ルカが職人たちの前に現れると、口々に感謝の言葉を贈った。
ルカはこの村の英雄になっているらしい。
裏手の斜面を下った川から、桶で水をくみ上げる。
重労働だ。少女も若い職人に混じって水を運ぶ。
それは、誰にも引けを取っていないし、助けられてもいない。
力強い職人の卵の姿がそこにはあった。
父親が若い職人に檄を飛ばしていると、桶を担いでいるルカを見て驚き、もったいないと言って桶をルカから奪い取ると自分で担いで運び出した。
汗をかいた職人たちが上着を脱ぐと、運んできた川の水で汗をぬぐう。
すでに蒸してきた風に冷たい水は気持ちよさそうだ。
それをみたルカも汗をかいたので上着を脱ごうとすると、また少女が慌てて止めた。
水を運び終わる頃に母親がパンとスープの朝食を持ってきた。
少女も朝食を職人たちと一緒に取ると、これから木工細工の仕事をするそうだ。
ルカが工房を見たいと言うと、少女の父親は娘に仕事を見てやってほしいと喜んだ。
何日も乾燥させた木片を慎重に削り出す。
削り出された刃を、一本づつ慎重に研磨していく。
一度か削ってみて様子を見ては、また削り出す。
汗が頬を伝うが手が止まることは無い。
それは、斬り合う相手と正対したときのような緊張感と同じだ。
職人としての少女が居る。
昼が近くなった頃、母親がルカに迎えが来ていると言った。
少女は集中して聞こえていないようだ。
別れの挨拶はまたできる。
ルカはそっと工房を後にした。
宿に戻るとエドと書記官が正装していた。
軽く昼を取ったら、村長宅に向かうと言う。
まだ、時間があるからとエドはお茶を進めた。
「ルカ君が来てくれてよかったよ。君は村の英雄になっている。いたるところで君の話を聞くよ」
「アリアじゃ、こうもならなかっただろうね」
エドは笑った。岩のような顔がほころぶと、目じりの皺が一層引き立ち場を和ませる。
しかし、ルカはその目の奥に何か黒いものを見たような気がした。
エドはルカをみて、自分の頭を撫でながら、さすがはアリアの弟子だなと、今度は大声で笑った。
この笑顔の瞳の奥には黒いものは見えなかった。
「アリアがここに来ない理由が分かるかい」
エドはルカに質問した。
「あなたからの質問には答えるなと言われています」
ルカはアリアの言いつけ通りにしている。
「アリアと僕とアリアの旦那は同期でね。アリアの恋物語をしたくてたまらないな」
質問ではない。
「きっと、そんな話をしてくると思ているんだよ。本当は僕と会いたいんだ」
違う。そんな話は聞いていない。
ルカはお茶を一口飲んだ。
「アリアは面倒とは言わないし昔話が好きなんだよ。いつも生真面目でだった」
ルカは思わす、そんなことは無いと言った。
アリアから面倒くさいを取ったら何も残らない。
「きっと重要な任務があったんだ。きっと、君を使いに出す時には悲しみに満ちていたに違いない」
「剣を研いでいて機嫌が悪かったです」
アリアに悲しみの感情は無い。
ルカは「機嫌が悪くて、面倒くさいと思ったから身代わりを寄こした」と言いう事実を、あっさりと引き出された。
エドはまた笑うと、ルカかに外交官は向かないなと言いながら立ち上がり、昼食にしようと言った。
報告書通りだな。子供だ。純粋でいて危うくもある。
そして、「アリアが側に置いておくわけだ」とつぶやいた。
エドは書記官に、早速苦情を上げるようにと指示している。
ルカは何となくだが、アリアの怒りに満ちた表情が頭に浮かんだ。
言ってはいけない事を言ったような気がする。
昼食を終えると村長宅に出向くことになった。
二人の剣士は部屋の外で。ルカは中に入るように言われた。
エドはルカに、何を聞いても表情を変えない。そして、何もしない事を命じた。
それが交渉と政治の場であって、ルカが必要であるとそうだ。
村長の屋敷に着くと、村長と夫人が出迎えた。
来客室に通され、衛兵は部屋の外で立哨した。
部屋の中に入るのはエドと書記官。そしてルカだけだ。
エドが挨拶をする。自分が特使であり、東国との国交樹立の為にやってきたことを告げた。
すでに根回しが終わっている。
村長は形式的な挨拶をした。
エドが目録を渡す。物はすでに渡されている。
村の一年分の収入と同じ金と、外交室にあった訳の分からない物の一部。
そして、一年間を区切りに外交団駐留の条件で、村の防衛のための剣士を派遣する契約だ。
エドは部屋の隅に立つルカを紹介した。
「先遣とはいえこの者と二人で賊を追い払ったのは、道中で報告を受けました」
「皆様方がご無事で幸いです。僭越ではございますが、この者と同格の者達で編成させましょう」
村長はルカを見ると、満面の笑みを浮かべて喜んだ。
毎年、外交団の駐留を更新すれば領主に高い金を払って衛兵の巡回を願い出る事や、賊が出たときの討伐費用を払わなくて済む。安全を無料で享受できるできるのだ。浮いた金を産業に回すことも可能だ。
それは、小さいながらも自主独立を意味するところであるが、それは領主から敵とみなされかねない。
そして、村の安全を白面の剣士団に依存すれば、事実上、防衛をたてに村の主導権を握るに等しい。
村長は、この事を理解できるのか。
村長は外交団の受け入れを承諾した。
エドは礼を述べると、村長に勧めてもらっている契約に関する条件を改めて提示した。
「ランセロッツ家へお取次ぎの件ですが」
「かの家はティファニア様の生家であり、ダモクレス王朝の王、エルリック王に近い血筋の方と聞き及んでいます」
村長は今日の会談まで根回しを終えているとはいえ難色を示した。
ティファニアの件だ。
「今更と思われても仕方ありますまいが、ほかにご紹介出来る方もいらっしゃる」
「特にわが村の工芸品の得意先に貴族もいらっしゃる」
「王朝付き文官の夫人と懇意にさせていただいております。そちらの方が話が早いのではないでしょうか」
確かにその通りだ。「ローレイラに謀反の疑いあり」
噂はここまで尾ひれがついている。
村長には真の目的は話していない。
我々は国から逃れた剣士と手引きをした者達を一掃しなければならない。
エドは、ローレイラ領の事を話し始めた。
「ティファニア様の件につきましては聞いておりますが、我々は巷の話とは違うと聞き及んでいます」
「療養のためのに、一時的におかえりと伺っております」
「そして、エルリック王の側近の方より、より濃い血筋の方が適切と考えております」
そしてエドは村長に、
「ランセロッツ家にお取次ぎが出来る方とは、村長しかいないとも伺っております」
「是非とも、国交樹立の橋渡し役として、そのお力をお借りしたく存じます」
村長はランセロッツ家の遠縁にあたる。「王朝の血筋」この言葉を出されて機嫌を損ねる者など居ない。
村長は早速、書記官が用意した調印書に自署し契約が成立した。
今夕にランセロッツ家に入る事を告げた。
ルカは話を聞いていて、すでに決まっていることをもう一度話し合う事とを不思議に思った。
書記官がこちらを見ている。
ルカは、後で書記官に聞いてみようと思った。