第9話 孤独
続きです
広く薄暗い廊下の中をアルネは歩く。足取りは重く、目的地に近づくにつれ歩幅が狭まっているのは、憂鬱に心を支配されているからだろう。それは今から向かう先にいる人物とそこで起こるであろうことが原因だった
廊下の角を曲がりついに目的の部屋が見えた。深呼吸して扉に手をかけ、それでも足りず再び深呼吸する。意を決して扉を開けた席にいたのは待ちくたびれたような顔で待つ育ての父の姿と嘲笑するような目で見る兄弟たちであった
「遅いぞアルネ」
正面に座り執務机に肘を乗せながらそう言う父に対してアルネは目を合わせることができない
「申し訳ございません、お父様」
「お前さぁ、いつも謝ってばっかだよな。本当に申し訳ないと思ってんなら普通努力してもっと強くなるよなぁ?」
あざ笑うように言ったのは義理の兄。ここにいるのはみなアルネと同じ孤児院で育った家族だったが、全員口に出さずともアルネに抱く内心は同じだった。
「聞くところによれば、お前まだ魔物退治の傭兵なんぞ続けているのだろう? 全く、飽きれて言葉にならん。いいか? 他の皆はもうすでに騎士として立派に役目を果たしている。いまだに炎の権能の初期しか扱えないのはお前だけだ。今年中には騎士になると約束したにもかかわらず傭兵を脱する気配すら見えん。お前は一体何をやっているのだ!」
強い語気と共に空気が震える。正面に座る人物が今どんな顔をしているのかアルネには見る勇気がなかった。うつむきながら絞り出すような声で呟く
「…努力はしています」
「結果が出ていなければ意味がないだろっ!」
怒声とともにアルネの体が跳ねる。育ての父からの威圧もさることながら、何も反論できずただただ自分の弱さを自覚するしかない惨めさでアルネは目に涙を蓄えていた
「はぁ。まったく、両親が騎士だというのに子供にはこれっぽっちも才能が遺伝してないではないか。悪魔に遭遇し遺体すら残らなかったと聞いたが、その後一人残されたお前を一体誰が育ててやったと思ってるんだ? 私の孤児院で育ったものは皆その恩を騎士として働くことで私に返しているのだ。お前も泣いてる暇があったら強くなるのだな。さぁもう話すことはないからさっさと出ていけ」
冷たく言い捨てられアルネは歯を食いしばる
顔を下げたまま小さく一礼し、突き刺さる視線を背中で受け止めながら扉を開く。再び薄暗い廊下に戻り、扉の閉まる重たい音が遠くまで鳴り響いた。全てが終わったのを察したアルネの目からはせき止めていた大粒の涙があふれる
「うぐ…ひっぐ」
嗚咽を押しとどめて目をこすり、逃げるようにして執務室から離れる。近頃、育ての父に呼び出された後のお決まりのパターンだった。親のいないくなった自分を拾ってくれた父からの冷たい叱責、兄弟から見放された絶望感、そしてそんな状況をどうすることもできない弱い自分。複雑な感情が絡み合い、涙となって落ちる
10歳のころ両親が悪魔に殺されて以来、親戚をたらい回しにされていたアルネを拾ってくれたのが今の育ての父。それまで冷たい扱いを受けていたアルネを抱擁し暖かく迎え入れてくれたことを今でもずっと恩に感じていた。自らの無能のせいとはいえ、これだけ突き放されてもアルネの居場所はここにしか無いのだ
歩みを止めてその場に座り込む。息を整え、涙でぐちゃぐちゃになった顔を拭った
少し冷静さを取り戻してふと、思い浮かんだのは最近できた仲間のことだ。今までナギは仲間を作ったことがなく、それは実力と英気のあるものは皆騎士に召し抱えられ、傭兵として活動しているのは実力が足りないか性格に難のある荒くれものばかりだったからだ
それが突如として空から降ってきたケイタという男によって状況が変わった。奥底に膨大な魔力を秘めながら異国の地で孤立していたケイタに可能性を感じ、仲間に誘ってみれば驚くほどあっさりと承諾してくれた。傭兵同士というのは利益で結びついてるだけにすぎないのが常識だったが、それでも久しぶりに対等に話ができる相手ができたことがうれしかった
アルネは今後に思いを馳せる
一人で悪魔を殺せるケイタの実力は聖地にいる精鋭守護騎士と同等かそれ以上のもので、噂が広まれば時期に聖地の教会から使者がやってくるだろう。アルネごときが仲間にふさわしくないのは誰が見ても明らかだった
やっとできたと思った仲間は一時の夢にすぎなかったのかと、考えるだけでアルネは胸が締め付けられるような気持ちだったが、しかしまだ夢が覚めたわけでは無い。アルネはケイタの言葉を思い出す。”これからもよろしく”と、ケイタがアルネを必要としているならまだ希望は残っていた。召使でもなんでもよかった、なんとかケイタの望みに答え、その強さの秘密を教えてもらえばアルネは父や兄弟に認められる騎士になれるかもしれない。何よりケイタの傍に立つにふさわしい存在になれるかもしれないのだ
わずかな可能性、希望的観測ともとれる都合のいい考えを、それでもアルネはそれに縋り、再び立ち上がる
ケイタとの出会い、女神がくれたチャンスをものにするのだと固い決意でアルネは暗い廊下を突き進んだ
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「で、話は変わるが…」
神妙な面持ちで執務机の上に手を置き、向こう側にいる息子たちに語り掛けるのは白髪の男
「皆は最近現れたあの男、ケイタという者についてどこまで知っている?」
「いえ、私はなにも…人づてに噂しか聞いていませんが悪魔を一人で倒したなど本当のことなのでしょうか?」
「自分は少し姿を見ましたが、確かに表には出していなくとも奥底から圧倒的な魔力を感じました。あれは聖地の騎士に匹敵しますね」
「確か奴は少し前に空から降ってきて中央広間の女神像を破壊したのでしたよね? その時罰金刑と共に魔封じの枷を掛けなかったのでしょうか? あの枷があればいくら聖地の騎士に匹敵するとはいえ単騎で悪魔退治など不可能です」
他の面々はお互いに顔を見合わせながら父親の様子を窺う
「ふむ、皆の認識は理解した。私もあの男を間近でみたが奴は普段は魔力を解放せず必要な時にだけその力を発揮するタイプなのだろう。魔封じの枷は…おそらく何らかの手段をもって解除したのか…」
「本当でしょうか? あれはややこしい魔法でその知識に精通していなければ短期間での開錠は不可能なはずですが…だとすれば相当な手練れということになりますね」
「あぁ…全くだ」
微動だにしないままじっと考えるように虚空を見つめる姿を、騎士たちは黙って見守る。室内に静寂が流れた
「私はあの男は聖地から密命を受けてこの地に来たのだと考えている。そうでなければあまりにも出来過ぎた話だ、異国からこの地にやってきて短期間で悪魔を討伐するなど…おそらくこの地で邪教徒の動きが活発化したのを聞きつけた聖地に派遣されたのだろう。言うまでもないが、邪教徒殲滅の手柄を聖地に横取りされてはならん。この問題は我々の手で解決し、この国での影響力を確かなものにせねばならない。分かるな?」
「はっ!」
問いかけられた者すべてが威勢よく返答する。忠誠心にあふれたまなざしが一身に集まっていた
「よろしい。それで今後の計画だが…正直に言えば戦力的には我々全員でもあの男に劣っているのが現状だ。なにせお前たちが束になっても悪魔の討伐など不可能だろう?」
その場が静まり返る。誰も目を合わせず何も口にしないのが答えだった
「言わずともわかる。そこでだ、実は今日一緒に報告しようと思っていたのだが、例の薬の研究がついに完成したのだ」
「そ、それは本当ですが!?」
「ああ、身体能力と魔力の基礎量を大幅に向上させる身体強化薬だ。前々からお前たちにも実験の一環として服用してもらったものだが、それがついこの間に完成した。まだ一部で理性の喪失などの副作用は残っているがお前たちの忠誠心と精神力なら耐えられると信じて実用化に踏み切ろうと思う」
「もちろんです。俺たちが父上から受けた一生分の恩に比べれば、そんな薬の副作用程度なんてことはありません」
「その通りです。はなから命すら惜しくありません」
その場にいた誰一人として、本心からその言葉に異論はなかった。それほどまでに孤児院で育った騎士たちの父への忠誠心は厚かった
「そうか…私は実にいい子供たちを持ったものだ。あの薬さえあれば皆がケイタという男に匹敵する力を得ることもできるだろう。そうすればお前たちの将来も私の王国での地位も安泰だ。長い道のりだったがついにここまでたどり着くことができたな」
その言葉に、それまで張りつめていた緊張が解けるかのように騎士たちから笑みがこぼれた。皆口に出さずとも顔を見合わせるだけで喜びを共有していたのであった
「あぁ、それとだ。もうそろそろ父上という呼び方はやめようじゃないか。お前たちも私に使える立派な騎士、これらは公私ともに、そう…ギャリン閣下と。そう呼ぶことにしよう」
「はっ、では改めまして…ギャリン閣下。我々一同を今後ともよろしくお願いいたします」
騎士の一人、一番の年長者が礼の構えをし、それに他の騎士たちが合わせる
「うむ結構、それでは薬の準備ができ次第順番にお前たちを呼ぼうと思う。今日の要件はもう済んだのでこれにて解散としよう」
ギャリンの呼びかけに応じ、退出していく騎士たちの後姿をギャリンは見送った。最後の一人が部屋を出て、扉の閉まる重たい音が鳴り響くと同時にギャリンはため息を吐く
腕を組み、子供たちの前ではしなかった憂鬱そうな顔で窓の外を眺めた。自らの内にある思惑、懸念、憤り。表にできない様々な感情をしまい込んで処理し、その中でどうしても心の奥でこびりついていた苛立ちが小さな言葉になって漏れた
「ベックル…使えん奴め」
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